局の道楽日記

食道楽、着道楽、読書道楽  etc
生活色々を楽しんで暮らしている日々の記録です

納骨が終わり

2024-03-13 19:12:24 | 様々な思い
先日の日曜日は母の49日 納骨の日だった。

東京から私達夫婦、ムスコ家族4人、ムスメ家族4人 と弟という家族だけの法要。

法要が1時からだったのでまず食事をして



母の御膳もしつらえてくれた



精進料理



孫①~③まではだいぶ大きくなってきてこういった場でも大人も落ち着いて食べたり話をしたりできるようになったが、この先孫④が大変になるかもね。
この日のちょっと前に寝がえりをするようになったら次にはもうずりずり這うようになって今までみたいにバウンサーだので大人しくしてるわけじゃない。こういう時は「女の子欲しかったな~」というムスコのお嫁ちゃんが抱っこしたりあやしたりで活躍してくれる。



法要中は静かな孫たち。孫④もお寺の本堂のホットカーペットの上が温かくて読経の声が子守歌になったのかずっと寝ていてくれた。

ワタシもまだここまではまだ心穏やかだったのですけどね。

石屋さんがお墓の石を移動し地下の骨壺を入れる空間があらわれた。内部には棚がありその下は土だった。
祖父と祖母の骨壺が棚に安置されて母のお骨はその前に安置された。
石屋さんはプロレスラーみたいに縦横大きな巨漢で結構話好きな人で色々解説してくれたが・・・
「ここってあと何人分入れられるんだろうね?」というワタシ達の疑問に
「みなさんそういう心配をよくされますが何人でも入れられるんですよ」とのこと。
土に還るという言葉の通り骨壺のスペースがいっぱいになったら、下の土を掘ってお骨だけそこに埋めればいいんだって。





なるほどな~と思いつつも、ワタシの気持ちはどんどん沈んでいった。
3月というのにその日はものすごく寒く、この地方特有の北風が吹いてくる時間。そしてのぞきこんだその空間は暗くて、こんな所に母を入れちゃっていいのかな?という気持ちが俄然湧いてきた。
祖父母は母にとって舅と姑、父がまだ居ないのにそこに母を・・・
いえ、葬儀の終わった後に弟に言ったんですよね。
「ママはパパより先に自分が逝くとは思わなかったと思うよ。パパがいないのに〇〇家のお墓におじいちゃんとおばあちゃんと一緒に入るのって嫌じゃないかなあ・・・?」って
そしたら弟が目を丸くして
「えっ? 姉ちゃんそんなこと気にすんの? 死んじゃったんだからそんなの気にしないんじゃないの?」だってさ。そして
「考えたこともなかった」ですとさ。

オトコって鈍感なのか? 弟は母を結構大切にしてたことはしてたのに、そういう事は気に及ばないのかね?

とはいえ、喪主は弟だしワタシは嫁に出た身だしと それ以上追及せずにこの日を迎えてしまったわけですね。

母を火葬した時より納骨の後の方が堪えてる。

あんな暗くて冷たいところに母を埋めてしまった。
せめて父を待って(という言い方も父には悪いが彼も90歳半ば超え)一緒に埋葬するべきじゃなかったか?
お骨は家に置いとくとかお寺に預けるとか手段もあったのではないか? とか

なんかその思いがグルグルしていて日曜以来気分が沈んでいる。

とはいえ母は昔ながらの気質で地方のめんどくさい家のお嫁さんの典型で当然のように〇〇家のお墓に入るつもりでいたとは思うのですけどね。
それにしても「死んだあと どのように送られたいか? どんな風に埋葬されたいか?」はちゃんと聞いとくべきだったな。
なかなかそういうのって聞けないもんなんですよね。

今回ワタシはつくづく昔ながらのお墓に埋葬されるのは拒否しようと思った。
本来の意味の樹木葬、自然な土を掘ってお骨をパラパラ撒いてもらって、その上にオリーブの木でも植えてもらうのがいいな~と思う。(これって実はうちで飼ってた先住犬の埋葬法です。毎年大きくなるオリーブの木を見るたび愛すべき彼を思い出す)



終わってみんなで記念撮影。
母にとってはムスコとムスメ ムスメの連れ合いの子供二人とそれぞれその子供二人ずつ。次代とその次の次の世代に送られたわけだ。それはまあ幸せなことなのか?

この日以来やっぱり気分は上がれないが 「311」の13年目を経て、突然の災害に亡くなったり家族を亡くしたりの悲劇の映像や遺体がまだ見つからない方々もたくさんいる状況を目の当たりにして、母はちゃんと送れたんだからさ・・・と自分に言い聞かせた。





この時撮った孫④と一緒にふざける孫①の写真が浮上の手段になるのかな?
母も曾孫たちの成長を喜んでくれているに違いないけど・・・

コメント (21)
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