局の道楽日記

食道楽、着道楽、読書道楽  etc
生活色々を楽しんで暮らしている日々の記録です

クラシックも楽し

2015-05-31 22:18:44 | 見る(映画 劇場 美術館など)
土曜日は久しぶりにサントリーホールへ

 ★ストラディバリウスだけで奏でらるコンサート 

7台のヴァイオリン&2台のチェロ&2台のヴィオラ 総時価90億円 ひえ~~



クラシックの演奏だけ聴きに行くってあまりない。そりゃー嫌いじゃないが、普段の生活では心良きBGMとして聴く程度。
どうせチケット代払うとするならバレエとかオペラなど目でも楽しめるものがくっついてなけりゃねえくらいの意識なんですが、我が舞台友というか舞台の師Nが、「局、悪い事言わないからこれは聴いた方がいいよ。音が全然違うから」と絶賛して誘われたので安くはないチケ代を奮発して行く気になったのである










たまにはいいもんですなあ こういったコンサートも。オペラ夜の部ほどの気恥ずかしいほど着飾った方たちはいないけど、みんなそれぞれおしゃれして集まる場。
着物をお召しのマダームの中には、五線譜を染めつけた帯など締めてらっしゃる意識高い系のヒトも・・・



一階のほぼ中央というごちそうさま席。演奏の手も アイコンタクトもしっかり見られた。


実を言うと、前の日夜更かししてて睡眠不足の上、この日の午前中にはお嫁ちゃんがお料理教室とかの間、孫ちんがムスコと家に来ていてバタバタで疲れ、しかも午後二時からという一番眠気が誘われる時間帯。もし寝ちゃったらどうしよう?という恐れもあったのだが・・・

いえいえ それどころじゃなくやっぱり良かったんですね、これが

 サイトよりお借り映像

この13人の編成で奏でられる音が、フルオーケストラを聞いてるみたいな奥行と広がりを持って私に迫ってきたのであった。
一曲目から引き込まれた。



また、プログラムも親しみのある曲ばかり。

とても良かった。

余韻さめやらずに

  

隣のカフェでお茶 もとい シャンパンとともに いつものメンバー+クラシックファンのキョージュとしばし懇談。

地震の前にかろうじて帰宅。部屋が揺れてるのを酔いが回ったのかと思ってしまった。




ストラディヴァリウス・サミット・コンサート2015 - メッセージ映像
[parts:eNozsjJkhAOz1FQjkyTTFL+0yPA090K/IrNi+7TUxJLSolTbgpzEytSi+NTcpNSUlNQUJjMTAyZjMwMmAwAYnRHb
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ブランド品よりも

2015-05-27 23:47:10 | 見る(映画 劇場 美術館など)
例によってバタバタしていて記録が遅くなってしまったが・・・

先週の事、こちらに行った。





麹町にある。ベルギー大使館 


先月 YUMAMAさんが習っていらっしゃるレースの展示会に行ってきたのだけど ★ 

その時にいただいた案内状を見て、ぜひ行ってみたいと思った展示。




ベルギー人のアンティークレースの収集家 ★ の方のレースと 日本人の ★ 鍛金作家の方のコラボレーション作品。

この作品が印刷されたハガキを見た上、実際にそれを見に着けていた方を見て、一目ぼれしてしまったのである。
そしてYUMAMAさんとともに「ぜひ行きましょう」と約束して展示の日を指折り数えて待っていたのである。




当日はベルギー大使夫人も桜内さんも会場にいらした。

そして作品。思った通りにステキである。
繊細な繊細なレースを切り取って、それに沿ってひきたてている周りの銀の細工。
裏を返すとそれがまた凝っていて、△や○に銀が切り取りがしてあり、あまり重くならないような工夫がしてある。

これがペンダントヘッドとかブローチとしてつけられるのである。







なんてステキ!

でもつけられている値段はあまりステキじゃない(例えれば、ハイブランドのバッグ一個分くらいの(エルメスは除く)のお値段)・・・・

しかし 考えてみるとアンティークのレース。その昔レース職人がこれだけの面積を織りあげるのに何時間も費やして、当時の貴族たちのために作られたもの。それが現代の作家さんの手で新しい生命を与えられてこうして私に微笑みかけている。ほらワタシを持ち帰りなさいと・・・(妄想)

こりゃ~ 買わないと一生後悔するな と思い、YUMAMAさんもワタシもお買い上げ予約をしたのであった(まだ違う会場での展示会があるので)

だって、ほんっとに気に入ったものは買わないで後悔するのは嫌じゃないですか? 最近年とともに物欲も低下してきたが、久々に欲しいと思った品であった。

買ったという高揚感が過ぎて今になっても、買って良かった、あの美しい作品を速く手に取りたいと思うばかりである。

あの小さな空間のレースの花が、元はどんな作品の一部だったのだろうか? 美しい貴婦人のエリ飾りだったのだろうか?それともイケメン貴族のポケットチーフだったのだろうか?とか想像するとワクワクする。
作品と一緒にロマンも手に入れた気になったからである。

手に入ったらどうやってつけようか? 金属のチェーン?バカラのペンダントみたいなサテンのリボンとか革紐みたいなもの? 最近アクセサリー店や素材屋さんを見てあれこれ考えている。







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母は強し

2015-05-24 21:51:05 | 家族あれこれ(犬も含めて)
一週間お里帰りしていたお嫁ちゃんと孫ちゃんをオットと品川駅まで迎えに行った。
ドラはスポーツの大会が菅平であるとかで行けないので 甘いジジババに頼んできたのである。

新幹線の中では良く昼寝していたらしい孫ちゃん、チャイルドシートに載せて20分ほどしたら、飽きてきて動きたくなったのかぐずりはじめた。
後ろのシートで水を飲ませたり、おもちゃであやしたりしていたM子。
それでも泣き止まずにぐずぐず言う孫ちゃんに低い声で

「いつも自分の思い通りにばかりはならないんだよ、ガマンしな」と一言。
とても華奢で顔立ちは愛くるしいって感じのM子なんだけど、昔からキャピキャピしてはいない。この頃、迫力が増した。
孫ちゃんも母の迫力におされたのか黙った。

後でオットが
「ドラもああやって支配下におかれてるんだろうなあ どっちを見ても女って強いよなあ」と感心しておった。

フン!当たり前だ 母になればヨメも強くなるんだっての。




孫ちゃんは相変わらず可愛いです。
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花組観劇記

2015-05-23 14:45:36 | 見る(映画 劇場 美術館など)
先週は小劇場系の舞台に行ったが、相変わらず節操のないワタシ・・・

今週は久しぶりといっても二公演ぶりに(星は柚木さん退団チケット難で取れなかった)宝塚 花組




コレです

 
 舞台は地中海で最も美しいとされるカリスタ島。この島に生まれながら、数奇な運命に翻弄され、フランスで育ったシャルルは、カリスタ島を統治するフランス軍将校として、再び故郷に降り立つ。時はフランス革命前夜。シャルルには本国フランスの動乱に乗じて、故郷カリスタ島を独立させたいという密かな野望があった。島のレジスタンスの若者達と信頼をはぐくみ、野望は成就するかに見えたが、島の女アリシアの情熱的な愛がシャルルに向かったことで、歯車は狂い始める。
 男が英雄になれなかったのは、一人の女を愛してしまったから…。愛と友情、そして故郷への想いの狭間で揺れ動く青年の葛藤をリリカルに描いたラブロマン。


ワタシは本当の所、よい宝塚ファンじゃないのですね。出待ち 入り待ちしたり お茶会に行って特定のジェンヌさんを応援するほどの情熱はなく、一公演は一回のみ観劇、何度も行って思いを反芻するわけじゃない、ただ回数だけは重ねているくらいのファン。

だけど、あの現実離れしてウツクシイ方たちを眺めて、しばし現実から浮遊できればよい くらいのもの。
だから 特定の方に思い入れしない分、脚本は楽しませてほしい(せめてとんでもない矛盾とか破たんしたものは見せないでほしい)くらいのもん。

今回の大石さんの脚本は良かった。フランス革命と島の独立という背景で、将校とレジスタンスの若者リーダーと情熱的な島の娘の三人が絡む恋愛事情を描き、よくまとまってたし、最後はハッピーエンドで気分も上がった。

そしてその三人の主人公たちの歌の安定していたこと。誰かが極端にへただとずっこけますから。安心して聞いてられた。あとアニータ役の専科の人の歌が上手い事。聞き惚れた。

それにしてもこの組のトップさんはどこから見ても美しい。

 

同じジェンヌさんたちが「あまり綺麗なので」と言っているのがわかるくらい美しい。あんまり身長はないけど、その分顔が極小だからバランスがいいこと。相手役になる娘役さんが気の毒なほど顔が小さいんだもの(ほれ、また余分なことを)
それにこの公演の最初、歌いだしたときに「んっ?」と言ってつっつきあった 舞台友Nとワタシ。歌が以前に比べすごく上手になってるからであった(上から感想ですみません)低音も自然な発声で伸びも出てきて無理がなく聴けた。

そして特定の贔屓は居ないと言ったそばからなんですが・・・

この組には秘かなオシメンが居るのである。

今回ナポレオン役の

この人



 

都会的で恵まれた容姿 ダンスはキレキレ 舞台のどこにいても目でおってしまうオーラの発生。
この人はなにかアクシデントがなければ絶対トップに上り詰めると予言しておこうっと。まあその前に歌をどうにかしてと切にお願いしたい(また余分なことを)

ショーもよくまとまってて良かった。みりおさんの花魁姿にはぶっとんだけど。



この日はいつもの観劇トリオ(舞台友NとMちゃん)に+してやはり小学校から高校まで同じ学校だったSちゃんが参戦。遅子持ちの彼女は今春子供が大学生になってやっとフリーの時間が増えたと実家地方からこの公演目指して上京。

せっかくだからと銀座でご飯。

この劇の最後に 将校と島の娘が結ばれてハッピーエンドだったのだが、その際のせりふ

♂「広い家なんて住めないよ」
♀「そんなのいらないわ あなたがいれば」
♂「お金もないよ」
♀「そんなのいらないわ あなたがいれば」~~ というようなセリフが続くのですね。

そのセリフを変えて

「それは無理だわ お金がなければ~」と寿司屋のカウンターで歌う舞台友Nの熱演にお腹をかかえて笑いつつ



おなか一杯で満足したオバ四人であった。










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川辺の風景

2015-05-20 01:24:27 | 日々の生活


だいたい犬の散歩はこの川の遊歩道である。車も通らないし、四季折々の景色を楽しみながら。




この前亡くなった先住犬の時からだから、もうこの川辺を散歩するのは17年以上になる。
顔見知りの犬&犬友もたくさんできた。

今日は、悲しいニュース。やはり同じ時間帯で散歩する10歳のゴールデンの子が急死したと。
先週の土曜日、一緒に散歩したのが最後だった。ここ一年くらい調子が悪いと、だんだん痩せてきてつやつやだった毛並もなんだかそそけだったようになり、うなだれて歩いている様子を心配していたのに・・・ 
飼い主のママも心配して、色々手を尽くしてはいたらしいけど、急変して月曜日に亡くなったと・・・
今日家の子を荼毘に付した同じお寺で葬儀をしたらしい。

お子さんも外国在住だし、ご主人も忙しい方らしいし、広い家に一人でいる時間、否応なしに大型犬の不在がせまってしまうんだろうなあ。
四か月前に同じ経験をして、その後しばらくはこの川の散歩仲間と顔を合わせることができなかった自分も当時の気持ちがよみがえる。
私の場合はまだもう一匹のGちゃんがいたからまだ救われたんだけど。

そういえば、今年になってうちのPちゃんの後にやはりラブラドールともう一匹のゴールデンも亡くなった。
みんな可愛がられて穏やかな子たちだったからあちらの世界でPちゃんとも昔のように仲良くしていると思う。

人間より短い彼らなんだから、こういう別れをみなきゃならないのは仕方がないことなんだろうけど。


そんな悲しいニュースと同時に明るいニュースもあった。

毎年この時期にみんなが待っていること。

すぐに分かる。川の両岸のフェンスにもたれて、数人が熱心に川を見つめているところ。
視線の先には



つい最近生まれたばかりの子供たちを引き連れたお母さん。

「昨日の雨で川上から流れてきたみたいだよ」とこの地域の素人写真家の80代の名物おじいちゃんがおっしゃった。。

「さっきまでカラスがいたから全部腹の下に抱え込んでいたんだよ。そうしたらよお、あいつら(他の鴨家族4羽)がいじめにきやがってなあ」

先住の鴨一家、やはりなわばりを主張するのかお母さんカモをつつきにきたらしい。

お母さんカモ、今までの上流に戻りたいのか、流れに逆らって泳いでいる。しかしこんな段差が川の途中にあって自分は昇れるが子供たちは昇れない。
そうこうしているうちに一羽が流されそうになり、



また川の中へ。
それを何度となく繰り返している。
この川には他の鴨たち、サギやカラスなどの他の鳥たち。蛇まで生息している。
それらと戦いながら、しばらくは大変な思いで子育てするであろうお母さんカモ。

10羽が全部元気に育ってくれるといいんだけど。これはこれで気がもめる。

川に住む生き物とそこに集う人たちの中にも日々の小さなドラマがある。

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小劇場も楽し

2015-05-17 21:04:24 | 見る(映画 劇場 美術館など)
今回も行ってきた、こちらの公演@中野ポケット

 






 1945年4月7日。
大日本帝国海軍が誇る史上最大の戦艦「大和」が米軍機動部隊の猛攻撃を受け3,332名の乗員と共に海の藻屑と消えた。
時を同じくして一隻の艦が大和を追って出港していた。
歴史の闇に消えたその艦の名は練習特務艦「喜島」
彼らはどこから来たのか?
彼らの目的は何だったのか?  サイトより


谷村艦長の海軍の制服と帽子はよくお似合いであった。怪我をして出世から遠のいたが、おんぼろ練習艦の艦長として任務を全うしようという決意が現れていた。

従軍看護婦の斉藤さんには今回もやられた。あの捨身さ加減は素晴らしい。帽子を取った時、男性陣と同じに丸刈りだった頭に、友人ともども息を呑んだ。すんばらしい役者魂。


太平洋戦争末期の話 シリアスになりがちな戦争中の話だけど適度な笑いとドタバタも中にちりばめてある。
どこか記憶に残って考えさせられるフレーズも内包されている。

この劇団はポリティカルな主張をしないだろうと思うけど、この時代を描くって結構微妙なところがあるんじゃないだろうか?

もちろん戦争はダメだし巻き込まれるのは嫌に決まってるけど、それを前提にしてもなお、当時、国のため、家族や愛する人たちを守るために戦おうとした人たちの行動や心情まで否定することはないと私は思っているので、その辺のニュアンスが汲み取れたのでなんとなく安心したし。

話は飛ぶが、ワタシ自身も憲法9条ってのは美しいと思うけど、もろ手を上げて賛成するためには全世界がこれを持ってくれればね。というスタンスであります。

またも話は飛ぶが、この前自分自身の車の免許の更新をした時の30分講習時に、自転車はなるべく車道を走るようにと言われてワタシは内心(やるもんか)と思った。
片側三車線くらいの幹線道路に、最近サイクリング車などでかっとんで行ったり、ママチャリでも果敢に漕いでるのを見かけるが、あれをみるとどうしてそんなに他人(ドライバー)を信じられるのかと思うからである。
ドライバーの中にはまるで不注意なのもいるだろうし、先を急いでいて余裕がないヒトもいるだろうし、悪意を持って幅寄せしてやりすぎちゃうのもいるかもしれない。そういう様々なドライバーが60km近いスピードで運転している車のすぐ脇を丸腰で通れるほどワタシ自身は他人様を信じられない。
だから歩道を人に注意しながら走るのである。

というように、全世界が同じ意識を持たない限り、子供と孫のためにも、この先も大丈夫なんすかねえとも思っている、ある種、性善説否定なBBAであることは表明しておきたいと思う。
個々の人間の意識と同じか、もっと顕著に、どこの国だって自分の所が一番大切だし、国と国の間だって嫉妬やそねみは存在するんだから、ある程度それに備える意識だけでも持っておかなきゃねえ などとも・・・


と また話はそれまくったが、こういう事は置いといても、今回もとても楽しかったし、この劇団にはワクワクさせられる。次回も楽しみっ♪

同行はこの公演定番メンバーの親友Aと建築士Nちゃん

中野帰りにいつも行く定食屋さんもおいしいけれど今回は新規開拓してみた。

沖縄料理

ここ当たり!






いかにもうちなんちゅの風貌の二人のお兄さんが料理とサービスをしてくれるのだけど、出るものがみんな美味。オリオンビールと泡盛でゆっくりしたペースで出てくる料理を楽しみながら三人で盛り上がった。

二人のキャリアウーマンたち。ゼネコンに信じられない部分まで丸投げされて蓋をあけてみたら法令的なところでエライ苦労して3kg痩せたというNちゃんと、まるで違う部署から来た部下が、そこではできる人だったのに、Aちゃんの部署にはマッチしていなくて逐一「どうしたらいいんでしょう?」メールに対応しなければならないと嘆くAちゃん(公演の間も何通か来ていたらしくしばし、それを返すのに時間を費やされていた。
土曜の夜まで仕事が追いかけてくる二人・・・

そんな中 孫がね~ なんてのんきな事言ってる場合じゃないと思うのでワタシからは遠慮してるけど、それはそれで「なごむから孫の写真みせなよ」なんてふってくれる二人は優しい。

二人は二人で「まったくさ~ 集団10人のうちに働くのは二人ってのはホントだよね、あたしたちは一生働き損だよっ」なんて言いつつそれを受け入れてやるしかないよねってたくましさと潔さがカッコいい。

話は多岐にわたって、気付けばもうシンデレラが焦る頃になっていたので解散。


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お稽古事の記憶

2015-05-16 18:09:40 | 記憶の箱
ぶどうさんがご自分のブログで子供に習わせたかった習い事について興味深い記事を書いてらした。

習い事ねえ・・・ 色々蘇る自分と子供のそれらの記憶。

ここで、子供のは後回しとして、自分が過去から現在にかけて色々やってきたことを思い出してみようと思う。

★結婚以前 幼少時から結婚するまで

ピアノ ・・・ 一番はじめに習った事。自分がやりたかったのか親が習わせたかったのか不明。ただ小さい時から音楽は好きだったので、双方一致したのだと思う。多分幼稚園の年長くらいから高校一年の夏までやった。あの頃はブームだったのか近所にピアノの先生はたくさんいたが、結婚されたりなんだりで四人ほど変わった。二番めの先生がピアノの他にソルフェージュと聴音も教えてくれたので、後の音楽のテストなんぞにとても役にたった。
子育て中はストレス解消のためと子供たちにも習わせていたので弾いてたけど、いつのまにか弾かなくなっちゃったので四年ほどまえにピアノは売ってしまった。 

お絵描き ・・・ 幼稚園の時にコンクールで賞をとったのがきっかけで親がほのかな期待をして習わせたものだと記憶あり。やっぱり近所の先生。ところが日本画専門のじいちゃんで、教えてくれるのは写生のみ。それもアジの干物なんかを描かされてつまらないし、嫌になってやめさせてもらった。これは弊害しか残らず、絵を画くのを嫌いになっただけでなく、自分の想像の世界を描けなるという後遺症が残った。結婚後にトールペイントに出会うまで自分は画くことが嫌いと思い込んでいた。

習字 ・・・ これも近所のおじいちゃん先生の所。同じ学校に通う子たち数人が行っていたので炭を摺りながらおしゃべりしたり半分遊びだった。小学校中学年から卒業するくらいまで通った。筆の運び方や形の取り方なんかは身に着いたから、字にコンプレックスは感じたことはない。だけどどうせやるなら草書くらいまでできないと習った意味がなかったかなと思う。

スキー ・・・ 小学校の頃から親に連れてってもらっていたけど、なぜか中一の冬から、合宿のスキー学校に入れられた。なんのツテだか知らないが、東京の私立の小学校の子たちも来るスキー学校だった。今思うと教え方が抜群に上手だったので親からテキトウに習ってた頃と比べ物にならないくらい短期間で上達したけど、濡れたままのスキーウエアを次の日着なくちゃならなかったこととか悪条件が重なって嫌になったのと、東京セレブ組の中にすごい意地悪な女の子がいて(元捕手で某球団の監督だった人の娘)そいつとソリが合わずに三年目からはやめた。でもこの合宿のおかげでスキーは好きになって色々良い思いができたことは、無理やり押し込んでくれた親に感謝している。

箏 ・・・ 高校一年から そろそろピアノに限界を感じ(手も小さすぎた)た事と、中学校の謝恩会の時に同級生の母親の一人が箏を弾き、それに合わせて一人が日本舞踊を踊ったのを見て、その音色に惹かれた。 その時に箏を弾いた先生の所に入門し、それを機会にピアノは打ち止めにした。結局受験中も続け、大学にも箏曲部があったのでそこに入部して続けた。助教というヒトに教えられる資格までとり、その資格に必要だったからお三味線も中伝って資格まで取った。
発表会に出るのに何枚か着物をあつらえてもらったり最初は母のを使っていた箏も自分のものを買ってもらったし、資格をとるたびに数十万とお免状料も親に払ってもらいお稽古事の中ではもっとも親に金銭的負担をかけたと思う。こんなにしてもらったのに悪いが、実は今、その箏はベッドの向こう側の壁に立て掛けてほこりを積もらせて早幾年である。
ただ、和物のお稽古(邦楽とかお茶とかお花とか)は、上下関係とか目上の人に気を遣うとか色んな会の時に自分の仕事を見つけて色々立ち働くなんてのが身に着くもんだと思う。のほほんとそういう事をまるでしないで高校生になっていたワタシは、何もできないデクノボーの我が身を自覚させられて落ち込んだものである。だからムスメにも和物のお稽古は経験させたいのですけどねえ・・・

お茶 ・・・ 大学三年の頃から。親友Aとなぜか習いたいね と話がまとまって二人で色々先生を見つけて歩いた。今のようにネットもないし、なんで見つけたんだったっけかな? 学芸大学から徒歩20分くらいのとっても通いにくい所だったが、落ち着いたお屋敷街(近くに青○美×の邸宅もあった)の中にこぢんまりした和風の平屋建て。風情のある庭もあり、先生は「THE お茶のせんせい」 って感じでいつも着物を召していて落ち着いた品のある女性だった。ここは卒業してからも二年くらい通ったが、やっぱり遠すぎて断念。奥深い世界だからほんの入り口をかじっただけだけど経験しておいて良かった習い事の一つ。

お料理 ・・・ 就職してからと結婚してから。GWに一緒に飲んだオット同士も友達の友人からの紹介。当時彼女は外○省の関係団体に勤めていてそこの御用達みたいな先生だった。他の生徒も東京銀行(当時)とかJALのCAとか(当時)華やかな若い子たちが多く通っていて色々刺激もあって楽しかった。先生は青○学院卒でフランスにも留学していた女性。六人一組くらいでフランス料理と中華のコースをみんなで作ってフレンチの時は先生の焼いたパンとワインを加えて試食、中華も紹興酒をお飲みながらと、話も弾んだ。母は料理は上手だが、教え上手じゃなくてさっさと自分でやっちゃうタイプだったので、殆ど料理の経験なかったワタシが一から色々習えた良い教室であった。今でもこの時のレシピは役にたっている。


ここまでは独身時代のこと。思い返すと、色々やらせてもらった両親(特に母)には感謝しているけど、めんどくさい姑(ワタシのおばあちゃん)と同居していて自分の時間がなかったのと交通不便な地方都市で運転免許も持っていなかった彼女は、お稽古事の先生の選択肢は「近所」から選ばなければならなかったんだと思う。
当時附属小中にバスで通っていたワタシと弟だったので、そこの教育ママたちの情報を駆使すれば、もっと良い(というか子供に合った)ところもあったと思うが、それを果たせない事情もあったのであろう。
思い返すと あの絵の先生の所は失敗だったなあ。あんなに自由に描くのが好きだった自分が、あの教室に通って以来、小学校の図画工作の時間に白い画用紙を前に茫然としてしまった記憶が切ない。やっぱり師の選択ってのは重要とも思った。

まあ それも経験だけど。

                 続きます(多分)
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母の日前後 続き

2015-05-13 21:40:37 | 日々の生活
前記事の続きになるが、母の日の日曜日、朝、オットが姑に電話して
「お母さん、今日、母の日だし、昼飯、どっかでうまいもの食べようや、その後、局もつきあうからどこかデパートにでも行こう」と誘った。
姑曰く
「今日はね、ダメなの。昨日洗った洗濯物を干すの、それに明日はリハビリに行くから、着て行くものも考えないと・・・」

数年前、洗濯機を買い替えるといった姑に 全自動のものをすすめたんだけど、ワタシにはワタシのやり方があるから!と頑として二層式にこだわった姑・・・ それじゃどうぞご自由にと好きなようにしてもらったが、最近洗濯が二日がかりになっているらしい。そんなに洗濯の仕方にこだわっても、濡れた洗濯物を一日置いてから干すようじゃ元も子もないと思うのだけど・・・
今の洗濯機が壊れそうと言っていたから、今度こそ全自動を進めたいと思う。

年だから仕方ないけど、ホントに一日に一つくらいしか家事もできないみたい。姑の暮らしぶりをみると一週間の歌を思い出す。
ほら テュラテュラテュラ テュラテュラ テュララ~ ってやつである。

ドラがひ孫を見せるからおいでよ または こっちが行くよ と言ってもなかなか腰が上がらず、(もちろん送り迎えはこちらがするといった前提でもである)明日リハビリがあるから疲れると困るとかの理由で何度も断るかドタキャンし、未だにひ孫に会ってない状態である。
どうもこの姑はワタシにとってますます理解外の人である。

と前置きが長くなったが、一日予定が空いたこの日、絵に描いたような五月晴れの日

サイクリングしようぜ、とオット。







神田川の遊歩道をどこまで行けるかさかのぼってみる。オットのカゴの中にはギャビちゃん



こんな森のような川岸の対岸は



操車場



結局井の頭公園まで行っちゃった









神田川の源流あたり。子供たちもたくさん川遊びしていた。





帰り道はお腹が空いたので途中のセブンでお昼を買って(このぱりぱり麺の入ったサラダ、美味しかった)公園で食べる。

安上がりだけど案外楽しかった母の日。

次の日は仕事して、火曜日はジムとゴルフレッスン

そして今日は、M子の初めての免許更新につきあい、センターへ。二時間の講習中に孫ちんを見ていてくれという要請である。
殆ど自分で頑張っちゃうM子のたまの頼みは嬉しいではないか・・・BBAとしては断れない案件である。

しかし府中のセンターの駐車場は東八道路にも何台も車が連なり、それが全然動かない状態である。これじゃ何時になるかわからないので近くの公園のパーキングに置いて、炎天下400mほど歩いて試験場へ。あんなに駅から遠く、交通の不便の所に公共の施設を作るのだったら、この駐車場問題、どうにかしてもらいたいもんである。





M子が手続きやら講習をしている間に孫ちんを預かる。

いつのまにかつかまり立ちして、伝い歩きまでしようとしている孫ちん。ハイハイも高速になっている。まだ立つのはおぼつかないので気を付けていないと尻もちついて泣いたりするので目を離せない。

途中、一時間ほどは寝たけど、それもずっと抱っこでトイレに行く間もない。

色々終わって、また母子を送って自宅まで。
今日は美容院でカラーでもしようかと思っていたずゆうが、ぐったり疲れてソファに転がったらもう立ち上がれず一時間以上寝てしまった。

孫の相手ってゴルフのラウンドよりはるかに疲れると実感した。
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母の日前後

2015-05-11 21:49:19 | 家族あれこれ(犬も含めて)
話は遡るが 連休最終日、ムスコ一家は無事に旅行から帰ってきた。
正確に言えば無事なのはM子と孫ちん。ドラはあちらで胃腸炎になって後半は大変な思いをしていたらしい。





すっかり孫バカになりはてた局夫婦はまたもや羽田まで車を飛ばして彼らを迎えに行って、家まで届けたのであった。





お土産はもらった。おまんじゅうと馬刺し。
3kg痩せたというドラは まだ調子がイマイチだと次の日からの仕事を心配していたので翌日の金曜に調子はどう?とラインすると
「戦場に生きると身体も戻るね。社畜ってすごいわ」と返信あり。
社畜、上等! よく働き、よく遊び、家族を養っておくれ。

そして土曜日、休みの娘と遅い朝ご飯を食べてまったりしていると宅配便が

  

M子からメッセージカードつきの母の日ギフト。ワタシの大好きなブランドのチョコレート。



「わ~い M子ちゃんからだ!」と喜んでいると
「なんでおかんに送ってきたんだろ?」とアホ娘。
「明日は世間では母の日なんですけどね」と教えてやったら
「あっ・・・」と固まっていた。実の娘なんてそんなもんさ。

ちなみに私は姑には変わり咲の紫陽花の鉢を送った。
姑はかなり気に入ってくれたらしく電話でお礼を言われたが その際「カーネーションでなくて良かったわ。あんまりこの季節、どの花やでもカーネーションばっかりでうんざりしていたのよ。あとシクラメンもワタクシ嫌いなのよ。歌が流行りすぎたでしょ。覚えておいてね、局さん」とのこと。
ワタシもへそ曲がりな所はあるが、どうも姑のへそ曲がりには意が添えないのはどうしたもんか・・・

ちなみにその日は病み上がりにもかかわらず、ドラが家の近くのグランドで草野球の試合に出るというので、M子と孫ちんはその時間家で遊んで行った。
旅行の送り迎えはしたけど、ゆっくり様子を見られなかった間に、すっかりはいはいをモノにして、つかまり立ちさえする気まんまん。まだそこまで足がしっかりしていないので、途中がくっとなって顎をテーブルにぶつけてみて泣いたり、そりゃ~もう大騒ぎである。

順調に成長してくれてるのは感謝するばかりだけど、これからしばらくは目が離せないね。



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バラと焼肉とカラオケと

2015-05-08 19:03:36 | 日々の生活
あっというまに過ぎてしまったGW。



久しぶりにオットと一緒にワタシの実家でゆっくりした。

「このまえ筍をもらったからなんか返したい。東京でおいしいお菓子でも買ってきておくれ」という父のリクエストがあったので、伊勢丹で買ったもなかを携え、父の友達の家へ。

家の庭で筍ができる 別に農家ではない。 どんだけ広いお宅?と思ったら、ホントに大豪邸であった。

地方にありがちだけど門扉は開かれていて、5台は入る車寄せ。とりあえずそこに車を置いて、さてどこが玄関だろうと思ったら、庭の遠くの片隅で庭木の手入れをしていたおじいさんがのんびり歩いてきた。

地下足袋に首にタオル。植木屋さんかなと思っていたら、

「お~ この前はごちそうさまでした。今日は娘がいるから車でお返しもってこられたんだ」と父。
その庭師と思ったじいさんはこの豪邸のご当主さまであった。



「よかったら花を見て行きませんか? ちょうど見ごろなんだいね」というお誘いに応えてバラを見せてもらう。

広大な庭には川が三本流れている。





バラも花盛り。

「バラは手入れが大変なんだいね。脇芽は取らなきゃなんねえし、虫はつくから消毒もかかせねんさね」とご当主。
父と同じ年だから今年で米寿。一人で庭の手入れをしているという。

「今年は腰が痛かったから 筍も少しっきゃ掘れなかったんだいね。悪かったんね」とご当主。
自分で筍掘りして、それを地下足袋のままベンツを運転して届けてくれるらしい。

田舎のじいさんは元気だ。


その筍のゆでたのが冷蔵庫にあったので若竹煮にしたけどおいしかった。実家には大きな山椒の木があるので木の芽も添えて。
あと その時作ったのが、梅干しのほぐしたのと塩昆布と山椒の葉っぱをご飯に混ぜ込んでにぎるおむすび。

この組み合わせ、超美味でした。お試しあれ。

viva! 自給自足。

その後両親を連れてちょいとドライブして、夜はオットと二人で出かけた。

ワタシの兄代わりのおっさんトリオ、やはり帰省している一人Nと、東京で食い詰めて故郷に帰ったA

「焼肉行こうぜ」とジモティになったA
「酒持ち込めるからよ、局 いらねえ酒があったらもってこいや」

父母はほとんど家では飲まないので、いただきもののビールを半ダースほど持った。



ところが「酒持ち込めるからよ」とAが言ったのは、個室が取れれば店にナイショで持ち込んだ酒をそこで飲めるということだったのである。ケチくさ~~

しかも個室はいっぱいでこんな感じでパーテーションで区切られた席であった。

「これじゃ持ち込みのもんなんか飲めるわけないじゃん」ってことでおとなしく生ビールジョッキを頼んだ我々。
しかし宴も進んだ頃に

「ほれ 局、ビールつげや わかんねえよ」と言い出したA

マジ? 

「ほれ 誰も見てねえよ テーブルの下でつげや」

ホントに貧乏くさいんだから・・・いい年したオジ&オバのやることでは決してない。良い子はまねしちゃ当然ダメ!

でもこういうイタズラめいたこと、本来嫌いじゃないワタシ。テーブルの下でジョッキにこっそり缶ビールを開けて注いだワタシ。
一応はあせりながら思いっきり注いだから泡だらけになって爆笑の元となったが、それを見て 呆れるオット。

あとで 「おまえら ホントに集まると学生のノリになっちゃうんだなあ」と改めて認識しておった。

確かによみがえる 安居酒屋 村さ来で飲んだチューハイやAと妹の住む下宿でやった豚こま切れと白菜の定番鍋をおかずに飲んだレッドの水割り・・・
ああ、あれから数十年、ブルゴーニュのロマネ地区のなんちゃらだのアルザスのなんちゃらだの飲むものの志向は多少変われども、本質が変わっていない我々・・・

またAがいつも通りワタシに遠慮ないアホ口調でワタシに話すのを聞いて、多少常識人のNが

「おまえなあ 少しは局に遠慮しろよ、旦那の前でよ」とAも注意していたが 逆にオットは

「いや、局がAさんに言いたいほうだい言ってるほうがスゴイと思いました。俺ってみなさんより局に気を遣われてるんですねえ」と認識しておった。

確かに長年連れ添ったオットよりも気を遣わずにすむおっさんたちっていったい・・・

「さすがにそろそろ別の酒頼まなきゃ怪しまれるんじゃないの」と言う冷静なwワタシの提言でワインを一本頼み、酒は強いのはもちろん年のわりには食欲も旺盛すぎるおっさんたちにつられて、ワタシもついつい焼肉やビビンバなども食べて満腹。





腹ごなしにカラオケ行こうぜ ってことで近くのカラオケ屋で二時間思い切り歌い、この夜は過ぎたのであった。





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GW飲み

2015-05-04 20:09:18 | 日々の生活
このGW、結婚してから(と言うより社会人になって初めて)オットはカレンダー通りに休みをとった。土曜日は仕事だから、3日から6日までの4日間。
いつもは自分のところで休日出勤やらなんやらに加えて、地方で出稼ぎやら講演やらいれていたのである。
しかし寄る年波?に加え、いつも頼まれる出張出稼ぎところのトップがかわり「俺の大嫌いなオレサマ○○」になったのもあり、今年はそこの仕事を断ったそうだ。
オットが来るのを待ってる人には悪いが、そういつまでも体を酷使して、しかも嫌な思いもすることもないので、私も全く賛成である。

ってことで、まったりのつもりのGW。
とはいえ、あっちもこっちも頼まれたり遊びで誘われたりで忙しく、私はバタバタ。

土曜日、朝一でドラの家へ。
ムスコ一家を羽田に送る。
まごちん、初めての空の旅である。
「M子のお腹の中では何度も空飛んでたからな」byドラ
愚図って周りの迷惑になったら、ドラ夫婦も大変だろうな、と思ったが、いいご機嫌で、半分はすやすやでいい子で過ごしてくれたらしい。





くまもんのふるさとを訪ねているドラ一家

羽田に彼らを送ってから家に戻った私、当然都内は渋滞で、四時間運転しっぱなし。
車を置いてからすぐに新宿に行き、ブル○ーニュから帰ってきたばかりの舞台友Nに会って、フランス土産をもらう。
それから、また家に戻り犬の散歩や洗濯物取り入れなどバタバタこなしてから着替えて飲み会へ。
朝から座る間もないタイトスケジュール。

一月前から予約しておいたポルト○ル料理店。
オットの友達と私の友達が私たちの結婚式で出会って成立したカップルである。
年一度くらい会うことになっている。
うちの子供たちより、ちょっとだけ年下のあちらの子供たちも社会人と大学院生、ようやく夫婦二人で旅行に行ったりの時間がとれるようになったらしく、話が弾む。









美味しいつまみでワイン三本空けて二次会は近くのバーへ


友達夫婦


局夫婦

いい時間を過ごしてGW1日目が終わった。
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ムカつくCMにやられる

2015-05-01 22:19:39 | 日々の生活
あんまりTVは観ないほうだし、ドラマは録画してCMは飛ばすから殆ど気にならないのだけど・・・

ここ数年ほどどうも耳について仕方のないCMソングがあった。

ほれ、♪いえに~帰れば~せきす~いハウス っちゅうあれである。

日本語として変じゃありません?
どうもすわりが悪いというかあのフレーズを聞くとイライラする。

だから敢えて聞かない、観ないようにしていたわけです。

しかしですね。

この前ぼ~っとしていたらそのCMが目に飛び込んできた。

ゴールデンレトリーバーの子犬とそれを可愛がる少年。そして両者が成長していく様子。そして多分家を出た青年が久しぶりに帰って行く家。そわそわとそれを待つ犬。

大きさは違うが あの犬の金色の毛並が、この一月に亡くなった家のポロちゃんの毛並を思い出させられた。



ドラの中学入学、二年間の受験生活を終わり、本人も家族もがんばった自分たちのご褒美として記念に飼った犬。
まだ幼いところもあった子供たちに可愛がられた子犬時代。そして子供たちは思春期を迎え、それなりに色んな波を乗り越えて ドラは独立して新しい家族を作った。
日本から離れていたこともあるが、いつも「ポロはどうしてる?」と気にして、帰ってくると「お~ 元気だったか」と喜んで 別れる時は「今度会う時まで元気でいるんだぞ」と別れを惜しんだ。
17年弱、ドラが一番変化した時代をポロはこの家で過ごした。そしてドラとそのムスコに最後に会って一生を終えた。

その私たちのドラとポロの時間が あのレトリーバーにかぶって つい決壊したワタシ。

ずるいよ 積水ハウス。



しかし に帰れば積水ハウス そりゃあ社名にハウスって言葉が入っているにせよ
7文字7文字のフレーズの中に 二度も家を表す言葉が入りしかも日本語としてどうも違和感を感じるキャッチコピー 

あそこだけ替えてくれれば 素直に涙腺を刺激されても納得するのになあと素直じゃないワタシは思う。
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