更新空きました。
遠征もそのままになってて書きたいこともたまっているのですが、東京に帰って来た翌々日に義母が逝きました。
9時ごろ「心肺停止になった」と言われて「すわっ」と思ってこういう時って喪服じゃないよね などとウロウロしてたら
↓この画像が送られて「一旦持ち直したからまだ家で待機してていいよ」と言われたが、やっぱり行った方がいいよなと急いで行ったら電車中に二度目の心肺停止になったそうだ。
亡くなって30分後 まだ温もりが残っていた義母に会えて出棺には立ち会えた。
一般的にはいつ亡くなるかわからない義母を置いて国内とはいえ旅行に行くなんてひでぇヨメだとお思いになる方もいらっしゃるでしょうが
言い訳すれば、もうその状態になって3か月あまり 普通なら3回くらい逝ってるが主治医の適格な処置で蘇ったお方です。
ワタシの仲間内では「不死鳥」と呼ばれていた。
主治医に
「有馬温泉行くのやめとこうかな~」と言ったら
「大丈夫だよ 行ってきなさいよ。帰るまでは大丈夫だと思う」と頼もしく請け負ってもらったのである。
その通りになった、名医だ。
更に言えば 主治医の細やかな対応も然りだけど、看護師さんたちも当然最優先的に優しく優しく対応してくれてましたね。
コロナが増えた時期で面会も出来ない時期もあったが彼女たちが頻繁に病室を訪れてくれていたようなので寂しさを感じずにすんでいたのではないか?
こんな感じに申し送りの紙が貼ってあったベッドサイド。色々細やかだったし義母の我儘にも笑って対応してくれていたな~
延命はしなかったが 痛い、苦しいと言う前に適度に意識を落としたりその間に肺の水を抜いたりで義母は一度も苦しさを訴えることなく徐々に徐々に衰えて行った3か月だった。
多少は高カロリーの輸液はしたが、むくまないように量もコントロールされてとても綺麗な枯れ方だった。
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その前から、日に当たらないこともあったのだろうが顔色がさらしたように真っ白でシミも消えていて高い鼻梁も目立って綺麗な死に顔でしたよ。
点滴にビタメジンとか結構ビタミンも入れてたから美容的にも良かったのではないか? と推測。ワタシも生きてるうちにビタミン大量点滴やってみたい・・・
ってのは冗談にせよ、ホントにアッパレでこうありたいというような幸せな逝かされ方だったと思いますよ。
うらやましいな~ ワタシはとてもこんなに安心な状況で逝ける気がしないです。
ちなみに葬儀はまだです。焼き場が混んでるそうで、やはり暑すぎた夏、植物も動物も人間も弱ったんですね。
ってことで 書きたいことは多々あれど、やはり人一人送るのは大変でパソコンも開く気力も時間もなくてブログもほったらかし、みなさまの所にも行けずにいただいたコメントにもレスできずにごめんなさいね。
で、これから書くことは今後隠すかもしれませんが・・・
よく 亡くなる前後に今まで見なかった「遠くの親戚」が来て口を出して困ったなんて事を聞くけど、義母の場合、オットは一人息子だし、医学的なことに口を出されることもないし、遺産争いの相手もいないし、そもそも争うほどのモノもないので「遠い親戚問題」はよもや起こるとは思わなかった。
オットとワタシ、義母の生前の意思もあって 葬儀は家族で小さく行う予定だったんですね。
お香典は断り、子供たちからも供花だけもらってちんまりとお清めの席を設けてうちうちで義母を偲ぼうと思ってたのね。
ところがですよ! 義母の実家方面からちょうど「おばちゃんのお見舞いにいかねばならんとね~」と彼女の姪が上京したのであった。彼女はコロナ中は蟄居していたので4年ぶりくらいの上京、今回は親族と一緒に来て、お見舞いと観光をするつもりだったらしい。ところが親族がインフルにかかり、一人で上京して暇を持て余したのか、俄然張り切って親戚中に義母の死を広報したんですね。
地元の親戚からは高額のお香典の立て替えを持ってきたといい、東京にいる親戚にもれなく声かけたらしい。
もう葬儀屋さんと打ち合わせした後だったんでホント迷惑なんだよ。
一番故人に近しくしてた人の話も意思も無視して突っ走れるってなんなんですかね。
「おばちゃんも喜ぶとね あん人たち(来るって人)もおばちゃんの顔みたいって言うけんね」
その押しの強さには誰も逆らえず。
義母に何年も会っていない オットも会ったことのない従妹の子とか「家族葬」によぶもんなんかいな? 自分は親しいにせよ・・・
言っちゃ悪いが「何であんたが仕切るのよ、出しゃばりバ〇ア」と心中叫んでおる状態です。
ってことで義母が亡くなってからご遺体を安置してもらっている葬儀社に日参して変更の打ち合わせしている状態である。
それと同時に施設も完璧に片づけなければならなかった。
前回行った時も捨てまくってが「もしかしたら寒くなって退院できるかもしれないね~」と残した冬物(情緒の塊)も今回捨てた。
「お前か〇〇(ムスメ)が着られるものないの?」とオットは言うが悪いけど着たいものはない。
こういうふうにやることもあって、遠い親戚にも腹をたててると「涙」も出てこないのはワタシが冷たいヨメなんだろうか?
オットもワタシには涙を見せなかった。
彼の場合はやり切ったのとある種の安心もあるんだろうな~
まだこれから忙しそうだし心身やられそうなので更新もいつになるかわかりませんが見捨てないね。
遠征もそのままになってて書きたいこともたまっているのですが、東京に帰って来た翌々日に義母が逝きました。
9時ごろ「心肺停止になった」と言われて「すわっ」と思ってこういう時って喪服じゃないよね などとウロウロしてたら
↓この画像が送られて「一旦持ち直したからまだ家で待機してていいよ」と言われたが、やっぱり行った方がいいよなと急いで行ったら電車中に二度目の心肺停止になったそうだ。
亡くなって30分後 まだ温もりが残っていた義母に会えて出棺には立ち会えた。
一般的にはいつ亡くなるかわからない義母を置いて国内とはいえ旅行に行くなんてひでぇヨメだとお思いになる方もいらっしゃるでしょうが
言い訳すれば、もうその状態になって3か月あまり 普通なら3回くらい逝ってるが主治医の適格な処置で蘇ったお方です。
ワタシの仲間内では「不死鳥」と呼ばれていた。
主治医に
「有馬温泉行くのやめとこうかな~」と言ったら
「大丈夫だよ 行ってきなさいよ。帰るまでは大丈夫だと思う」と頼もしく請け負ってもらったのである。
その通りになった、名医だ。
更に言えば 主治医の細やかな対応も然りだけど、看護師さんたちも当然最優先的に優しく優しく対応してくれてましたね。
コロナが増えた時期で面会も出来ない時期もあったが彼女たちが頻繁に病室を訪れてくれていたようなので寂しさを感じずにすんでいたのではないか?
こんな感じに申し送りの紙が貼ってあったベッドサイド。色々細やかだったし義母の我儘にも笑って対応してくれていたな~
延命はしなかったが 痛い、苦しいと言う前に適度に意識を落としたりその間に肺の水を抜いたりで義母は一度も苦しさを訴えることなく徐々に徐々に衰えて行った3か月だった。
多少は高カロリーの輸液はしたが、むくまないように量もコントロールされてとても綺麗な枯れ方だった。
v>
その前から、日に当たらないこともあったのだろうが顔色がさらしたように真っ白でシミも消えていて高い鼻梁も目立って綺麗な死に顔でしたよ。
点滴にビタメジンとか結構ビタミンも入れてたから美容的にも良かったのではないか? と推測。ワタシも生きてるうちにビタミン大量点滴やってみたい・・・
ってのは冗談にせよ、ホントにアッパレでこうありたいというような幸せな逝かされ方だったと思いますよ。
うらやましいな~ ワタシはとてもこんなに安心な状況で逝ける気がしないです。
ちなみに葬儀はまだです。焼き場が混んでるそうで、やはり暑すぎた夏、植物も動物も人間も弱ったんですね。
ってことで 書きたいことは多々あれど、やはり人一人送るのは大変でパソコンも開く気力も時間もなくてブログもほったらかし、みなさまの所にも行けずにいただいたコメントにもレスできずにごめんなさいね。
で、これから書くことは今後隠すかもしれませんが・・・
よく 亡くなる前後に今まで見なかった「遠くの親戚」が来て口を出して困ったなんて事を聞くけど、義母の場合、オットは一人息子だし、医学的なことに口を出されることもないし、遺産争いの相手もいないし、そもそも争うほどのモノもないので「遠い親戚問題」はよもや起こるとは思わなかった。
オットとワタシ、義母の生前の意思もあって 葬儀は家族で小さく行う予定だったんですね。
お香典は断り、子供たちからも供花だけもらってちんまりとお清めの席を設けてうちうちで義母を偲ぼうと思ってたのね。
ところがですよ! 義母の実家方面からちょうど「おばちゃんのお見舞いにいかねばならんとね~」と彼女の姪が上京したのであった。彼女はコロナ中は蟄居していたので4年ぶりくらいの上京、今回は親族と一緒に来て、お見舞いと観光をするつもりだったらしい。ところが親族がインフルにかかり、一人で上京して暇を持て余したのか、俄然張り切って親戚中に義母の死を広報したんですね。
地元の親戚からは高額のお香典の立て替えを持ってきたといい、東京にいる親戚にもれなく声かけたらしい。
もう葬儀屋さんと打ち合わせした後だったんでホント迷惑なんだよ。
一番故人に近しくしてた人の話も意思も無視して突っ走れるってなんなんですかね。
「おばちゃんも喜ぶとね あん人たち(来るって人)もおばちゃんの顔みたいって言うけんね」
その押しの強さには誰も逆らえず。
義母に何年も会っていない オットも会ったことのない従妹の子とか「家族葬」によぶもんなんかいな? 自分は親しいにせよ・・・
言っちゃ悪いが「何であんたが仕切るのよ、出しゃばりバ〇ア」と心中叫んでおる状態です。
ってことで義母が亡くなってからご遺体を安置してもらっている葬儀社に日参して変更の打ち合わせしている状態である。
それと同時に施設も完璧に片づけなければならなかった。
前回行った時も捨てまくってが「もしかしたら寒くなって退院できるかもしれないね~」と残した冬物(情緒の塊)も今回捨てた。
「お前か〇〇(ムスメ)が着られるものないの?」とオットは言うが悪いけど着たいものはない。
こういうふうにやることもあって、遠い親戚にも腹をたててると「涙」も出てこないのはワタシが冷たいヨメなんだろうか?
オットもワタシには涙を見せなかった。
彼の場合はやり切ったのとある種の安心もあるんだろうな~
まだこれから忙しそうだし心身やられそうなので更新もいつになるかわかりませんが見捨てないね。