今まで緊急退避的にオットの職場の近くの小さなクリニックに入院していた姑、今日から某大学病院に転院して、来週から抗〇〇剤の治療を受けることになった。
今日は朝からオットと車で姑を連れてそこの病院へ
だいたいの病気の様相がわかってから二か月。はっきりした型がわかってから一週間。
姑も納得しないと色々な治療を受け入れない人だし、オットは彼女のために色々考えすぎて、治療のタイミングが遅くなっっちゃった感あり
さて治療を始めようと思ったところに大きな胃潰瘍の発覚 その治療や検査に半月
そうこうしている間に患部は目に見えて肥大して神経の麻痺や転移、歩行は困難になってきて、本人の辛さは増し・・・
病気の性質、原発巣の場所、高齢、で、受け入れる大学病院の医師たちも治療方針がイマイチ「これっ」と言い切れず、外科系、内科系、放射線系と多科に渡っての話合いの必要もありそうで 一筋縄じゃ行かない様子である。
姑と私たちにとっての悲劇は 患部が目に見えること、そして日々強まる痛みである。
それに毎日相対しているオットは気が気じゃないであろう。
しかし、普段、一般の人々よりも人の生死に接する機会が多いはずのオットが プロという側面よりムスコという側面が強くなっていることに、ワタシとしてはショックを受けているのも現状なんですね。
大きな声じゃ言えないけど オットの口から 五年生存率がどうこうって話が出たんでビックリしたもん。
もうすぐ90になる人ですよ わかっているだけで他の臓器二つに転移があるんですよ。
長く生きてもらうことより痛みのケアと、残された時間を少しでも快適に過ごしてもらうことが姑にとって幸せなんじゃないだろうか?
そりゃあ姑はワタシの肉親じゃないし、はっきり言って、そう気の合う嫁姑の仲じゃないけど、たとえ自分の親がそうなってもワタシは同じように思うと断言できる。
現に母が肝臓がん、二年後の再発の時も、ダメならダメで諦めよう、治療の辛いのはなるべく避けてあげようと思った。
しかし、母は泣き言は一言も言わなかったし、その時の最先端の治療が功を奏して5年たった今も再発がないのは僥倖ではあったけど。
今回のことで自分の気持ちを整理してみたんだけど、例えばムスコ・ムスメ・孫ちんが不治の病におかされたらワタシは半狂乱になるのは確か。
でも親ってのは先に逝くもの。逝ってくれなきゃ、順番が逆になったらかえってお互い気の毒なものじゃないだろうか?
人間だれしも死ぬんだしさ。
今日のランチでクソ不味い海鮮丼を食べながらそう言い切ったワタシに
「お前がそう言い切ってくれるのが今すごく救いになるんだ」ってオットは言ってくれたけど、見る人が見れば鬼嫁だよな~~。。。とも思うが反省はしません。
大学病院は色んな人が来る。
かなりの高齢者が一人で杖をついたり、ガラガラにすがったりして自分で受付してやっとの思いで外来や検査に行く姿を見た。
姑にはオットとワタシが2人でかしずき、色んなツテで無理がきき優遇されているわけで、それは少しは自覚しているらしく
「私はホントに幸せな年寄よ あなたたちがこうやってよくしてくれて」
「ホント ありがたいよ」と感謝の気持ちは盛大に表してくれる。
確かにオットの気遣い、大変なもんですよ。薬なんて口まで運んであげてるもんね。今までオットのことをマザコンと思ったことはないが、いわゆるマザコンと分類はされないながらも、母一人子一人の情の深さってのはワタシが親に対するそれよりもかなり深いもんじゃないかと推察させられるわけね。
そりゃあわからなくもないけど、それくらい親に気配りするなら、さて家にクタクタで帰って途中成〇石井で買ってきたお惣菜広げて、お吸い物出してなんて私がやってる間に難しい顔してスマホを眺めて姑の病気のデータ集めたいのはわかるが、取り皿と箸くらい出すとか、ワインの一本くらいセラーから出すとかやってみやがれと思うワタシは人間がちっせーのであろうか?
そうこうしていて、さて、ご飯だ!ってところで今度は実家の父から電話があって
「家の土地と建物の名義はどうしてオレのじゃないんだ?(当然オレのですが)」
「みんながオレの財産を勝手に処分してる」 とか
なぜか30年前に死んだワタシの祖父が今年の一月に死んだと彼の中で思い込まれていて、その遺産相続に頭を悩ましてる状態。
毎日それを聞かされているの母で「おかしくなりそう」と言うのは同情するが、今までワタシの言う事は案外素直に聞いていた父が、今日初めて
「お前もオレに嘘ばっかり言う」と言った。
ボケているのはわかってるから腹もたたないが、今日のこのタイミングでこんな話を出さなくてもいいじゃないかと愚痴の一つも言いたくなるわけね。
で、結論
人間長く生きすぎるもんじゃないっすね。
ワタシはワタシで時間を見つけて好きなことしようっと。