局の道楽日記

食道楽、着道楽、読書道楽  etc
生活色々を楽しんで暮らしている日々の記録です

年増の桜

2010-04-30 21:25:51 | 様々な思い
今年は寒かったためか 今頃八重桜が満開である。



近所の家の庭の大木に咲く桜。

同じ庭にはソメイヨシノもあって少し時間差で私の眼を楽しませてくれるんだけど・・・

毎年 八重桜を見ると同じことを思う。

「この桜は年増のぼってり美人を思い出す」と

例えて言えば オペラ歌手の佐藤しのぶ氏の舞台姿とか 最近の松坂慶子氏とか



ソメイヨシノはもうちょっとおぼこっぽく清冽なオトメのオモムキ(今の時代そんなオトメが存在するかは別として)
あのあつぼったい花のつき方や濃厚なピンク、夜の闇の中でも色濃く存在感を主張するその姿。

雨に散ったら道路わきに積もっていつまでも飛んでいかないその未練がましさ。

年増の情熱だわ~~~


ところで最近の松坂慶子氏がTVに出るとウチのオットは必ずというほど
「あっ 京塚昌子かと思った」とのたまう。
もうそのギャグは飽きた。
それも京塚昌子さんと言ってわかるのはアラフィ以上ではないかしら?

あの国民的番組 肝っ玉かあさんを演じていた頃って30代後半からだったらしいですね。

今のワタシよりはるかに若かったのではないかいな。
彼女は大分前に若くして亡くなってしまっているらしい。

考えてみると ああいった 昭和時代の日本のお母さんみたいなおばさんって少なくなりましたね。
懐かしい日本の風景の一つになってしまった気がする。
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エステとシワ撲滅

2010-04-28 21:29:26 | 日々の生活
足裏ケア以来の美容ネタでございます。

先日 ジム友の可愛い30代女子Nちゃんより依頼。

彼女は今形成美容外科に助手として働くかたわらそこのスタッフのエステの先生からエステシャンになるためのノウハウを学んでいる。
資格もとれて、この6月からいよいよエステシャンとしてもデビューするらしい。

「先生の前で一通り実習をしてみなくちゃならないんです。局さんお時間あったら先生のマンションのエステサロンまで来ていただけますか? もちろんお代はいただきません。実験台みたいなものですから」

実験台だろうがなんだろうが 行く行く!

Nちゃんは元々小西真奈美似の可愛い子だけど、エステの勉強をし始めてより皮膚が綺麗になりスッピンでもゆで卵の剥き身状態の色白ツルツルなのである。 あやかりたい あやかりたい

 左がNちゃん この頃よりも綺麗

ってことで、今日はNちゃんが個人的に弟子入りしているK先生の自宅マンションへ

うちっぱなしのスタイリッシュなマンションの部屋を訪ねると豪華な内装の部屋に通される。アロマオイルの香りが漂い、抑えた音量でクラシックが流れるくつろげる空間。
パリで勉強してきたというK先生は小柄でスレンダーなすてきなマダムだった。多分ワタシよりちょっと年上と思うが、シミ一つない色白皮膚が際立つ。

美容部員とかエステシャンってやっぱり自分も綺麗じゃないと説得力ないですよね。
NちゃんとK先生だったら納得できる。

「Nもやっと独り立ちできる力がつきました。6月にデビューしてみなさまからお金をいただいて仕事をする前に ワタクシがチェックして至らない点があったら改善したいと思います。局さま 雨の中わざわざご足労いただいて恐縮ですが、精一杯やらせますので、Nのためでもありますので終わったら忌憚のないご意見をおっしゃってくださいませね」

先生からご丁寧なご挨拶をいただき、タオル地のエステ着(デコルテから下のスカートみたいなヤツ)に着替えてまな板の鯉状態に・・・

クレンジングからはじまってゴマージュ、リフトアップ、デコルテと肩甲骨周囲のリンパマッサージ。最後にパック。腕から手までのマッサージもしてもらい、最後にメイクまでしてもらった2時間コース。


途中先生の注意も入ったり、Nちゃんも緊張しているようなところもあったが、元々人につくすの好きそうなタイプだし、根も器用な子だからかなり上手だと思う。

全体的に非常に気持ちがよかった(しかもタダ 

終わった後は皮膚もモチモチのツルツルリン 

先生が最後に 「とてもいいお肌の状態ですけど、何か悩んでることはありますか?」

まあ年も年だから若いころと同様に戻りたいなんて無茶は言いませんが一つ気になるのは 眉間のしわであります。

文字が読みにくくなってからか(老眼じゃないのよ~ 乱視なのよ~)物を読む時に眉間にしわを寄せているようで、またムスメの人を食った態度に接して普段怒りを覚えているためか どうも最近表情シワとして眉間のしわが気になるのよね。

目じりのしわは笑いしわだからまだ許せるが、眉間のしわってなんだかおっかなそうじゃありません? 不幸を呼びそうでヤダ。

「本当はボトックスが一番いいですよ。つぼねさまくらいだったらすぐに治りますが・・・」

ボトックスか・・・ いくら効果があってもボツリヌス菌を顔に注射するなんて考えただけで却って眉間にしわが寄りそうである(先端恐怖症)

「あ、注射とかメスとか顔に入れるのは嫌なんです~」

「それなら これがおすすめですよ」

先生がすすめてくれたのがこれ ↓



ヒッ☆ロン(☆はパです)っていう絆創膏である。
真ん中にガーゼ部分がない伸縮力に富むバンドエイドみたいなもの。
接着面が特別にかぶれないような成分のものになっているんですと。
これを気になるシワの上に引っ張り加減に貼り付けるだけ。要するに物理的にシワの寄らないようにするだけです。
ワタシの場合は眉頭のところに一枚を縦半分に切って貼り付けるように言われた。表情しわができるときって知らないうちに夜もそんな表情をしているらしい(夢の中でも怒っているのか? ワタシ・・・)

気になる値段・・・ せっかくタダエステでもこういうものが高かったら元も子もないよな~ でも美容器具って高いしな~ と思ったら、一か月分(一日置きに寝る間だけ貼る)で400円だって。良心的値段。これなら効果があれば続けられる。



↑やってみた。
これで眉間のシワがなくなったらもうけもの。

しかしヒッパ☆ンって ネーミングが安易すぎませんかい?確かに皮膚は引っ張るけどさ。

薬の名前もそうだよね。 アスベンって便秘薬があるけどよく考えたら力が抜けるわ。
















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観たり 読んだり あせったり

2010-04-27 22:24:00 | 日々の生活
久しぶりにTVを見ながら泣いた。

ニュースの後になんとなくついていたNHKの番組「こころの遺伝子」のゲストが漫画家の西原理恵子氏だった。
彼女が恨ミシュランを描いていた時から注目していた。ヘタウマな絵とよみにくい吹きだしながら その毒舌は時に笑わせ、時に痛快感をよんだ。誰もが悪口を言わない老舗の料理店を自分が気に入らなければ見事なまでに切って捨てるそのその手法。権威というものにもまるで意に介さない。
彼女のこの連載が始まるまで一般的メディアで見られる店紹介ってほとんどがちょうちん記事。いくら老舗と言っても これがおいしいのか? あのおごり高ぶった店の態度は何?と思わせるようなところでも ここまでセキララに突っ込んだものはなかったような気がした。

この人は一体何者なのか?
その頃から興味を持って彼女の描いていたマンガは機会がある毎に読んでいた。
鴨志田氏とともに行った世界を描いた旅行記や独特な視点で描いた子育て記。
多分彼女とは価値観も感性も違うだろうけど、読後に少々複雑な気分も味わわされながら好きな漫画家であった。毎日かあさんの 出戻り編では号泣した

彼女の半生と言うのは客観的に見て悲惨といってもいいかもしれない

以下NHK hpより抜粋↓

ファンの間では知られている事だが西原はその人生が波乱に満ちたものである事もその作品に影響を与えている。実父は3歳の時にアルコール依存症で自殺、高校生の時には飲酒で退学処分を受けた事に対して訴訟に踏み切る、仕事のために体験したギャンブルにハマってギャンブル依存症となるなど、その生き様は過酷なものであった。
そんな西原が運命の人として挙げたのは、戦場ジャーナリストの鴨志田穣(享年42)。西原の著作にも登場し、読者からは「鴨ちゃん」として親しまれている西原の元夫である。二人の間には一男一女が生まれるが、鴨志田のアルコール依存症により離婚。しかしその後も交流は続き事実婚として復縁、その時に鴨志田がガンを発症していたために西原が闘病を支え、葬儀でも喪主を務めるといういきさつがあった。

西原の作品に多く見られる「人は弱くてもいい」というメッセージは多くの人の共感を呼ぶが、それらの作品が生まれる背景にある西原の生き方や思いなどを番組では丁寧に拾い上げていく。作品同様、笑いあり涙ありのインタビューとなっている。
「こころの遺伝子」第5回は26日よる10時から放送。予告動画は、番組ホームページ


↑この解説で 人は弱くてもいい と言うのが西原氏のメッセージなのかはちょっと疑問。
彼女と鴨志田氏のメッセージは 「どん底でこそ笑え」ではなかったのか?
弱い人間はそんなことできないと思うから。

そして自分自身を思い返せば どん底になった時果たして笑えるのか? それはまるで自信がない。
幸いにして、普通の感覚の両親と祖父母からずっと庇護されて少女時代を過ごし、そりゃあ子育てしながら四半世紀過ごしたんだから色々あったが、責任感があって家庭を大事にしようという気はある(アハハもって廻った言い方だわね)オットも居てくれる。
両親も年なので これから様々な喪失感も味わうこともあるかもしれないと覚悟はしなきゃならないが、自分ではどうしようもない、その時点では変えられない持って生まれた環境が大過ないものであったのは幸せなことだったのだろうなあと両親や神様に感謝しなければならないと思う。

で、ガラっと話は変わる


ところで そんな少女時代のワタシ 願って願ってもどうしてもかなえられなかった事は
「犬を飼う」ということであった。
病的なまでに潔癖症の祖母が犬嫌いだったのである。
犬が大好きだった私は何度もクリスマスにサンタさんにお願いしたり、隣の公園で捨てられていた犬をどうしても飼いたいと主張したりしてもかなえられず、仕方がないので近所の親戚の家の犬をかまいに行っていた。
親戚の犬も可愛かったけど やっぱりどうしても自分の犬ではなく 自分の犬と生活する、家の中に犬がいるという環境をずっと夢みていたのよね。

結婚してしばらくは子育てでそれどころじゃなかったけど、ムスコが中学に入って初めて飼ったのが今の愛犬である。もうこの三月に12歳になりそろそろ老犬の境地なのだろうが、見かけは老けず、まだ元気でイケメン 性格もいい(飼い主バカ)

今日はご近所奥様たちとそれぞれの犬を連れて 狂犬病の予防接種に行ってきた。

家の子は若い(4歳 ♀)の美犬トイプー二匹に囲まれて車の中で大興奮であった。

私たちの大好きな獣医さん。診療所は狭いし汚いし 獣医さんは飼い主には愛想もないんだけど、犬に対する愛情と的確な診断は尊敬すべき人物である。
それに ボッタクリの多いこの業界で信じられないほどの診療費の安さ。

スムーズに注射が終わって三人でそれぞれ犬を連れて駐車場に帰る時、ワタシは小脇に愛犬を抱えていたのだが、他の二匹はリードをつけて地面を走ろうとしていた。それを見て自分も下に降りたいともがいた拍子に・・・
爪がワタシのカットソーのすそにひっかかってしまった。
どのようにひっかかったのか 結構強い力がかかったようで 爪の先端が割れてそこに繊維がひっかかってしまっている模様。
とろうとしたら すごく痛そうに キャイーンと鳴かれびびってしまったワタシ・・・

その場で回れ右して診療室に戻った。

獣医さん

「あれあれ、ちょっと待ってね」と何かを出して 爪とワタシの服を離してくれた。

「爪、余分なところを切ったからね。」

「あ~良かった。ありがとうございます」

「あと あなたの服も切っちゃったからね。家に帰ったらほつれたところ縫っといて」

である。

ご近所奥様、駐車場で大笑い

「あのアバウトさがいいのよね~」



ちょいと疲れたぜ の愛犬



ちょいと破れたぜ のカットソー



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B型の方々 vol.2

2010-04-26 18:56:46 | 家族あれこれ(犬も含めて)
さて ご近所友人(B型1)と別れて家に戻り、家仕事をして夕飯どうしようかな~とりあえずお米くらい研いで、もやしでも洗おう(最近の野菜高騰につき登場頻度の高い野菜)とキッチンに立っていた時、向かいの奥様(そう言えば彼女もB型)から犬の散歩に行こうとお誘いが来た。

どうせ行くつもりだったので二つ返事で散歩に向かった。
久しぶりに晴れた週末、どの飼い主も同じ思いか川沿いの遊歩道は犬たちでいっぱい。
顔見知りの犬や飼い主に会って ワタシも愛犬も楽しい散歩の一時を過ごしていた。

と、携帯着信・・・ オット(B型)からである。今日は5時まで仕事、その後家で夕飯を食べると言っていたはず。

オット お前今何してんの?

局   犬の散歩

オット 今から職場出るからお前新宿まで出て来いよ

局   いつ?

オット 今すぐ

・・・・このせりふは昼間も聞いた・・・

局   どうして? 今日はご飯家で食べるって言ってたじゃん

オット お前の誕生日のプレゼント選ぶんだよ ヤ☆ダ電気行こう

実はですね、もう2週間ほど過ぎてしまったが、今年は誕生日プレゼントにオットからワタシ専用のパソコンを買ってもらう約束だったのである。オットとムスメは自分用のノートを持っていて私もムスコのお古を使っていたが、ついにそれもクラッシュ(ハードがもういかれているらしい)してしまったので使えるのは居間の家族共有パソコンしかなくて自分用のちゃんとしたのが欲しい!
ってことでまあ買ってくれるっておっしゃるのならば出て行こうではないか。

途中 メールで待ち合わせ場所を東口に決める。

ところが新宿駅に着いたらホームからして 人、人、人、人 それも若者がシラスのツクダニとばかりにあふれている。 
そう言えば今は新歓の時期、それも週末 しかも給料日後の土曜日。
混んでないわけがないではないか・・・

人混みは嫌いである。それも新年度でテンション高くてついでに体温も高そうな若い子の人混みにまぎれるのはできれば避けたい。眺めるだけでも疲れる・・・

  アルタの前のハトバスの停留所 2番にいるよ

この人混みの中 何故にオノボリさん専用みたいな待ち合わせ場所を定めるのかオットよ



しかも大通りには 沖縄基地反対のプラカードを掲げたデモ隊が。それを警官が見守り、待ち合わせの若者たちは舗道を埋め尽くし、エライことになっている。
やっとの思いでオットを発見し、この待ち合わせ場所を定めたことに一言文句を言おうと思っていたら先を越される。

「お前みたいなチビだとホントこういうときには人波に埋もれて見つけらんないな~」

悪かったね 

そして新規開店したばかりの電気屋に・・・

しかし、どうしてこんなに電気屋ばかりできるのだろうか?
東口も西口も電気屋ばっかり。
渋谷も池袋も大きなのができたし、銀座もできるんだよね。
それなりに需要があるのだろうけど、そんなにミナサマ電化製品好きなのだろうか?

本来ワタシはノートパソコンが欲しかったのである。
オットの帰ってこない夜、一人の時間にベッドサイドでブログの更新でもできたら嬉しいではないか。それにちょっと書類仕事をしたり、DVDを見たり  ちょこっと動画編集できるくらいで十分 のはずだったのに。
オットはこれを主張



23インチの液晶一体型のパソコン 地上波デジタルチューナー付き CS BS2番組同時録画もできる。ブルーレイ対応。

実はワタシ、TVが家庭に存在しなくてもほぼ生きていけるヒトである。 どっちかと言うとくつろぎ時にTVの音がするとイライラする。特にお笑い番組の芸人の声と客席の笑い声がダメ。色使いを無視したケバイ舞台の背景もダメなのです。
しかし、子供が帰ってきてその手をつけていてついちゃんと耳を傾けると笑っている自分を発見するから勝手なものなんだけどさ・・・

しかし、他の事をしながらつけておくにはあの騒々しさは遠ざけたい。
ニュースくらいは映像では見たいがネットで見ても事足りる時代である。
パソコンがあれば十分。ムスコもそのタイプである。寮の部屋にTVはないらしい。

一方オットとムスメはTV好き。帰ってくるとTVをつける。そしてワタシが内心イライラする・・・

しかし一番家にいる時間の長いワタシがこのようなTV嫌いなので未だに居間のTVはブラウン管の厚みのあるヤツ。20年もの。ヴィデオデッキは23年ものが現役。
DVDは見るだけで録画機能のないヤツ。
寝室にあるのは1999年製のテレヴィデオである。
TV環境は未だに昭和なのだ。

  ← ベッドルームのテレビデオ 骨董品まであと少し

しかしケーブルTVなのでこの環境でもデジタル放送は見られる(去年の秋、やっと切り替えた)だけど2階のTVはデジタルを見るためには月々400円かかるんだってさ(来年夏以降は)このオンボロにそこまでかけるのは馬鹿馬鹿しいから買い換えようとは思っていた。

オット、「これならパソコンもできるし、TVを買わなくてもいいじゃないか。
これにしよう。スペックも高いぞ~」

自分が欲しいんじゃないかよ・・・

まあパソコンとTVとブルーレイレコーダーを別々に買うよりは安いし、タッチパネルってのは便利そうではある。

ほぼ決定。

他の階でスマートフォンなども見たりしていたらお腹もすいてきた。

「もうめんどうだから食べて帰るか・・・」

されど東口は若者ツクダニ状態。
こんなところじゃ店に入るのも困難である。

で、西口に移動

「お前何食べたいの? オレは昼間がOO会社の接待弁当だったから軽いもんでいいや」

ワタシも昼間のパスタが重いのでちょっとでいいや

ビールでも飲めて焼き鳥の何本かを食べられればよかったので 目の前にあった居酒屋に入る 月のO西口本店。広いフロアーは迷子になりそうである。

注文は コンピューター管理であった。



テーブル一つ一つにタッチパネルの端末がついててこれで注文する。
焼き鳥を頼むと 塩かタレかまで選ばせる。
焼酎を頼むと お湯割りかロックかなど オプションでレモンや梅干をつけるかなども選ばせて芸が細かい。けどなんだか味気ない気がしないでもない。

ずいぶん前に来た気がするところだが、昔よりは特に飲み物の値段設定が安くなっていた気がする。一品の値段も抑え気味。したがって味も ま~この値段なら納得せざるをえませんです・・・であった。

しかし突き出しの春雨サラダは非常に難があった。会計確認場面でで突き出しの値段が480円と言うのに怒りを覚えたワタシ。
みんなに出すものはもうちょっと研究するべしっ!

ってことでなんだかんだでB型に暮れた一日であった。











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B型の方々 vol 1

2010-04-24 23:26:55 | 友人
今日は完全オフの日と決めていた。
いちいちブログには書かなかったけど 今週は人に会ってランチだ飲みだが多かったし、リハビリの後にまた仕事で都庁へ行ったり忙しかったのである。
家の中が雑然としてきたので ちょっと真剣に掃除したりせっかく晴れたから犬と長めの散歩をしたりしたかったのである。

ところが・・・

遅く起きて来たムスメと昼ご飯にパスタを食べていた時・・・

ご近所友人より電話

「ねえねえ 旅行の事打ち合わせしたいから 私2時からテニスなんだけどさF屋まで出てこない?」
1時20分くらいのこと

「今から?」

「うん すぐ」

実は近所友のO丸奥様とは2007年の年末に一緒にドイツ旅行に行ったことがある。

兼高かおるになりたかったという旅慣れた彼女だが(ここ半年でもロシアと韓国とタイに行っているはず)なぜか私と一緒になると 珍道中になりおまぬけなエピソードに満ちてしまうのである。
その経緯は この辺 や この辺 この辺にありますのでお暇ならお読みください。

「すぐって ワタシ化粧もしてないよ~ 」

「化粧なんていいじゃん すぐおいでよ」

「日焼けする」

「日焼け止めだけ塗って来い」

まったくB型ってのはこれだよ。それに今日はテニスじゃなくって「オーケストラ」って映画を見に渋谷まで行くって言ってたはず・・・
しょうがないので日焼け止めだけ塗りたくり自転車に飛び乗ってF屋まで飛ばす。

「ほれ これこれ 安いでしょ」某南半球である。

「うん、確かに・・・ 」

「あなたが行かなかったら私ひとりでも行くつもりだったんだけどさ 一緒に行こうよ」

実はですね。先日ワタシの誕生日。プレゼントをくれてロ☆ホでご馳走してくれたのが彼女である。その時に

「ねえ そろそろまた一緒に旅行行かない? 行ける時に長い旅行は行っておこうよ イタリアにしない?」

と誘ってくれたのである。私もヨーロッパはあまり年を行くと道中もしんどいのでできれば色々今のうちに見て置きたい(そのうち自分のこと以外にも両親や姑の介護とかもからんで中々行きにくくなるしさ と 言い訳)

「そうだね~ ヨーロッパはこの前のドイツ以来だし いいよ 行く!」とその時には言った。

しかし 3日ほど前 彼女と何かの話でブータンの話になった。
まだ都市部以外には電気が通じてないらしい。しかし国民が自分で幸福という認識を持っている割合がとても高い国。ヒマラヤのシャングリラと呼ばれているそうな。

「行って見たいよね」なんぞと何気なく言ったワタシ

そしたらその次の日

「ねえねえ イタリアじゃなくてブータン行かない?」と突然のメール・・・

「どうせなら人の行かない所に行きたいじゃん!」 さすが兼高かおる・・・

ワタシはちょうどジムに行くところだったのでそのメールを見てぶっとんでしまった。
O丸奥様の行動力だったらHPで仮押さえしかねない。

「これからジムだから2時間ほど待って」とメール

そしてエアロをこなしてシャワーを浴びて、車に乗り込んでおそるおそる携帯のメールをのぞくと・・・

「やっぱりブータンはあきらめるわ。富士山より標高高いから高山病がひどいらしい。おばさんには無理だってOO(ムスコ)に言われたわ」

そりゃそうだよな~ と ちょっとホッとして

「そうだよ あんなところで行き倒れたら困る」とメールしたら

すぐに

「じゃ、さ ホニャララにしようよ、おじいちゃんが昔出張で行ってすごいよかったんだって」

と言うことになったのである。

イタリア→ブータン→ホニャララ
さすがB型の兼高と主体性のないワタシ・・・

旅はまだ先のことだが 今度はどんな珍道中になるのであろうか?





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2010-04-22 22:16:58 | 着る
今週の着物の会の講義は 紫についてだった。

前回のに引き続き 色にまつわる文化史である。

青って言うのは一般的に好まれやすい色だと思うけど、紫というのは好みが分かれる色だと思う。

イメージとしては 神秘的 高貴 都会的 という+のイメージのかたわら ちょっと不気味でエロチック、ケバケバしいイメージもある。

古くは前漢時代の武帝が愛した色であり、エジプト女王クレオパトラも自分の乗る船の帆を貝の分泌液で染まる紫に染めたそうである。
日本では聖徳太子の定めた冠位十二階で 一番高貴な色とされている。
平安時代にも一位の者(天皇関係者)だけに許された いわゆる禁色となる。

禁色といえば三島由紀夫のホモ小説が有名で、私は女子高生時代怖いもの見たさって感じでワクワクしながら読んだものだが、確か新潮文庫の三島由紀夫の背表紙の色はみんなオレンジであった。あの小説の背表紙は特別に紫にしたらよろしいかと思ったわ。

って話がそれた。

代表的な染料は 植物染料の紫根 貝の分泌液である貝紫 また 紫根染がぜいたく品として禁じられた時代(江戸時代)には蘇芳と藍をかけて染めた似せ紫という安価な染めの技法も考え出されたそうな。

そして世界初の人造染料はマラリアの特効薬であるキニーネを作る際にコールタールから作られたのがモーブと命名された紫の染料である。発明した科学者パーキンはこの染料の工場生産も始めたそうだ。  なかなかしたたかな科学者ですね。
 
紫系統の日本の伝統色をあげると

本紫(古代紫) 紫根で染めた紫(やや赤味がかっている)

似紫 蘇芳と藍をかけて染めた紫 江戸時代御高祖頭巾 病鉢巻などにつかわれた

濃色 濃い紫 平安時代の天皇の色

薄色 浅紫  これは一般的にも許された

滅紫 灰色を帯びた紫    (このように色という名称が紫につかわれた 濃 薄 灰)

京紫 赤味の紫

江戸紫 桔梗の色 助六の鉢巻の色

葡萄色(えびいろ) 山葡萄の色

藤紫 濃い目の藤色 大正時代に流行ったらしい


先日観劇した助六でも国侍利金太は緑色の衣装だった。田舎侍とか地方の大名とか田舎者とされる登場人物は緑の衣装を着て、伊達オトコ助六のシンボルの鉢巻は江戸紫。やはりナチュラルで癒される色の代表格の緑はともすればダサいイメージがあり、ちょっと使うのに勇気がいって気難しい色の紫は都会っぽい色の代表なのであろう。

そう言えばおととしくらいだったか、妙に紫が流行った年があって私も何枚かセーターやカットソーなどを購入したのだけど、合わせようによっては面白い組み合わせができたと思う。普段はベージュとかアースカラーが多い私のコーディネートだけどいい加減飽きてきたのである。
その経験から今年の冬の最終バーゲンでは真紫のコートを買って(7割引きだったもんで)着ていると珍しい色ね、似合うね と案外褒められてうれしかった。(1シーズンで毛玉だらけになったが)

最後に文学にみる紫 今回は先生は主に和歌をあげられた

* あかねさす紫野ゆき標野ゆき
  野守は見ずや君が袖ふる  額田王

* 紫の匂える妹を憎くあらば
  人妻ゆえに吾恋めやも   大海の皇子

ご存知のように天智天皇のツマであった額田王がオットの弟の元彼大海皇子と交わした歌である。まったく古代日本人っておおらかだったのね。人妻ゆえに~恋めやもって 兄ちゃんとはいえ天皇の妻に言っちゃって良かったわけね。

源氏物語では 光の君はこんなこと歌ってる

* 手に摘みて いつしかも見む紫の
   根にかよひける野辺の若紫

手に摘みて見むって いつしか我が手に摘んでみたいってのが若紫
根にかよひけるってのは 義母の藤壺と紫の上が姻戚関係にあるということの例え。
紫式部(あっこれも紫だ)の作り上げた人格だけど よく考えるとインモラルでロリコンでしょうもないオトコだと思う(魅力的ではあるが)

* 濃く深きわが帯揚げの紅を
   その夜のやみは紫と見せし  与謝野晶子

これは鉄幹と初めて契ったあとの歌だそうだ。鉄幹と略奪愛で後に結婚したんじゃなかったっけ? これも読みようによっては情熱的で意味深な恋の歌。この二人の末裔が立ち枯れじゃない立ち上がれ日本の人なのよね~


そして 清少納言はきっぱり主張する

* 花も糸も紙も すべてなにもなにも 紫なるものはめでたくこそあれ

また話は飛ぶけど 紫を染める代表的染料紫草の根 紫根は染料としてとても強いものらしい。根を袋に入れておくと周りのものを紫に染める。紫草が生える土までも紫に染めるらしい。
そこで 縁の色として紫のことを ゆかり と読むことがあるそうだ。

ゆかりっていう紫のふりかけもあるし 紫と書いてゆかりと呼ぶ女の子もいますよね。

ちょっと読みにくい名前ではあるけど 奥ゆかしくてよいではないか・・・

同じ読みにくい名前でも今の若いカップルがわが子につける名前 例えば 天使と書いてアンジュと呼ばせるのとは路線が違いますものね。













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先輩・後輩

2010-04-20 09:58:24 | 友人
日曜日の朝のこと、この日は夕方まで予定がなかったのでゆっくり朝寝を楽しんでいた局家夫婦だったが、メール着

このへんに書いたけど、私には大学入学以来のつきあいの兄とも呼べる(親友の兄とその仲間)付き合いの(今やオジ)が三人いるのだが、そのうちの一人からメールが届いた。
Nからである。ダメンズAやしっかりものの昼行灯オットのTに比べてあまり目立たないキャラだけど自分の趣味(オヤジバンド)を仕事と両立しつつ淡々とマイペースで生きているように見えるタイプ。
Aはアホ過ぎ、Tは優等生過ぎで 二人だけでいると疲れるのだが、Nは二人でいて、一番疲れないオトコかもしれない。なぜか家の母とあちらのお母さんも仲がよいし、私たちの結婚式の二次会のプロデュースもしてくれたのでオットとNも仲がいい。お互い色気を感じず付き合って四半世紀以上。考えてみれば夫より長い付き合いなのね。

しかし、別に難はないんだけど結婚が遅く、更に子供を持ったのも遅く、50過ぎた今、一人息子が今年やっと小学校に入学した状態。よく見ると節制してるからお腹は出てないしオシャレでジジイ臭くはないキャラなんだけど、昔から若白髪の傾向で今やほとんど真っ白な髪。ムスコの運動会の時なんて「あらあらおじいちゃんもいらして・・・」なんて言われないといいよね~ などと昼行灯と話していたのだけど・・・

その一人息子クン、いわゆるお受験をくぐりぬけて今度オットの小学校の後輩になったのである。NもN奥さんも小学校は公立育ち、入ってみたらなんだか戸惑うことが多くて家のオットに時代は違うけどその小学校の話を聞きたいから会えないかな~というメール。

オットに言ったら 「今日はヒマだから今日会おうか」とのこと
じゃ ランチでもと 稲川●次プロデュースのお蕎麦屋さん(五● ●は代です)で待ち合わせ。
   この店のお蕎麦 気に入ってます。 お店のしつらえも好き。

2年ぶりに見たNムスコは適度にヤンチャで適度に礼儀正しく良い味をかもしだしていた。
N奥さんは出過ぎず引っ込みすぎずの地味目ながらもきちんとした小柄な美人である。
やはり遅く出来た一人息子というと目の色が変わるのかホントに心配そう・・・

私も地方ながらオットとNムスコと同じような小学校で過ごしたからわかるけど、やっぱり行事が多かったり、教生が来たりや研究授業はしょっちゅうあったり、授業の進み具合や力の入れるところが違ったりするので周りの公立小とはちょっと違うかもしれない。
それにオットの時よりも系列の高校進学できる人数も更に絞られているらしい。
その辺を両親としてもとても心配しているようだった。
確かに将来の進学先も心配かもしれないけど、今現在の環境も大切なんじゃないかな~と私もオットも考える。
学●院でさえ学級崩壊なんて言われる時代ではあるけど、先生の質は区立より良いと思うんだけどなあ・・・
少なくとも家の子たち、ムスコは小学校は区立だったけど4人持ってもらった担任の2人の女性はとても良い先生だったけど 2年の担任の40男はまるで統率のできないオトコで1年生でしっかりまとまったクラスを持って1ヶ月でめちゃくちゃにして、授業も何を言ってるのかわからない無能さだったし(一般企業だったら使い物にならないであろう)、3,4年担任の50オトコはあんなに陰険で卑怯なオトコは今まで会った事がないくらいヒドイ性格な教師だった。
ムスコは中高で素晴らしい先生たちに出会ってそれまでのマイナスを取り返したから良かったが、あのままでいったら教師不審になるところであったと思われる。
もう期待はしないから、別にことさらに熱心じゃなくても普通の常識をもって職を全うしてくれればいいのにとだけ思っていた。
ムスコの学年にはちょっと問題児も居て器物なんかも壊されてなかなか大した環境であった。
しかしその問題児も低学年の頃からみんなの給食をぶちまけたりする子なのを周りの教師は知っていながら、その子のいるクラスをまだ新米の女性教師にまかせてベテランの先生は片方のクラスを持ったというのも私から見ればずるいな~と思っていた。
新婚だったその女性教師はムスコたちが6年の時妊娠したけどその問題児にお腹を蹴られる事件まで勃発した。さすがに憤った周りの男の子達(含むムスコ)がボコボコにしたらしいが・・・
とにかく怪我がなくて無事に帰ってきてくれよ~と毎日祈るような思いだった小学生高学年のムスコの環境だったのよね。

その点私立だったムスメは小中高と良い先生に恵まれ、?ちょっと抜けてる?と思ったのは小学校2年の時のおばあちゃん先生一人だったから ハズレだと思う教師に出会ったのは1/12の確率 ムスコの1/2の確率よりはずっと恵まれていたと僭越ながら思う。

私の小中を思い出してもみんな熱心で懐かしい先生ばかり、今でも同窓会においでになるとあちらも生徒一人一人を覚えていてくれて話が弾む。
区立の先生はローテーションが多くて、そこの学校に定着しないから先生独自の色も出にくいと思う。
ムスコも自分がそこで学んだ先生は今では一人も居ないから 先生を訪ねて自分の小学校に行く楽しみもない(せっかく近いのに)その辺も私は不満を持つところである。

そんなこんなで区立教育に不審と恨みを今でも持っている私にとってはNムスコが11倍の倍率をくぐりぬけてその小学校に合格して本人が楽しそうに通っているんだからめでたいことだと思うんだけど・・・

しかし、オットは小学生時代、周りはわりに坊ちゃん嬢ちゃんが多い環境の中でかなり悪ガキで目立っていたようなのである。このへんにも書いたけど
バス通学で一緒の革靴を履いた同級生の靴をわざと踏んで泥だらけにしたり、資材置き場から何かを運んで川をせきとめようとしたり、卒業生が作って置いて行った校庭のトーテムポールをくずして教頭室で立たされたりと伝説を作ってきたオトコらしい。

Nムスコと話していて、当時を思い出したか、食べ終わった後で、ちょっと学校まで行ってみようよと車を走らせ
「あのOO山遊んだかい? あのトンネルの脇におじちゃんは武器を埋めたんだからな。まだ気づかれてないならそのままあるぞ」とか
「この校舎のウラで秘密の会議をいつもやってたんだよ。あとあそこに落とし穴作ってさ。友達がはまっておもしろかったよ」とロクでもないことをNムスコに吹き込む。
目を輝かせて聞いているNムスコ・・・
まあ高校進学で多少苦労するかもしれないけど、子供らしいのびのびとした今の感じを保ったままあの学校生活を満喫して欲しいものだわ~

しかしながら今日あたり校庭を掘り返してないことを祈る。
N夫婦はアドバイスを求める相手を間違っっちまったと思っているであろう・・・

夜はムスコとM子カップル 娘 と待ち合わせて韓国料理へ

  

    


よく食べて飲んで、おいしかった 
省みればこの日もカロリーオーバーだわ~ 



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さらば 歌舞伎座

2010-04-18 23:28:34 | 見る(映画 劇場 美術館など)
昨夜は歌舞伎 御名残 四月大歌舞伎の夜の部へオットと。 
今月は観劇がたて込みました。




歌舞伎座の前は一幕見のチケットを買う人でごった返し、いつもより観客の着物率が多かったような気がする。

  

本当にさよならなんですね。 この空間をよく目に焼き付けておかなければ・・・

上海蟹オジからのプレゼントチケットは 6列目の中央というとても良い席であった。

  

この日もあまりに寒くて着物に着替える気にならなかったが どうせなら着てくればよかったな~と激しく後悔している図

演目は 実録先代萩と



助六由縁の江戸桜



子別れの場面 浅岡に 子役にそれぞれ橋の助と孝太郎の子。あんまり先代萩自体は好きな話じゃありませんが芝翫さんの演技はさすがと言う他なく、子役の二人もちゃんと自分の役割ってのをわきまえていて、凛としたところを見せているのが感じられて面白かった。

実はオットも私も 子供店長みたいなCMが大嫌いである。あの子役に対してはどうこう個人的好き嫌いはないけど、不況で広告費も削らなくちゃならなかった(であろう)メーカーがたまたま子供を出したらそれが当たって 次々に柳の下の二匹目のどじょう狙いで子供ばっかりつかった昨年末から今年のCMの造り方がとっても安易に思え、しまいには子供店長の「OOは免税!補助金も!」っていう話し方もこまっちゃくれた言い方に聞こえていちいちむかっ腹がたっていたのである
子役も伝統芸能のうちの子役は許せました(ハイ 好き嫌い多いオバです、すみません)

そして 助六です。
やっぱり the 歌舞伎だね、この演目は。

花の吉原、三浦屋の赤い塀 上から枝垂れた桜が垂れ下がり その前に色とりどりのおいらんが並ぶ それだけで目の悦び

配役がまたすごかったんですよ ↓



           花川戸助六  團十郎
           三浦屋揚巻  玉三郎
            通人里暁  勘三郎
         福山かつぎ寿吉  三津五郎
           三浦屋白玉  福 助
        男伊達 山谷弥吉  権十郎
        同   田甫富松  松 江
        同   竹門虎蔵  男女蔵
        同  砂利場石造  亀三郎
        同   石浜浪七  亀 寿
           傾城八重衣  松 也
           同  浮橋  梅 枝
           同  胡蝶  巳之助
           同  愛染  新 悟
             金棒引  種太郎
               同  萬太郎
               同  廣太郎
               同  廣 松
            禿たより  玉太郎
        白玉付番新梅ヶ香  歌 江
            奴奈良平  亀 蔵
           国侍利金太  市 蔵
            遣手お辰  右之助
          番頭新造白菊  家 橘
            朝顔仙平  歌 六
            曽我満江  東 蔵
         三浦屋女房お松  秀太郎
            髭の意休  左團次
        くわんぺら門兵衛  仁左衛門
          白酒売新兵衛  菊五郎

              口上  海老蔵

歌舞伎座、最後を飾るオールスターであった。

それにしても揚巻役の玉三郎さんの衰えないこと。首のあたりに確かに年を感じたが、あの艶っぽさ、あの品のよさ、あの貫禄。あの美しさは妖怪の域に達していると思った。
席は前の方だったがじっくりとオペラグラスでうちかけまで観察。ため息の出るくらい衣装も豪華だった。

助六の団十郎さんも粋でよかった。紫鉢巻に尺八を腰にさし 傘を広げて登場する助六の男伊達姿、私も ナリタヤっ!って叫びたかったわw

ワキを固める人たちも普段なら看板役者陣の面々なんだからそれはもう豪華な舞台。

中でも勘三郎さんの通人里暁がすごく面白かった。
通人ってのは何をやってるわけじゃなくいわゆるお金持ちの若旦那だけど、良い趣味をもって教養がある 吉原の上客の部類の人なんだろう。この役はごちそう役と言われるらしいけど、勘三郎さんの洒脱なアドリブがそれを体現していた。

「おや 助六さん。いいねえお宅のタカトシもやっと落ち着いて」とか 白酒売新兵衛役の菊五郎さんには 「お宅のしのぶちゃんこの度はおめでとうございます。いや~世界にはばたくねえ 」とか そして歌舞伎座への惜別の感もさらりと入れてついでに他の歌舞伎公演や自分のところのコクーン歌舞伎の宣伝までさらりと入れて、それが楽屋落ちにならなくて観客を大笑いさせるのは さすがの芸だった。生真面目そうな団十郎さんは顔を崩さなかったが菊五郎さんは笑ってたものね、それも一興。

もう 最後まで目が離せず 集中できた舞台だった。あ~ もう一度見たい(けどチケットとれないね)


オットも楽しんでいた。
この手の舞台に一緒に行き始めたのはここ5,6年だけど、オットのすごい所は見た舞台の一つ一つをよく覚えているところ。浄瑠璃のOOO太夫さん この前の演目もこの人だったとか覚えているのである。
私と見る数は違うこともあるが、はまるとはまる人で深く突っ込む人なので 将来もう少し仕事がひまになったら 大向こうに席をとって「OO屋っ!」などと声をかけるジイサマになるかもしれない。



演目が終わり、みんながぞろぞろと出口に向かっている時、どうしてもここをくぐってみたいと言って花道の下を通って外にでようと言ったのもオットである。(変なの)



この電光掲示板の前でみんな写真を撮っていた。
やっぱりこの建物がなくなるのは淋しいのよね。

昨日の公演はこの歌舞伎座の姿とともにずっと胸に刻んでおこうと思う。










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バレエ鑑賞の夜

2010-04-16 23:58:53 | 見る(映画 劇場 美術館など)
昨日は久しぶりにバレエ鑑賞 bunnk☆muraでの国立モスOワ音楽劇場バレエの エ☆メラルダの公演だった

ブルメイステル版 La Esmeralda(全3幕)
原作は、ヴィクトル・ユーゴーの小説「ノートルダム・ド・パリ」。中世のパリを舞台に、美しい踊り子エ☆メラルダを取り巻く男たち3人が、愛憎劇を繰り広げる。1950年の初演時からの人気レパートリーが、美術、衣装を一新して色彩的にも鮮やかに生まれかわり、09年11月末にモスクワで初披露された。全幕作品としては、世界でもめったに見られない作品。

15世紀のパリ。美しい踊り子エスメラ☆ダにノートルダム大聖堂の聖職者フロロは、一目ぼれする。フロロは醜い鐘つき男カジモドを使って☆スメラルダを誘拐させようとするが、カジモドは捕らえられ、エスメラ☆ダは御兵フェビュスに恋心を抱き始める。捕らえられたカジモドは広場でさらし者になるが、ただ一人彼をかばう☆スメラルダに、カジモドは恋心を抱くのであった。

めくるめく愛欲、嫉妬、そして復讐(ふくしゅう)。エス☆ラルダを巡る3者の愛憎劇の結末は……。

音楽 プーニ(グリエール、ワシレンコ改編)
振付・演出 ブルメイステル(1950年)


これ、ストーリーがわかりやすいせいか、とても楽しめた。
エス☆ラルダ役の ナターリヤ・レドフスカヤがめちゃ良かった。
技術もさることながら表情や表現力のすばらしさ。そんなに美形のプリマじゃないんだけど(顔だけだったらもっと綺麗なヒトがたくさんいるロシア人)、どっちかと言うと小柄な身体が踊りだすと目が彼女一点にひきつけられてしまう。

舞台装置もすてきだった。同行のNと教授はヨーロッパ生活経験者 あのステンドグラスの色はもうちょっと抑えてもいいよね とか 何かとうるさいwが、ワタシはそのステンドグラスの模様一つ一つをオペラグラスで堪能しました。衣装も舞台装置も目の楽しみだった。

オーケストラブースも良く見えたんだけどティンパニの人がノリノリでおもしろかった。

やっぱり生の舞台はいいな~

  

この日も舞台友N経由のご招待チケット。ありがたや。

この日は気の置けない友 ワタシを入れて同行5人



パウゼの時 ホールで生ハムの解体をやっていて、
「あれでシャンパンでも飲みたいね~」と横目で見たが我慢。

終わったあとお気に入りの居酒屋を予約してあったから



キョージュ N(全身エルメス)

 

NとMちゃん

みんな小中の仲間です。 居酒屋といっても窓から東京タワーの夜景が見えるおしゃれな空間で串焼きやカリフォルニアロールなども美味。

結構夜も遅くからだったがバカ話をして盛り上がって終電を気にする時間になってお開き。

寒かったけど目も舌も楽しい夜だった。




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ママ友会

2010-04-15 14:04:14 | 友人
なんだかバタバタと忙しい日々が続く。

首痛とリハビリ通いでウチでおとなしくしていたため不義理をしていた友人からのお誘いなどが重なっている。

おととい ムスコの幼稚園の時のママ友と食事会。
幼稚園の母の会で出合って気が合って20年。
色々家族や取り巻く環境に変化(良い事も悪い事も)ありながらも、仲たがいすることもなく続いてきた7人の友人。
ワタシ自身の学校や仕事や趣味を通じて作ってきた友人関係も大切だけど、こうやって子供を仲立ちにしてできた友人関係ってのもありがたい仲間だと思う。
ムスコもこの頃の友達とは会ってなくてもたまに会う兄弟姉妹のように楽に話ができるみたい。

地元 行列のできるイタリアンで


  

前菜に黒鯛のカルパッチョ、バーニャカウダなど

  

石窯焼きのピザもパスタもおいしかった。
5,6年前にいってパスタがまずかったのでずっとご無沙汰していたのだけど見直した。
行列には行列だけのことがあったのね。

このメンバーで初めて 二次会はカラオケで

 まだきみ~を~ 愛してる~ と絶唱するHちゃん

  このグループ内で一番マジメな部類の美人母 他で遊ばないらしいのでwこういう時にはノリノリ

ワタシがカラオケ屋からの「あと10分ですよ」の電話を受けて 「あと10分でいいよね?」と確かめたら 間髪をいれずに「延長!」ときっぱり自己主張した彼女であった。

久々によく歌った。



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都庁に登って思ったこと

2010-04-13 23:36:58 | 様々な思い
仕事で都庁に行った。

高層階のとある課で、用事がすませ そのままエレベーターで帰ろうとしたところ、職員用のちょっとしたお茶を飲むスペースを発見。
どうせならちょこっとお茶を飲んで行こうと自動販売機でお茶を買う。
ちょうどよく晴れた外の景色を一人で満喫

  

いつも地面に近いところで生活しているので、こういったところから見る地上はものめずらしい。

ウチはどの辺だろうかなどと見渡しながら 改めて東京のヒトの多さに圧倒される思いがした。

ところで 新党 立ち上がれ~ ネーミングはこちらのボスだったですわね。
みんなの~の党首からもさっそくおちょくられていたが、そうされるのは仕方ないネーミングセンスだと思う。
あのメンバーであの平均年齢だったら揶揄されないわけはないじゃないかと普通は思わないものなのだろうか?
オットはわかっててわざとつけた名前じゃないかと言ったがワタシはそうは思わない。
名前をつけたヒトはよもや自分たちが笑いものにされるとは絶対に思わない類の人種だと思うから・・・
少しは自分たちを客観視すれば この名前は避けて通るはずである。

ワタシは与O野さんは嫌いじゃない。
立ち上げの時に揚げた サミュエル・ウルマンの詩

           青    春

青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ
 
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心
 
安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ
 
年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる
 
歳月は皮膚のしわを増すが情熱を失う時に精神はしぼむ

        中略
 
 人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる
 
 人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる
 
 希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる


          後略

       訳詞 岡田義夫
  

こういった詩を引っ張り出すのはさすがに詩人の末裔だなとも思う。

しかしこの党の名前をつけたセンスと名づけた人のマッチョさはどうしても嫌い。

年齢とともに経験をつみやることをやってきたオトコは確かに尊敬すべき存在だと思う。

しかしその中にちょっとした含羞ってものがないと可愛くないエラソーな年寄りになってしまうのじゃないかしら?

含羞とユーモアと自己客観視は円熟に不可欠なものだと思うのよね~(ワタシも気をつけようっと)






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名残のサクラ・小さな旅

2010-04-12 08:52:19 | 
前々から 「桜の季節になったら一度ご主人といらっしゃいよ」と
お誘いを受けていたFさんのセカンドハウスにお邪魔させていただいた。



東名から小田原厚木道路にはいって西湘バイパスを抜けて神奈川と静岡の県境くらいに位置する温泉保養地 新幹線の駅から山の方へ車で10分くらい行ったところの別荘地である。

オットが運転 同行はFさんとFさんの友達の四人連れ。

駅の近くでおなじみの魚屋さんで昼ごはんと夕ご飯用のお魚をどっさり買い込み 山を登ってFさん邸に。

広いダイニングに8人くらい座れる円卓が置かれ、隣に続く居間には長い掘りごたつになる食卓。Fさんが得意の料理の腕をふるってここで宴会を開くのにちょうど良い空間。

ベランダから望む裏山には盛りは過ぎたけど一面のサクラが見えて、緩い風にのって花びらがウチの中に舞い込んでくる。

  

サクラの反対側には色々なかんきつ類の木が植えてあってまだ実がついたままの木もある。
自家製のママレードをたくさん作ったそうだ。

写真を撮るのを忘れたけど、自宅には温泉がひかれ 源泉かけながしという贅沢な環境である。



ちょっと坂を下りるとこんな湯治場もある由緒ある温泉らしい。

温泉フリークのオット。嬉々として温泉に閉じこもり
オバ三人はくつろぎながらゆっくりおしゃべりを楽しみつつ
Fさんが手際よく魚をさばくのを見物(手伝わんかい、ワタシw)

 

キンキの煮付け、小さいけど油ののったムロアジの干物



カワハギの肝醤油で食べる刺身、朝とれたばかりのアジを三枚におろしてフライにする。
アジフライって給食でよく出て好きじゃなかったんだけど、お刺身でも食べられる新鮮なアジをフライにして揚げたてを食べるってすごくおいしいもんでした。

その間 交互に温泉につかって



山道を散歩したり(カロリー消費の絶壁階段)





近所には立派な竹やぶもあり、筍堀放題らしい。
GWにはこの筍掘り その場で焼き筍パーティーにも参加させていただく約束も成立して

帰りさほどの渋滞もなく、のんびりと名残のサクラを楽しんだ一日だった。

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イケメン宅急便

2010-04-09 10:29:54 | 家族あれこれ(犬も含めて)
・・・と言ってもイケメンを誕生日プレゼントにもらったわけではない。

いくら私が図々しくてもそこまで神様は与えてくれないであろう。

おとといの夜のこと。
近所の友人にお誕生日豪華ディナー@ロイホでごちそうになっていた私に着信。
オットからであった。

今日は面倒な案件があるから夜は帰れないと出て行く時に行っていたので、一日自分の好きなように遊び倒す所存であった(これぞお誕生日特権というものではないか、ウチでお祝いつーたって作るのワタシだし)

ところが
「OO(ムスメ)帰ってきてないんだろ? お誕生日の夜にお前一人じゃ可哀想だからこれから帰るよ。」

「えっ だってあなた帰ってこないって言うから夕ご飯用意してないよ。それに疲れているだろうから無理しなくてもいいよ(これから帰られるとかえってめんどくさいつーに←主婦、心の声)」

「大丈夫、落ち着いてるから帰れる。飯はこっちで食べるからいいよ。ケーキ買ってくよ」
(ケーキなんてこれから食べられないつーに)

「あっ 今日は昼間からたくさん食べてるからケーキは少しでいいから。(間違ってもホールなんて買ってこないでおくれ」

ご近所友人とはまだ話したりないくらいだったがそそくさと帰る。
そしてその日のできごとをブログアップしたのが前までの記事。

あれからすぐオットは帰って来た

 

せんびきやのプリン系だったので明日食べればいいやと感謝して冷蔵庫にしまう。
帰って来たはいいが、オットやはり疲れていてすぐ就寝。

そして10時過ぎ・・・

ウチの前に車が停まった。見慣れない車だなと思っていたら玄関のチャイムが・・・

ムスメとダンス友達のIくんであった。この記事に書いたけど、なかなかおもしろいオトコである。(あくまでもカレシではないそうなので母としてはちょっと残念)

しかも長身ですっきりしたオトコマエ。

二人で「お誕生日おめでとうございま~す」
「ケーキ買ってきました~」 

「記念撮影しましょ~」とノリのいいIくん



もうオバサンったら嬉しさが隠し切れないじゃないか・・・ (ユニクロのフリースですが、まあいいや)

そして二人は一緒にケーキを食べる気満々。オットが寝ていてくれてちょうどよかった。

ワタシは今日のあのカロリー摂取にまたケーキ分まで加わるのかとあせりつつも
やっぱり食べてしまった。夜10時半にショートケーキですぜ、オソロシイ・・・



幸い小さかったからよかったけど。

食べた後も曲の編集に余念がない二人であった。





ボクも食べたいっ! 

ムスコからは日にちが替わるギリギリくらいにデコメールが着た。
「ところでいくつになったんだっけ?」という疑問つき。

「親の年くらい覚えとき OOだよ」と実年齢より10歳サバをよんで返信してやったら

「そっか~ おかんはオレを××の時に産んだのか。暴走族のヤンキーみたいだな」

とすっとぼけたメールがきた。


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お誕生日はランチと観劇

2010-04-07 21:19:55 | 見る(映画 劇場 美術館など)
一つ歳をとった。

そうめでたくもない年代なので敢えて広報活動wもしなかったけど、律儀に覚えていてくれた友人にお祝いしてもらってうれしかったわ。

舞台友Nとやはり中高一緒だったMちゃんと銀座でランチ

バーニーズ・ニューヨークの入っているビルの蕎麦会席のお店

  

↑ここです。ここは若い子は殆ど来ないし、落ち着いた雰囲気のお店が多くてお薦め。

  お祝いシャンパンで乾杯してもらって

      
身体にやさしそうなメニューがちまちまでてきて



おしゃれな盛り合わせ




 
最後にお蕎麦とデザート ほぼ個室みたいな空間で落ち着けたしおいしかったな。


 舞台友Nからはこんな包みをもらった。

  彼女曰く 「廃物利用で悪いんね」(彼女はエルメスフリークである)商品の包みのリボンを利用して作った小物たち。
私はエルメス買えないけど、気分だけ味わえるってことね。


その後 宝塚劇場へ



今日は雪組 ソルフェリーノの夜明け(アンリー・デュナンの生涯)と ショーはカルネヴァーレ(睡夢)

ソルフェリーノ・・・は今年が赤十字思想の誕生150年の記念年のため。スイスの実業家アンリ・デュナンが1859年 イタリア独立戦争の際に双方の悲惨な兵士の犠牲者を
救うために赤い十字架を旗印として赤十字思想をたちあげたことを描いた作品。
彼の提唱したことは↓
(1)戦場の負傷者と病人は敵味方の差別なく救護すること
(2)そのための救護団体を平時から各国に組織すること
(3)この目的のために国際的な条約を締結しておくこと
この思想に救われたあまたの命を思うと頭が下がります。
 

舞台友Nは例によってもう何回か観劇済み。
あとご近所でもう見た人もいて 彼女たちに言わせると 「宝塚らしくなくて暗かった」と言う。
確かに血で汚れた白衣や軍服が舞台に現れるって珍しい(初めて?)なのかもしれなく、宝塚の昔からのファンの彼女たちに言わせると様式美からはずれてなんとなく それっぽくなくて不満な部分もあるらしかった。

私は楽しめたけどね。ちょっとおおげさなところのある大御所の演出だけど、伝えたい部分はしっかりと伝わってきて感動したもの。イタリア兵、オーストリア兵、シスターたちが歌うアヴェ・マリアの合唱なんてちょっとナミダを誘われた。
確かに血で汚れた衣装っていうのは夢と愛がテーマなことが多いこの劇団を見て現実を忘れていい気分になるってところからははずれるかもしれないけど、伝えなくてはいけないことをこういった舞台を通じて伝えるって考え方はそれはそれで良い事だとも思う。
いまだ世界は民族間や宗教間の闘争から自由ではないんだから・・・


ショーはショーでいつものように楽しめた。
この回で№2の彩吹さんが退団してしまうのよね。ホントにマジメそうで良い人そうで、どんな役も器用にこなして 歌も踊りも安心してみてられた彼女が退団してしまうのが淋しい。
あらんけいさんや瀬奈さんのトップの退団も淋しかったけど、今まで水さんを支えて誠実にやってきた彼女がトップになれないまま退団してしまう無念さも伝わってきて なぜか一番淋しい気分になってしまった。

なんとなくそんな気分を引きずってウチに帰ったところで

近所の元気な友人からお誘い。彼女は唯一とも言えるこのブログを読んでいる現実友人である。(最近忙しくて読んでないらしいが・・・)

「お誕生日でしょ、プレゼントもあるしご馳走してあげるから出てこない?」

遠慮なくご馳走になってしまった。



「セレブのお誕生日ディナーにロイホで悪いね」 ←皮肉かいw?

しかし今日はカロリー取りすぎです。



タイシルクのポーチやジム・トンプソンのジュエリーケース 三菱の美術館の招待券などいただく。

ウチに帰ったら荷物がきていて

  昼行灯からリースとペニンシュラのクッキーが

あと 一番びっくりしたのは 上海蟹オジからは歌舞伎のチケットが・・・



歌舞伎座お名残公演 夜の部! 助六! しかも前から6番目!

ありえない席である。 これはプラチナ以上チケットです。
株主でもこの公演はなかなか買えなかったらしいと聞いてたので諦めていた。

先日お会いした際に 歌舞伎好きなんですよね~ なんて話した覚えはあるけどちゃんと覚えていてしかも誕生日に贈ってくださるとは・・・
アラカンの実力、恐るべし。。。

yahooオークションでは もっと悪い席でも数万円で売り出されてるらしい。
売ったらいくらになるだろう? なんて想像しないことにしておこう。

楽しみに行かせていただきまする。

こんな私でもこうやってお祝いしていただける。こういう仲間が居てホントに幸せだな~って感じた一日だった。

オットとムスメはまだ帰ってこないけどさ・・・・
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2010-04-06 00:05:00 | 着る
今日の着物の会の講義は 色にまつわる文化史だった

勉強した色は 「青」

青から連想される気分は さわやかとかすがすがしい 一方ではクールとかちょっと冷たいイメージではないだろうか?

青く染める代表的な染料は藍である。 これな解毒作用などの直接の薬効もあるし 匂いによる防虫駆虫効果もある。農民の野良着、ブルージーンズなどが野外で作業する人たちに用いられたのもその効果が認識されていたからであろう。

また出藍の誉れっていうのは漢詩からの言葉。中国でも古来から藍が染料として使われてきたこともしのばれる。

今日の講義で興味深かったのは 日本の伝統色としての 青色の名称だった。

白殺し  白にほんの少し藍をかけた色 白のようでも白でないごくごく薄い青色。
     なんという表現力だろうか

瓶覗(一入染) 一度だけ藍瓶をくぐらせたほどの薄い青

水色

浅葱色  少し薄緑がかかった青色

はなだ色  露草の花の色 赤味のない青

空色

納戸色   はなだ色のくすんだもの ねずみ色かかった藍

藍色    はなだと紺の中間色

紺色    暗い紫かかった青

瑠璃色   鮮やかの濃青色

群青色   濃い青色 顔料の青(藍銅鉱)

かち色   黒に近いほど濃い青

ざっと青色の周辺でこんなにあげることができるのですと。

日本人の感性ってすごいのね。 

生活や歴史に密着して名前をつけられた青もある

新橋色  明るい緑味の青 大正の初めに新橋芸者に流行したから

舛花色  冴えた緑味の青 五代目市川団十郎による家芸の色印

高麗屋納戸  鈍い緑味の青 四代目松本幸四郎による家芸の色印

歌舞伎役者が楽屋の浴衣にそめる屋号の印などは見たことがあるけど色まで家芸となっていたとは・・・


歴史を 文化、服飾面でひもといていくのは面白い。

最後に先生は 色にまつわる文学作品を一つあげられた。

上田秋成の「雨月物語」より「青頭巾」の話。

下野の国のある村で 高徳の僧がいた。あるとき越国に出かけて帰る時に十二、三歳の美少年を連れて戻ってきた。
僧はその少年をすっかり気に入り寵愛する。(多分ボーイズラブだと思われる)
しかしその少年は病で死んでしまう。
すっかり気落ちした僧は狂ってしまう。

その描写

少年が生きていた日と同じように愛撫しながら、その肉が腐りただれてゆくのを惜しんで、肉をしゃぶり骨をなめ、ついに食べつくしてしまったのです・・・

雨月物語ってここまでグロかったのね。

そして僧は鬼になって村人に害を為すようになった。 その村に禅師が訪れ 鬼となった僧に自分の紺染めの頭巾をかぶせて教えさとす。
そして時を経てまたその僧を訪ねると影のような人が自分の教えた歌をとぎれとぎれにつぶやいているのを聞く。
禅師は禅杖をとりなし 僧の頭を撃つと僧のおぼろな姿は消えうせて、あとには白骨と青い頭巾だけが残されたという話。

僧を鎮めさせたのは禅師の力と 頭巾の色だったのじゃないかと先生は話を結ばれた。

青の持つ沈静作用が印象に残るお話だった。

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