昨日はラウンドに行った。
同じ区内の女子仲間三人で回る予定で、関越から一番遠いWちゃんが車を出してくれることになっていた。
朝6時に家の前で待っていたら・・・
B社特有のエンジン音が近づいて来たと思うと「グゥラガッシャ~ン」という音
慌てて曲がり角を見たら「やっちゃった~」とドアを開けて困っているWちゃんの顔。左側のミラーが見事にひしゃげて、後方にはヒビが入ったミラーが落っこちていた。
「あ、マスクしなくっちゃと思って片手でマスクを出してハンドル切ったら電柱にぶつかっちゃったのよ~」byWちゃん
幸い電柱のダメージは塗料の後がうっすらと残ったくらいだったので、とりあえず家のガレージに入れてもらって、ゴルフ場へは家の車に乗り換えて私が運転して向かった。
「マスクなんて車を停めてからでいいのにね、ワタシったらホントにバカ」
「わかるよ、なんかせっかちになってるのに注意力は低下してるんだよね」
「あああ、パパと子供たちにバカにされるな~ ディーラーはまだ空いてないよね、めんどくさいことになったなあ」
「ラウンド中でも通じる時には色々手配しなよ。でも人身でも人の家の塀でもなかったんだからまだ良かったと思おうよ」
とWちゃんを慰めつつHちゃんを拾ってラウンドへ。
半分終わり、昼食のレストランで、この日は周りのテーブルからの聞こえてくる声が
「ウクライナが・・・」
「プーチンが・・・」
「このままだとキエフが・・・」
傍から見れば平日にのんびり能天気にラウンドなどしてる私たちを含むオジオバたちも大いに関心を持ちつつ心配はしてるわけです。
しかし、なすすべがない。
家に帰ってTVをつければ攻め込まれるウクライナの映像と国会のやりとりと。
コロナもまだまだ収束には遠そうだし、世の中に目を向けると鬱になる。
「お前はそんなに努力してきたのか?」「自分の力だけで世の中を渡ってこれたのか?」って詰問されたら「ごめんなさい」と頭を下げざるを得ないところがある自分って立ち位置は承知した上で言うけど
細々続けた仕事上でや、家庭人として、子供の母親として、それ以前の子供の頃からの経験をかんがみて
やっぱり自分の身は自分で守るのが基本 怒るべき時には怒る(たとえ怒るというより憐れむような相手でも)姿勢を見せないと軽んじられてひどい目にあう みたいなことは経験してきたわけですよ。
あっこの人とは気が合わないな~と思った相手でも、それが母友とか子供の担任とか上司とかだと形の上では友好的にしなきゃならないんですよ。
そういう人ってたいてい意地悪だし僻みっぽい人種が多くて、人の上げ足を取ったり良かれと思ってやったことでも曲げて取ってそれを周知させがちなので、そういう時にはこちらも情報を集めといて防衛力を固めて、いざとなったら「それ違いますよね~」とにっこり笑ってお返ししないと、後々まで夢に見て悔しい思いをすることになるのよね。
頼むよ~ 日本のリーダーたちよ。
話はロシアに戻るけどね.
私たちの年代、文化的には彼の国に対してはリスペクトが結構あったんじゃないですかね?
ロシアの児童文学って子供心にちょっと毛色が変わってて好きだった。
「てぶくろ」や「おおきなかぶ」から始まって「森は生きている」とか「ビーチャと学校友だち」などはワクワクしながら読んだ。
高校時代には「戦争と平和」を人の名前を書き写したのをしおりにして読んだのを覚えている。
あれはいつだったっけ? トレチャコフ美術館展を見に行って この絵に魅了されたことも
バレエも来日したボルショイだのマリインスキーだののを何度か見てその姿の美しさと技術の見事さにも魅了された。
しかし、この分野も今回のオリンピックのフィギュアの闇を見せつけられて、あれだけの事をするには(何かありそ)とも思ってしまったが・・・
としてもかの国の人たちだって美しいものを愛し、家族や友人を愛し、穏やかな日々を送りたいと思っているに違いないのに。
だけどさすがにというか、だからホントにというか、今回の暴挙は信じられないし許せない。
ロシアは日本より平均寿命が短いっていうから、プーチンも日本で言うと「80過ぎの認知症が入って来た爺さんが、やたら疑心暗鬼になったり僻みっぽくなったりしたあげくに、杖を振り回して介護職員を威嚇する」みたいな感じじゃないですかね?
同じ区内の女子仲間三人で回る予定で、関越から一番遠いWちゃんが車を出してくれることになっていた。
朝6時に家の前で待っていたら・・・
B社特有のエンジン音が近づいて来たと思うと「グゥラガッシャ~ン」という音
慌てて曲がり角を見たら「やっちゃった~」とドアを開けて困っているWちゃんの顔。左側のミラーが見事にひしゃげて、後方にはヒビが入ったミラーが落っこちていた。
「あ、マスクしなくっちゃと思って片手でマスクを出してハンドル切ったら電柱にぶつかっちゃったのよ~」byWちゃん
幸い電柱のダメージは塗料の後がうっすらと残ったくらいだったので、とりあえず家のガレージに入れてもらって、ゴルフ場へは家の車に乗り換えて私が運転して向かった。
「マスクなんて車を停めてからでいいのにね、ワタシったらホントにバカ」
「わかるよ、なんかせっかちになってるのに注意力は低下してるんだよね」
「あああ、パパと子供たちにバカにされるな~ ディーラーはまだ空いてないよね、めんどくさいことになったなあ」
「ラウンド中でも通じる時には色々手配しなよ。でも人身でも人の家の塀でもなかったんだからまだ良かったと思おうよ」
とWちゃんを慰めつつHちゃんを拾ってラウンドへ。
半分終わり、昼食のレストランで、この日は周りのテーブルからの聞こえてくる声が
「ウクライナが・・・」
「プーチンが・・・」
「このままだとキエフが・・・」
傍から見れば平日にのんびり能天気にラウンドなどしてる私たちを含むオジオバたちも大いに関心を持ちつつ心配はしてるわけです。
しかし、なすすべがない。
家に帰ってTVをつければ攻め込まれるウクライナの映像と国会のやりとりと。
コロナもまだまだ収束には遠そうだし、世の中に目を向けると鬱になる。
「お前はそんなに努力してきたのか?」「自分の力だけで世の中を渡ってこれたのか?」って詰問されたら「ごめんなさい」と頭を下げざるを得ないところがある自分って立ち位置は承知した上で言うけど
細々続けた仕事上でや、家庭人として、子供の母親として、それ以前の子供の頃からの経験をかんがみて
やっぱり自分の身は自分で守るのが基本 怒るべき時には怒る(たとえ怒るというより憐れむような相手でも)姿勢を見せないと軽んじられてひどい目にあう みたいなことは経験してきたわけですよ。
あっこの人とは気が合わないな~と思った相手でも、それが母友とか子供の担任とか上司とかだと形の上では友好的にしなきゃならないんですよ。
そういう人ってたいてい意地悪だし僻みっぽい人種が多くて、人の上げ足を取ったり良かれと思ってやったことでも曲げて取ってそれを周知させがちなので、そういう時にはこちらも情報を集めといて防衛力を固めて、いざとなったら「それ違いますよね~」とにっこり笑ってお返ししないと、後々まで夢に見て悔しい思いをすることになるのよね。
頼むよ~ 日本のリーダーたちよ。
話はロシアに戻るけどね.
私たちの年代、文化的には彼の国に対してはリスペクトが結構あったんじゃないですかね?
ロシアの児童文学って子供心にちょっと毛色が変わってて好きだった。
「てぶくろ」や「おおきなかぶ」から始まって「森は生きている」とか「ビーチャと学校友だち」などはワクワクしながら読んだ。
高校時代には「戦争と平和」を人の名前を書き写したのをしおりにして読んだのを覚えている。
あれはいつだったっけ? トレチャコフ美術館展を見に行って この絵に魅了されたことも
バレエも来日したボルショイだのマリインスキーだののを何度か見てその姿の美しさと技術の見事さにも魅了された。
しかし、この分野も今回のオリンピックのフィギュアの闇を見せつけられて、あれだけの事をするには(何かありそ)とも思ってしまったが・・・
としてもかの国の人たちだって美しいものを愛し、家族や友人を愛し、穏やかな日々を送りたいと思っているに違いないのに。
だけどさすがにというか、だからホントにというか、今回の暴挙は信じられないし許せない。
ロシアは日本より平均寿命が短いっていうから、プーチンも日本で言うと「80過ぎの認知症が入って来た爺さんが、やたら疑心暗鬼になったり僻みっぽくなったりしたあげくに、杖を振り回して介護職員を威嚇する」みたいな感じじゃないですかね?
「わしの財布を盗んじゃろう!」なんてね
あんなに(中国のぞく)世界中を敵に回してもバカみたいなことをやり続けるってボケてるんかいな?としか思えない。
しかし、止めるものが居ないところで、権力を持ったボケ老人ほど怖いもんはない。
昨夜のニュースで
「僕は死ぬのは嫌だよ」と言ってたウクライナの少年。孫1と同じくらいの年の子の映像を見て涙がこぼれた。
合法的に止められないなら「出でよ、今こそゴルゴ13!」 だよ。
あんなに(中国のぞく)世界中を敵に回してもバカみたいなことをやり続けるってボケてるんかいな?としか思えない。
しかし、止めるものが居ないところで、権力を持ったボケ老人ほど怖いもんはない。
昨夜のニュースで
「僕は死ぬのは嫌だよ」と言ってたウクライナの少年。孫1と同じくらいの年の子の映像を見て涙がこぼれた。
合法的に止められないなら「出でよ、今こそゴルゴ13!」 だよ。