この家に引っ越してきて四半世紀を超えた。
以前一度だけ、町内会の班長というのが回ってきたことがあったのだが、それから10余年たって二度目の班長が回ってきてしまった。
だいたい20軒を1班としてその中で回覧板を回したりするわけね。
今時回覧板っすよ。
昭和か⁉️ もっとさかのぼって「とんとんとんからりっと隣組」ですよ 戦前戦中か⁉️ ってワタシも言うことが古すぎるよな・・・
今回改めて回覧板のファイルを見たら「回覧板は新しい情報であり町内皆様との心の絆です。町内の発展・繁栄の為にお役立てください」と来たもんだ。
ほへ~~~・・・誰が考えたんだ、このコピー?
この令和の世の中で、果たして町会が必要なのか?回覧板ってものが役にたってるのか?
町内の行事だの祭りだの殆ど参加しない我が家にとっては町会から脱退してもいいんだけど、やはり日本人の同調圧力に負け、またこの先地震やら災害やらがあった時にはやはり近所と少しのつながりは持っといた方がいいかななんて言う思惑で結局ダラダラやめられないという立ち位置ではある。
で、年度初めは4月だが、今年はコロナもあって町会役員(顔も知らないがお年寄りの世話役たち)の会合が開かれずに予算配分などもできずに宙ぶらりんになっていた年行事、予算も決まったそうな。
そしてそのための町会費を集めるのが班長の役目なんですね。
以前は赤十字の寄付とか歳末助け合いとか年に三度くらい集金があったが、簡素化されて集金は一度だけになったというのは喜ばしい。
先週、町会役員のおば様から集金袋と領収書をと名簿を渡され
「七月末くらいまでにお集めいただければ結構でございますのよ」と言われた。悠長なことである。
一軒で1200円なので、全部集めても2万ちょっとだが、お金がからんでめんどくさいことはちゃっちゃとすませて片づけたい私、早速集金に励みましたよ
以前と違うのは、この辺大きな屋敷が何軒かなくなり、それが細分化して売り出されて、そこに若い子持ちの家族が移住してきた感じ。そして蛇も出る23区だが、そこは都会で、周りにどんな人が住んでいるかはちょっと離れるとわからず、向こう三軒両隣でも、どんな職業だか、子供はどこの学校だかとか突っ込み突っ込まれないことが暗黙の了解というお行儀のよい地域である。
うちの前を毎日通る人くらいには挨拶して顔見知りになっているが、今回初めて姓名を認識した。
集金はあっけないくらい順調に進みましてね。仕事に出ているうちもあろうかと6時すぎくらいに回ったのだが、コロナ自粛の影響もあるのか、ほとんどが在宅。
それに役員さんから「今年は例年に比べて2か月活動期間が短かったしお花見もなかったから、同じ町会費なのかって言われる方もあるかもしれませんから、その時はこれをお見せしてね」と「こんなこともやってますよ」の言い訳集ももらったが、そんなのも全然必要なく、すんなりみんな払ってくれた。
お屋敷あとに引っ越してきた若い家族も
「ありがとうございます」「お世話になります」とか言ってくれて ごくごくマトモ。児童館の行事とかは回覧板を見ていくんですよ と言うお家もあり、そういえば家も孫がいれば参考にすることもあるのか・・と思った。
いずれにせよ、新住民はご近所として感じの良い人たちというのがわかって安心した。
思い起こすと以前の班長の時二軒の嫌な思いをしたのは お屋敷のジジババであった。
ジジは無駄にイバリンボで、自分のところの敷地の前の段差スロープに車がちょっとでも乗りあげると、なぜか窓から見て怒鳴る人。ワタシも一度、保育園の集団をよけて、爺の家のスロープに左前の車輪を乗り上げたら、すごい勢いで家から出てきて「ずれるだろ!どうしてくれるんだ!」と怒鳴られたことがあった。
(ずれてないし、保育園児をなぎ倒せっていうのかよ、くそじじい)と心で毒づきつつ「へえへえ、すんませんね」と窓から言って逃げた。
その後、
クソ爺は近くのファミレスの階段でなぜか店員と怒鳴りあいしたり、小学生の子供にも文句をがみがみ言っていたのを見たので、悪い方向へボケていっていたのであろう。そのうちいなくなったと思ったら家は壊され更地→再開発。
もう一人は婆で、バラの花がこぼれるきれいなお屋敷だったが、そこの奥様って感じの人が真っ白におしろいを塗りたくり、真っ赤な頬紅をして、スーツで朝から歩き回りはじめたこと。ちょっと認知症かなと思っていたが、デイケアの車が迎えにくると「ワタクシは行かないわよ」と施設の兄ちゃんと押し問答になっているのを何度か見かけた。
その屋敷に歳末助け合いの集金に行った時、夜七時ころであたりは真っ暗。出てきたのがそのババ様
「歳末助け合いの集金です」と言うと
「そうなってるんですか」
「任意ですが一応みなさまからいただいています」
「そうなってるんですか」
「だいたい一口500円で一口でかまいません」
「そうなってるんですか」
何を言っても「そうなってるんですか」としか返ってこなくて、あたりは街灯の明かりだけでほの暗く、歳末の風が木々を揺らし、世界に私とおババしか存在しないような気分になり(例えればジョルジョ・デ・キリコの世界をホラー方面にスライドさせたような感覚)ほんっとに怖かったのである。
最後に「そうなってるんですか」の後、おババは家に入り、こりゃあダメだな、あきらめようと思ったところで500円を持って出てきて無表情に払ってもらってほっとしたのを覚えている。
それからほどなく、婆もいなくなり更地→再開発
その屋敷あとは三軒くらい小さな家が建ち、バラや生け垣はなくなったが、元気な子供の声のする家になって今に至るというわけである。
で、話は長くなったが、最後に回ったのが家の隣のお屋敷。広い敷地に二軒たっていて、玄関が同じ道路沿いの奥様とは話はするが、裏のほうに玄関があるお宅のご主人とは一度も話したことがないくらいの距離感のうちである。
「あと一軒で終わりだ!今日中に終わる!」 と 訪ねたところ、そこのご主人が何やら玄関先でウロウロしていた。
ちょうどいいやと思って集金をお願いしたら、ちょっとお待ちくださいと引っ込んだ。
ちょっと時間がかかったのであたりを見回していたら、
玄関の頭上にこんな木が
こんな実がたくさんついているではないか。
財布を握りしめて出てきたご主人に
「これはなんていう木なんですか?」と聞いたら
「ヤマモモです」との答え。休みの日は庭の手入れをしていることが多い、そのご主人、植物が好きなようで、街路樹にするのはこの仲間だけど実がつかないとか、小学校の庭には同じ種類のもある とかそっち方面で案外話が弾んだ。(初めて話したけど)
で、一番気になっていた
「その実は食べられるんですか?」と聞くと
「食べられますよ。リカーにつけても綺麗なお酒になります」とのこと。私がそっち方面好きって見透かされたのであろうか・・・
「生でも食べられるんですか?」
「ええ、もちろん」とご主人笑顔、と同時に「これ、どうぞ」と渡してくれたのが
↓
ごそごそやっていたのはその実を収穫していたのであろう。あまりにもタイミング良すぎて、結果的におねだりした風になってしまったではないか・・・
こっぱずかしかったが、遠慮なくいただいてきてしまった。
ちょっとコレに似てるなんて思わなくもなかったが・・・
ところが、ホントにおいしいの! さわやかな酸味と完熟した甘みの融合! 夫が帰ってこない日だったので一人でいっきに食べてしまった。
ヤマモモ・・・ また機会があったら味わいたい野趣のある実。姑が植えていった梅の木は実はなるけど食べるまでがめんどくさいが、これを植えてくれたら「ああお義母さん、ありがとう」と毎年感謝したのになあと思ったのであった。