先週土曜日はドラ家の引っ越しであった。
一足先にドラはとりあえずの着替えくらい持って単身で飛んだが、その後の引っ越し(航空便・船便・倉庫行きに分けての荷物運びだし)とマンション清掃と引渡しはM子一人で行うという。私がドラを成田まで送りに行った際に寄った時、このまま引っ越しするの?と疑問なほどいままで通り、何も荷物はまとめてなかった。
大変だろうから土曜日と日曜日は予定を空けていつでも手伝うよと言ってあったが。
土曜日朝
「一人で大丈夫です。梱包は業者さんがやってくれるみたいだから。」
土曜日昼
「荷物運びだし終わりました。後は書類作成だけだから大丈夫です。今日は友達の家にとまりま~す」
土曜日夜
「掃除も大部分終わってるので 明日昼ごろ行って最後に点検して大家さんに受け渡します。その時来ていただけますか?明日は母も来ます。」
オットと一緒に日曜日の昼間に行ったら すっかり部屋はがらんどうになってM子のトランクと機内持ち込みのバッグだけが居間に転がっていた。
カーペット貼りの床はすっかり綺麗、水回りもぴかぴかである。
確かに借りていた期間は短かったが、しょっちゅうドラやM子の友達が来て飲んで騒いでいたはず、床にゲ☆のシミなんかついていないのは僥倖である。
私たちが行っても何もやることもなかった。
引渡しのために来た大家さんは、いかにもお金持ちそうな70代の老夫婦。ざっと室内を見て「不具合はありませんか? 綺麗に使ってくれてありがとう。残念ですねえ。短い間のご縁で」とあっさり見回りは終わり、敷金も全額返してくださるとのこと。
ホントにこの部屋は場所といい、作りといい、本当に良かった。今から私が住みたいくらいである。
この日M子はお母さんと成田エキスプレスに乗るのに便利なホテルに泊まるという。そこまで送っていって、空いた時間でまつげサロンに行くというM子を置いて、お母さんと麻布で軽食。夜は弟くんと一緒に日本最後の晩餐をするらしいので、そこは親子水入らずにしてあげた方がいいと思った。
自動車免許もドラの行った日に卒検を終え、次の日に筆記も通り、滑り込み取得済みであった。
「まるでチェックしてなかった二輪の問題がたくさん出たんで、落としたかと思いました~」とは言うもののこの忙しさの中を縫って1か月できっちり結果を出したのはあっぱれである。
あちらの空港に着いても ドラが迎えにくるのかどうかもはっきりしないらしい。
「その時にならないとわからないので いざとなったら自力でホテルまでがんばります」とM子
お母さんは
「大学に出すまでは、こんなたくましい子じゃなかったんですけど~~・・・」
ドラが苦労をかけたせいかもしれぬ。
そして出国の日。
一応空けてはあったのだが、私もドラと二人で成田まで行ったし、こういう時は母娘二人の方が気兼ねなくて良いかもしれない。
タクシーで東京駅まで行けば荷物もそんなに苦じゃないしと思って私は遠慮した。
M子から出国しますのメール
しばらくしたらお母さんから
「今から新幹線に乗ります。結局成田まで一緒に行きました。・・・中略 やはり多少の寂しさは否めませんね・・・」のメール
心配と期待を去りゆくものに託して、寂しさを懸命に耐えてまた日常に戻って行くのが親ってもんですね。
おお同志よ・・・
また何かあったら誘ってください とも書いてあったから今度は何か観劇にでもお誘いしようかな。
一足先にドラはとりあえずの着替えくらい持って単身で飛んだが、その後の引っ越し(航空便・船便・倉庫行きに分けての荷物運びだし)とマンション清掃と引渡しはM子一人で行うという。私がドラを成田まで送りに行った際に寄った時、このまま引っ越しするの?と疑問なほどいままで通り、何も荷物はまとめてなかった。
大変だろうから土曜日と日曜日は予定を空けていつでも手伝うよと言ってあったが。
土曜日朝
「一人で大丈夫です。梱包は業者さんがやってくれるみたいだから。」
土曜日昼
「荷物運びだし終わりました。後は書類作成だけだから大丈夫です。今日は友達の家にとまりま~す」
土曜日夜
「掃除も大部分終わってるので 明日昼ごろ行って最後に点検して大家さんに受け渡します。その時来ていただけますか?明日は母も来ます。」
オットと一緒に日曜日の昼間に行ったら すっかり部屋はがらんどうになってM子のトランクと機内持ち込みのバッグだけが居間に転がっていた。
カーペット貼りの床はすっかり綺麗、水回りもぴかぴかである。
確かに借りていた期間は短かったが、しょっちゅうドラやM子の友達が来て飲んで騒いでいたはず、床にゲ☆のシミなんかついていないのは僥倖である。
私たちが行っても何もやることもなかった。
引渡しのために来た大家さんは、いかにもお金持ちそうな70代の老夫婦。ざっと室内を見て「不具合はありませんか? 綺麗に使ってくれてありがとう。残念ですねえ。短い間のご縁で」とあっさり見回りは終わり、敷金も全額返してくださるとのこと。
ホントにこの部屋は場所といい、作りといい、本当に良かった。今から私が住みたいくらいである。
この日M子はお母さんと成田エキスプレスに乗るのに便利なホテルに泊まるという。そこまで送っていって、空いた時間でまつげサロンに行くというM子を置いて、お母さんと麻布で軽食。夜は弟くんと一緒に日本最後の晩餐をするらしいので、そこは親子水入らずにしてあげた方がいいと思った。
自動車免許もドラの行った日に卒検を終え、次の日に筆記も通り、滑り込み取得済みであった。
「まるでチェックしてなかった二輪の問題がたくさん出たんで、落としたかと思いました~」とは言うもののこの忙しさの中を縫って1か月できっちり結果を出したのはあっぱれである。
あちらの空港に着いても ドラが迎えにくるのかどうかもはっきりしないらしい。
「その時にならないとわからないので いざとなったら自力でホテルまでがんばります」とM子
お母さんは
「大学に出すまでは、こんなたくましい子じゃなかったんですけど~~・・・」
ドラが苦労をかけたせいかもしれぬ。
そして出国の日。
一応空けてはあったのだが、私もドラと二人で成田まで行ったし、こういう時は母娘二人の方が気兼ねなくて良いかもしれない。
タクシーで東京駅まで行けば荷物もそんなに苦じゃないしと思って私は遠慮した。
M子から出国しますのメール
しばらくしたらお母さんから
「今から新幹線に乗ります。結局成田まで一緒に行きました。・・・中略 やはり多少の寂しさは否めませんね・・・」のメール
心配と期待を去りゆくものに託して、寂しさを懸命に耐えてまた日常に戻って行くのが親ってもんですね。
おお同志よ・・・
また何かあったら誘ってください とも書いてあったから今度は何か観劇にでもお誘いしようかな。