この一週間、雪で大変だったけど、個人的には非常に楽しい行事もたくさんで充実した日を送っていた。
が、・・・ニュースを見るとロクな話がない。気分が悪くなるような怒りがこみ上げるような・・・
その中の一つ、桜宮高校の生徒の自殺問題とその後の話、それからいくつか考えた事を書いてみたい。
ブログ&リアル友達の広島の⑦パパさんが今日のブログでお子さんたちが出会った先生について書いていた。
☆ 忘れられない先生としてあるので懐かしい思い出かと思ったら「カスだった先生」と言うのでちょっと笑った。しかし内容を見ると笑ってすまされるような記事じゃなかった。
その時のお子さんや⑦パパ&ママの気持ちを考えるとこちらまで怒りがこみあげてくるような先生の話だった。
家の子供(ドラ&ムスメ)の学校生活、ムスメは小学校から高校まで同じ系列の私立で、毎年担任が変わったから12人とかかわったことがある。その中で??と思った先生は小学校3年の担任の一人だけだった。もう定年間近のおばあちゃんで、やる気も感じられないし、提出物なんかよく失くして、自分が失くしたくせに未提出として生徒を叱る困ったところがあったが、あとから出てくれば「あらごめんあそばせ」と一応は生徒に謝ってくれたし、全体としては悪気はないので親としては「またか・・」と思いながらも子供には「絶対に出したってみんなに覚えててもらおうね」など自己防衛手段を取るようにしたりでどうにか切り抜け一年過ごしたが、まあ許容範囲であったと思う。教科担任制だったし、もう一つのクラスの担任がきちんとフォローしてくれるところもあったし。
ドラはと言うと、小学校まで近くの区立、中学受験して中高一貫の男子校に行ったのだが、その男子校の先生はどなたも本当に良い先生だったと言う記憶しかない。制服もなく校則も殆どない学校だったが、ヤンチャ盛りの生徒も一応はこれ以上はしちゃいけないって歯止めも自分の中に持っていたみたいだし、野放図に見えながらもどうにかゆるい秩序も感じられる校風の中、先生たちは13から18歳までの男の子を一人の人間として尊重してくれる、自分たちも紳士といった人たちばかりだったような気がする。
しかし小学校は四人の先生 一年♀ 二年♂ 三・四年♂ 五・六年♀ と四人の先生にかかわったが、その男の先生二人が、どうしようもなかった。本当は一年の担任が二年に持ちあがるのだが、なぜか新任の♂が二年で担任になり、一年の厳しいけどきちんと指導するので定評のあった♀教師が作ってくれたやる気と秩序のあるドラたちのクラスを二年に上がってわずか2か月で混沌状態にしたのにはあっけにとられた。
声も小さく、言ってることがまるでわからず、これじゃ無理ないなあと初めての授業参観の時にまるで生徒たちが授業に集中していない姿に納得してしまった。
このままでは学力もつかないだろうなあと(一年の担任は毎日日記も書かせ、教科書の音読ノートや百マス計算、ドリルの宿題も出してくれて、学校の勉強でも結構しがいがあったのだ)Z会の通信などもやらせ始めたのは彼の酷い授業を見たからだったと思う。
しかしまだこいつは良かった、無能なだけで・・・
問題は三・四年の先生だった。ドラが三年になった時、同じ区の違う小学校から赴任した♂の当時40代半ばくらいのオヤジ。第一印象から私はガンコで酷薄って印象だったが、ドラに変な印象を与えるのもよくないと思って、その感想は言わなかった。
しかし、時が経つにつれ、そいつの依怙贔屓体質と暴力体質が明るみになってきたのよね。
詳しく書くと、はらわたが煮えくり返るので書かないが(私はそんなに執念深くない女と思うのだけど、我が人生、子育て周辺の人生の中で一人だけ許せない奴を揚げろと言われれば躊躇なくこのオヤジを揚げる)
ホントに卑怯で人間小さくてまるで尊敬できない人間であった。
しばらく観察してわかったのだが、こいつが嫌いな生徒たちは中学受験組の子たちだった。赴任してすぐに「先生が一人一人に今何を習ってるか聞いたよ」とドラが言った。ドラにはその時にピアノとサッカーと英語を習わせていた。そしてそれをそのまま言ったらしい。そうしたら「英語なんて今から習っても意味がないのにバカだな」とみんなの前で言われたそうだ。実はその頃オットに海外赴任の話があって(諸事情から断念したが)そのための準備として会話だけ習わせていたのである。そういう事情も知らずに、頭ごなしにバカと言い切る。その他もなんとなくドラやドラと仲の良いグループの子供たち(結果的には中学受験組)を目の敵にするようなヤツだった。
ドラの三年時、釈然としないながらもどうにかやりすごし、四年になった。ドラは四年の夏から本格的に中受の塾に行き始めた。それまでは私がずっと通信で教えてたし、本も(それ以上にマンガも)よく読む子だったので塾は苦にならなかったみたいだし、成績も上位をキープしていた。
ただ、学校じゃ絶対できるぶるな。S籐の前では塾に行ってる様子は見せるな。とドラに言い聞かせた。ドラは空気が読める子だったのでそれを守ってたらしいが、クラスでするテストなど時間があまるので困ったらしい。キョロキョロすると「カンニングするな」まで言われたよと聞いて怒りに震えたこともあった。学校の成績もこいつの二年間はどうしてこれだけテストができているのにこの評価?と言いたいくらい「大変良い」は殆どもらえなかった。(中学受験は内申というのがないので影響なかったが、これが高校受験で公立の中学に居て、こんなヤツが担任だったらと思うとぞっとする)
そのくせ授業参観などでは肝心のところで中学受験組に答えをまとめさせたり、社会の授業では手作りの動くグラフなんかをドヤ顔で示していたが、そのネタ元がそのまんま四☆大塚の予習シリーズ(それも改訂前の古いやつ)からのが丸わかりだったは笑止だった。
そしてこいつの一番許せないところは、気に入らない生徒を蹴るのである。(それもズボンで青あざが隠れる部分を)学校集会ですぐに並ばなかったと言われ、(女子の方が騒いでいたらしいのに)ドラとドラの仲良しが太ももにあざを作ってきたこともあった。ただ、ドラはそう凹まず友達も多く、学校生活自体はとっても楽しんでいたので私も我慢していたのだ。
今考えるとこいつとはもっと戦うべきだった。
だんだんわかってきた情報では こいつは教頭試験だかに何度か挑戦して受からず、やさぐれていたらしい。要するに担任という現場が嫌で出世したかったのにかなわなかったストレスを生徒で解消していたのであろう。
そして後から思えばこのS籐が目の敵にしていた生徒は N銀、通☆省官僚、弁☆士、☆師、大☆教授の子弟だった。
ホント今思うとゆがんだやっかみで心がいっぱいでちっちぇえオトコだなと思うが、あの二年間の怒りと心配に支配されていた日々は思い出したくない思いでである。(ついに書いちゃったが)
しかし後で聴いて溜飲が下がったのは、ドラたちが五年になってこいつの担任をはずれた後、その頃流行っていた玉置浩二の田園と言う曲にS籐の悪口の歌詞をつけて学校中にはやらせたことである。S籐はカツラをかぶっていたのでその辺の情報も歌詞にたっぷり入っていてホントによくできた歌であった。
S籐はまた三年の担任におりて、そこでも生徒たちに嫌われていたが、五年になったドラたちの仲間は後輩にその歌を伝えハゲましたり、S籐の前を「ゲーハー、ゲーハー」と言って通り過ぎるゲームなども流行らしたと言っていたw
「ほどほどにしなよ」とドラたちに注意はしたが、仲良しのママにその歌詞を教えて気持ちよく笑ったのを覚えている。
そして三年の親たちは私たちの学年より強かったらしく、S籐を糾弾して一年で担任をはずし、S籐は次の年も三年の担任を二度やってから違う学校へ去って行った。
ドラと一番仲の良かったN銀の子弟は無事に御三家に受かり、そのママがそれを学校に報告に行ったところS籐にバッタリ会ってしまい、「どこに受かったの?」と聞かれて合格を告げたところ
「ああいう学校でできる子ばっかりの中に入ってダメになっちゃう子も多いからねえ」と言う「忠告」をもらったそうだ。
「まずおめでとうじゃないのかしらね?」とそのママは私に言い、ホントにちっちぇえオトコ、ある意味気の毒なおっさんと思うことにした。
教師になるべきじゃなかったのであろう。
で、桜宮の先生の話である。
今回の事でTVでインタビューされる一般の人たちとか私のリアル友達の一部の人たち、案外「体罰すると強くなることもあるのよね~」と言ったことにびっくりした。
私自身は親にも教師からも叩かれたことの記憶がほとんどない。自分の子供にはまだ言ってもわからないけど命にかかわる時(車の前に飛び出しそうになるとか)だけは叩いたけどそれ以外はない。
ホントにひっぱたくと強くなるの?
話は飛ぶが、小学校の低学年ころの話であった。私は祖父と父と居間のTVで邦画を一緒に観ていた。それは勝新太郎が出ていた兵隊やくざというシリーズものだった。よく覚えていないが、一番下の身分の兵隊が、ちょっと上の兵隊に理不尽にびんたされたり蹴られたりする場面が出てきた。
暗い汚い場面の映画だったし、その場面が嫌で、私は気持ちが悪くなったのを覚えている。
祖父は「軍隊なんてこんなのばっかりでいじめられた奴は下をいじめるんだよ」と言った。
それがあるトラウマなったのか、こういった軍隊式しごきとか気合を入れるための暴力みたいのは頭から受け付けないのである。
私も人間関係において、理不尽な部分でやられたらやり返すのは信条としているが(普段は平和主義ですわよ)やり返すのはあくまでもやられた相手であり、やられたうっぷんを自分より弱い人で晴らそうと思ったことはない。却ってみじめになるような気がする。
この桜宮の先生が、報道をうのみにすると30発以上、顔が内出血して唇が切れるまで、自殺した生徒を痛めつけたとしたら、指導でなくしごきであろう。サディスティックとまで思う。
彼に限らず、私の嫌いな軍隊式しごきってのは成育歴などからゆがんだ部分が生じてしまった人間が、たまたま権力を持っちゃったところで、その恐怖支配する図式でしかないと思う。
教育現場では、生徒が先生に暴力をふるった時の自己防衛、他の生徒に対してのひどい苛めや暴力を止めようとして止まらなかった時、学級崩壊に通じる授業妨害などわかってて他の生徒に対する迷惑行為を口で言ってもやめない場合は体罰も仕方ない局面もあると思う。
ただ、スポーツで強くなるための指導で暴力ってのは嫌だ。
こんなので強くなって優勝してもうれしかないや。私はね。
それにしても 大阪市長さんの今度の処置はどうしたものか?
この時期に 入試を行わないとか体育指導教師を取り換えないと補助金を出さないとかってのは、権力を持った人の恐怖支配って意味じゃ桜宮の体育教師と似たりよったりと思うんだけど・・・
ホントに子供の事を考えていると思えないし、こんな処置がまかりとおったら、自殺した生徒も願ってなかったろうし、残された親御さんもいたたまれないのじゃないだろうか?
どうもこの人のその場限りのポピュリズムっぽい姿勢と無駄に攻撃的なところが兵隊やくざの軍曹みたいでとっても嫌だ。