萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第50話 青嵐act.1―side story「陽はまた昇る」

2012-07-15 23:46:48 | 陽はまた昇るside story
青の色彩、空も山も想いすらも



第50話 青嵐act.1―side story「陽はまた昇る」

机にオレンジの光、射す。
ゆるやかな黄昏は学習室を充たし、広げた資料はオレンジ色に染まりだす。
ふと目をあげた窓に金色の雲が流れていく、その色彩がすこし黒ずんでいた。
こんな空のときは湿度が高く上空の風が強い、きっと雨が降る。この予測に英二は内心、溜息を吐いた。

―今夜は雨か、奥多摩はどうだろう?

夜間の天候不順は、特にテント泊の場合は影響が大きい。けれど今、奥多摩は勧告が出ているからテント泊は少ないだろう。
それでも今5月、寒気と暖気が交差する季節の変わり目は界雷と、それに伴う集中豪雨や雹も怖い。
単に雨が降るだけでも翌朝の濃霧と地盤の緩みに注意が必要になる、雨後の山は土が水含んで崩れやすい。
そうすると滑落、道迷いなど遭難の可能性も高くなる。

―明日は出動、無いと良いな…あまり、単独で現場に行かせたくない

いま英二は警察学校で初任総合の研修中でいる。
だからパートナーの光一は単独行での救助活動になってしまう。
いま同じ理由で単独の大野と臨時で組んではいる、けれど大野と光一では体格が違い過ぎてザイルパートナーにはなれない。
たしかに、光一は英二の配属前は単独だったから馴れている、それでも心配にはなる。

「…このあと、雨かな?」

穏やかな声に話しかけられて、英二は振向いた。
振向いた先で黒目がちの瞳は微笑んで、すこし心配そうに周太は言ってくれた。

「雨だと、遭難とか心配だね?…光一なら大丈夫だろうけど、」

自分が考えていたままが、言葉に変えられた。
それに驚きながらも嬉しくて、英二は婚約者に微笑んだ。

「周太。俺の考えが、解かるの?」
「ん、なんとなく、ね…」

優しい笑顔で頷いて、ふっと周太は言葉を呑みこんだ。
なんだか気恥ずかしげな顔、けれど羞みながら婚約者は続けてくれた。

「だって…わからないとこまるでしょ?」

ほんとうは「夫のことなら解らないと」って言っているよね?

こんなの嬉しい、こっちこそ困ってしまう。
嬉しくて愛しくて、キスしたくなりそうで困る、ここは学習室なのに?
でもキスしたい、どうしよう?

そんな幸せな「困る」が意識を廻ってしまう。
ちょっと自室に戻ろうって誘おうかな?そんな考えに口開きかけた時、声が掛けられた。

「おつかれさま、湯原。ちょっと良い?」

やっぱり、来たな?

婚約者の名字を呼んだ声に、英二は目をあげた。
あげた視線の向こう佇んだ精悍な笑顔に、つい心裡しかめっ面をしてしまう。
俺が一昨日から気にすることを話しに来たな?そんな予想の隣、素直に周太が笑いかけた。

「おつかれさま、内山…なに?」
「今度の外泊日のことなんだけど。ごめん、宮田、勉強の邪魔して、」

邪魔してるの、それだけじゃないんだけど?
そんな内心の声を押えて、英二は笑いかけた。

「いや、大丈夫。今度の外泊日、って今週末の土曜?」
「うん。湯原と昼飯、一緒しようって約束したんだ。この間の事例研究のこと、詳しく教えてほしくてさ」

素直に答えて内山は笑ってくれる。
いま言っている「この間の事例研究のこと」は、周太が話した痴漢冤罪の話だろう。
あのボールペンを使う遣り方は面白いと自分も思った、きっと勉強熱心な内山なら詳しく訊きたいだろう。
そう納得しながらも、つい考えがめぐりだす。

―ふたりきりで、飯するんだよな…阻止できないかな、なんか良い理由ないかな

やっぱり阻止したい、それが本音。
けれど、それを周太に言うことは流石に子供っぽい。

「湯原、週末は実家に帰るんだよな、どこなら都合良い?」
「ん…内山は、どこが良いかな?」
「俺から誘ったんだ、湯原に合わせるよ、」

この今も内山の表情からは、単純に話したいだけだと解かる。
それでも自分はどうしても嫌だ、そんなワガママが心に起きている自覚が痛い。
そんな自覚に我ながら微笑んだ時、やさしいボーイソプラノが声をかけてくれた。

「宮田くん、今、話しかけても良い?」
「うん?」

声に振向くと、瀬尾と関根が並んで立っていた。
ふたり揃って何の用かな?そう目で訊いた英二に、関根が快活に尋ねた。

「あのさ、山岳救助隊の自主トレ、参加させて欲しいなって話してたろ?アレ、外泊日の時なら予定が合うかな、って思ってさ」

―それ、名案。

心のつぶやきに「阻止する方法」が纏まった。
纏まった考えに英二は微笑んだ。

「今度の土日だったら、ちょうど副隊長も一緒に自主トレするんだ。それに参加すると、勉強になると思うけど?」
「あ、それ参加したい、俺。あの名ガイドで護衛官の方でしょ?」

瀬尾が即答に身を乗り出してくれる。
この反応は予想通り、思ったとおりが嬉しくて英二は笑った。

「そう、後藤副隊長は最高の奥多摩ガイドで、最高の山ヤの警察官なんだ。どうせなら、副隊長と話してみたいだろ?」
「話したいな、俺。後藤さんの本、持って行ったらサインとか頂けるかな?」

この反応も、警察マニアと言われるほど警察官に憧れていた瀬尾らしい。
もうこれで日程は決まりだろうな?そんな考えと英二は頷いた。

「うん、副隊長は気さくな方だからね。すごく照れるだろうとは思うけど、」
「勲章とか貰ってる人だろ?それなのに気さくなのって良いよな、俺も会ってみたい、今週末にしようぜ?」

快活な笑顔で関根も賛成してくれる。
この笑顔が、自分のワガママを叶えてくれると良いな?そう見た先で関根の大きな手が、ぽん、と小柄な肩を叩いた。

「湯原、おまえも参加するよな?自主トレ、」
「ん?…自主トレ?」

内山との会話を中断させて、周太は関根に首傾げた。
なにのことかな?そう見つめる黒目がちの瞳に関根は、快活に誘ってくれた。

「山岳救助隊の自主トレ、一緒に参加しようって約束しただろ?アレ、今週末に決まったから。良いよな?」

約束の、ダブルブッキング。

どちらを周太は選ぶだろう?この場合の優先順位は、どっち?
この「賭け」に不安を隠し見つめた先、困ったよう周太は首を傾げこんだ。

「…今週末になったんだ?」
「おう。救助隊の副隊長、今週末は宮田たちと自主トレするらしいんだ。そのとき参加したほうが勉強になるだろ?」

後藤副隊長は周太の父の友人で、幼い日の周太を救けてくれた。
そんな後藤を周太は尊敬し、好きで、「お元気?」とよく英二にも訊いてくれる。
その後藤から山岳訓練を受けられるチャンスを、周太はどうするだろう?

「あ、後藤さんから、指導してもらえるの?」

行きたいな?
そう黒目がちの瞳が明るんだのを、英二は見た。
このまま頷かせてしまいたい、そんな想い正直に英二はきれいに笑いかけた。

「そうなんだ。副隊長、光一と俺のコンビネーションをチェックしたいって言ってさ。個人指導してくれるんだ、」
「光一との?…それ、本格的な訓練じゃないの?参加して、邪魔にならないかな?」

遠慮がちなトーン、けれど「行きたいな」が強まっている。
このあいだ川崎に帰った夜、すこし周太は光一に嫉妬してみせた。だから光一を出せば周太は来てくれる?
そんな計算に良心を呵責しながらも、英二は答えに微笑んだ。

「邪魔になんかならないよ?副隊長、周太に会いたがっていたし。きっと来てくれたら喜ぶよ、でも、」

いったん言葉を切って、英二は小さく溜息吐いた。
そして内山へと顔を向けて、精悍な目へと真直ぐ笑いかけた。

「内山との約束があるんだろ、今度の土曜日って?自主トレは後から決めたんだしさ、」

後から決めたけど、こっちを優先してよ?

そんなワガママ勝手を心に呟いてしまう。
こんな自分こそが嫉妬深い、狡い自分に我ながら呆れてもいる。
けれど自分は周太に2枚のカードを切った、「光一」と「後藤副隊長」この2人は引力が強い。

「ん、そうだよね?…後から、だし…」

迷うよう周太が言った、そのトーンが「残念だけど、」と曇っている。
こんなに困らせていること、罪悪感。けれど英二はもう1枚のカードを捲って見せた。

「そうだな?でね、周太。日曜は吉村先生も参加してくださるんだ、質問あれば聴いてくるよ?」
「え、吉村先生も?…もしかして、遭難現場の講習とかするの?」

すごく行きたい、

そんな素直な想いが黒目がちの瞳に映りこむ。
きっと周太の意志は大方「自主トレ」に傾きかけている、その傾きに英二は最強のカードを切った。

「うん、危険箇所や最新の応急処置をね。こっちの講習には、美代さんも参加するらしいよ、」

言いながら英二は携帯を開くと、さっき受信したばかりのメールを呼びだした。
開いた画面を周太に見せて、きれいに英二は微笑んだ。

「たぶん、周太にもメール入ってると思うよ?」

From  :小嶌美代
Subject:今週の日曜日
本 文 :こんにちは、おつかれさまです。
    日曜の吉村先生の講習会、私も参加します。よろしくお願いします。
    湯原くんも参加するよね?もし声かけていないなら、絶対に誘ってほしい!
    私もメールします。   

「英二、美代さんに、お願いされてるね?」

嬉しそうに、困ったように、周太は微笑んでいる。
そんな雰囲気を心で喜びながら、英二はすこし困った笑顔で頷いた。

「だな?でも、美代さんには悪いけど、仕方ないよ、」

気にしないで?
そう笑いかけた視線の先、その隣で精悍な笑顔が口を開いた。

「湯原、俺の方はいつでも良いから。今週末は、青梅署に行ってきなよ、」

そう言ってくれるよな、内山?

そんな予想通りの展開に英二は微笑んだ。
微笑んだ前で、遠慮がちに周太が内山に尋ねた。

「いいの?…でも、先に内山と約束したのに、」
「気にするな。美代さんって子も、待ってるんだろ?お世話になってる方も多いみたいだし、そっち行く方が良いよ、」

やっぱり内山って良いヤツ。

こんなゲンキンな感想に心笑ってしまう。
それでも穏やかな笑顔のまま見守る先で、嬉しそうに周太が微笑んだ。

「ありがとう、内山。今週末は、奥多摩に行かせてもらうね?」

大成功。

そんな心の声に我ながら呆れて、けれど本音、嬉しくて仕方ない。
勝手な嫉妬とワガママで邪魔をしてしまった、そんな自分に呆れてもいる。
けれどそれ以上に、週末も一緒にいられることが幸せで。



消灯前の点呼が終わり、いったん自室に戻ると携帯を開く。
発信履歴から呼びだした番号に架けて、コール0すぐ繋がった。

「おつかれ、光一。そっちの天気どう?」

開口一番、天候を訊いてしまう。
山では天候の変化が生死の分岐点を作りだす、だから気になる。

「おつかれさん、いま雨が降り出したよ。明日は霧かもね、」

からりテノールが笑って答えてくれる。
その明るさに寛いで英二は笑った。

「そっか、明日は気を付けろよ?でさ、土日の自主トレの件なんだけど、」
「周太と同期が2人、参加したいんだろ?」

さらっと言われて驚いて、けれどすぐ納得できる。
いつも周太は消灯前の時間に光一と電話する、それで先に話してくれたのだろう。納得に英二は頷いた。

「そうなんだ、大丈夫かな?」
「問題ないね、ま、一部は見学になるかもだけどさ。コースどうするか、考えとくよ」

笑って請け負ってくれる、そんな信頼感が嬉しい。
嬉しく微笑んで英二は訊いてみた。

「ボルダリングはどう?忍者返しの岩だったら、周りに色んなレベルのがあるし、」
「うん、俺と同じ意見だね。じゃ、それで決まりな、」

テノールの声が賛同をしてくれる。
そしてすぐ、次の提案をしてくれた。

「でさ?どうせだったら、夜は避難小屋に皆で泊まるの、どう?」
「お、それいいな…」

いい考えだな?
そう素直に頷きかけて、ひとつ懸念を英二は口にした。

「なあ?埼玉県警から連絡があった強盗犯、まだ捕まっていないんだろ?無人小屋の宿泊制限は、まだ?」
「だね。でもまあ、コッチも全員、警察官だしね?」

ちょっと悪戯っ子なトーンで言ってくれる。
なにを考えているか解るな、可笑しくて英二はすこし笑った。

「光一、単独のときは深追いするなよ?」
「はいはい、拳銃ちゃんと持ち歩いてるよ、業務中はね、」

からり笑う声は元気に明るい。
この明るさに少し救われる自分がいる、今、罪悪感が本当は痛いから。
いま初任総合の研修中で、毎日を周太の隣に過ごしている。その幸せな時間に表裏する時間を考えてしまうから。
自分が周太と幸せな時間、光一は独りになる。その孤独と寂寥に罪悪感が痛い。
こんなに痛がっても仕方ないと解っている、それでも光一の想いが心映るよう感じられてしまう。
こんな想いをするのは『血の契』だからだろうか?この絆に微笑んで英二は口を開いた。

「光一、今日は夕飯、旨かった?」
「うん?まあね、麻婆茄子で旨かったけど。ソッチはなんだった?」
「よかったな、光一の好物だったんだ。こっちは焼き魚だったよ、周太が鰆だ、って教えてくれた、」
「旨いよね、アレも。でさ、周太の様子はどう?」

愉しげな会話の中に、ふっと緊張が走る。
いま光一が訊いたことの意味を見つめながら、英二は記号で話した。

「うん、いつもどおり可愛いよ、でも俺、ちょっと今日は意地悪したかもな、」
「いつもどおりなら良かったね。で、意地悪ってなに?」

いつもどおり。
この言葉の意味は「まだ『Fantome』の謎は解かっていない」ということ。
そんな意味に安堵した気配のテノールに、英二は微笑んだ。

「同期とサシで飯食うの、邪魔しちゃったんだ、」

現状の「解かっていない」を保ちたいから、出来るだけ他の人間と2人きりは阻止したい。
もう既に周太は藤岡と2人きりのとき、何げない会話からヒントを得てしまった。
あんなふうに周太は聡明で鋭い、だから今回も「2人きり」は避けたい。

―ま、単純に「ふたりきりで飯なんかいかないで!」って、嫉妬も大きいけど

こんな本音と理由とに笑ってしまう。
笑った向こう側で光一が、可笑しそうに訊いてくれた。

「なるほどね、それで自主トレ参加なんだね?」
「やっぱり解っちゃうよな?」
「まあね。おまえも大概、嫉妬深いからね。で、その同期ってどんなヤツなワケさ?」

さらり笑って「確認」を訊いてくれる。
この確認に英二はポイントだけを答えた。

「周太と首席争いしてるヤツだよ、東大出身でね、ほんとはキャリアになりたかったらしい、」

東大出身、キャリア。

この2つに、ひっかかる。
あの50年前の事件の発端に見た事実と重なりだす、そんな2つだから。
だから尚更に内山と2人きりにしたくなくて、ずっと土曜日から考えてきた。

―ごめん、内山…おまえを疑うわけじゃないんだ、でも

いま周太も聴講生として通学する晉と馨の母校、そこにある可能性は?
晉に「隠匿」を勧め、事実協力を惜しまなかったのは?
馨に警察学校を奨めたのは?

それらを知ってしまう危険性は、すべて潰してしまいたい。
単に英二と同じ所属署、それだけの藤岡ですら危険性を作ってしまった、何げない会話に。
それも英二のミステイクが発端だと解っている、あんなふうに自分が他にミスを犯していないか100%の自信は無い。
だからこそ、どんなに小さな可能性でも「危険」なら遠ざけてしまいたい。

「ふうん、東大でキャリアねえ。ま、おまえの嫉妬も悪くないんじゃない?」

的外れじゃないね?
そう告げてくれる言外に、英二は微笑んだ。



ボルダリング『Bouldering』

フリークライミングの一種で、2mから4m程度の岩や石をザイルなどの確保無しで登攀する。
確保無しで登るから必要な装備が少なく、手軽にはじめられる。
このボルダリングのフィールドとして御岳渓谷は名高い。

「宮田、おまえ、すげえ速いな?」

白狐岩から降りてきた英二に、驚いたよう関根が褒めてくれる。
こういうの照れるな?ちょっと困り顔で、けれど素直に英二は微笑んだ。

「ありがと、でも国村のがすごいよ?」

言いながら指さした先、英二と入れ替わりで救助隊服姿が岩肌にとりついた。
するり身軽なこなしに登りあげ、あっと言う間に高度を稼いでいく。
そして頂上に立つと、またすぐ降りて英二の隣で光一は笑った。

「はい、お待たせ。あんなカンジで登ってみて?」

からり明るいテノールで関根に指示をする。
白狐岩を見上げチョークを手に付けながら、素直に関根は訊いた。

「国村さん、いつもこんな感じで宮田と登るんですか?」
「だね。でさ、敬語じゃなくって良いからね。俺たち、タメだしさ、」
「それ、助かる。俺、敬語ってちょっと疲れるんだよな、」

普段の気さくな話し方になって、関根は笑っている。
そんないつもの快活な笑顔に、テノールが率直に言った。

「へえ、良い笑顔するね。こういうとこ、宮田の姉さんは惚れたってコト?」
「あ、そのへんも知ってるんだ?やべ、ちょっと照れてきた、」
「ふうん。もしかして、初彼女ってトコ?」
「当たり。だからさ、あんまイジメないでくれよな?」
「それは約束できないね、俺ってエロオヤジだからさ。さて、スタンバイはいいね?」

いつもの気さくな調子で光一が笑っている。
救助隊制帽のした底抜けに明るい目は愉しげで、渓谷の風に目を細めて指示を出した。

「スタートしたすぐのホールド、そこに立つのがちょっと難しいよ。ま、焦らずにルートよく見て登ってね、」
「おう、じゃ、行くな、」

快活な笑顔を見せて、関根は岩に向き直った。
そして英二と光一が付けたチョークの痕へと手足を運び、白狐岩を登りだした。
初めてにしては軽い身のこなしが着実に岩肌を進んでいく、その背中に感心したよう光一が笑った。

「ふうん、関根くんって巧いね?ボルダリングは初心者だろ?」
「うん、今日が初めてだって言ってたけど、」

答えながら英二は心裡、遠野教官の人選眼に感心した。
光一のザイルパートナーが欲しい、その要望に後藤副隊長が提示した条件に遠野は英二と関根を選んだ。
その選択は正しいと、今日の関根を見ていて解かってしまう。

―関根、もう光一とタメ口で喋って、笑わせている

快活で真直ぐな関根は、明るいけれど気難しい光一と相性が良いのだろう。
もし自分ではなく関根だったら、今頃どうなっていたのかな?
そんな考えと佇んだ英二に、涼やかな風が吹きかけた。
風は、樹木と水の香ふくんで、どこか優しい。

―ここに卒配されて、よかった

素直な想い微笑んだ向こう、さあっと山から吹き下ろす風は清流を渡り、頬撫でていく。
駆け抜ける風は渓谷からまた山に戻り、新緑きらめかせ山肌ゆらがせる。
緑の風、五月晴れの青、そして渓谷は砕ける流に碧が輝いていた。

「瀬尾くん、ほら、ここに手を掛けるんだよ、」
「はいっ、」

後藤副隊長が指導する声と、瀬尾の返事する声が聴こえてくる。
声に振向くと白狐岩の一つ下流の岩上、周太が心配そうに下を覗きこんでいた。
そこをめざし登りあげていく瀬尾の、懸命な横顔が紅潮に染まっている。
そうして小柄な体は岩の頂上に手を掛けて、周太の隣に立った。

「出来たよ、俺にも…ね、出来た、」

息弾ませたボーイソプラノが、嬉しそうに笑うのが風に聞えた。




(to be continued)

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第49話 夏橘act.5―another,side story「陽はまた昇る」

2012-07-15 01:18:40 | 陽はまた昇るanother,side story
※念のため中盤はR18(露骨な表現は有りません)

夏橘、つたわる想いに記憶と重ねて



第49話 夏橘act.5―another,side story「陽はまた昇る」

きゅっ、

ちいさな音にシンクの蛇口を閉める。
その指に、ほのかな緊張がふるえてしまう。
このあと始まる時間の予兆が、すうっと首筋から熱を昇らせていく。
夕食の前に英二が告げた約束が鼓動に変わっていく、ほら、もう頬も熱くなる。

「周太、」

きれいな低い声に呼ばれた名前が、ときん、と心をノックする。
気恥ずかしさに振向けない背中が温かな懐に抱かれて、前に回された長い指がエプロンの紐にふれた。

しゅっ、

かすかな衣擦れの音に結び目ほどかれて、肩紐が外されていく。
藍色のエプロンが白皙の掌に絡めとられ、傍らの椅子に掛けられた。

「おいで、」

言葉と一緒に長い腕が体に回され、ふわり抱きあげられる。
近づいた切長い目が瞳のぞきこんで、幸せに微笑んで唇にキスふれた。
ふれたキスが、熱い。

「…あ、」

キスの熱に声こぼれて、気恥ずかしさが込みあげる。
そんな周太に端正な笑顔ほころばせて、幸せに英二が囁いた。

「可愛いね、周太…風呂、入ろう?」

ふたりきり風呂に入ることの意味が、首筋と頬を尚更に熱くする。
この家の浴室はタイル張りで広い、そこでこれから始まることは、恥ずかしくて。
こんなの何度あっても馴れない、気恥ずかしさに本当は逃げ出したい。
けれど英二が望むことなら叶えたくて、そっと周太は頷いた。

「はい…」

返事した声がちいさい。
けれど愛するひとは幸せに微笑んで、ステンドグラスの扉を開いた。



白いシーツに埋められた肌、湯に熱ったまま潤んでいる。
スタンドライトのオレンジに照らされる体を、恋人の視線が見おろし微笑む。
こんなに見つめられるのは恥ずかしい、どうにか隠したくて身じろぎ、俯せた。

「周太、恥ずかしがってるの?」

訊かないで、わかっている癖に?
そんな想いに腕を伸ばしてリネンを取ろうとした掌を、長い指の掌に掴まえられた。

「ダメだよ、周太。隠さないで?…ずっと我慢していたんだから、見せてよ、」
「…うそ、先週も先々週も、…見たくせに、」

そっと言って肩越し見つめると、見つめ返す切長い目が熱っぽい。
そんな視線に絡めとられて目が逸らせなくなる、けれど周太はすこし素っ気なく口をきいた。

「さるぐつわして、手まで縛って…好きなだけ見たでしょ?あんなことしたくせに…光一のことまで無理にしたりして、」
「周太、嫉妬してくれるの?」

うれしげに英二は笑って、白皙の肌で背中を抱きしめてくる。
なめらかな温もりが背中から偲びこむ、頬よせられる端正な笑顔が愛しくなってしまう。
それなのに、なんだか拗ねたい気持ちになってしまって、周太はそっぽを向いた。

「しらない、もうさせてあげない…無理やり光一のことしちゃうくらい、おれじゃふそくなんでしょ?…しらない、」
「そんなこと言わないで、周太?…ね、好きにさせて?命令してよ、」

訴えてくれる声が、すこし必死になっている。
背中から抱きしめてくれる腕が、すこし縋るよう力こめられて切ない気持ち伝わってしまう。

「周太、お願いだから、命令して?気持ちよくして、って言ってよ?…我慢できなくなるから、」

言葉が吐息に熱い、ふれる肌もどこか熱くなって、背中越しの鼓動が速くなる。
そんなふうに全身から訴えかけられて、小さな声が周太の唇から零れた。

「…して、」

ごく、ちいさな声。
けれど言った同時に首筋へと熱いキス落とし、恋人は微笑んだ。

「するよ?周太…今夜はずっと、」

囁きながら瞳のぞきこんで、唇キスふれる。
深いキスに熱しのびこみ、意識ごと絡めとられていく。吐息も出来ないキスが心ごと奪い去っていく。
こんなふうにされたら変になってしまいそう、キスだけでこんなふうなんて?

「…あ、…まって、」
「まてない、周太…さっき焦らしただろ?もうダメだよ…言うこと聴いて、」

キスが首筋をふれて、背中へとキスが降りていく。
ふっと熱が留まり肌へと食いこんで、またキスと熱は伝うよう降りてしまう。
こんな熱いキスに肌ふれられて、刻まれて、うつぶせたシーツを周太は握りしめた。

「…ん、っ、」

熱のキスが、秘められた谷間の入口ふれた。
ふれるまま長い指の掌が、やわらかなところを押し開いていく。
自分で見たこと無い所に視線ふれる、このままされることが鼓動を鳴らして、周太は肩越し振向いた。

「…えいじ、まって…あっ、」

視線ふれた所へと、熱のキスがふれた。
やわらかに潤う熱がゆるやかに動く、細やかな熱が体ほぐしだす。
あまやかな熱が蕩かしていく、敏感な場所から心ほどかれ始めてしまう。
ほどかれるまま吐息こぼれていく、恥ずかしさが尚更に感覚を呼んでいく。

「…っん、あっ、」

長い指が入りこんだと、あまい感覚に教えられる。
もう浴室でほどかれたままに、抵抗もなく受け入れて深い所がふれられる。
ふれられるまま素直に感じてしまう、それが恥ずかしいのに声はこぼれだした。

「あぁっ…や、あ、…あ、」
「周太…可愛い声だね、…好きだよ、もっと聴かせて?」

囁く声も熱くて甘い、聴覚から意識が蕩かされていく。
いつもと同じよう右腕の深紅の痣にキスふれる、また強く吸われて痣が深くなる。
この場所にもう幾度、くちづけに想い刻みこまれたのだろう?

「…この痣もう消えないね、周太、」

囁きが耳元くすぐって、うなじを熱のキスがなぞりだす。
あまやかな熱が感覚を呼び起こす、その向こう体の芯を長い指が愛撫する。
この先をされたら、きっと本当におかしくなってしまう、どうしたらいいの?
途惑うまま肩越し振向いて、婚約者を見つめて唇をひらいた。

「…おねがい、えいじ、まって…へんになっちゃうから」
「いいよ…変になって、周太?」

きれいに微笑んだ瞳が、熱い。
こんな熱っぽい眼差しは、見つめられるだけで心囚われてしまう。
そんな想いに頬熱くなったとき、指が抜かれて熱がゆるやかに押し入れられた。

「ああっ、」

声が上がる、恥ずかしさが背中を染めあげ熱い。
それ以上に熱い感覚が、あまく体の芯に入れられていく、もう心が感覚の虜にされてしまう?

「や、あ、…っ、」
「しゅうた…っう…きもちいいの?」

長い腕が背中から抱きしめて、長い指が体の中心へと絡まりだす。
ふたつの感覚に掴みこまれた体が、煩悶の声をあげた。

「だめ…あ、ぅ…」

声は抵抗しようとする、けれど体はもう力が抜かれてしまう。
シーツ握りしめた掌も力が消えてしまいそう、もう意識から溺れこまされる?
どうしたらいいの?途惑いが涙になって喘ぐ声とこぼれおちた。

「ああっ…ぅ、っ、ん…や、」
「可愛い声…もっと感じて、周太?…っ、」

きれいな低い声の幸せで、悩ましげなトーンで耳元に囁く。
ふれる肌と肌のはざま燻らす熱、あふれる想いのまま熱くなる。
深く繋がれた体の感覚に心が結わえられ、愛しさが融けあって強くなる。

「…周太、次は、周太が俺に入って、」

体の芯から熱が抜かれて、うつぶせた体がそっと仰向けられる。
熱に潤んだ視界で見上げた先で、切長い目が切なく微笑んだ。

「きれいだ、周太…色っぽくて、狂わされる…ね、命令して?俺に入りたいって、言ってよ」

お願い、命令して?
そんなふう切ない瞳と声にねだられて、素直に周太は微笑んだ。

「…えいじにはいりたい、お願い、えいじにさせて」
「あ…周太、」

幸せに切なく笑って、静かに白皙の顔が紅潮にそまる。
きれいな羞んだ唇が胸にキスをして、そのまま肌をキスすべらせて体の中心にキスをした。

「あっ、」

心ごと体ふるえて、熱い唇に呑みこまれる。
やわらかな熱に包まれ、ほどかれ、こみあげる熱さに声があがった。

「んっ…えいじさせて、」

いま、自分はなんて言ったの?
自分が言ったことに驚いたむこう、唇の熱に介抱されて、長い指が薄いものを被せていく。
そうして白皙の腰が、ゆっくりと沈められた。

「周太、…っ、」

恋人の声こぼれて、きれいな煩悶の貌が瞳を奪う。
こんなふうに体交わす肌が熱い、こんな熱っぽい夜が怖くて愛しい。

「…え、いじ、っん、あ…」
「しゅうた…感じてるね、俺の中で…っ、いま、きもちよかったろ?」
「…はずかしいからきかない、で…ばか、…やっっ、あ、」

このまま、今夜、どうなってしまうの?
そんな不安な想いが揺れる、けれど自分の喘ぎ声があまく艶めかしい。
このまま熱い甘さに溺れて、ふたり感覚と記憶を重ねればいいの?
とまどい想いが瞳から涙こぼれていく、けれど、離してほしくない。

…あと何回、こんな夜を過ごせるの?

ふっと心こぼれた想いに、途惑いの涙は愛しさの涙に色を変えた。
ふれあう熱が愛しい、この甘い感覚が愛しい、こみあげる吐息が愛おしい。
なによりも今、この熱も感覚も重ねあい共有している、このひとが愛おしい。このひとの笑顔を護りたい。

「周太、…愛してる、」

きれいな声が伝える想い、きれいな眼差しにも伝えられる。
この愛しい心へと微笑んで、周太も想いを声に変えた。

「愛してる、英二…ずっと、」

この今ふれている、この想いも熱も、全てが愛しい。
この想い抱かれていく愛しさに、ふっと橘の香が素肌にふれた。




夏蜜柑の香が、ゆるやかに家を廻らし温めていく。
黄金の実を洗い、切って剥いて、菓子へと作り上げる。このひと時は幼い頃からの楽しい時間。
そして今年は隣に愛するひとがいてくれる、この幸せが嬉しい。

「周太、こんな感じでいいかな?」
「ん、上手だね、英二…そうしたらね、昨日支度しておいたので、この続きをするね?」

ひとつずつ手順とコツを教えて、家に伝わる菓子を作っていく。
どうか今年だけでも覚えて?そんな祈りこめながら言葉と手並みに伝える。
このひと時がいつか、そんなふうに心配した事もあったねと、笑える日が来たら良いのに?

…いつか、を迎えたい…帰ってきたい、この「今」と同じような時間に

心を祈りに温める、その向こうに紺青色の本が意識に映りこむ。
この家の書斎に眠る「ページが抜け落ちた本」そこに隠された秘密は、なに?

なぜ、怪人『 Fantome』は切り落とされ省かれたのか?

この謎の答えはまだ、見つからない。
けれど今この隣で笑っている人は、この答えを知っているのだろうか?
でも、訊くことは出来ない。いま自分が知っていることも、決して話せない。

…独りで探すしかない、ね

ぽつんと心つぶやき微笑んで、周太は昨日作り置いた夏みかんのガラス容器を取出した。
蓋を外して見ると砂糖が馴染んで好い具合になっている。

「おいしそうだな、周太?これを食べるの?」
「ん、そう…でもね、ちょっと工夫するの、」

笑って答えると、さっと濡らしたガラスの器に砂糖ごと夏みかんを盛りつけた。
そこへと煮溶かして置いた寒天を流し込み、また冷蔵庫に仕舞っていく。

「これね、夏蜜柑の寒天よせ、って言うんだ…お母さんが大好きで。3時のお茶の時、食べようね?」
「すごく旨そうだね、周太。楽しみだな、」

幸せな笑顔が笑いかけてくれる。
ただ菓子を作っているだけの、ごくありふれた風景。けれど、この笑顔が咲けば楽園になる。
なによりも、ありふれた風景であることが自分には、なにより温かい。
そして祈ってしまう。

…この幸福が「今」だけで終わってしまいませんように

ありふれた願い、けれど叶えることは努力が必要。
こんな普通の日常こそが本当は得難くて、宝物なのだと自分は知っている。
なんの変哲もないような時間と記憶、これらには、安らかな幸福と「普通」の顔した奇跡が満ちている。

この夏みかんの砂糖菓子を作る時間も、そう。
15年前には父と一緒に作っていた、それは15年前まで「普通」だった。
けれど14年前には父は居なかった、「普通」が脆く儚く、そして大切なのだと気付かされた。
あのときの傷みは今も、ふとした時に痛んでしまう。

だから願ってしまう、この愛する婚約者の為に。
自分の心に痛んだ傷を、このひとには付けてしまいたくない、だから帰って来たい。

きっと英二には何があっても光一が傍にいてくれる、そう信じている。
けれど、家庭の温もりを贈れるのは自分だけと、そんな自負を婚約者の自信と一緒に抱いている。
だから帰って来たい、この人の為に。光一の為にも帰って来たい、美代との約束の為に帰りたい。
そして母のために帰りたい「死なない警察官になる」約束を果して帰りたい。

この「今」と同じように、ずっと愛するひとの隣に立ち続けたい。
来年も再来年も、50年後にも、こうして隣に並んで、共に夏みかんの菓子を作りたい。
そうしてふたり繋いだ約束の数々を、ふたり笑い合って叶えたい。共に想い重ねて、年を重ねて、ふたり寄添って。

…どうか、帰ってこられますように、笑顔を見られますように

祈りの願い微笑んだ心へと、そっと夏蜜柑の清爽が香った。



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