萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第51話 風伯act.2―another,side story「陽はまた昇る」

2012-07-30 23:57:40 | 陽はまた昇るanother,side story
※念のため中盤R18(露骨な表現はありません)

風、香らす記憶



第51話 風伯act.2―another,side story「陽はまた昇る」

温もりが唇ふれて、やわらかく額にも熱ふれる。
ふれる香ほろ苦く甘くて深い謎のよう、けれど穏やかに温かな気配が優しい。
これはよく知っている、近く遠く記憶の泡沫にも香っているから。

…山の森…樹の香だね…それから、

それから、大好きな人の香。

ことりと認識が花ひらいて、ゆっくり睫が開きだす。
やさしい風のよう愛しい香は、静かに頬へ唇へとふれてくれる。
この香の人を見つめたくて開いていく瞳の向こうから、あわい光が頬ふれ額を照らし出す。
まぶしくて睫が閉じてしまいそう、けれど薄く披いていく瞳に優しい影が射して、綺麗な低い声が笑ってくれた。

「周太?…おはよう、」

すこしだけ薄赤い目が、それでも綺麗な微笑みで見つめてくれる。
このひとが自分は大好き、愛しいままに周太は綺麗に笑いかけた。

「おはよう、英二…俺の、はなむこさん?」

呼びかけた約束の名前に、切長い目が大きくなる。
優しい温もりが引寄せ抱きしめて、長い指の掌が頬ふれていく。そして端正な唇が、ふるえるよう言った。

「俺のこと、まだ、そう呼んでくれる?…周太の婿だ、って言ってくれるの?」
「ん…だって、そうでしょう?」

どうしてそんなに、ふるえるの?
そう見つめた先の切長い目に水の紗が張りだして、昨夜の記憶が浮びあがった。

“俺は今…君を殺そうとした、…君を、離したくなくて”

英二は周太の首に手を懸けた、扼殺しようとして。
引き離されることなく永遠の眠りにつくために、永遠に英二のものにするために。
それを犯した自身を赦せなくて英二は今も、ふるえている?そう気づいて周太は、頬ふれる手に自分の掌を重ねた。

「英二?正直に答えてね、ゆうべは一緒に死ぬつもりだった、…そうでしょう?」

言葉に、端正な貌が苦しげに微笑んだ。
哀しい眼差しで薄紅の目が見つめてくれる、そして綺麗な低い声が囁くよう告げた。

「うん…一緒に死んだらもう、離れないで済む。そう想ったから…だから、俺は」

ぽとん、

切長い目から温かい涙あふれて、周太の顔にふりかかる。
見つめてくれる目は薄紅いろ潤んで、涸れぬ涙を知らせてしまう。
こんなふう目が赤いのは、潤むのは、きっと、英二は夜通し泣いていた。

「離れたくない、離れたまま二度と逢えなくなるのが、怖い…だから俺は周太と…身勝手すぎるね、俺は…ずるくて臆病者で…」

告白と一緒に涙が、薄紅の瞳から降り注ぐ。
やさしい温もりの雫はゆっくりと肌を伝う、心のトレースのよう弧を描いて衿元へと墜ちていく。
その軌跡を追うよう周太は、重ねた掌の長い指の手を、静かに自分の喉元へおろした。

「英二?俺はね、英二に命をあげたい、」

告げた言葉に、喉元の長い指がふるえた。

ほら、指は今も怯えているね?
昨夜に自分が犯した罪を、哀しんで悔やんで、けれど本当は望んで。
この指が望むままに委ねても構わない、けれど、この美しい掌に罪は似合わない。

だから今、この命を贈る代わりに、この約束と祈りを贈りたい。
この想いを籠めて周太は、長い指の手に自分の掌を組ませ、綺麗に笑いかけた。

「想い出して、英二?いつか俺の全てをあげる、そう約束したでしょう?だから大丈夫、離れても必ず俺は帰る、」

約束に祈りをこめて、長い指の掌を握りしめる。

この美しい掌は、命と尊厳を救うための掌。
この美しい白皙の指を血に染めても、泥に塗れさせても、命を繋ぎ救っていく。
その真実を自分は、この東京の最高峰で隣から見つめた、そして誇らしかった。
この愛しい掌が、尊い命の救い手であることが誇らしい、そして嬉しい。
だから、この掌を罪に染めさせたくはない。

きっと自分の掌は父と同じ罪に染まるだろう、だから尚更この掌は美しいままに。
この自分の掌は穢れても、この愛しい掌だけはずっと闇の中でも輝いて?
いつか自分は罪に堕ちたとしても、どうか愛しい人は綺麗なままでいて?

この願い微笑んで、長い指の手に自分の手を組ませて、祈りを想う。
この自分の掌に籠められた「竜の涙」あの護りすら、この美しい掌に与えたい。

この自分の掌には富士山頂の雪が浸みこんでいる、これを最高峰の竜の涙と山っ子は言祝いだ。
竜の涙を持つのなら罪に堕ちることなく、永遠に純潔は護られる、そう祈りを込めてくれた。
あの祈りも言祝ぎも、この愛しい掌に全てを与えたい、そして希望を贈りたい。
この願いに祈りを見つめて、周太は薄紅の目へと微笑んだ。

「俺の心も、時間も、全てを英二にあげるよ?そのために必ず帰るよ、だから泣かないで?大丈夫、必ず英二のところに帰るから、」

必ず帰る、この約束なら出来る。

だって家の書斎には父の気配がある、庭のベンチにもある、母のいる家に父の気配はいくつもある。
だからきっと、人は愛するひとの元へ帰れるのだと、自分は堅く心から信じている。
たとえ体を失ってもきっと、心だけは帰ることが出来るはず。そう信じている。

「庭のベンチに、ずっと一緒に座ってくれるのでしょう?あの公園のベンチにも…それから、夏みかんを一緒に採るでしょう?
ずっと一緒に桜を見て、お花見をして…山にも一緒に連れて行ってくれるよね?そして、家も奥多摩に引っ越すのでしょう?庭も一緒に、」

ずっと一緒にいることは、出来る。
この身が滅んだとしても離れないで、ずっと一緒にいるから、だから生きていてほしい。
あなたの温もりが愛しいから、幸せな笑顔が好きだから、生きていてほしい。
だからどうか、信じて?

「ね、英二?たくさん一緒にする約束があるよね、だから俺は帰ってくるから…離れても大丈夫、必ず帰るよ?だから泣かないで、」

ずっと一緒にする約束があれば、きっと英二は生きる。
そのために自分は数々の約束を結んで、この約束を叶える迄はと英二に想わせたくて、そうして生きる理由を贈りたかった。
それに自分は必ず帰ってくる意志がある、生きてこの人を抱きしめるために帰る、その努力をしているから。
だからどうか信じて、笑顔を見せて?

「英二、笑って?一緒にいる約束を結んで、きれいな笑顔を見せて?約束のキスをして?」

願いをつげて、笑いかける。
笑いかけた白皙の貌のむこうから、ゆるやかな暁の光が白くまばゆい朝を昇らせる。
その清澄な光のなかで愛しいひとは、涙の瞳で幸せに笑ってくれた。

「うん、約束する。周太と一緒に幸せになりたい、だから必ず、俺の隣に帰ってきて。約束してよ、周太…、」

約束を告げる唇が、くちづけを優しく近寄せる。
ふれる吐息のほろ苦く甘い熱、この懐かしい香に周太は約束と微笑んだ。

「約束するよ、英二?必ず英二のところに帰るから、信じてね、」

告げた約束に、微笑んだ唇が重ねられる。
やわらかな温もりが唇を包みこんで、確かめるよう求めて、唇から熱がしのびこむ。
ほろ苦くて甘い熱の深い香が充たされる、この愛しい想い交されて、あなたの引力に惹きこまれていく。

「周太…今もまた、絶対の約束をさせて?約束を体ごと確かめさせて、昨夜みたいに、」

綺麗な低い声がキスに囁く、誘惑があまい。
いま服を着せてくれてある、けれど夜は素肌をシーツの上に晒していた。
全身の肌を英二に愛されて、そのまま体を深く繋がれて恋人の瞬間を見つめて、幾度も感覚に攫われて。
そして眠りに堕ちる瞬間は、熱の汗に燻らす深い森のような香と、勁く温かい腕のなかだった。
その瞬間たちはどれもが幸せで、けれど禁じられた場所での行為であることが、心配になる。

…警察学校は、校内の恋愛は禁止だから…英二の名前に傷がついたら、嫌…

この愛しい人の本性は生真面目で、それ以上に直情的な熱が高くて、だから後悔させたらと心配になる。
それでも幸せな瞬間をまた見つめたい気持ちも本当で、この今に与えられるなら受けとめたい本音が疼いてしまう。
そんな迷いを見透かすよう囁く声は、薄紅の眼差しに微笑んで問いかける。

「それとも怖い?…ほんとうはここ、したらダメだし。嫌なら我慢するよ、」
「…ん、すこし怖い…よ?」

あなたに「傷」を付けたくない、これ以上は。だから、怖い。

もう同性の自分と婚約しただけで「傷」だと自分で解かっている、今この国はそれが通念だから。
司法の立場にある警察官だから、倫理が問われることは当たり前。その倫理観に「同性愛」が抵触しないと言えば、きっと嘘。
だから、本当に入籍するには片方が辞職する必要がある、それくらい今はまだ秘さなくてはいけないのに?
そんな想いと見つめた切長い目は視線逃がさずに、端正な唇が微笑んだ。

「周太が嫌なら、無理にはしないよ?でも、キスだけは赦してよ…ほんとうに今、周太にふれたい、」

見つめる視線を絡めたままに、美しい誘惑が囁く。
濃い睫の翳おとす眼差しは優しい熱、心へ響かす声ほろ苦く甘い、秘密の呪文のよう。
この秘密に隠して受け入れてしまえば良いの?そんなふうに呪文が心惹きこみだす。

…カチッ、カチッ…

ふと聴こえだす時計の音、それから降りそそぐ窓の光に、朝の訪れを見る。
この明るい光と眠りの消える時に、この秘密破られることが怖くなる。
けれどこの惑いまで恋人は、キスと囁きに剥ぎ取った。

「まだ4時半だよ、2時間はある…まだ誰も目覚めない、ふたりきりの時間だよ、周太?…ふれさせて、」

ふれあうキスのはざまから求めて強請ってくれる、この願いをどうして拒めるの?
もう命すら惜しくないと想ってしまうのに、この身ひとつ何だというの?
この今の瞬間を抱きしめたいと願うのは、あなただけじゃないのに。
その想い正直なままに、周太は微笑んだ。

「ん…声をなんとかしてくれるなら…痕をつけないなら、して?…夜みたいに、」

許しを、告げてしまった。
この告げた許しは赦されるの?そう迷う気持ちも本当は傷んでしまう。
それでも昨夜に見つめた恋人の哀しみに、この今の瞬間を与えてしまいたい。

…英二?今、時間が怖いんだね…異動の時が来て、離れる瞬間が、怖い…

人が離れなくてはいけない時、残すより、残される方が辛い事を自分は知っている。
残す方は立ち去って新しい場所へ行く、けれど残される方は去らず留まり続けることになる。
留まる場所には去った人の記憶が鏤められて、記憶を見るたび「失った」欠落を見てしまう。
この欠落を思い知る瞬間が痛い、だから英二が心配になる、苦しみを知っている分だけ心配で堪らない。

その瞬間の痛みに耐えかねて自分は、こうして父の道を選んでしまった。
欠け落ちた大切なピースを拾いたい、それだけを望みにして生きると決めたのは14年前、この14年の傷みは楽じゃない。
この傷みを英二に知らせたくない、だから帰りたい。それなのに英二はもう、まだ自分がいるこの今から傷みに怯えている。
そんな怯えにありながら、けれど綺麗な低い声は幸せに微笑んだ。

「ありがとう、周太…痛かったら、言ってくれな?」

告げてくれる言葉、声のトーン。その全ては幸せと困惑が入り混じる。
ほんのすこしの躊躇い震える声、けれど身を起こして英二は自らのシャツの、衿元に手を掛ける。
迷わない美しい長い指は、ひろやかな胸のボタンを外していく。
けれど眼差しは、なにか迷いに揺らぐよう哀しみが痛い。

こうして求められる仕草の1つずつに、英二の抱える苦しみが哀しい。
哀しくて、どうしていいのか解からなくて。それならせめて求められるもの全て、与えられるものなら与えてしまいたい。
だから求められるまま今、この体も与えてしまいたい。そして束の間でも幸せの夢に溺れて、傷みを忘れてほしい。
そして願えるのなら、少しでも多く幸せを感じて、その苦しみを和らげ乗り越えて?

そんな祈り見つめる真中で、長い指の手はシャツの衿元を寛げ、肩を露にみせていく。
そしてシャツは恋人の肩から墜ちて、白皙の肌が暁に輝いた。

「支度がいつもより出来ないから、ごめん。蹴飛ばしても良いからな?」

すこし困ったような笑顔は幸せで、始まる時へと声は微笑んでいる。
ほら、こんなに嬉しそうにされたら、もう拒めない。その想い微笑んで周太は頷いた。

「はい…、」
「可愛いね、周太は…優しくするから、」

優しいキスが唇ふれて、恋人の時の始まりを告げる。
キス離れた唇に白いシャツを噛まされて、言葉は奪われて。
奪われた言葉の代わりのよう、感覚があざやかに肌を覆いだす。

ほら、いま、服が脱がされる、その長い指が時惜しむよう、この肌ふれていく。
ほら唇が素肌にふれる、その熱の甘さに求める痛切が刻まれて、想いの深さを知らされる。
長い指が体の中心を探る、ふるえる感覚が芯から支配を始める、ほら今もう秘められた所に吐息が触れる。

「…っ、」

噛んだ白いシャツに喘ぎが塞がれる。
けれど感覚は塞がれること無く鮮やかで、あざやかなまま自分を奪いだす。

いま熱い唇が何をしているのか、見えなくても肌が教えてくれる。
いま熱い舌が何を味わおうとするのか、与えられる感覚へと熔けだしていく。
いま長い指は自分にふれて潜りこんで、体の中から甘く責めるよう求めだす。

「…周太はきれいだ…どこも可愛くて、好きだよ…もっと感じてよ、俺のこと、」

綺麗な低い声が、誘惑の呪文をかける。
呪文のまま体がほどかれて、もう動けない、ほら、灼ける熱が体へと挿しこまれだす。
入りこんでいく熱に甘い感覚が責めはじめる、白いシャツ噛む唇から喘ぎが浸みだしていく。

「…ぅっ、ん…っ、…」

深くから灼かれていく熱に、恋人の想いが刻まれる。

どうしてこんなに想ってくれるの?
どうしてこんな深くまで触れ合いたいの?
どうしてこうまで求めて繋がって、融けあいたいと、願ってしまう?

こんなに求めてくれる想いが切なくて、瞳の奥に熱が生まれてあふれだす。
この体を強く抱きよせる腕の優しい情熱に、心の芯から灼かれて消えてしまいそう。
刻々と迫る離れる瞬間、その迫る時に英二が抱く不安と苦しみが、肌の熱を透して注がれる。

「…っ、しゅうた…愛してる、離さない、」

全身を覆う熱が抱きしめる、その腕が1つほどけて髪を抱かれる。
抱かれた髪に絡まるシャツの結び目が、長い指に解かれて唇が解放されてしまう。

「…っあ…えいじ…、」

こぼれた喘ぎに、熱い唇かさねられる。
くちづけに喘ぎ塞がれながら、抱きしめるひとの熱が入りこんで、熱い。
あまい熱に奪われながら見つめた瞳は、薄紅のまま微笑んだ。

「お願い消えないで…離れないで…周太、」

キスと熱のはざま零れだすのは、本音。
いつも隠して微笑んでいる想いが、甘く熱く蕩けて唇ふさぐ。
本音の熱そそがれる、甘いキスで灼かれる心に涙、こぼれる。

こんなに自分は哀しくて。
こんなに恋人が心配で愛しくて、ほら、心が砕けそう。
それなのに自分はもう、選んだ道を引き返そうと想えない、父の道を辿ることを止められない。
どうしても父の想いを知りたくて、父の願いを拾い集めて叶えたくて、そのために危険を知っても道を進んでしまう。
ほんとうに大切な父、いまも愛している、この想いは終わらない。だからもう進むしかないと決めている。

それで自分は良いだろう、けれど残していく英二の想いを、どうしたらいいの?
すこしでも英二の哀しみを消したくて、孤独を失くしたくて、自分は大切な幼馴染に願っている。
あの美しい山っ子なら英二と寄添える、そう信じているから2人の絆を望んで、その通りに2人は想いを交わし始めた。
それなのに、どうして英二はこんなに今も、周太を求めて泣いてしまうのだろう?

「…周太…きみだけが、恋しい…離さない、」

ほら、囁きは甘く熱い、前よりも温度が高くなっている、どうして?



デスクライトの元で開くファイルから、ふと目をあげる。
クライマーウォッチのデジタルは23:00を示していた。
見止めた時刻に驚いて、周太は首を傾げこんだ。

「…どうしたのかな、」

いつもなら英二は点呼の後、光一との電話を終えたら来てくれる。
今夜はどうしたというのだろう?そんな考えには思い当たることが多すぎて、心配になってしまう。
昨夜と今朝と目の当たりにした、英二が抱いた「時」の不安は痛々しくて。このまま独りにすることが怖いほどだった。
きっと、間違えば英二は絶望してしまう。その可能性が怖い。

「ん、」

ひとつ頷いて決めると、周太はファイルを閉じた。
ファイルを書架に戻して携帯電話と鍵を持って、デスクライトを消す。
暗くなった部屋の扉開いて、鍵を掛けるとすぐ隣の扉をノックした。

こん、こん…

叩いた扉の向こう気配が動く、そしてすぐ英二は扉を開いてくれた。
見上げた貌は思ったより落ち着いている、ほっとして周太は微笑んだ。

「英二、部屋に入っても良い?」
「もちろん、」

笑って肩を引寄せて、部屋に入れてくれる。
閉じた扉を施錠すると英二は、こちら向いて謝ってくれた。

「ごめん、周太。時間が経ったの、気づかなくて、」

綺麗な低い声が言ってくれる、その傍らデスクには登山図が広がっていた。
もしかしたら強盗犯の件だろうか?予想を想いながら周太は訊いてみた。

「ん…登山図を見ていたの?」
「そうだよ。明日は夜間捜索だから、ルートを頭に入れてたんだ、」

答えながら嬉しそうに笑って、長い腕に抱きしめてくれる。
けれど言われた言葉に心配になってしまう、無事祈るままに周太は婚約者へ言った。

「夜に?…気を付けてね、英二も、光一も、」

夜間の山は視界も悪く、野生獣の遭遇も怖い。
しかも今回の夜間捜索は今、秩父奥多摩山塊を彷徨する強盗犯の逮捕が目的になる。
もう2ヶ月ほど山を犯人はさすらっている、その精神状態を思うと逮捕時に暴れ出す危険も高い。
それでもどうか無事で任務を果たしてほしい。そんな願いに見上げた周太へと、英二の唇からキスが贈られた。

「ね、周太?今夜もさせて、って言ったら怒る?」

なにを「させて」なのか、さすがの周太でも解かってしまう。
昨夜も今朝もしたことを英二は今夜も願ってくれる、そんなに求められて途惑ってしまう。
こういうのは嬉しい、けれど英二の今後を想うと心配で、熱くなる首筋を気にしながらも周太は、微笑んで断った。

「…おこらないけど、ゆうべみたいのはだめ…そういうの今夜は我慢して?」
「どうして今夜は、我慢しないとダメ?俺のこと嫌いになった?」
「嫌いになんてならないよ?大好き…」

答える周太の瞳を、すこし困ったよう微笑んで英二はのぞきこんでくれる。
その笑顔にも言葉にも、昨夜のことが映りこんで切ない想い心に染み出してしまう。
どうか、そんな不安にはならないで?そう見つめて周太は言葉を続けた。

「だって今夜を我慢したら、がんばって土曜日は帰りたくなるだろうな、って…」

明後日の土曜日、英二は川崎の家に帰ると約束してくれた。
けれど明日の夜間捜索の結果次第では、帰ることは難しくなるだろう。
そう解っているけれど、だからこそ「帰りたい」と願わせて英二の無事を祈りたい。
そんな想い見つめる先で、英二は頷いてくれた。

「うん、頑張って土曜日に帰れるようにするよ?もし土曜に帰ったら、好きなだけさせてくれる?」

すぐ笑って答えてくれた英二は幸せそうで、可笑しそうに笑っている。
一体どうしたのかな?不思議なまま微笑んで周太は質問をした。

「どうしてそんなに、笑っているの?」
「俺は変態で色情魔だな、って自分で自覚したのが可笑しいんだ、」

可笑しくて笑いながら、温かい懐に抱きしめてくれる。
優しい温もりに安らぎながら、重ねて訊いてみた。

「しきじょうまって、なに?」
「セックスが大好きすぎる、ってことだよ?俺にぴったりだろ、特に周太に対してはさ、」

いまなんていったの?

言った言葉に、瞳がひとつ瞬いた。
すこしの首傾げて考え込む、けれどすぐ意味に気付いて顔が熱くなった。

「…っえいじのへんたいえっちちかんっ…ばかえいじ、」

ほんとうになんてこというの?もう、ひとのきもしらないで

こんなこと言われたら困ってしまう、けれど求められることは嬉しい。
そんな嬉しさに昨夜も今朝も香った、深い森の香に汗の熱が混じる瞬間がよみがえる。
あの瞬間の英二の眼差し、声、吐息、そして響く想いが切なくて、離れる「いつか」が不安になってしまう。

…だからこそ今を、幸せにしたい。一緒にいられるうちに、ひとつでも多く、

この願い微笑んで見つめる先、きれいな笑顔が咲いてくれる。
そして英二はライトを消すと、長い腕に周太を抱きしめてベッドに潜りこんだ。

「変態でごめん、でも、ずっと一緒にいて?約束だよ、周太、」

約束にねだって微笑んで、愛しいひとのキスが贈られる。
ふれるキスの温もりに柔らかさに、昨夜と今朝の感覚がよみがえっていく。
そして、愛しい瞬間たちの想いが染みだして、この心も身も浸される傷みと歓びに涙、こぼれそう。

こんなことは少し可笑しい、だって「変態でごめん」だなんて言われたのに?
それなのに愛しい言葉に変わるのは、「ずっと一緒にいて」という約束の魔法だろうか。

もう独りではどこにも行けない、そんな覚束無い自分になってしまう、この優しい束縛が愛しくて。
この束縛の愛しさが強い風のように、きっと自分を攫いこんで帰り道も示してくれる?
そんな確信すらしてしまう、そんな想いに瞬きは、涙を籠め納めていく。
この涙は今は流さない、静かな覚悟に周太は微笑んだ。

「ん、ずっと一緒にいるよ?英二、約束したから信じていてね?」

きっと自分は帰ることが出来る。そう、信じる。





(to be continued)

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one scene 某日、学校にてact.3―side story「陽はまた昇る」

2012-07-30 05:00:40 | 陽はまた昇るside story
言わせてほしいから、



one scene 某日、学校にてact.3―side story「陽はまた昇る」

眠りの底、腕の空虚に醒まされる。

この腕に抱いていたはずの、温もりが消えた。
この消失に瞳が披いて見つめた隣には、いるべきはずの姿が無い。
そっと触れたシーツは冷えて、体温の名残すら消えている。
ただ微かに、オレンジの香だけが残されて。

「…周太?」

名前を呼んで、身を起こす。
けれど応えてくれるはずの、恋しい声は聴こえない。
視界に愛しい姿は映らない、ただ薄暗い夜の静謐だけが充ちている。

確かに自分は眠り落ちる瞬間に、無垢の寝顔と長い睫を見つめていた。
この頬には黒髪やわらかに撫でて、穏やかで爽やかな香が心地よくて。
おやすみのキスふれた唇は温かく優しくて、オレンジの香があまく蕩けて幸せだった。

それなのに、なぜ、いない?

「周太、」

もう一度、名前を呼んで床へと足をおろす。
固い床ふれる温度も冷たくて、誰かが歩いた気配すらも消えている。
立ち上がりカーテンを開く、けれど窓の鍵は掛かってベランダには誰もいない。
振り向いて部屋を見る、壁のハンガーからジャージは消えていない、ベッドサイドの腕時計もある。
クロゼットを開いても衣服は全てある、靴も全部揃っている、鞄もある。

「…っ、」

クロゼットの扉を閉じて、デスクを振り返る。
その書架からは、周太の宝物の本は消えていない。ファイルも全てある。
デスクの上には2つの携帯電話も置いたまま、けれどスポーツドリンクが消えている。

「…起きて、飲んで…?」

ゴミ箱を見ると空のペットボトルが収まっていた。
そのまま視線を床に動かすと、スリッパが無い。

「財布と鍵、」

デスクの抽斗を開いて、いつもの場所を見る。そこに鍵は残されていた。
けれど財布が、無い。

「…っ、」

扉の把手を掴むと、そのまま開かれる。
鍵が掛けられていないドア、消えている財布とスリッパ、そして、消えた恋人。

―自販機?…それとも、まさか、

きっと自販機に飲み物を買いに行った、それが「普通」だろう。
けれど周太の置かれた状況は普通ではない、その現実に心が冷たく撫でられる。

「…しゅうたっ、」

2つの携帯を掴んで靴を履き、そのまま廊下へと英二は出た。
後ろ手に扉を閉じて廊下を見渡す、けれど薄闇だけが青く充ちるだけ。
吐息の気配もなく眠りに落ちた空間は、何の音も聴こえない。

―どこへ、

自販機の方へと歩き出す、その先を薄青い闇が照らしている。
どこか非現実的な青い闇光は、深夜の氷壁を想い出させて心を零下へと浚いこむ。
まだ昏く冷え切った空気のなか、ピッケルを蒼い氷に刺して登っていく、あの冷厳の時間。
あの瞬間たちは頂上を目指す熱が心温めて、まだ見ぬ場所と時間への想いが生きて、幸せになる。
けれど今はただ、不安の冷たさと焦燥の灼熱だけが、指先を凍てつかす。

まさか、と思う。
まさかまだ捕まえには来ない、そう考えている。
幾らなんでも早すぎると、まだ初任総合の研修中だからと、理屈で心を言い負かす。
きっと必ず来る「いつか」その予兆も気配も、蠢きも、自分は見落としてはいないはず。

けれど自分が全能ではない事も、誰よりも自分が知っていて。
だから本当は、いつも怖い。いつも自分のミスがあるのではないかと、怖くなる。
もう周太は「ページが欠けた本」に隠されたメッセージの存在に気付いた、自分のミスで。
そのことが今、不安と焦燥になって胸を凍らせ灼いていく。

『Le Fantome de l'Opera』

あの紺青色の本に隠された、落丁と『Fantome』の意味を、もしも周太が知ったなら?
もしも周太が「家」に絡まる忌まわしい連鎖と、存在を知ればどうなる?
もしも周太が、祖父の犯した50年前の真実を知ってしまったら?
そして父の死と真実を、全て周太が知ってしまったなら?

この「もしも」の先に起きることは、なに?
この「知る」ことが周太の心に、何をもたらすだろう?
まだ「いつか」が捕まえに来なくても、もし「知る」ことがあったなら?

そうしたら周太は、周太自身を、どうするのだろう?

この問いへの答えが怖くて、ずっと怯えている自分がいる。
ずっと怯えて怖がって、なんとか知らせたくないと防御線を幾重にも張りたくて。
そうして護っていたい、ずっと伝えたい想いを言い続けたいから、自分は全てを懸けている。
言いたい想いは唯ひとつ、この唯ひとつの為になら、他は本当はいらない。

―どうか無事で、ただ自販機に行っているだけでいて…

苦しいほど祈る想いと、歩いていく足音が速くなる。
もどかしく焦るまま靴音は響いて、薄青い闇を見つめて音を探す。
どこかにスリッパの音が聞こえてほしいと、祈る想いに闇を透かして歩いていく。

…たん、

今、聞えた?
微かな音に心が動いて、音を透かし見る。

…たん…たん、

ゆっくりとした歩き方、このトーンを自分は知っている。
この音が響いてくる方角は、自販機がある場所。

「周太、」

名前つぶやいて、足の運びが速くなる。
心臓の鼓動と同じビートに進む足音が、みるまに視界を薄闇の向こうへ連れて行く。
そして公衆電話の角を曲がったとき、小柄な白いシャツ姿が見上げてくれた。

「周太!」

呼んだ名前に、黒目がちの瞳が微笑んでくれる。
微笑を見つめたまま長い腕を伸ばして、白いシャツの肩を抱きしめる。
そのまま抱きあげ頬よせて、ふれた温もりに漸く心が充たされ、吐息が微笑んだ。

「…いなくなっていたから驚いたよ?周太…」

低めた声で言って、大切に抱えたまま静かに歩きだす。
もう見失いたくなくて離せない、抱きしめて誰からも隠してしまいたい。
すこし足早に進んでいく腕のなか、周太はすこし俯いて言ってくれた。

「…ごめんなさい、驚かせて…飲みもの、ほしかったから、」

その理由で、良かった。

いま自分が恐れていた理由には、周太は辿り着いていない。
いま言ってくれた理由は本当なのだと、周太が抱える2本のペットボトルが教えてくれる。
きっと英二の分も買ってきてくれた、そんな優しい気遣いと無事が嬉しくて英二は微笑んだ。

「…うん、足りなかったんだな?ごめんね、周太、」

低く応えながら、そっと扉を開いて部屋に入る。
そのまま静かに閉じて鍵をかけて、ベッドへ周太をおろすと、スリッパを脱がせた。
そんな英二に困ったよう、大好きな声が微笑んだ。

「そんなこと、自分で出来るよ?」
「俺がしたいんだ、周太のことは、」

脱がせたスリッパを揃えた手が、すこし震えている。
微かな震えを軽く掌握って消して、腕を伸ばすと2つの携帯電話をデスクに戻した。

かたん、

ちいさな音が鳴って、並んで2つの電話が置かれる。
いつも離れている時には声を繋いでくれる、その感謝に微笑んで英二は振向いた。
振向いた先、黒目がちの瞳が見上げてくれる。その瞳に笑いかけて英二は、伝えてみたいことの1つを口にした。

「シンデレラ、ってあるだろ?」
「ん?…グリム童話とかの?」
「そう、あの話、」

ベッドの隣に腰掛けて、愛するひとの瞳をのぞきこむ。
近寄せた貌は気恥ずかしそうに微笑んで、すこし首傾げて見つめてくれる。
そんな羞んだ様子も可愛くて、愛しさに微笑んで英二は言葉を続けた。

「ガラスの靴で恋した相手を探すとき、あの王子って家来にさせるだろ?でも俺は、自分で探しに行きたいって思った。
好きな人に靴を履かせるなんてさ、俺は他のヤツにさせたくない、脱がせる時もね。自分以外には触れさせたくないから、」

他の誰にも触らせない、必ず君を自分が探し出す。
たとえ君が姿を隠しても、きっと自分は追いかけて、必ず見つけ出す。

そんな想いと笑いかけた隣、周太が微笑んだ。
けれど少し拗ねたように、素っ気ないことを愛しい声は言ってくれた。

「じゃあ英二は、俺のことは好きじゃないんだね?俺のこと光一にだかれてほしいって言ったんだから、」

このこと、もう、勘弁してほしいな?
このことは自分にとって恥で、一番後悔している事だから。
そんな困惑に心を焼かれる自分を、黒目がちの瞳が見つめてくれる。
この瞳に全てを告げて赦してもらえたら?そんな願いのままに英二は微笑んだ。

「ごめん、周太。白状するよ?あれは俺の、男の意地が言わせたことだから、」
「ほんとうに…?」

本当だと、言ってほしい。

そんな願いが黒目がちの瞳に切なく映ってくれる。
その瞳の想いが嬉しくて、嬉しいまま抱き寄せるとベッドに倒れ込んだ。

「周太、夕方に言ってくれたよな?言いたいこと、わがままも全部話して、って。だから、本当のことを言うよ?」

倒れこんだベッドの上、そっと布団に包みながらも、目が離せない。
見つめる先で微笑んでくれる笑顔が愛しくて、尚更に見つめたまま英二は正直に答えた。

「他の誰にも触らせたくない、周太の肌を誰にも見せたくない、ずっと俺だけが独り占めしたい。だから早く、嫁さんにしたい。
俺だけのものだって色んな方法で示して、ずっと周太と一緒に生きていたい。君を、俺だけに独り占めさせてほしい、ずっと傍にいて?」

いつもは言えない言葉、けれどこれが本音。
この想いは唯ひとつしかないワガママ、これだけを叶えたくて、あがいている。
どうか叶えたい、そんな祈りの中心で婚約者は綺麗に笑ってくれた。

「ん、ずっと傍にいてね?ずっと英二が傍にいてほしい…愛しているなら、約束して?」

どうか、絶対の約束をして?

そう見つめてくれる想いが愛おしい、ずっと見つめていたい。
この視線を絡めたまま英二は幸せに笑って、約束を恋人へ誓った。

「うん、約束する。ずっと君に恋して、愛して、傍にいるよ、周太…」

やさしい唇へと唇を重ねて、誓いを閉じ込める。
ふれ合い重ねたキスに約束を繋いで、深く祈りを籠めて、抱きしめる。
どうか幸せを、君の隣で見つめたい、ずっと、いつまでも。

たとえ、どんなに闇の中であったとしても、君だけは輝いていると知っている。
そんな君の純潔を愛している、君の優しい安らぎが隣にあってくれる為になら、自分は全てを背負うから。
その為になら何だって出来る、幾らでも強くなってみせる、君を護るために、幸せを見つめるために。

だからどうか、傍にいて?そして「恋しくて愛している」と、ずっと言わせてほしい。



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