萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第51話 風待act.1―side story「陽はまた昇る」

2012-07-22 23:43:38 | 陽はまた昇るside story
待つ、動く瞬間を



第51話 風待act.1―side story「陽はまた昇る」

午前の授業が終わり昼食を摂る席に着くと、制服の袖を捲っている者が多い。
もう明後日から衣更えになる、今着ている合服を次に着る時はもう、全員が本配属されているだろう。
このことに時の移ろいを感じて、ふと心が締め上げられる。

―次にこれを着る時は、周太はどこにいるのだろう?

この哀しみに心が湿って重くなる、それを軽く首を振って英二は払いのけた。
いつものように周太の隣に座って、関根と瀬尾と向かい合う。松岡と上野と1斑の仲間も近くに座る。
場長の松岡が「いただきます」の号令をして、賑やかな食事が始まった。

「そういえば関根くん、写メもらえた?」

さらっと瀬尾が隣の関根に笑いかける。
けれど困った顔になって関根は快活な目を笑ませた。

「やっぱ、言えねえよ、俺。やっと1ヶ月だし、」
「ふうん、やっぱり関根くんって、硬派なんだね?っていうか、初心?」

可笑しそうに瀬尾が笑ってハンバーグを箸で切り分けている。
その隣で関根は口を曲げると、素早く瀬尾のハンバーグを一切れ箸に摘んで、口に放り込んでしまった。

「なに盗ってんの、関根くん?」
「俺、腹減ってんだって、」

なんだか悔しそうな口調で、けれど快活な目はヤンチャに笑っている。
そんな友達を見て瀬尾は、半分呆れ顔で笑いだした。

「俺に初心、って言われて仕返しってこと?」
「しらねえ、って、なに俺の食ってんの、瀬尾?」

素早く瀬尾も関根のハンバーグを一欠け、口に飲みこんだ。
そして優しい目を悪戯っ子に笑ませて、しれっと瀬尾は答えた。

「俺も腹減ってるんだ、ごちそうさま関根、」
「てめえ、結構ヤルよなあ、瀬尾?」

快活に関根が笑いだして、瀬尾も一緒に笑った。
この遣り取りに英二は、隣の周太に微笑んだ。

「周太。周太のハンバーグ、一切れくれる?」
「ん?いいよ、」

端正な箸運びで周太はハンバーグを切り分けてくれる。
そっと皿を寄せてくれる笑顔に英二は、綺麗に笑ってねだった。

「あーんして、食べさせて?」
「え、」

言われた途端に黒目がちの瞳が大きくなって、頬が赤くなりだした。
やっぱり恥ずかしがっちゃうかな?でもして欲しいな?
そう笑いかけた先、すこし緊張しながらも綺麗な箸遣いは、一切れ口許に運んでくれた。

「あの…はい、」

ちいさな声が可愛い、どうしよう?
もう真赤な頬なのに笑顔は優しくて、こんなの反則的に可愛いんだけど?
幸せで嬉しくて英二は、大好きな婚約者の箸に口をつけた。

―なんか甘くて、旨いな?

周太のハンバーグは、甘い味がする。
なんでだろうな?不思議に思いながら飲みこんで、英二は幸せに笑った。

「ありがとう、周太。なんか周太の、甘かったよ?ケチャップとか掛けたの?」
「ん?なにもしてないけど…」

答えて赤い顔が微笑んでくれる。
こんな貌も可愛くて仕方ない、なんか最近また周太は可愛くなった気がする?
こういうのは嬉しいけれど、あまり可愛いと困った事になりそうだ?
思わず脚を組んだ時、ぱしっと膝を周太に叩かれた。

「英二、食事中に足組むのは、行儀悪いよ?」

足組まないと、もっと行儀悪いコトになりそうなんですけど?

心の声に自分で可笑しい、そして思いついた悪戯心に笑ってしまう。
可笑しくて笑いながら英二は、そっと周太に耳打ちした。

「周太の所為だからな、」
「ん…?」

不思議そうに黒目がちの瞳が見つめてくれる。
その瞳が純粋で、この目に「もっと行儀悪いコト」を教えたら悪い気がしてしまう。
やっぱり教えないでおこうかな?そう考えをまとめて英二は、初心な恋人に微笑んだ。

「ごめんな、周太?ちょっと今の時間だけは、脚組むの赦して?」
「…どうして?」

首傾げて尋ねる風情がまた、可愛い。
こんなに「可愛い」が連発されると困ってしまう、自分が勝手に困っているのだけど。
こんなふうに無意識の周太に曳きまわされては、恋の奴隷だという自覚に甘く噛まれてしまう。
こんな瞬間は跪いてでも、恋の主人にベッドの許しを乞いたいのが本音。

―こんな昼飯の時間まで、俺、何考えてるんだろ?

ふと我に返って自分に苦笑いしてしまう。
こんな自分はやっぱり馬鹿で、所詮23歳男子なんだと気付かされる。
卒業配置から8か月、自分は大人になったと思っていたけれど。恋愛の前では所詮こんなものだ。
きっと「こんなもの」は至極普通で、ありふれている。それでも自分にとってこの時間は、宝物だろう。

―あと1ヶ月を切ったな、本配属まで

もう明後日で6月になる、もう夏の制服になってしまう。
ついさっきも思ってしまったばかりの、この現実が胸を刺す。
こんなふうに毎日を周太の隣で過ごす日々は、あと1ヶ月足らずで終わってしまう。
そのあとに「いつか」訪れる瞬間が、怖い。
いま周太の隣で過ごす毎日は、幸せで温かくて、あまやかに優しい。
こんなふうに自分は、ハンバーグを食べさせて貰っただけで、逆上せて舞い上がる。

こんな自分が「いつか」の瞬間に、周太と引き離される瞬間に、冷静でいられるのか?

そんな疑問が廻りかけて、英二は軽く頭をふった。
いま、この時間を哀しい想念で充たすのは勿体無いから。
この今まさに与えられる幸せを、温かで優しい、あまい幸せを見つめて、抱きしめていたい。

―きっと「いつか」が来ても、引き離されても、この掌を離さない

きっと自分は離せない、そんな確信がある。
そして「いつか」が来なければ、幸福が始まる「いつか」も訪れないと知っている。
だから悲観ばかりしていられない、幸福の「いつか」を信じるために準備することも数多いから。

―父さんと母さんに、話しに行かないとな、

いつ行こう?
初任総合の期間中の方が、時間がとりやすいだろうか?
そんなことを考え込みかけた時、周太が話しかけられた。

「湯原、今度の土曜日のことだけど、」

またか内山?

内心の声と一緒に、英二は周太の逆隣を見た。
よく考えたら食事の席でいつも、内山が周太の隣に座ることが多い。
この席で事例研究の話でもなんでもしてくれよ?そんな毒づきを綺麗に隠して、英二は微笑んだ。

「今度の土曜日、周太は大学だろ?」
「ん、そうなんだけど…」

そうだよね?
大学の公開講義で、そのあと美代さんと復習の時間だよね?
そんな予定の計算と見つめた先で、周太は微笑んで言葉を続けた。

「美代さんがね、お茶か昼ご飯を一緒してもらったら?って言ってくれて、」
「あ、美代さんが一緒なんだ?」

それなら安心だな?
ほっと内心、安堵の息こぼした英二に周太は笑いかけてくれた。

「ん、そう。英二も一緒出来たら良いのにね?」

そんなこと言ってくれるの?

本当にそう出来たら良いのにな?
でも今は奥多摩も強盗犯の警戒中で人員が足りない、週末は青梅署に戻らないといけない。
こういうの、プライベートと仕事の板挟みとも言える?こんな感想に微笑んで英二は答えた。

「ありがとう、周太。でも今、奥多摩は警戒中だから。金曜の夕方には署に戻らないと、」

答えに、黒目がちの瞳が少し寂しげになる。
それでも微笑んで周太は言ってくれた。

「ん、気を付けてね?…待ってるから、」

そんな顔されると弱い、そして嬉しい。
嬉しくて英二は、幸せに笑いかけた。

「うん、気を付けるよ?待ってて、」

待っていてくれる、そう思うと自分は何があっても「帰りたい」と思えてしまう。
そんなふうに、英二が無事に帰ることを願って周太は、もう何度『絶対の約束』を結んでくれたろう?
この幸せな約束の数々に心が温かい、ふっと笑ったとき内山が周太の向こうから訊いてきた。

「奥多摩は警戒中、って、どういうことだ?」
「うん、ハイカー狙いの強盗を手配中なんだ、」

さらり笑って英二は答えた。
答えに精悍な貌が驚いたよう見つめてくる、それから微笑んで内山は言ってくれた。

「そっか、早く捕まると良いな。もし土曜までに片がついたら、宮田も一緒できないかな?事例研究のこと聴きたいんだ、」

やっぱり内山って良いヤツだな?

本当に事例研究の話を聴きたい、ゆっくり話をしてみたい。そんな意思が笑顔に現われている。
けれど周太に構い過ぎる気がして、2つの理由で気にはなってしまう。

内山は東大出身でキャリア志向、この経歴に警戒せざるを得ない。
同じような経歴の人間が馨を「50年の束縛」に惹きこんだ、その事実が警鐘を鳴らしてしまう。
まさかとは思う、内山に限ってと思う、それでも危険分子は0.01%でも見逃せない。

もう1つの理由は、単なる嫉妬。
内山をバイセクシャルだとは思わない、けれど自分も以前は女性しか興味なかった。
そんな自分は周太の魅力を知り過ぎているから、だから疑ってしまう。

どちらも思い過ごしだと良いけれど。
そんな感想と一緒に英二は、内山と周太に笑いかけた。

「ありがとう。もし金曜までに逮捕出来たら、土曜の昼には戻るよ、」
「ほんと?…そうしたら、家に帰れるの?」

黒目がちの瞳が期待に微笑んでいる、この笑顔の理由が自分には幸せだ。
幸せな想い素直に英二は、明るく笑った。

「うん。申請を出してみないと、はっきり約束は出来ないけどね、」

業務の状況次第で外泊先を変更する。こういうケースが警察学校でも許可されるのか、自分も解らない。
それでも許可してもらえたら良いな?そんな想いと微笑んだ英二に、周太はねだってくれた。

「ん、そうだね?…でも、帰ってくるって約束して?」

そんなワガママ、嬉しいです。
この幸せに英二は素直に、きれいに笑いかけた。

「約束する、帰るよ?」



今日最後の授業は、職務倫理のグループ研究だった。
英二たち1班は授業後すこし残り、15分過ぎたころ出来上がった。
終って皆で教場を出ようとしたとき、何げなく携帯電話を見た松岡が首傾げこんだ。
どうしたのかな?英二は声をかけてみた。

「奥さんから?」
「うん、…3回も着信があるんだ、」

もしかして急ぎの用かもしれない。
そんな予想に英二は、グループ研究の課題用紙を松岡の手から取った。

「これは俺が出してくるよ、だから松岡、早く電話してあげな?」
「え、でも班長の役割りだから、いいよ、」

真面目な松岡らしく断りながら、けれど本音は電話が気になっている。
まだ生後1年ほどの子供もいる松岡だから、家の電話は気になるのが当り前だ。穏やかに英二は笑いかけた。

「大丈夫、俺ちょっと質問したいことあるから。その序でだって言うよ、じゃあ、また後で、」

笑って英二は教官室の方へ踵を向けると、歩き始めた。
その視界の隅で周太が上野と話している、けれど黒目がちの瞳がこちらを見ていた。

―気にしてくれているのかな?なら、いいな、

ほら、こんな心の声が呟いてしまう。
あの視線1つに舞いあがる自分がいる、こういう気持ちは周太だけ。
なんだか我ながら幸せだと微笑んで、英二は教官室へと入っていった。

「遠野教官、1斑の分です。お待たせして申し訳ありません、」
「うむ、」

仏頂面がすこし笑って、用紙を受けとってくれる。
さらっと目を通してから遠野は、英二に尋ねた。

「どうして班長の松岡が来なかった?」
「はい、自分が提出に行くことを願い出たからです、質問があったので、」
「そうか、何の質問だ?」

納得したよう頷いて、遠野の目が英二を見た。
その目に微笑んで英二は、質問に口を開いた。

「ご経験から教えてください。犯人が一度現われた場所に戻るとしたら、どんな条件でしょうか?」
「奥多摩の件か?」

やっぱり遠野教官はすぐに察してくれた。
すこし笑いかけて英二は頷いた。

「はい、」

もちろん遠野教官は奥多摩・秩父にまたがる事件を知っている、被害者を英二たちが発見した事も。
この捜査について、捜査一課で敏腕を謳われた刑事の考え方を聴きたい。
そんな考えと笑いかけた先で、遠野は口を開いた。

「重大な犯罪を犯した場合、計画的犯行なら戻ることは少ない。だが、愉快犯と偶発的犯行は別だ、」

渋い声が明快に言い、遠野は椅子を回してこちらを向いた。
掌を組み合わせながら英二を見、元捜査官は話し始めた。

「はずみで人を刺した、ひき逃げをした。こういう偶然が原因の場合は、本人も予想外の結果に起きた事だ。
だから現場を隠す工夫も元から無い、すると自分だという痕跡が無いのか気になる。そして捜査の進み具合も気になりだす。
愉快犯の場合は犯行自体を面白がっているから、自分の犯行に対する反応を確かめたい。だから捜査状況も気になって仕方ない。
どちらの場合も、捜査と自分との距離がどこまで接近したのか?逮捕の可能性はあるのか?それが気になるから、様子見に訪れる、」

こうした犯人の心理について、英二も吉村医師から訊いたことがある。
ここで遠野教官も言っている「偶発」、今回の事件も「偶発」に該当するのか?その判断は難しい。

「宮田。奥多摩の事件については、『強盗』を行うことは計画的だな?だが、『誰』を襲うのか、『現場』はどこなのか?
それは偶発的に過ぎない要件になる。今回のケースは計画性と偶発性がミックスされた状況だ、で、宮田はどう考えるんだ?」

皮肉っぽい目が笑って英二を見てくる。
その視線を受けとめて英二は微笑んだ。

「被害者を救助した後、現場の確認をしたんです。あのとき犯行場所と逃走ルートには、足跡と被害者の血痕が残っていました。
この、痕跡を消していない状況から、犯行は偶発的に近いケースだと考えています。ですが、秩父と合わせて、今回は4件目です。
もう犯人も犯行自体には慣れているでしょう、けれど、証言と状況から犯人は精神的に混乱状態だと判断しています。だから迷います」

皮肉な目が細められ、すこし考え込む。
すこしの間すぐ遠野は口を開き、訊いてくれた。

「精神の混乱か、なぜそう判断する?」
「はい、犯行自体に慣れていても、痕跡を残しすぎているからです。あとは、現場が『山』だとういうことです、」
「山だから?」

どういう意味だ?
そう目で尋ねられて、英二は口を開いた。

「山は原則、人がいません。そして犯人が潜伏していると思われる雲取山には、ツキノワグマや鹿など野生獣が棲んでいます。
この状況は孤独で、いつ動物に襲われるか解らない不安があります。これは犯人自身が他人を襲ったからこそ、不安は増大する筈です。
こうした不安感が疑心暗鬼になって、精神的に混乱状態に陥ると思いました。だからこそ、犯行時の傷害も凶悪化すると思います、」

峻厳な掟の支配する『山』において、他者を傷つける。それは、山にあるなら自滅にも繋がりかねない。
なぜなら山の世界は「自助」と「相互扶助」が原則、だから「相互扶助」の相手を傷つければ自分の命綱を断つことになってしまう。
そんな行為が、どんな谺になって跳ね返るのか?自信を追いこむ事になるのか?
それが解からない人間は、きっと山が赦さないだろう。

―だからこそ光一は、本当は怒っている。隠しているけれど、だからこそ本気だ

山の化身のような、山っ子。
あの山っ子がもし犯人を発見したら、どんな反応をするのか?
それが不安にもなってしまう。できれば自分が共にいる時であればいいと思う。
そんな考え巡らす前、遠野教官がすこし笑った。

「ふん、宮田の線は合っているだろう。おまえ、刑事でもやっていけそうだな?」

たぶん、これは遠野なりの褒め言葉。
この頑固そうな教官に言われて嬉しい、英二は微笑んで、けれど謝絶した。

「ありがとうございます、でも俺は山ヤの警察官ですから。山岳レスキューが天職だと思います、」

きれいに笑った英二に、仏頂面の笑顔を向けてくれる。
そして遠野教官はすこし考えて、教えてくれた。

「おまえから聴いた状況だと、確かに犯人は混乱状態だろう。だから、偶発的ケースに近いが錯誤もある、」

おそらく「現場近くに戻る」と言っている。
貰った答えに微笑んで、英二は頭を下げた。

「解かりました、ありがとうございました、」

笑いかけ踵を返そうとしたとき、掌を挙げて遠野が制した。
なんだろう?そう見た先で、低くめた渋い声が教えてくれた。

「元同僚が訊いてきたよ、『ファイルは最近どうだ?』ってな、」

『ファイル』

この単語に、意識が冷たく目を醒ます。
この言葉を遠野教官に尋ねる「元同僚」が誰なのか、訊かなくても解かってしまう。
どんな反応を遠野はしたのだろう?穏やかな笑顔で英二は問いかけた。

「何て、お答えになりましたか?」
「訴訟法のファイル作成に手こずってる、って答えたよ。俺は法律関係は苦手なんだ、」

答えた遠野の目が悪戯っ子に笑っている。
もちろん遠野は『ファイル』と訊かれた意味を解っている、そのうえで恍けてくれた。
そのとき「元同僚」はどんな顔をしたのかな?ちょっと可笑しくて笑いながら英二は尋ねた。

「教官。今週末の外泊日も青梅署に戻ると申請しましたが、業務の状況次第で家に帰っても大丈夫でしょうか?」

家は、もちろん川崎の家のこと。
もう英二の第一身元引受人は湯原の母となった、だから遠野も当然、英二が周太と同じ家に帰ることを解っている。
けれど、周太と英二の関係を遠野がどう考えているのかは、まだ明確には聴いたことがない。
それでも何か勘付いてはいるのだろうな、そんな想いと見つめた先で遠野が短く呟いた。

「ふん、家か、」

すこし首傾げて英二の目を見、遠野教官は頷いてくれた。

「そのことを書いて追加申請してくれ、それで外泊先が決まり次第連絡を入れろ、」
「ありがとうございます、」

素直に礼を言って英二は頭を下げた。
頭を上げて姿勢を戻すと、首傾げたまま遠野は少し笑って訊いてくれた。

「相変わらず実家には、帰っていないのか?」
「はい、帰っていません。海外訓練の前には、顔を見せようと思っていますが、」
「そうか、」

軽く頷いて遠野は笑った。
そして微かな苦い笑みを目に映しながら、静かに言った。

「家族は大切にした方が良い。いつでも大丈夫と思ったら、後悔する、」

後悔する。

この言葉にこもる遠野の悔恨が、哀しい。
あの安西立籠り事件の直後に遠野は妻を亡くしてしまった、向合い話し合うことも無いままに。
あれから遠野は、夫と教官としての2つの立場で自責し、荒んだ時期があった。
それくらい本当は遠野は、家族と家庭を、人を、愛する心が強いのだろう。

―このひとも、早く幸せになってほしいな

心に祈り想いながら、英二は素直に微笑んだ。

「はい、大切にします。実家も、川崎の家も、」





(to be continued)

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one scene 某日、学校にて―side story「陽はまた昇る」

2012-07-22 07:19:33 | 陽はまた昇るside story
言えないけれど、



one scene 某日、学校にて―side story「陽はまた昇る」

「湯原くん、」

ソプラノボイスに呼ばれて、隣の周太が振向いた。
振向いた視線の先を横目で見ると、女性警官たちが笑顔で手を振っている。
それに周太は会釈して、また前を向いて歩きだす。けれど、その首筋があわい紅にそまっているのが、気になって。
棘のよう気に懸るまま、熱いような重いような違和感が、じわり胸の奥に蟠る。

―なんだよ、最近…

なんで最近、同期の女たちは周太に手を振ってくるのだろう?
それどころか気がつけば、初任教養の後輩女子まで手を振ってくる。
たぶん、華道部で一緒の子たちなのだけど。

「周太?最近、女の子たちがよく手を振ってくるね?」

さらり訊いてみる声は、いつもどおり落着いている。
けれど心はちっとも落着かない。そんな泡立つ気持の隣で、黒目がちの瞳は穏かに微笑んだ。

「ん…そうだね、」
「周太、モテるんだね?やっぱり女の子に言われると嬉しい?」

さらっと言って、ぐっさり自分で胸に刺さった。
だって実のところ周太は女性に好かれると知っている、けれど周太本人は気づいていない。
まだ精神年齢が稚い周太は純粋すぎて、自身への好意に鈍すぎる。そんな無防備に焦燥は募ってしまう。
これで否定されなかったら痛すぎる、こんな痛手どうするんだろう?

「もてるわけじゃないとおもうけど…嫌われるよりは、いいよね?」

―痛っ…い、

自分で言い出した癖に、痛烈なカウンターになって跳ね返った。
やっぱり女の子と恋愛したいのかな?そんな疑問が勝手に廻ってしまう、そんな意味で周太は言っていないと解かるのに。
本当に周太に他意はないのに、勝手に自分で大打撃。こんなことが最近は増えてきた。

「そうだな。嫌われるより、好かれるほうが良いよな、」

穏やかな声で自分の口が言っている、心はいま青痣が疼くのに?
こんな痛みを抱え込んでいるくせに、つい格好つけて理解者ぶってる自分がいる。
周太を好きになる前は、もっと強気だったのに?

―相手に嫌われても良かったから、だから強気にワガママも言えたんだ

ふと心裡に気付く、前と今の自分の違い。
過去の彼女たちになら「他の男とかに愛想よくしないで?」と笑って言えた。
けれど周太には何も言えない、器の狭い男だと思われたくなくて。
もっと好きになって欲しいから、もっと頼ってほしいから、自分を小さく見せたくない。
こんな虚栄を張ってでも、無理矢理でも自分を成長させて、周太に好きになってほしい。
でも、

でも、本当は誰よりも「俺以外を見ないでよ」って、ワガママ言いたいのに?

こんなふうに「周太有り」と「周太無し」で自分は別人みたい。
とくに光一と『血の契』を結んでから尚更に、周太が「特別」だと自覚が深まって。
光一のことが心底大切で抱きたいと思う、愛している、それなのに「恋」にはならない、キスで体と心を繋げてすら。
そして思い知らされる、心の底から体の芯から滲みだす。

“自分にとって周太は唯ひとりの恋人”

唯ひとり、跪いてすらも恋と愛を乞いたい。
今より少しでも嫌われることが怖い、もっと好きになってほしい。
みっともなくても構わない、この自分を愛して恋してくれるなら、なんだってする。
だからほら、こんなに身勝手な自分なのに、ワガママすらも言えなくなってしまった。

みっとみないほど、恋の奴隷。
こんな自分の現実は、まるで薔薇の棘の束縛。
身動きすれば痛くて血が奪われる、けれど香の甘さに心奪われて、もう痛みすら幸せで逃れたくない。
こんなふうに自分が誰かを求めるなんて、想っていなかったのに?

「英二、」

恋する声に名前を呼ばれて、思考の廻りがストップする。
ほら、もう思考も視界も、恋するひとしか映らない。いま自分を見てくれる瞳だけが世界の全て。
こんな自分は本当に恋の奴隷だな?そんな自問に英二は微笑んだ。

「なに、周太?」

返事に呼んだ声は、トーンが甘ったるい。
そんな自覚が我ながら可笑しくて、幸せで、嬉しいと思ってしまう。
何の用で話しかけてくれたのかな?何でも言うこと聴くよ?そんな想いと見つめた恋人は、すこし首傾げこんだ。

「女の子たち、本当は、英二に手を振りたいんだと思うけど?」

なんだ、そんなこと?

心裡がっかりして俯く自分が見える。
けれど今、校内を並んで歩いている自分は微笑んで、大人びた顔で答えた。

「そっか?でも俺のこと、呼んでいないだろ?その程度ってこと、」

呼ぶことも出来ないのなら、知らない。

だって本気なら、どうか振向いてほしいと勇気を抱いて、呼ぶだろう。
そんな勇気も無い相手を見る時間は無い、だって今、自分は本気で恋して愛してる。
周太への恋愛、光一への想い、それから美代の実直な眼差しを今、自分は受けとめている。
この大切な3人の想いを抱えながら、勇気すらないほど浅い感情に向き合う暇は、少しも無い。
そして、本音を言ってしまうなら、

―光一も美代さんも、周太にとって大切だから、尚更に護りたいんだ、

唯一の恋人が笑ってくれる為に大切、だから護りたい。
もちろん二人とも自分にとっても大切、けれどそれ以上に「周太の笑顔」の為に大切でいる。
こんなふうに自分勝手でワガママなまま、自分はこの恋人の為だけに生きている。

こんなに「好き過ぎる」自分はアブナイ男だろうな?
そんな自覚に笑った英二の腕に、ふわり掌の温もりがふれてくれた。

「どうした?周太、」

白い制服を透かす、恋人の温もりが嬉しい。
嬉しくて微笑んだ英二を黒目がちの瞳が見つめて、穏やかな声が言ってくれた。

「英二、俺はね…いつも呼んでるよ?」

嬉しすぎます、そんなお言葉。

だってそれって「いつも名前呼んで、好きって言ってるよ?」って意味ですよね?
そんなこと言われたら嬉しい、嬉しくて英二は恋人を抱え上げた。

「っ、えいじ?どうしたの」
「寮まで搬送トレーニングだよ、周太?」

答えて抱えたまま、校庭を走りだす。
走る視界の端、黒目がちの瞳は途惑って見つめて、困った声があがった。

「まって、みんなみてるよ?ほらおんなのこたちも、ね、はずかしいよ」
「恥ずかしくないよ、周太。トレーニングに協力して?」

答えるうちに寮の入口を潜る。
擦れ違う同期たちに「また訓練かよ?」と笑われて「そうだよ、」と笑い返す。
そうして自室の扉を開いて、すぐ鍵掛けるとベッドの上に恋人をおろした。

「…ね、えいじ?急にどうしたの?」

いったいどうしたの?
そう見つめてくれる瞳も可愛くて仕方ない、この瞳に今、自分しか映らないと幸せで仕方ない。
この幸せを見つめて英二は、唯ひとりの恋人に笑いかけた。

「いつも呼んでいてよ、周太。いつも、ずっと、俺だけを呼んで?」

ほら、やっぱりワガママを言ってしまう。さっきの「いつも呼んでる」に赦しを貰ったみたいに?
こんな想いと綺麗に微笑んで、恋する唇にキスふれた。




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