「涙」 哀切、愛惜、それから
第58話 双壁side K2 act.3
フロントガラス煌く木洩陽に、単独峰は蒼い。
森の樹間、梢のむこうに富士は緑の額縁から姿を顕わす。
大らかな裾野をひき白雲を靡かせ聳える、この雄渾な夏富士へと綺麗な笑顔ほころんだ。
「富士山、きれいだね、」
シートベルトを外す隣、嬉しそうに微笑んでくれる。
その笑顔が嬉しい、けれど今から話す緊張と自責が喉を詰まらせ返事が出ない。
それでも笑いかけて扉を開くと、森の濃やかな空気が頬ふれて鼓動ひとつ心を敲いた。
―英二の香、
ふっと心よぎらす香が、夜の時を想わせる。
いつもの狭い寮のベッド、お互い180cmを超える体ふれあわせ眠りにつく。
窮屈だと英二はいつも笑う、けれど狭いことが本当は自分は嬉しい。
狭ければ、自然と寄添いあえるから。
―今頃は御岳駐在に戻ったよね、それとも神社の駐屯所かな
いまどうしている?
そんなふう気がつけば考えてしまう、こんな相手はずっといなかった。
こうして離れている時間すら想うのは、こんなにも切なく感じるのは、なぜ?
―苦しい、こんなに物欲しげな自分が…でも離れられない
遠い16年前の夏、穂高連峰を縦走したのは今頃だった。
あのとき雅樹にキスした瞬間から、前以上に雅樹を想う時間は多く温かくなっていた。
奥多摩の山を見るたび穂高の夢を想い、多摩川の流れに梓川の約束が微笑んで、山桜の下で雅樹に逢える週末を待っていた。
それは楽しい時間だった、心待ちに訪れる週末は幸せだった、再会を約束して別れる瞬間は寂しくても「次」を信じられた。
それなのに、こうして英二と離れている只ひと時が、苦しい。
―なぜ苦しい?今日だって夜には逢えるのに…すぐ逢えるのに
ほんの数時間を離れるだけ、それなのに苦しい。
今すぐ逢いたいと思ってしまう、こんな依存するような自分に途惑う、そして不安になる。
そんな想いに溜息を見つめて振り返る、その視線の先、やわらかな黒髪が木洩陽へと緑に輝いた。
「…ドリアード、」
秘密の名前こぼれた向う、長めの前髪に緑の光ゆれる。
あわいブルーのパーカーを風にそよがせて、黒目がちの瞳が梢に微笑む。
きらきら明るい綺麗な瞳、木洩陽ふるなめらかな頬、穏やかで綺麗な優しい笑顔。
懐かしい冬、少年の日に見つめた桜の精霊が大人の姿になって、夏の木洩陽と幸せに笑っている。
―やっぱり君はドリアードだね…雅樹さんが恋したのは、君なの?
もう15年ずっと見つめた想いが今、最高峰の森でまばゆい。
見つめる横顔は、ただ幸せそうに森へ呼吸して最高峰を仰ぎ見る、その貌に驚きはない。
さっき新宿で車に乗せて、行先も告げぬまま眠りこんだ周太を連れてきた。それでも驚いた風もなく周太はいる。
―ここに連れてくること、予想していたのかね?
それもドリアードなら不思議は無いかもしれない?
そんな考えに微笑んだ心は緊張ゆるめられて、楽しげな横顔へと笑いかけた。
「もしかして周太、富士山に来るって解かってた?」
「ん…なんとなく、ね、」
穏やかな声が応えてくれる、その言葉が何だか嬉しい。
嬉しくて笑いかけた自分へと優しい笑顔も笑って、それが幸せに温かい。
けれど、こんなふう笑いあえるのも今が最期かもしれない。その覚悟ひとつ見つめて光一は口を開いた。
「周太。俺たち異動するんだ、第七機動隊の山岳レンジャーにね。俺は8月一日で、英二は9月一日だよ、」
告げた言葉に、黒目がちの瞳が驚いたよう瞬いた。
その話は初めて聴くな?そう見つめてくれる瞳に光一は話した。
「すこし前に決まったばかりなんだ、で、あいつはね?周太に伝えるタイミングは、結局のトコ俺に丸投げちゃってるんだよね。
あいつ忙しいんだ、俺が異動した後1ヶ月間は俺の代わりと後任者の育成をするからね、その準備もあるのに、北壁の遠征訓練もだろ?
しかも吉村先生の手伝いもある、青免も取らなきゃダメだしでね。英二が周太にちゃんと話せるのは、異動した後になるかもしれないね、」
英二は初任総合が終わったばかりの2年目、けれど既に多くの仕事を担当する。
御岳駐在所駐在員、山岳救助隊員、青梅署警察医の助手、そんな立場を生真面目に笑顔でこなす。
そこに引継ぎとパトカー運転免許の取得も加わって、遠征訓練も控える今は込み入った話をする余裕がない。
そして訓練から帰国すればすぐ8月一日は訪れて、自分は第七機動隊へ次期小隊長として異動し、英二は後任育成の忙しい時が始まる。
その後1ヵ月間はお互い時間も精神的にも余裕が無いだろう、そして1ヵ月が終った時、自分たちは部下と上司になっている。
―もう、とことん英二と向き合うんなら北壁の直後しかない、俺には…だから今、終らせないといけないね
ずっと考えて覚悟してきたこと。
この覚悟を今、目の前にいるひとへ聴いてほしい、そして終らせたい。
ふたつの北壁が終れば新しい時間を始める、それには「待つ」ことを終らせないといけない。
本当は甘えていたい、それでも新しい約束に自分は生きたい。この覚悟のままに15年の支えを断ち切るよう、光一は微笑んだ。
「俺、異動前に…北壁が終わったら抱かれたいんだ、英二に…上司と部下になる前に、対等なうちに抱かれたい、」
自分の言葉に、心の一部が命を消す。
ずっと大切にしてきた夢のひとつが今、息を止めて砕けてゆく。
もう告げてしまった「明日」への意志、それが15年の恋を終わらせる。その為にも怒られたい。
いま告げた言葉に怒ってほしい、罵ってほしい、そして16年を縋り続けた夢に諦めさせてほしい。
その想い見つめる真中、黒目がちの瞳に涙の翳が深く顕われ、けれど瞬きひとつで温もりが微笑んだ。
「ん、良かった…きっとね、すごく幸せだよ、」
温かい、優しい声の言祝ぎが、心を引っ叩いた。
―どうして?
どうして、そんな優しい言葉を言うの?
どうして君は微笑んでくれる?どうして温かく見つめてくれるの?
確かに君は前にも言ってくれた、英二に恋愛して良いと認めてくれた、けれど。
―プラトニックなら赦してくれるって想ってたけど、体は別じゃないの?
心が恋することは、誰にも止められない。だから赦してくれるとは想った。
けれど肉体関係は止めようとすれば出来る、だから自分も拒み続けていたのに?
それなのに今、自分は踏み越えてしまおうと言った、そんな身勝手を君は祝福するの?
こんなこと言う自分にどうして笑ってくれる?途惑い心が軋みあげ痛くて、光一は問いかけた。
「周太、どうして…?」
どうして君はそんなに綺麗?
問いかけながら、息絶えたばかりの夢に泉が生まれる。
いま砕いたはずの夢、それなのに欠片すら綺麗で心が泣き出していく。
綺麗で、心は奪われたまま喘ぐ傷みが喉つまらせる、それでも優しい笑顔に「告白」を訴えた。
「どうして罵らないんだよ…俺は、君の婚約者を浮気させるって言ってるんだよ?こんなこと言う俺のこと、もっと怒ってよ?
俺、自分が嘘つきになるの嫌で、泣きつきに来たんだ。こんなの卑怯だよ?解かってるだろ、俺は君を、秘密に巻き込もうってしてるね。
君のコト裏切る真似して、面倒な秘密まで押しつけるんだよ?…君の恋人を俺の体で、惑わせて…恋愛をねだろうって…なのに、どうして」
どうして?
どうして君は罵らない?
どんなに責められても良いと覚悟してきたのに?
純潔な君にとってこの選択は辛くないはずがない、それなのにどうして笑えるの?
そう見つめて問いかける自分を純粋な瞳が見つめてくれる、その眼差しの温もりが今は哀しいまま光一は告げた。
「あいつと俺が恋愛関係になるなんてね、本当は赦されない事だ。これから上司と部下として警察の世界を生きるんだ、俺たちは。
司法の番人ってヤツが役職超えて恋愛沙汰なんざ、今の日本警察じゃ問題沙汰だね、こんな秘密バレたら俺もあいつも終わりだよ?
それに君も巻き込むんだ、君に嘘吐くの嫌だって、君にまで秘密を押しつけて…それでも俺、あいつが好き、で…あいつだけ、で…っぅ、っ」
告げていく現実が、この心を抉る。
自分の選択が惹きこむ秘密と危険、それを英二が共に背負う事は構わない。
英二は全てを背負っても自分を抱きたいと願ってくれる、だからこそ自分も応えたいと願い覚悟を見つめてきた。
こんなふうに互いが背負う事は「恋愛」なら当然だろう、そんな危険の共有すら幸せだと想っている、後悔なんて欠片も無い。
けれど、いちばん護りたい存在をも巻き込んでいく自分が哀しい、このひとの婚約者に「唯ひとり」を見つめた自分が、苦しい。
哀しくて、苦しいまま見つめる視界が熱と滲みだし、頬伝う雫と言葉がこぼれた。
「もう、あいつと離れたくない…でも1ヶ月離れるんだ、そのあとはもう…上司と部下だ、もう全部が対等じゃなくなる、だから…
今度、北壁を2つ俺と一緒に登ったら、俺とあいつは対等になれるよ?だけど…異動する前までだけだ、どこも対等って言えるのは。だから、
あいつが嫌だって言えるうちに知りたい、本気で抱くほど俺を好きなのか知りたい、でも…君を傷付けるんだ…ね、罵ってよ…俺を怒ってよ?」
どうかお願い、俺を罵って怒って、傷つけて?
君を傷付けるのに自分が赦されるなんて思っていない、山の化身を傷付ける自分が赦せない。
雅樹が恋した山桜のドリアード、君がいるから雅樹は奥多摩に通い、そして自分のことも愛してくれた。
あの大切な人に出逢わせてくれた存在を自分は傷つける、それが雅樹への裏切りとも想えるまま赦せない。
雅樹にも自分にも大切な君、それなのに自分の願いが傷付けてしまう、その自責と熱情のはざまで光一は泣いた。
「周太が本当に大事で、なのに…あいつに愛されたいよ、一瞬でもいいから俺だけ見てほしいって想ってる…でも君を泣かせるのは嫌だ」
あの輝いた夏の幸福をもう一度だけ、一瞬でも良いから自分に与えて?
そんな願いにずっと泣いてきた、唯ひとりのアンザイレンパートナーを「雅樹」を探し求めて苦しんだ。
夢を懸けた名前を自分にくれた人、いちばん信じて愛して山の夢を贈ってくれた、あの美しい人を求め泣いていた。
その涙は君に出逢い救われた、ただ一瞬のような一度の出逢いでも山桜の時は永遠だった、この「永遠」に縋って生きられた。
あの雪の森に笑いあった穏やかな時、白銀まばゆい山桜の約束、この優しい記憶に癒されながら15年を生きてきた。
そんな支えをくれた君を裏切ろうとする、そんな自分をどうか責めてほしい、罵って罰してほしい。
―愛されたい、だから、その前に君から嫌われて自分を罰したいんだ…こんな俺を責めてよ?
英二が告白してくれた夜、あのとき英二はこの恋愛を「裏切りではない」と言ってくれた。
英二と自分が恋愛することで周太を護っていける、そう言ってくれた通りなのかもしれない。
けれど無傷のまま幸福を掴めるなんて、そんなに都合の良いこと想えない。だって今すでに心痛むのに?
それでも諦められない英二への想いが涙こぼれさす、その哀しい痛みへと優しい掌が伸ばされ涙ぬぐい、きれいな聲が微笑んだ。
「光一は俺のこと、信じて待っていてくれたでしょ?あの森でずっと…それで俺の罪まで肩代わりしてくれて。それに比べたら、ね?」
この冬1月の森、周太が犯した威嚇発砲の罪を自分は肩代わりした。
けれどそんなことが何だと言うのだろう?元はと言えば自分が原因で、周太に罪を犯させたのに?
―違う、周太。俺が元から全部、悪いんだよ?俺のワガママが君を追い詰めたんだ、
あのとき冬富士の雪崩で自分は怪我を負った、それが発端だった。
それが山っ子のプライドに障って秘密にしたかった、その秘密を護るため英二を脅迫した。
その脅迫が「英二を強姦すること」だった、それが周太を哀しませ追い詰めて、自分に銃口を向けさせてしまった。
―俺のプライドと、嫉妬が君を追い詰めただけ…だから威嚇発砲は、元から俺の罪なんだ、
あのとき既に「周太が山桜のドリアード」だと確信していた、あとは周太の記憶次第で確定だと思っていた。
だから英二が羨ましかった、男同士でも周太との結婚を真剣に考える笑顔がまぶしくて、そう出来ない自分が悔しかった。
そんな嫉妬と羨望が英二へのセクシャルな悪ふざけにもなっていた、ドリアードと想い交せる体に憧れて触れたかった。
そうして触れるうちに懐かしくなった、もう消えてしまった夏の温もりと空気を英二に見つけて、触れることが好きになった。
そんなスキンシップに英二は困りながらも一緒に笑ってくれた、いつも穏やかで綺麗な笑顔で見つめて受け留めてくれた。
周太のことで脅迫したときも真剣に受けとめて約束をくれた。そんな全てが深い信頼になって、本当に好きだと想い始めた。
―あの威嚇発砲があったから、本気で英二を信じられるって想えたんだ…それで好きになっちゃって、ごめんね…
どれも自分が発端だった、それなのに周太は「待っていてくれた」「肩代わりしてくれた」と感謝してくれる。
こんなふうに純粋な周太、強い優しさを抱いている穏やかな強靭は懐かしい人に似ていて、だからこそ信じてしまう。
雅樹が愛した山桜のドリアード、そう信じることで癒される時間をくれた人。この想い見つめる15年の夢は綺麗に笑ってくれた。
「秘密を背負わせてくれて、嬉しいよ?俺も一緒に秘密を背負えるんだって信じてもらえて、認めてもらえて本当に嬉しいんだよ?
なによりね、光一が幸せになろうって思ってくれたことが嬉しいよ?大好きな人と幸せな時間を過ごしてくれることが、嬉しいんだ。
しかもね、その相手が俺の大切な人で、光一がその人を幸せにしてくれるんだよ?ふたりがお互い幸せに出来るのなら、俺は幸せだよ」
どうして君は、そんなに綺麗?
ただ自分と英二の幸せだけを願ってくれる、その眼差しがまばゆい。
こんなふうに言われるなんて想わなかった、けれど納得もしている、だからこそ哀しい。
―俺の幸せを本気で願ってくれるなんて、雅樹さんと同じだね…やっぱり君は雅樹さんのドリアードだね
同じ願いを、同じよう穏やかな温もりに包んで贈ってくれる、それが嬉しくて哀しい。
あんまり優しくて強さが眩しくて、綺麗で、砕いたはずの夢が綺麗すぎて哀しくなってしまう。
優しい言葉くるまれるほどに哀しい、この愛惜に見つめるうち気がついてしまう、今なにがあるのか?
この「今」に周太が抱く願いと覚悟を見つめて、15年を懸けた我儘と一緒に光一は真直ぐ問いかけた。
「周太…俺はね、周太が幸せじゃなかったら嫌なんだ。だから本当のこと言ってよ、俺のこと罵ってもいい…本音を聴かせてよ?
何か周太は覚悟してるよね?それって俺が英二とえっちすることだけじゃない、もっと他にあるね?だからそんなふうに言って…教えてよ、」
なにか周太は覚悟している、そんな決意が黒目がちの瞳に映っている。
この決意が不安にさせる、見つめる笑顔の透けるよう明るい気配が鼓動ひとつ、大きく打つ。
この決意があるからこそ、尚更に英二を自分に託そうとする?そんな想い見つめた先で綺麗な笑顔ほころんだ。
「覚悟なら警察官になるって決めた時してるよ?それよりも光一、俺のお願いをちゃんと聴いて?英二を幸せにする約束をして?」
どうか約束を今、聴かせて?
そう笑いかけてくれる笑顔は純粋なまま優しくて、15年前と変わらない。
ずっと記憶で見つめ続けた大好きな笑顔、その笑顔への色褪せない想いに光一は微笑んだ。
「うん…君のお願いも約束も、聴かないなんて俺には出来ないよ?だって君は、俺の山桜のドリアードなんだ、唯ひとりの、」
「ん、俺は光一のドリアードだね?だから言う事きちんと聴いて、」
大好きな笑顔が笑いかけて、黒目がちの瞳は無垢な眼差しでいる。
こんな瞳をしながら周太の運命は、あまりに苛酷な現実が多すぎて涯に待つ分岐が解からない。
この現実の全てを周太は知らない、それでも無意識に気がついているから英二を託すのだろうか?
たぶん周太なら「無意識」を裏付ける理由も見つけている、そんな考えの視界で綺麗な笑顔が願ってくれた。
「光一はね、どこでも英二と一緒に行けるでしょう?でも、俺には出来ないんだ。俺ね、ちょっと気管支が弱いみたいなの。
だから英二が夢見ている高い山とか雪の深い所は、俺が一緒に行くことは出来ない。そういうの英二は寂しがるところあるでしょ?
だから光一に英二と一緒にいてほしいよ?英二が孤独にならないように、ずっと笑ってくれているように、いつも一緒にいてあげてほしい、」
本気でそんなこと、言うの?
君は運命を知っているの?だからそんなこと言うの?
「お願い、光一。英二を幸せにしてあげて?山でも、それ以外でも、英二が望む通り受けとめて?夜も独りにしないで抱きとめて?
光一も幸せに笑ってほしい。本当に大好きな人と抱きあって体温を感じ合うのはね、すごく幸せなことだよ?だから光一も幸せになって、」
どうか、あなたも幸せでいて?
そうシンプルに願ってくれる眼差しは綺麗で、透明なほど綺麗で不安になる。
不安で、けれど願ってくれる想いが温かくて優しくて、瞳に生まれた熱が頬へこぼれた。
「…周太、それが君のお願いだって信じていいの?」
本当に、信じればいいの?
信じて英二と抱きあえば、君は本当に喜ぶの?
もし自分が英二と抱きあうのなら君を待つ時間も終わる、それを君は望むと言うの?
―もし英二に抱かれるんなら本当に終る、信じて待っていた時間を諦めることになる
16年前の晩秋の記憶、独り見つめた絶望と山桜に懸けた夢の真実。
その全てを終わらせて「新しい約束」を結ぶことを、雅樹の山桜は望むのだろうか?
大切な伴侶を自分に差し出しても夢終わらせる事を願い、そして自分の幸福を祈ってくれる?
「周太、聴かせてよ?俺が英二とえっちすること、本気で君は喜んでくれるってコト?…それが君の幸せになるって、本気で言えるの?」
「ん、幸せだよ?」
穏やかな声が応えて、黒目がちの瞳は真直ぐ見上げ微笑んだ。
その優しい掌が静かに頬へ伸ばされる、そして涙を指で拭ってくれる。
どこまでも優しい温もりが頬ふれる、この温もり愛しいまま掌に頬に指くるんで笑いかけた。
「ほんとうに君は綺麗だね?強くて眩しい…なにも変わってないんだね、初めて逢ったときから君は…本当にドリアードなんだね…」
また零れる涙に微笑んで、掌に包んだ優しい指にキスをする。
唇ふれる温もりは優しくて「生きた人間」なのだと教えて、夢が終わると心に響く。
それでも変らない想い見つめる笑顔は優しくて、穏やかなトーンで周太は言ってくれた。
「ん、そうだね…きっと光一の山桜のドリアードだよ?だから言うこと聴いて、俺のこと大切だったら言うこと聴いて?」
「何でも聴く、君と山と、あいつから離れること以外なら何でも…だから言って、ドリアード?」
ドリアード、こんな「山の秘密」に名前を呼んで、涙あふれだす。
この名を教えてくれた懐かしい俤、大好きな俤を待ち続けた16年の夢が今、涙に融けていく。
ずっと待ち続け信じていたかった夢がもうじき終わる、その愛惜が、縋りたい想いが涙になって墜ちていく。
本当に信じていた、夢のようでも馬鹿だと思っても信じていた、山桜のドリアードなら、山の神なら叶えてくれると待っていた。
―ずっと君を待っていた、君になら出来るって想ってた…生き返らせることが出来るって、信じて待っていたんだ、
あの夏の幸せを、雅樹を生き返らせることが「山」になら出来る、そう信じて自分は待っていた。
(to be continued)
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第58話 双壁side K2 act.3
フロントガラス煌く木洩陽に、単独峰は蒼い。
森の樹間、梢のむこうに富士は緑の額縁から姿を顕わす。
大らかな裾野をひき白雲を靡かせ聳える、この雄渾な夏富士へと綺麗な笑顔ほころんだ。
「富士山、きれいだね、」
シートベルトを外す隣、嬉しそうに微笑んでくれる。
その笑顔が嬉しい、けれど今から話す緊張と自責が喉を詰まらせ返事が出ない。
それでも笑いかけて扉を開くと、森の濃やかな空気が頬ふれて鼓動ひとつ心を敲いた。
―英二の香、
ふっと心よぎらす香が、夜の時を想わせる。
いつもの狭い寮のベッド、お互い180cmを超える体ふれあわせ眠りにつく。
窮屈だと英二はいつも笑う、けれど狭いことが本当は自分は嬉しい。
狭ければ、自然と寄添いあえるから。
―今頃は御岳駐在に戻ったよね、それとも神社の駐屯所かな
いまどうしている?
そんなふう気がつけば考えてしまう、こんな相手はずっといなかった。
こうして離れている時間すら想うのは、こんなにも切なく感じるのは、なぜ?
―苦しい、こんなに物欲しげな自分が…でも離れられない
遠い16年前の夏、穂高連峰を縦走したのは今頃だった。
あのとき雅樹にキスした瞬間から、前以上に雅樹を想う時間は多く温かくなっていた。
奥多摩の山を見るたび穂高の夢を想い、多摩川の流れに梓川の約束が微笑んで、山桜の下で雅樹に逢える週末を待っていた。
それは楽しい時間だった、心待ちに訪れる週末は幸せだった、再会を約束して別れる瞬間は寂しくても「次」を信じられた。
それなのに、こうして英二と離れている只ひと時が、苦しい。
―なぜ苦しい?今日だって夜には逢えるのに…すぐ逢えるのに
ほんの数時間を離れるだけ、それなのに苦しい。
今すぐ逢いたいと思ってしまう、こんな依存するような自分に途惑う、そして不安になる。
そんな想いに溜息を見つめて振り返る、その視線の先、やわらかな黒髪が木洩陽へと緑に輝いた。
「…ドリアード、」
秘密の名前こぼれた向う、長めの前髪に緑の光ゆれる。
あわいブルーのパーカーを風にそよがせて、黒目がちの瞳が梢に微笑む。
きらきら明るい綺麗な瞳、木洩陽ふるなめらかな頬、穏やかで綺麗な優しい笑顔。
懐かしい冬、少年の日に見つめた桜の精霊が大人の姿になって、夏の木洩陽と幸せに笑っている。
―やっぱり君はドリアードだね…雅樹さんが恋したのは、君なの?
もう15年ずっと見つめた想いが今、最高峰の森でまばゆい。
見つめる横顔は、ただ幸せそうに森へ呼吸して最高峰を仰ぎ見る、その貌に驚きはない。
さっき新宿で車に乗せて、行先も告げぬまま眠りこんだ周太を連れてきた。それでも驚いた風もなく周太はいる。
―ここに連れてくること、予想していたのかね?
それもドリアードなら不思議は無いかもしれない?
そんな考えに微笑んだ心は緊張ゆるめられて、楽しげな横顔へと笑いかけた。
「もしかして周太、富士山に来るって解かってた?」
「ん…なんとなく、ね、」
穏やかな声が応えてくれる、その言葉が何だか嬉しい。
嬉しくて笑いかけた自分へと優しい笑顔も笑って、それが幸せに温かい。
けれど、こんなふう笑いあえるのも今が最期かもしれない。その覚悟ひとつ見つめて光一は口を開いた。
「周太。俺たち異動するんだ、第七機動隊の山岳レンジャーにね。俺は8月一日で、英二は9月一日だよ、」
告げた言葉に、黒目がちの瞳が驚いたよう瞬いた。
その話は初めて聴くな?そう見つめてくれる瞳に光一は話した。
「すこし前に決まったばかりなんだ、で、あいつはね?周太に伝えるタイミングは、結局のトコ俺に丸投げちゃってるんだよね。
あいつ忙しいんだ、俺が異動した後1ヶ月間は俺の代わりと後任者の育成をするからね、その準備もあるのに、北壁の遠征訓練もだろ?
しかも吉村先生の手伝いもある、青免も取らなきゃダメだしでね。英二が周太にちゃんと話せるのは、異動した後になるかもしれないね、」
英二は初任総合が終わったばかりの2年目、けれど既に多くの仕事を担当する。
御岳駐在所駐在員、山岳救助隊員、青梅署警察医の助手、そんな立場を生真面目に笑顔でこなす。
そこに引継ぎとパトカー運転免許の取得も加わって、遠征訓練も控える今は込み入った話をする余裕がない。
そして訓練から帰国すればすぐ8月一日は訪れて、自分は第七機動隊へ次期小隊長として異動し、英二は後任育成の忙しい時が始まる。
その後1ヵ月間はお互い時間も精神的にも余裕が無いだろう、そして1ヵ月が終った時、自分たちは部下と上司になっている。
―もう、とことん英二と向き合うんなら北壁の直後しかない、俺には…だから今、終らせないといけないね
ずっと考えて覚悟してきたこと。
この覚悟を今、目の前にいるひとへ聴いてほしい、そして終らせたい。
ふたつの北壁が終れば新しい時間を始める、それには「待つ」ことを終らせないといけない。
本当は甘えていたい、それでも新しい約束に自分は生きたい。この覚悟のままに15年の支えを断ち切るよう、光一は微笑んだ。
「俺、異動前に…北壁が終わったら抱かれたいんだ、英二に…上司と部下になる前に、対等なうちに抱かれたい、」
自分の言葉に、心の一部が命を消す。
ずっと大切にしてきた夢のひとつが今、息を止めて砕けてゆく。
もう告げてしまった「明日」への意志、それが15年の恋を終わらせる。その為にも怒られたい。
いま告げた言葉に怒ってほしい、罵ってほしい、そして16年を縋り続けた夢に諦めさせてほしい。
その想い見つめる真中、黒目がちの瞳に涙の翳が深く顕われ、けれど瞬きひとつで温もりが微笑んだ。
「ん、良かった…きっとね、すごく幸せだよ、」
温かい、優しい声の言祝ぎが、心を引っ叩いた。
―どうして?
どうして、そんな優しい言葉を言うの?
どうして君は微笑んでくれる?どうして温かく見つめてくれるの?
確かに君は前にも言ってくれた、英二に恋愛して良いと認めてくれた、けれど。
―プラトニックなら赦してくれるって想ってたけど、体は別じゃないの?
心が恋することは、誰にも止められない。だから赦してくれるとは想った。
けれど肉体関係は止めようとすれば出来る、だから自分も拒み続けていたのに?
それなのに今、自分は踏み越えてしまおうと言った、そんな身勝手を君は祝福するの?
こんなこと言う自分にどうして笑ってくれる?途惑い心が軋みあげ痛くて、光一は問いかけた。
「周太、どうして…?」
どうして君はそんなに綺麗?
問いかけながら、息絶えたばかりの夢に泉が生まれる。
いま砕いたはずの夢、それなのに欠片すら綺麗で心が泣き出していく。
綺麗で、心は奪われたまま喘ぐ傷みが喉つまらせる、それでも優しい笑顔に「告白」を訴えた。
「どうして罵らないんだよ…俺は、君の婚約者を浮気させるって言ってるんだよ?こんなこと言う俺のこと、もっと怒ってよ?
俺、自分が嘘つきになるの嫌で、泣きつきに来たんだ。こんなの卑怯だよ?解かってるだろ、俺は君を、秘密に巻き込もうってしてるね。
君のコト裏切る真似して、面倒な秘密まで押しつけるんだよ?…君の恋人を俺の体で、惑わせて…恋愛をねだろうって…なのに、どうして」
どうして?
どうして君は罵らない?
どんなに責められても良いと覚悟してきたのに?
純潔な君にとってこの選択は辛くないはずがない、それなのにどうして笑えるの?
そう見つめて問いかける自分を純粋な瞳が見つめてくれる、その眼差しの温もりが今は哀しいまま光一は告げた。
「あいつと俺が恋愛関係になるなんてね、本当は赦されない事だ。これから上司と部下として警察の世界を生きるんだ、俺たちは。
司法の番人ってヤツが役職超えて恋愛沙汰なんざ、今の日本警察じゃ問題沙汰だね、こんな秘密バレたら俺もあいつも終わりだよ?
それに君も巻き込むんだ、君に嘘吐くの嫌だって、君にまで秘密を押しつけて…それでも俺、あいつが好き、で…あいつだけ、で…っぅ、っ」
告げていく現実が、この心を抉る。
自分の選択が惹きこむ秘密と危険、それを英二が共に背負う事は構わない。
英二は全てを背負っても自分を抱きたいと願ってくれる、だからこそ自分も応えたいと願い覚悟を見つめてきた。
こんなふうに互いが背負う事は「恋愛」なら当然だろう、そんな危険の共有すら幸せだと想っている、後悔なんて欠片も無い。
けれど、いちばん護りたい存在をも巻き込んでいく自分が哀しい、このひとの婚約者に「唯ひとり」を見つめた自分が、苦しい。
哀しくて、苦しいまま見つめる視界が熱と滲みだし、頬伝う雫と言葉がこぼれた。
「もう、あいつと離れたくない…でも1ヶ月離れるんだ、そのあとはもう…上司と部下だ、もう全部が対等じゃなくなる、だから…
今度、北壁を2つ俺と一緒に登ったら、俺とあいつは対等になれるよ?だけど…異動する前までだけだ、どこも対等って言えるのは。だから、
あいつが嫌だって言えるうちに知りたい、本気で抱くほど俺を好きなのか知りたい、でも…君を傷付けるんだ…ね、罵ってよ…俺を怒ってよ?」
どうかお願い、俺を罵って怒って、傷つけて?
君を傷付けるのに自分が赦されるなんて思っていない、山の化身を傷付ける自分が赦せない。
雅樹が恋した山桜のドリアード、君がいるから雅樹は奥多摩に通い、そして自分のことも愛してくれた。
あの大切な人に出逢わせてくれた存在を自分は傷つける、それが雅樹への裏切りとも想えるまま赦せない。
雅樹にも自分にも大切な君、それなのに自分の願いが傷付けてしまう、その自責と熱情のはざまで光一は泣いた。
「周太が本当に大事で、なのに…あいつに愛されたいよ、一瞬でもいいから俺だけ見てほしいって想ってる…でも君を泣かせるのは嫌だ」
あの輝いた夏の幸福をもう一度だけ、一瞬でも良いから自分に与えて?
そんな願いにずっと泣いてきた、唯ひとりのアンザイレンパートナーを「雅樹」を探し求めて苦しんだ。
夢を懸けた名前を自分にくれた人、いちばん信じて愛して山の夢を贈ってくれた、あの美しい人を求め泣いていた。
その涙は君に出逢い救われた、ただ一瞬のような一度の出逢いでも山桜の時は永遠だった、この「永遠」に縋って生きられた。
あの雪の森に笑いあった穏やかな時、白銀まばゆい山桜の約束、この優しい記憶に癒されながら15年を生きてきた。
そんな支えをくれた君を裏切ろうとする、そんな自分をどうか責めてほしい、罵って罰してほしい。
―愛されたい、だから、その前に君から嫌われて自分を罰したいんだ…こんな俺を責めてよ?
英二が告白してくれた夜、あのとき英二はこの恋愛を「裏切りではない」と言ってくれた。
英二と自分が恋愛することで周太を護っていける、そう言ってくれた通りなのかもしれない。
けれど無傷のまま幸福を掴めるなんて、そんなに都合の良いこと想えない。だって今すでに心痛むのに?
それでも諦められない英二への想いが涙こぼれさす、その哀しい痛みへと優しい掌が伸ばされ涙ぬぐい、きれいな聲が微笑んだ。
「光一は俺のこと、信じて待っていてくれたでしょ?あの森でずっと…それで俺の罪まで肩代わりしてくれて。それに比べたら、ね?」
この冬1月の森、周太が犯した威嚇発砲の罪を自分は肩代わりした。
けれどそんなことが何だと言うのだろう?元はと言えば自分が原因で、周太に罪を犯させたのに?
―違う、周太。俺が元から全部、悪いんだよ?俺のワガママが君を追い詰めたんだ、
あのとき冬富士の雪崩で自分は怪我を負った、それが発端だった。
それが山っ子のプライドに障って秘密にしたかった、その秘密を護るため英二を脅迫した。
その脅迫が「英二を強姦すること」だった、それが周太を哀しませ追い詰めて、自分に銃口を向けさせてしまった。
―俺のプライドと、嫉妬が君を追い詰めただけ…だから威嚇発砲は、元から俺の罪なんだ、
あのとき既に「周太が山桜のドリアード」だと確信していた、あとは周太の記憶次第で確定だと思っていた。
だから英二が羨ましかった、男同士でも周太との結婚を真剣に考える笑顔がまぶしくて、そう出来ない自分が悔しかった。
そんな嫉妬と羨望が英二へのセクシャルな悪ふざけにもなっていた、ドリアードと想い交せる体に憧れて触れたかった。
そうして触れるうちに懐かしくなった、もう消えてしまった夏の温もりと空気を英二に見つけて、触れることが好きになった。
そんなスキンシップに英二は困りながらも一緒に笑ってくれた、いつも穏やかで綺麗な笑顔で見つめて受け留めてくれた。
周太のことで脅迫したときも真剣に受けとめて約束をくれた。そんな全てが深い信頼になって、本当に好きだと想い始めた。
―あの威嚇発砲があったから、本気で英二を信じられるって想えたんだ…それで好きになっちゃって、ごめんね…
どれも自分が発端だった、それなのに周太は「待っていてくれた」「肩代わりしてくれた」と感謝してくれる。
こんなふうに純粋な周太、強い優しさを抱いている穏やかな強靭は懐かしい人に似ていて、だからこそ信じてしまう。
雅樹が愛した山桜のドリアード、そう信じることで癒される時間をくれた人。この想い見つめる15年の夢は綺麗に笑ってくれた。
「秘密を背負わせてくれて、嬉しいよ?俺も一緒に秘密を背負えるんだって信じてもらえて、認めてもらえて本当に嬉しいんだよ?
なによりね、光一が幸せになろうって思ってくれたことが嬉しいよ?大好きな人と幸せな時間を過ごしてくれることが、嬉しいんだ。
しかもね、その相手が俺の大切な人で、光一がその人を幸せにしてくれるんだよ?ふたりがお互い幸せに出来るのなら、俺は幸せだよ」
どうして君は、そんなに綺麗?
ただ自分と英二の幸せだけを願ってくれる、その眼差しがまばゆい。
こんなふうに言われるなんて想わなかった、けれど納得もしている、だからこそ哀しい。
―俺の幸せを本気で願ってくれるなんて、雅樹さんと同じだね…やっぱり君は雅樹さんのドリアードだね
同じ願いを、同じよう穏やかな温もりに包んで贈ってくれる、それが嬉しくて哀しい。
あんまり優しくて強さが眩しくて、綺麗で、砕いたはずの夢が綺麗すぎて哀しくなってしまう。
優しい言葉くるまれるほどに哀しい、この愛惜に見つめるうち気がついてしまう、今なにがあるのか?
この「今」に周太が抱く願いと覚悟を見つめて、15年を懸けた我儘と一緒に光一は真直ぐ問いかけた。
「周太…俺はね、周太が幸せじゃなかったら嫌なんだ。だから本当のこと言ってよ、俺のこと罵ってもいい…本音を聴かせてよ?
何か周太は覚悟してるよね?それって俺が英二とえっちすることだけじゃない、もっと他にあるね?だからそんなふうに言って…教えてよ、」
なにか周太は覚悟している、そんな決意が黒目がちの瞳に映っている。
この決意が不安にさせる、見つめる笑顔の透けるよう明るい気配が鼓動ひとつ、大きく打つ。
この決意があるからこそ、尚更に英二を自分に託そうとする?そんな想い見つめた先で綺麗な笑顔ほころんだ。
「覚悟なら警察官になるって決めた時してるよ?それよりも光一、俺のお願いをちゃんと聴いて?英二を幸せにする約束をして?」
どうか約束を今、聴かせて?
そう笑いかけてくれる笑顔は純粋なまま優しくて、15年前と変わらない。
ずっと記憶で見つめ続けた大好きな笑顔、その笑顔への色褪せない想いに光一は微笑んだ。
「うん…君のお願いも約束も、聴かないなんて俺には出来ないよ?だって君は、俺の山桜のドリアードなんだ、唯ひとりの、」
「ん、俺は光一のドリアードだね?だから言う事きちんと聴いて、」
大好きな笑顔が笑いかけて、黒目がちの瞳は無垢な眼差しでいる。
こんな瞳をしながら周太の運命は、あまりに苛酷な現実が多すぎて涯に待つ分岐が解からない。
この現実の全てを周太は知らない、それでも無意識に気がついているから英二を託すのだろうか?
たぶん周太なら「無意識」を裏付ける理由も見つけている、そんな考えの視界で綺麗な笑顔が願ってくれた。
「光一はね、どこでも英二と一緒に行けるでしょう?でも、俺には出来ないんだ。俺ね、ちょっと気管支が弱いみたいなの。
だから英二が夢見ている高い山とか雪の深い所は、俺が一緒に行くことは出来ない。そういうの英二は寂しがるところあるでしょ?
だから光一に英二と一緒にいてほしいよ?英二が孤独にならないように、ずっと笑ってくれているように、いつも一緒にいてあげてほしい、」
本気でそんなこと、言うの?
君は運命を知っているの?だからそんなこと言うの?
「お願い、光一。英二を幸せにしてあげて?山でも、それ以外でも、英二が望む通り受けとめて?夜も独りにしないで抱きとめて?
光一も幸せに笑ってほしい。本当に大好きな人と抱きあって体温を感じ合うのはね、すごく幸せなことだよ?だから光一も幸せになって、」
どうか、あなたも幸せでいて?
そうシンプルに願ってくれる眼差しは綺麗で、透明なほど綺麗で不安になる。
不安で、けれど願ってくれる想いが温かくて優しくて、瞳に生まれた熱が頬へこぼれた。
「…周太、それが君のお願いだって信じていいの?」
本当に、信じればいいの?
信じて英二と抱きあえば、君は本当に喜ぶの?
もし自分が英二と抱きあうのなら君を待つ時間も終わる、それを君は望むと言うの?
―もし英二に抱かれるんなら本当に終る、信じて待っていた時間を諦めることになる
16年前の晩秋の記憶、独り見つめた絶望と山桜に懸けた夢の真実。
その全てを終わらせて「新しい約束」を結ぶことを、雅樹の山桜は望むのだろうか?
大切な伴侶を自分に差し出しても夢終わらせる事を願い、そして自分の幸福を祈ってくれる?
「周太、聴かせてよ?俺が英二とえっちすること、本気で君は喜んでくれるってコト?…それが君の幸せになるって、本気で言えるの?」
「ん、幸せだよ?」
穏やかな声が応えて、黒目がちの瞳は真直ぐ見上げ微笑んだ。
その優しい掌が静かに頬へ伸ばされる、そして涙を指で拭ってくれる。
どこまでも優しい温もりが頬ふれる、この温もり愛しいまま掌に頬に指くるんで笑いかけた。
「ほんとうに君は綺麗だね?強くて眩しい…なにも変わってないんだね、初めて逢ったときから君は…本当にドリアードなんだね…」
また零れる涙に微笑んで、掌に包んだ優しい指にキスをする。
唇ふれる温もりは優しくて「生きた人間」なのだと教えて、夢が終わると心に響く。
それでも変らない想い見つめる笑顔は優しくて、穏やかなトーンで周太は言ってくれた。
「ん、そうだね…きっと光一の山桜のドリアードだよ?だから言うこと聴いて、俺のこと大切だったら言うこと聴いて?」
「何でも聴く、君と山と、あいつから離れること以外なら何でも…だから言って、ドリアード?」
ドリアード、こんな「山の秘密」に名前を呼んで、涙あふれだす。
この名を教えてくれた懐かしい俤、大好きな俤を待ち続けた16年の夢が今、涙に融けていく。
ずっと待ち続け信じていたかった夢がもうじき終わる、その愛惜が、縋りたい想いが涙になって墜ちていく。
本当に信じていた、夢のようでも馬鹿だと思っても信じていた、山桜のドリアードなら、山の神なら叶えてくれると待っていた。
―ずっと君を待っていた、君になら出来るって想ってた…生き返らせることが出来るって、信じて待っていたんだ、
あの夏の幸せを、雅樹を生き返らせることが「山」になら出来る、そう信じて自分は待っていた。
(to be continued)
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