萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

深夜日記:落陽、晩秋の陰翳

2012-12-16 23:21:58 | 雑談
きらめく陰翳、耀きに、



こんばんわ、夕焼けの美しかった神奈川です。
雨のち晴れだった昨日、久しぶりに津久井・相模湖方面へ行ってきました。
ブラウンの濃淡が山を染める晩秋、交わす梢の影が湖畔の光に美しかったです。
もう葉を落とした枝、けれど花芽をつけながら蔓草をからます桜の木に春の豊麗が想われます。

第58話「双壁K2・12」加筆校正が終わりました、当初の倍になっています。
国村@ツェルマット、宮田への想いと進路への覚悟です。この続編を今夜UPの予定です、日付は変るかと思いますが。
今回の第58話は国村サイドも描いていますが、宮田と同じ状況に立っていても全く違う心理にある事が描いていて面白いですね。
読まれている方はいかがですか?また感想ご意見など、賛否両論とも教えて下さると嬉しいです。

あと、短編「Lettre de la memoire雪の華」で冬物語トーナメントに参加してみました。
12/17から投票スタートします、国村ファンの方いらしたら応援?してやって下さい。
冬物語ブログトーナメント

取り急ぎ、
















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第58話 双壁side K2 act.12

2012-12-16 01:28:29 | side K2
「天」 Lumiere du mountaintop、約束に祝福を今、



第58話 双壁side K2 act.12

駈け登っていく森、呼んでも応えは無いまま木洩陽はふる。
見まわしても黒いミリタリージャケットの長身は見えない、ただ樹木と草花が静謐に佇む。
まだ明るい午後の森、それなのに見渡す視界は光を失ってただ、焦燥感が涙の紗に透けている。

「英二っ…どこだ!」

心から叫んで、けれど応えてくれない静寂が心を射す。
16年前の晩秋、あわい雪ふる紅葉の森、幾ら呼んでも大好きな声は応えてくれなかった。
あの時のように、もう二度と応えてくれないまま、遠く離れて逢えなくなってしまったら?

『雅樹さんっ、まさきさぁんっ!約束だろっ、俺のトコ帰ってくるって、また山桜に逢いに来るって約束っ…どこにいるのぉっ…ぅっ…ぁ』

幼い自分の声が、いま駈けていく森の深くで泣き出していく。
それでも風に誘われるまま脚は坂道を走り、その向こう草地が見えてくる。
緑と花を踏み分け青空へ出た視界、岩根にダークブラウンの髪した後姿が座っていた。

「英二っ!」

呼びかけた声に、白皙の貌が振り向いてくれる。
その穏やかで哀しい笑顔を見た瞬間に、心あふれて涙になった。

―大好きだ、離れるなんて嫌だ!

心の真中あふれた聲に、背中を突き飛ばされて脚は駈ける。
そして岩根の許で膝は崩れ落ちて、ミリタリージャケットの肩に抱きついた。

「だった、とか言うなよっ!」

英二、おまえだって俺の世界の全てだよ?
だからアンザイレンして、あんな危険にだって一緒に登るんだろ?
だから離れないでよ、「幸せだった」なんて過去にしないでよ、ずっとこの先も一緒に幸せでいてよ?

そう心で言葉は廻るまま、唇かすかに震えて涙また零れだす。
抱きついた肩にしがみついて、白皙の頬に頬よせて温もりふれて、声はまた訴えた。

「か、過去形で言うなよっ、パートナーで登るの幸せだった、って…過去形で言うんじゃないよっ…」

訴えた声、涙に詰まってしまう。
それでも見つめた切長い目からも涙あふれて、綺麗な低い声が微笑んだ。

「ごめん、光一。でも俺、本当に幸せだったんだ。おまえとザイル繋いで登れるの、幸せだったよ?」
「だから過去形で言うなっ!」

耳元に怒鳴って、逃げられないよう抱きしめる。
幸せだった何て言わないでよ?この夢の続きをねだってよ?
ただ想いごと抱きしめて、深い森の香が頬ふれて温かい。この温もり信じて光一は問いかけた。

「俺のこと…おまえの世界の全てだったって言ったな?…あれは北壁にいた時だけか?」
「違う、さっき言ったろ?」

見つめる白皙の頬を涙は伝う、けれど声は穏やかに微笑んでくれる。
綺麗な笑顔で見つめ返しながら、英二は応えてくれた。

「光一は俺の夢なんだ。俺が憧れて、俺が生きたい世界は山だ。その世界は光一が俺に教えたんだ、だから光一は俺の世界なんだ、」
「おまえの世界の全てが俺って、さ…」

訊きたかった問いかけに、鼓動ひとつ心を叩く。
そっと溜息に落着かせ、光一は言葉を続けた。

「それって、俺の世界とおまえの世界が同じモノで、同じ世界に生きているってことか?」
「そうだよ、光一は俺の憧れで、俺が生きていたい世界の全てだ。だけど俺は、周太の隣に帰りたいんだ、」

正直なまま告げて、頼もしい腕が肩を抱きしめてくれる。
広やかな青空のもと抱き合ったまま、草と花の香に英二は微笑んだ。

「周太がいてくれるから俺は、生きようって想えるんだ。笑って迎えてくれる、待っていてくれる笑顔が嬉しいんだよ。
周太を愛してる、周太無しなんて俺は嫌だ…周太がいない世界になんて俺は生きられない。だから世界の全てを懸けても護りたいよ。
光一は俺の全てで俺の夢だ、それを懸けても俺は周太を救けたい。だから光一のこと利用しようとする…こんなの光一には迷惑なのにな?」

英二は、周太を愛して恋している。
それでも光一を夢にして英二の世界の全てだと想い、告げてくれる。
この言葉を信じていいの?そんな想いの真中で綺麗な低い声は続けた。

「ごめん光一、俺の独りよがりだよ?本当に俺は情けない男でさ、人前で泣かないって俺は決めてたのに、でも今も泣いてるだろ?
こんなダメな男なんだ、俺。光一が俺の全てなのは本当だ、でも光一の一番のパートナーは雅樹さんだ。俺は相応しくないよ、ごめん、」

正直に告げてくれながら、白皙の貌は泣笑いに涙をこぼす。
その涙に自分の涙を重ねあわせて、光一は自分の世界を目の前の男を見つめた。

「俺がおまえの全てだって言うんならね、俺の前では泣いてもいいだろ?だって俺はおまえなんだ、他人様に見せたワケじゃないね?
そしてね、俺とアンザイレン出来るのは英二しかいない、俺をビレイできるのは英二だけだ、だから過去形なんかにしないでよ、約束だろ?」

抱きしめて見つめて、約束を思い出させたい。
いま生きて山の約束へと笑える、この誇らかな想い正直に光一は告げた。

「英二が俺をビレイしてくれるから、俺は安心して全力で登れるんだ。俺にはおまえが必要だよ、俺を支えられるのは英二だけだね。
確かに雅樹さんを俺は忘れられない、でも生きて一緒に山に登ってるのは、こうして抱きしめて笑いあえるのは、俺には英二だけなんだ、」

雅樹を忘れるなんて、出来る訳がない。

山を愛し、山に夢を見、山を駈ける生き方を自分に与えた人。
その全てを籠めた名前を自分に贈ってくれた、生まれた瞬間から抱きしめてくれた。
そんな雅樹を忘れることなど出来る訳がない、けれど生きて共に山へ登れるのは唯ひとりしかいない。

―俺には英二だけしかいない、

だから離れたくない、共に夢を駈ける喜びを抱きしめていたい。
唯ひとりと見つめる相手に微笑んで、大好きな人へと光一はねだった。

「俺のこと、過去形なんかにしないでよ?俺、英二がいなかったら独りぼっちだ、そんなの嫌だね、俺は英二と一緒がいい、ずっと、」

どうかいなくならないで、過去にしないで?
ずっと一緒にいると約束が欲しい、もうじき1ヶ月の別離の前に、立場が別れていく前に。
その願いのまま見つめた先で切長い目は微笑んで、幸せそうに言ってくれた。

「うん、俺も一緒が良いよ、」

言ってくれた想いに、ほっと心が安堵に微笑んだ。
この安堵に想いが重なっていく、その幸せに光一は笑いかけた。

「良かった、やっぱり俺たち相思相愛のパートナーだね?俺、さっき焦ったよ?泣いて出て行っちゃって、それも過去形で言って…俺、」

笑いかけた視界また涙あふれだす。
堪えられない涙を透かして見つめる切長い目も、ただ涙こぼしてくれる。
ほら、泣くのも俺たちは一緒だね?そんな想い嬉しく微笑んで、涙の声に想いは言葉に変わった。

「俺、英二が遠くに行っちゃうって…おも、って…怖くて必死で探したんだよ?…おまえの行きそうなトコ探して、訊いて回って…っ、
駅にも行った、カフェとか本屋とか…氷河の入口と、かさ…それでここに来て見つけたんだよ?俺を置いてなんか行くなよ…約束まもれよ、」

どうか約束をまた聴かせてよ?
そう願うまま背中に回した手にジャケットを掴んで、縋りつく。
縋った手が震えてしまう、また拒絶されて置いて行かれることが怖くて震える、その震えごと頼もしい腕は抱きしめてくれた。

「うん、約束だ。光一、俺たちは生涯のアンザイレンパートナーで、血の契だ。もう置いて行かない、さっきはごめん、」

生涯のアンザイレンパートナーと『血の契』を今、言ってくれた。
春4月、両親の命日に再会した血縁の憎しみを受け留めてくれた、あの笑顔がまた見つめてくれる。
あのとき雲取山頂で見つめあった『血の契』の誓いは、この体内に廻らす憎悪から自由にしてくれた。
自分が生まれた雲取山頂で「血」は自由になり、新たな血縁に温もりを与えられた。
あの喜びを自分も、英二に贈ってあげたい。

―俺も英二の「血」を受けとめたんだ、だから英二の血が呼んでる復讐も俺が付きあうべきだね?こんな暗い事から救けてやりたい、

英二が全てを懸ける「あの男」への反抗の実態は「復讐」でいる。
50年前に周太の曽祖父は射殺された、そのとき2発の銃弾が惹きこんだ罪の束縛と死への道。
この道は留まることなく50年を超えて、あの家族たち誰もから幸せを奪い続けて、今、周太を掴まえる。
この悲劇のトリガーを引いた1発を放ったのは周太の祖父、晉だった。そして晋の妻、斗貴子は英二の血縁だった。

―…斗貴子さんは俺の祖母の従姉なんだ。斗貴子さんと周太は似てるって祖母は言ってた、でも目だけは俺と似てるんだよ、馨さんともね、

周太の父、馨と英二は似ている。
顔の造作は切長い目が似ているだけで、他はあまり似ていない。
けれど表情は時おり似すぎているのだと、馨を知る後藤も言うほど生き写しでいる。
この血縁に懸けたプライドから英二は「あの男」への復讐を強く抱く、そんな男だから周太への愛情も「血」が呼ぶのかもしれない。
そんなふうに血が求める事ならば、英二と『血の契』を交わした自分こそが援けたい。その想いへ光一は泣笑いに微笑んだ。

「…っ、俺こそ、だね?」

嗚咽をこぼし、覚悟と一緒に唯ひとりの『血の契』を抱きしめる。
すこし離れて切長い目を見つめ、ひとつ呼吸してから光一は口を開いた。

「さっき英二が言ってくれた明日のこと、おまえの言う通りだ。俺は高尾署を待つよ、」

言った声は落着いて今、想いは誇らしい。
明後日のチャンスを掴めないのは悔しい、けれど『血の契』の誓いを護りたい。
この唯一の約束へと微笑んで光一は、大切な唯ひとりへと反省を絡めた意志を告げた。

「今回のチームで警部補は俺だけだ。加藤さんは年次も齢も上だし、今回リーダーだけど階級は俺が上だね。ナンカあったら責任は俺だ。
このコト俺は、アイガーでいっぱいになっちゃって忘れてた、俺も未熟だね?コンナこと忘れちまうなんてさ、異動後はマジでアウトだよな、」

今回、巡査である英二の他は巡査部長で警部補は自分しかいない。
年齢は英二と共に最年少、それでも自分には階級と役職の責務が現実としてある。
この責務を果たすことが『血の契』の誓いに繋がるのなら誇らしい、そして「山桜」の約束を護れるなら悔いはない。

―周太、山桜のドリアード?君を護るために今、アイガー北壁より組織の力ってヤツを選ぶよ。それが今の俺の誇りってヤツだから、

雅樹が愛した「山桜」その化身が本当に周太なのかは、解からない。
それでも周太が山桜を愛することは現実で、そんな周太を雅樹なら護りたいと願うだろう。
自分と同じ樹木へ純粋な想いを寄せるひと、そんな存在を雅樹なら放りだすなど出来るわけがない。

―雅樹さん、それで良いよね?もう肚括ってさ、潔くリーダーシップとっちゃって権力ってヤツを掴んじまうよ、で、自由を掴むよ?

もし権力を握ったら、本当の自由を築く道も作れるだろう。
そうしたら好きなだけ山へ登れるだろう、自分も英二も、そして他の山ヤたちも。
この自由への誇りに立って自分は雅樹との約束を全て叶えたい、そうして生き抜いたら胸を張れる。

―俺が義務とかキッチリ真面目にやって約束を叶えたら、雅樹さん、うんと俺のコト褒めてくれるよね?だから俺はやるよ、

いま新しい約束を雅樹へ想う、幼い日に雅樹に教えられたことを想いながら。
いつも奥多摩に帰ってくると雅樹は、祖父母の手伝いを沢山しながら光一と山で遊んでくれた。
祖父母を支える責任と権利を果たしていた雅樹、あの姿を誰より知っている自分だから同じにしたい。
この新しい約束と意志へ軽やかに笑って、光一は唯ひとりのアンザイレンパートナーにもう1つ告げた。

「あとね、周太を護るってコトについては俺、おまえに利用されてるなんざ思っちゃいないね。だって俺も周太を護りたいんだ、」

他人に利用されるのは大嫌いだ。
けれど「自分の世界」が自分を利用するのなら、それは自発と一緒だから構わない。
そして英二と自分は互いを「自分の世界」と想い合っている、それなら英二の意志を理解し受けとめたい。

「俺の恋人が同じ目的で、しかも婚約者として大事にしてくれてるなんてね?俺にとっちゃ好都合だって前も言ったと思うんだけど。
だから変に罪悪感とか感じてんじゃないよ、そんなモン感じるんならね、俺に色っぽい貌でも見せて眼福を楽しませて欲しいよね、」

おまえと俺とは同じ世界に生きたいんだ、だったら俺の全部を懸けて抱きあいたいよ?

この自分の全て懸けて向きあって、この男と一緒に生きたい。
唯ひとりの『血の契』で、アンザイレンザイルを生きて繋ぎ合える唯ひとり。
お互いに唯ひとり、ならば心も夢も意志も、体も能力も権力も、全てを互いに支えあって同じ世界に生きたらいい。
だから罪悪感なんかいらない、唯ひとり同じ世界に生きる者だと愛してほしい、この願いに見つめた切長い目は涙と微笑んだ。

「ありがとう、俺なんかのこと。ずっと俺は傍にいていいかな、一緒に山に生きたいんだ。本当に俺が生きたい世界は光一と同じ、山だから、」

ありがとう、ずっと傍にいて、一緒に山に生きたい

ずっと言ってほしかった言葉が嬉しくて、涙ごと抱きしめる。
この言葉に自分こそ今、明るい光と温もりを見つめてもう、離れられない。
その想い正直に抱きしめて、白皙の頬から掌で涙拭ってやると底抜けに明るく笑いかけた。

「うんっ、ずっと一緒だね。俺の別嬪アンザイレンパートナー、離れるんじゃないよ?山でも何処でもねっ、」

笑ってそのまま押し倒し、ふたり草原に寝転んだ。
くるり視界が反転して青空が広がり、草の香が包んで背中やわらかに受けとめられる。
そうして見上げる天の際、アルプスの女王が微笑んで雲をまとう。けれど蒼穹の点は陽光きらめいて約束の場所を示した。

「ほら英二、天辺が見えるね、あそこが俺たちの居場所だよ、世界中の最高峰すべてでね、」

8時間前、あの場所に自分たちは笑い合った。
あの瞬間が自分たちの真実、その向こう側に新しい約束を繋ぎあう。
この今が愉快で笑いかけた隣、白皙の貌が幸せに笑ってくれた。

「うん、あれが俺たちの場所だ。もし明後日が登れなくても俺は、必ずアイガー北壁も光一と登るよ?いつか一緒に天辺に行こう、」
「よし、約束したね?じゃあ起きろっ、帰るよ」

笑って隣に抱きつくと、そのまま一緒に起きあがる。
降る夏の光にダークブラウンの髪きらめいて、纏わりついた草と花を風が梳く。
深い森の香と草の風、輝く陽光に白皙の貌は綺麗に笑って、長い指を光一の髪へと伸ばした。

「光一、草と花がいっぱい髪についてるよ?こういうの似合うな、」

そっと髪を長い指が梳いて、花びらを取ってくれる。
梳かれていく感覚が心を響かす、また恋慕が滲んで鼓動が喉につまる。
こんなに体ごと自分は恋愛している?そんな自覚が可笑しくて光一は底抜けに明るく笑った。

「当然だね、俺は山っ子なんだからさ?花も草も似合うよね、で、ココってどこかオマエ解かってる?」
「ツェルマットの街の、すぐ近くだろ?」

何のことは無い、そんな貌で笑って応えてくれる。
けれど予想を外した答えで、光一は悪戯っ子に笑った。

「ハズレだね、もうフィンデルンのすぐ傍だよ?おまえ3kmは歩いちゃったんだ、300mの高低差をね、」

ほら、また驚いた貌は天から堕ちた至高の“Lucifer”そっくりだ?
驚いて見つめる切長い目が嬉しくて、笑いかけた先で英二は困ったよう笑ってくれた。

「ごめんな、光一。おまえのこと、夕飯まで昼寝させたかったのに歩かせちゃって。こんなんじゃ俺、おまえの専属レスキュー失格だな、」
「そう思うんだったらね、俺のコトおんぶして帰る?」

もちろん冗談のつもり、ちゃんと自分で歩いて帰るよ?
そう目でも言ったのに、くるり英二は背を向けると黒いミリタリージャケットの背中へ光一を載せた。
そのまま草原から長身が立ち上がる、ぐんと高くなった視界が青空へ近づいて綺麗な低い声が笑ってくれた。

「これなら光一、背中で寝ていけるよな?ちゃんと背負ってくから安心していいよ、」
「え?」

今度は此方が驚かされたまま、英二は光一を背負い森の道を下りはじめた。
さっきは泣きながら独り探していた森、そこを今は温もりの背中に包まれ下っていく。
おぶわれる肩は筋肉が規則正しく動き、ふわり深い森の香は頬をなで、ふれあう背から鼓動は胸へと直接に響いて、温かい。

―生きてる、英二は生きて俺と一緒にいて…俺を背負ってくれるんだ

いまふれる律動、香、鼓動、全ての温もりが優しい。
この優しさに心の深く、16年前の子供が幸せに笑って涙を拭いている。
優しくて嬉しくて、そっと頬よせた髪から白い花びら達が、黒いジャケットの肩へ降った。



ツェルマットの街を流れていく川は、氷河の雪解けを運んでゆく。
いま7月の真夏にも碧い水は涼やかな風を生み、軽いハイキングに火照った頬へ心地いい。
のんびり欄干にもたれて清流を眺めながら、笑って光一は隣の紅潮した頬を小突いた。

「おまえさ、北壁なんか登ってきた後の癖に、かなり遠くまで歩いちゃってたね?」

小突いた指先に、ひとすじ赤い傷痕が浮んでいる。
富士の竜の爪痕はアルプスでも鮮烈に美しい、その色彩に見惚れる想いに綺麗な低い声が困ったよう微笑んだ。

「ごめん、気づいたら着いてた、」

気づいたら着いていたのが、3km先だなんてね?

それも高低差300mを登りあげながら気づいていない、そんなのはタフでボンヤリ過ぎるだろう。
こういうヌケている所が英二は面白い、いつも冷静で計算高いほど賢明な男の癖に意外とドジな部分がある。
それだけ考え込むほど自分との決裂が痛かったのかな?そんな相手へと光一は笑いかけた。

「まったくタフだね、宮田巡査はさ?頼もしいね、」

少しからかいたくて階級付きで呼んでみる。
そんな呼びかけの先、少し困ったよう微笑んで英二は訊いてきた。

「あのさ、今回のメンバーの前では俺、国村さんって呼んだ方が良いよな?」
「うん?今頃なんで?」

訊きながら光一は軽く首傾げこんだ。
第七機動隊の加藤たちと昨日から合流して、今は2日目になる。
それなのに今更なんで訊くのだろう?考えかけて直ぐ気がついて、この律儀なパートナーが可笑しくて笑ってしまった。

「おまえ、そういえば加藤さん達の前では俺のこと、呼ばないように会話してたね?しかも敬語だったな、」
「うん。何て呼んだらいいか解からなかったし、公式の訓練だから、」

困ったよう言う「公式」に英二の困惑が計られて、生真面目さがよく解かる。
いつも青梅署では業務中「国村」でプライベートは「光一」と呼んで、敬語は遣っていない。
それは周囲も光一と英二が親しくなっていく過程を見ていたから出来る、けれど他部署も一緒の時は同じようで良いのだろうか?
そう思案をしながらも英二はマッターホルン北壁を前に脇へ置いていた、そんな様子へと光一はさらり笑った。

「まあ、どっちでもイイんじゃない?」

どういう意味で「イイんじゃない?」なのだろう?
そう見返してくる切長い目に、今後の事も考えながら笑いかけた。

「だってね?七機も五日市も、高尾にしてもね?同じ警視庁山岳救助隊だけど、俺たち青梅署チームからしたら他の所属だろ?
で、同じ所属の人間は敬称略でヨソへと話すよね?ま、あの人たちの前で、俺自体に呼びかけるのはドッチってコトだろうけど、」

答えながら想ってしまう「堂々と呼び捨てしちゃえばいいのにね?」
きっと最初は周囲も途惑うだろう、けれど見ているうちに自分達が同等なのだと気付くはず。
そうすれば呼び捨てにし合うことも納得するだろう、そう出来るだけの相手だと自分は信じている。

―立場や階級に差があっても、もう気にしないでいたいね。俺たちは「同じ」なんだからさ?

お互いが自分の世界だと認め合ったなら、もう煩瑣な事は気にする必要がない。
こう考える自分の意志を周知させ認めさせる為にも「実績」を英二に積んでほしい。
そんな考え笑った光一に、几帳面なパートナーは困ったよう微笑んだ。

「そうすると俺、いちおう『国村さん』って呼んだ方が良いかな、皆さんの前の時って、」
「そうしたきゃソレでも良いんじゃない?ま、公務中だから気になるんだろうけどね、大した問題じゃないよ、」

きっと明後日にはもう、公認の呼捨て同士になっているだろうな?
そんな信頼へと気軽に笑って橋の欄干から身を起こし、街の方へ歩き出した。
ふたり並んで橋を渡り町並みを歩く、その視界に「Boulangerie」の看板を見て光一は提案した。

「腹減っちゃったね、俺。パン買っていきたいね、」
「うん、良いよ、」

綺麗な笑顔も頷いて、木製の扉を押してくれる。
甘く香ばしい空気に包まれるまま空腹が誘われて、チョコクロワッサンが目に留まった。
その隣にはオレンジのデニッシュもある、好みが揃うバスケット達へ笑って光一は売り子に声かけた。

「Bonjour. Lequel est le pain le plus délicieux aujourd'hui?」
「Bonjour. Le pain du citron est délicieux. Le croissant est juste chaud du four.」

クロワッサンは英二の好物だと周太に聴いている。
ちょうど焼きたてなのは良いタイミングだった、嬉しく笑って光一は英二に笑いかけた。

「クロワッサン焼きたてだってさ、あとレモンのパンが旨いって言ってるね、」
「お、嬉しいな。その2つとチーズのやつも注文してくれる?」

綺麗な低い声の注文に頷いて、言われた通りの3つと自分の好みを2つ紙袋に詰めてもらう。
会計を済ませて、温かい袋を抱え通りに出ると夕刻にも太陽は明るく真昼のままでいる。
太陽きらめく花に窓は彩られ、洒落た店の並んだ通りを歩く人も多く活気に明るい。
そして擦違う人は隣を見、見惚れるよう見送っていく。そんな状況に内心笑ってしまう。

―こいつ、やっぱりアルプスでもモテるんだね?

183cmの身長は欧州でも見劣りせず、鍛えられた逆三角形の背中は美しい。
ダークブラウンの髪と白皙の肌も異国好みだろう、そんな英二は過去に外国雑誌の表紙も飾っていた。
当時の写真と今の英二を見ても同一人物だとは思わないだろう、けれど基本造作は同じ、美形な事は変わらない。
あの写真集はこの辺でも売ってそうだよね?そう考えながら歩く隣から、綺麗な低い声が楽しそうに笑いかけてくれた。

「この街って可愛い建物が多いな、花もいっぱいだし、」
「だろ?周太は喜びそうだよね、ハイキングコースも花畑が多かったろ?ハネムーンに連れて来てやんなよ、」

周太にアルプスの花を見せてあげたい、どうか山桜の精にも雅樹の夢の場所を知ってほしい。
この願いは英二なら叶えてられるだろうな?そんな信頼と笑いかけた先で幸せな笑顔が尋ねた。

「男同士で結婚しても、特別休暇って貰えるのかな?」

こいつ、馬鹿正直に「男夫婦です」って警察内でも言うつもり?

そう気がついて愉快で笑ってしまう。
こんな馬鹿正直な律儀は可笑しくて、こういう所が大好きだと嬉しくなる。
けれど、このままの調子では周太に無駄な気苦労が多いだろう、その危惧へと光一は笑って忠告した。

「普通に旅行ですって申請しな、ソッチのが面倒が少ないからね?」

ほんと、面倒はなるべく少なくしてやってよね?
そんな忠言を心呟きながら笑う通りには、アウトドアショップも多く並んでいる。
そのウィンドウを時折、切長い目が気にするよう見ているのに気がついて光一は提案した。

「見ていこっかね、俺たちに合うサイズのモン、コッチなら沢山あるよ、」

言いながら扉を開き、ショップの店員に挨拶すると品を見ていく。
グローブのコーナーで指がフリーになったタイプを見つけて、切長い目が微笑んだ。

「光一、これカメラの時に遣ってるヤツと似てるな?」
「同じヤツだね、」

答えながら眺めて、ちょうど良いかなと考えが廻る。
これから高峰の記録を積んでいく英二は、山頂でカメラを遣うようになる。
登頂証明の写真を撮影するとき、薄いインナーグローブだけでは指が冷えて危険だろう。
明日以降は高尾署の帰着次第で予定変更になる、それでも雪山訓練には行く。そんな予定に光一は笑いかけた。

「おまえも買ったらいいんじゃない?便利だよ。S'il vous plait、」

ここで買っていけば、明日からもう使えるな?
そう考えながら店員に話しかけ手にとりたい旨を伝える。
すぐ店員はグローブ渡して試着を勧めてくれる、その通りに填めた白皙の指にグローブの深紅は鮮やかに映えた。

「そのワインカラー、似合ってるね。英二は赤が似合うよ、はめた感じどう?」
「フィット感が良いな?じゃあ光一、この色でいいかな、」

店員も一緒に見て相談する、その背後で誰か振向いた気配が起きた。
なんだろうな?そう思った後ろの声が遠慮がちに笑いかけた。

「あ、おつかれさまです、あの、名前で呼び合ってるんですね?」

振向いて見た先で、五日市署山岳救助隊所属の橋本が困ったよう笑っている。
思いがけない所を見てしまった、そんな途惑いの貌へと光一は気さくに微笑んだ。

「おつかれさまです、橋本さん。お買い物ですか?」
「ええ、グローブを今日、岩場ですこし破いてしまって、」

話しながら何となく橋本は落着かない。
この様子には名前呼び以外にも心当たりがある、その記憶に笑ったとき英二が笑いかけてくれた。

「おつかれさまです、橋本さん。お先にすみません、会計を済ませてきますね、」
「いってらっしゃい、英二。ここで喋ってるね、」

堂々と名前で呼んで送りだす、そんな光一に切長い目が可笑しそうに笑ってくれた。
こんな自分の態度を理解してくれる、その信頼に微笑んだ前から橋本が尋ねてきた。

「国村さんは、去年の春に警部補へ特進されましたよね?」
「はい、しましたけど、」

素直に答えながら自分の特進理由が可笑しくなってしまう。
あまりに「特殊すぎる」昇進の事情を知るのは上司である後藤副隊長と岩崎御岳駐在所長と、英二しかいない。
この事情をいつ、どんなカードとして遣おうかな?考えながら笑った光一に橋本巡査部長は口を開いた。

「国村さん、階級は私の方が下です、でも警視庁山岳会の先輩として言わせてもらいます。宮田くんと名前で呼び合うのは難しいと思う、
宮田くんは国村さんの4年後輩で階級も2つ違います、山岳経験も1年未満で比べられません。そういう宮田くんの立場がありますよね?」

やっぱり言われちゃうんだね?
そんな内心に微笑んだ向かい、橋本の表情が硬い。
こんな表情になる理由は何か解かるな?そう見つめる先ひとつ呼吸した橋本は言ってくれた。

「確かに宮田くんは国村さんのザイルパートナーに抜擢されて、今回も記録を作りました。でも警察組織での立場はそれだけが評価じゃない。
むしろ宮田くんが才能から驕っていると誤解を与える可能性があります、その誤解は宮田くんへの嫉妬が山岳会の一部にもあるからです。
未経験者なのに卒配から青梅署配属になったのも、後藤さんが警察学校時代に素質を見初めたからと聴いています。それも嫉妬の理由です、」

多分そうだろうと考えてはいた、それでも他から聴くのは実感の厚みが違う。
いま英二が置かれている立場の現実は決して甘くない、この現実への責任に光一は笑った。

「あとね、宮田の嫉妬される理由はもう一つありますよ、橋本さん?」
「え、」

意外だ、そんなふう橋本の目が途惑う。
きっと俺が怒ると思っていたんだろな?そんな推測も愉快に光一は微笑んだ。

「宮田が特上の別嬪だからですよ?イケメンで実力も立場も期待もあったらね、嫉妬するヤツが殆どなんじゃないですか?」

それくらい俺のアンザイレンパートナーは特別だよ?
そう目でも笑いかけた先、橋本の貌が少し和らいだ。
すこし心を開いてくれた、そこに光一は言葉を投げこんだ。

「でも宮田は、それだけしかない男じゃありません。なぜ後藤副隊長が特別扱いしたがるのか、宮田を見ていたら納得できますよ?
そういう男だから私はパートナーと認めて、名前で呼び合います。同じ齢だから呼び捨てし合おうって、私が宮田に命令したんですよ?」

ありのまま正直に告げるのは愉快だ、愉しくて光一は明るく笑った。




(to be continued)

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