「跡」 辿らす先、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/94/916affcd052f17888e73295dacae8f5d.jpg)
第58話 双壁side K2 act.6
革の匂いに、ふっと森木立の香がふれる。
ゆるやかな震動が助手席に心地いい、その微睡に勤務後の疲れゆるまらす。
夜の高速道路を走るライトが瞑る瞼にゆれて、消えて、また閃いては明滅する。
なめらかなレザーシートに身を委ねる浅い眠り、ゆったり寛がす意識がほどけていく。
こんなふうに自分が助手席に微睡めることは珍しい、この16年ぶりの感覚に光一は微笑んだ。
―雅樹さんの運転だけだったのに、ね…安定した走りで落着けちゃうね、英二らしい…
いま運転席でハンドルを捌いていく雰囲気は、慣れたふう落着いている。
けれど新車の四駆は持主にとっても数日乗ったに過ぎない、それでも危なげがない。
やっぱり自分のアンザイレンパートナーは何をやらせても器用らしい?
そんな信頼に微笑んだ想いへと、カーステレオの旋律がやわらかい。
……
I'll be your dream I'll be your wish I'll be your fantasy I'll be your hope I'll be your love
Be everything that you need. I'll love you more with every breath Truly, madly, deeply, do
I will be strong I will be faithful
‘cause I am counting on A new beginning A reason for living A deeper meaning
I want to stand with you on a mountain…I want to lay like this forever
…
Then make you want to cry The tears of joy for all the pleasure and the certainty
That we're surrounded by the comfort and protection of The highest powers In lonely hours The tears devour you
I want to stand with you on a mountain…I want to lay like this forever
…
Oh, can you see it baby? You don't have to close your eyes
'Cause it's standing right before you All that you need will surely come
…
I love you more with every breath Truly, madly, deeply, do
I want to stand with you on a mountain
……
やさしいアルトヴォイスが歌う詞に、そっと心が掴まれる。
まるで自分の願いを謳われているようで、隠したはずの秘密がほころんでしまう。
そしてまた、大切なひとが歌うようにも聴こえて、深く優しい声の記憶が微睡に微笑んだ。
―…お願い、光一。英二との夜は、ずっと幸せでいて?大好きな人に抱きしめてもらう幸せを、一瞬でも無駄にしないで幸せでいて?
もう諦めていた、大好きな人に抱きしめられる幸せなんて。
もう16年前に諦めた、けれど諦めきれなくて「山桜」に夢を見て叶わぬ願いを抱いていた。
もう眠りについた雅樹の体温と一緒に途絶えた約束、その全てを生き返らせることは出来ない。
けれど、今、隣の運転席にいる男なら、その諦めた夢の全てを繋いで叶えることが出来るかしれない。
“I'll be your dream I'll be your wish I'll be your fantasy I'll be your hope I'll be your love
Be everything that you need. I'll love you more with every breath Truly, madly, deeply, do…
‘cause I am counting on A new beginning A reason for living A deeper meaning I want to stand with you on a mountain”
僕が君の見つめる夢になろう 君が抱く祈りになって 君が諦めた願いも叶える 君の希望になり 君の愛になろう
君が必要とするもの全てになるよ 息をするごと君への愛は深まっていく 本当に心から激しく深く愛している…
君への想いは新しい始まり、生きる理由と、より深い意味を充たす引き金になる 君と一緒に山の上に立ちたい
―この歌、俺が英二に言われたいことばっか言ってくるね?…あのころ言われたみたいに、ね…
眠りに微笑んで身じろぎ、顔を運転席へと向ける。
かかる前髪に視線を隠し、そっと睫を透かせた向う白皙の貌は優しい。
フロントガラス越しのライトに照らされる端正な横顔、その眼差しを見つめながら旋律の音を採っていく。
―…この曲をピアノで弾いてよ?光一のピアノも声も好きなんだ、
そんなふう前にリクエストしてIpodにもダビングしてくれた。
もう幾度か聴いて頭脳に譜面は描いてある、その確認を今もしている。
―ピアノで弾いたら綺麗だろうね、この曲…歌もそえて
微睡ながら聴いている、そして旋律は終わり、また始めに戻る。
青梅署を出てすぐに自分は目を瞑った、それから同じ旋律はリンクしていく。
ずっとリフレインするよう流していくアルトヴォイスの旋律に、英二は何を想うのだろう?
―この曲、周太との想い出があるみたいだった…だから英二も歌詞に、想い入れあるね
自分が英二に言ってほしいと想う言葉を、鏤められた優しい旋律。
この曲になぞらえて英二は、周太に想いを告げたのかもしれない?
そう気がついた心が、ふっと傷んで吐息こぼれて、思わず瞳が披かれた。
「おはよう、光一。あと1時間くらいで空港だよ、」
すぐ気がついて、綺麗な低い声が微笑んだ。
ほら、こんなふうに気付くから期待もしたくなるってもんだ?
そんな想いに笑って、街路灯きらめく闇の向うへと光一は応えた。
「運転中も別嬪だね、眼福だよ?」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/02/fc01ddb43e5e2b6d92c9eb3e5cbe1834.jpg)
広げた山図に、光と影が明滅して筆跡を瞬かす。
明るんでは蒼い翳よぎらす紙面に描かれたメモと山、この全てをもうじき現実に見る。
あと72時間後に自分は図面が描く頂点に、生きた風と光のなかで佇むだろう。
―雅樹さん、もうじき着くよ?
そっと図面の俤に微笑んで、窓の木洩陽がトンネルの闇に変る。
昏い車窓に映る貌が視界の端に微笑む、その笑顔に俤がふっと重なって鼓動が跳ねた。
―似てる、ね…
途惑い、けれど手元は山図を畳んで専用ケースを開く。
そのケースにはもう1枚、同じ山図があわいセピア色の気配と収まっている。
この図面の持主と、今この向かいに座る男の俤が重なって、16年前の夏から深い綺麗な声が微笑んだ。
―…光一、これが僕のマッターホルン北壁だよ?こうやってデータを集めて、山をよく知ることが登山の始まりなんだ、
懐かしい声に穏かな笑顔がよみがえり、御岳の家で一緒に留守番した日へ心が戻る。
あの日、祖父母は町の懇親旅行に出掛け、両親は山岳会の講習に泊まりで長野へと行っていた。
それで大学の夏休みだった雅樹が一緒に留守番をしてくれて、3日間のふたり暮らしを家で楽しんだ。
その1日目、屋根裏部屋の床の上に広げた図面を長い指は追いながら、実際に登った時の話をしてくれた。
“Matterhorn North Face Route.Schmidt”
そう記された登山図には、端正な綴りでメモが書きこまれている。
丁寧な筆跡はルートの特徴を掴んでポイントごとに記し、時系列の日付も記載して地形変化や天候の推移も示す。
整備された詳細データと雅樹自身が現場で気付いた点、その両方が整然と記されルートファインディングの基盤を作ってある。
こんなふうにデータを集めて山に登る術を初めて目の当たりにして、賛嘆に憧れるままねだった。
「雅樹さん、この山図を俺に頂戴?これ見ながら俺も出来るように勉強したいね、一緒に登る時も俺がちゃんと持ってくから、ね、頂戴?」
大人になったら雅樹とアンザイレンザイルを繋ぎ、世界中の名峰を一緒に登りつくす。
その約束を実現するには雅樹のように、データを集計して「山を知る」ことが必要だと思った。
大人になったら必ず約束を叶えたい意志と、雅樹の夢と努力の痕跡を欲しくてねだった自分に、きちんと雅樹は言ってくれた。
「うん、光一にならあげる。でもね、これからも僕はマッターホルンと向きあいたいから、同じように写したのをあげるよ、」
「だったらコッチを俺に頂戴?これが欲しいんだ、」
すぐに提案して見あげた向こう、切長い目がひとつ瞬いた。
そしてすぐ優しく笑って、頷いて言ってくれた。
「うん、あげる。じゃあ写してくるから、来週まで待っていてくれる?真っ新のも一緒にあげるから、」
その約束通りに雅樹は翌週末、古い山図を同じ新品とセットにして光一に贈ってくれた。
あのときの2枚が今も、この手元のケースに納められている。
―雅樹さん、約束通りに持って来たよ、今回も…ね、今も一緒にいるよね?
静かに心で呼びかけ、ケースの蓋を閉じた。
登山ザックのポケットに納める向かい、窓越しに向かいの微笑から視線を感じる。
よく似ている、けれど全く違うアンザイレンパートナーへと光一は笑いかけた。
「このトンネルを抜けるとね、いきなり見上げる感じだよ?キッチリ見ようね、」
「うん、楽しみだな、」
笑ってふたり車窓に顔を向ける。
その昏い視界が薄明るくなり、明度が急激に増していく。
そして闇は払われ広やかな青が視界を満たし、その頂に黒と白の壁が現れた。
いま見つめていた登山図の現実、その姿へと光一は愉快に笑った。
「あの黒い壁が北壁だよ、」
蒼穹に聳える黒い壁、その峻厳の翳は高みを指して聳え立つ。
アルプスの女王と謳われる山は午後の雲をまとい、淑やかに姿を隠すよう佇みながら見下ろす。
標高4,478mマッターホルン、三大北壁の1点が示す蒼穹の高みに、自分はパートナーと立ちに行く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/6b/d31af1f1d67c3fca4303bf2befefc5e9.jpg)
見覚えのある扉を開くとシックなインテリアの向こう、マッターホルンが窓から笑った。
懐かしい8年前と同じ光景に、機嫌よく光一はアンザイレンパートナーを振り向いた。
「見てよ、マッターホルン正面席だね?よかったな、」
「うん、きれいだ、」
綺麗な低い声が笑って、白皙の笑顔は山に見惚れる。
トランクと登山ザックを下し、ひろやかな背中を見せて長身は窓辺に佇んだ。
上品なチャコールグレーのジャケットと伸びやかな黒いスラックスの脚、その落着いた後姿に白昼夢を光一は見た。
―雅樹さんがマッターホルンを見てる
窓を見上げる白皙の横顔、山に魅入られる切長い目、穏やかな思慮の空気。
遠い日に見ていた人が今、懐かしい背中を見せて夢のひとつへと佇んでいる。
―…光一、僕を最高峰の夢に連れて行って?光一の夢を一緒に生きたいんだ、光一が大人になる時を僕は待っている、
きっと光一は最高のクライマーになれる。光一は最高峰に生まれた男だって、僕は誰より知っているから信じてる
きらめく夏の声が、白昼夢に優しく笑ってくれる。
その声に共鳴するようアルトヴォイスの旋律が、見つめる背中に響きだす。
“I'll be your dream I'll be your wish I'll be your fantasy I'll be your hope I'll be your love
Be everything that you need. I'll love you more with every breath Truly, madly, deeply, do…
‘cause I am counting on A new beginning A reason for living A deeper meaning I want to stand with you on a mountain”
光一が生まれた瞬間に立ち会って、僕の医者になりたい理由が解かったんだよ…山は人間に命を与える場所でもある…
山を愛してる、命を生かす力を手助け出来る医者になりたい…僕にとって山と医者の夢を明るく照らしてくれた光が、光一なんだ。
いちばん大切でいちばん信じている、待っているよ…最高峰の夢を一緒に叶えてくれることを信じている、光一は僕の希望と夢の光だから
懐かしい声が深く穏やか笑う、ずっと、ずっと聴きたかった言葉と想い。
あの言葉と想いたちを今、この約束の場所でも告げてくれる?
その背中に幼い頃のよう抱きつきたくて、一歩踏み出す。
―生き返ってくれた?
約束を叶えるために、山桜が願いを叶えてくれた?
いつも約束は必ず守ってくれた、だから今も約束を叶えに来た?
ずっと信じていたかった夢、それを諦め、終わらせてから自分はここに来た、けれど叶うの?
“I'll be your wish I'll be your fantasy” 僕は君の祈りになり、諦めた願いも叶えよう
やさしい旋律の言葉を、背中に見つめる。
もう諦めたはずの願いへと踏みだし、背中へと掌を伸ばす。
けれど、窓ふる夏の光は背中を見せて佇むその髪を、ダークブラウンに透かし艶めかせた。
―違う、
艶めいた髪の色が、雅樹じゃない。
雅樹はもっと黒い髪だった、こんなに明るいダークブラウンじゃない。
―雅樹さんじゃない、英二だね、ここに居るのは…でも、どうして?
どうして英二は、いつもこうなのだろう?
いつも山を前にした英二の貌は懐かしい俤そっくりに美しい、それが不思議でならない。
英二と雅樹に血縁関係は無い、それなのに生き写しに想える瞬間がある、それが時を経るごと増えてきた。
この春3月の槍ヶ岳北方稜線、北鎌尾根を登った雅樹の慰霊登山。あのときから尚更に英二と雅樹は重なっていく。
―どうして?雅樹さん…英二と雅樹さんになんの関係があるワケ?…ドリアードのことがあるから?
雅樹が愛した山桜の化身ドリアード「周太」は英二の血縁者だった。
お互いの祖母が従姉妹だった、この事実を周太はまだ知らない、英二も知って1ヶ月だろう。
周太と英二は性格も風貌も全く似ていない、けれど周太の父親は確かに英二と似た所があった。
まだ9歳だった周太との初対面、あのとき見た周太の父親の切長い目と笑顔は、英二と似ている。
―そういう英二と雅樹さんが似てるって、不思議だね?コレも山の不思議かね、
こんな不思議を愉快に笑って、光一はトランクを開き荷物整理を始めた。
このホテルをベースにブライトホルン、リッフェルホルンのテスト登山を経てマッターホルン北壁へ向かう。
北壁前夜にヘルンリヒュッテに入る以外、3泊5日をここに滞在する。だから窓の眺めには拘りたかった。
それで事前にホテルへ部屋の確認をしてある、お蔭で希望通りに上層フロアーを割り当ててもらえた。
―せっかく傍にいるんだ、マッターホルン見とかなきゃ損だね、
8年ぶりの山に笑って、機嫌よく着替えをクロゼットに吊るしチェストへ納める。
その隣へと長身の影さして、綺麗な低い声が笑いかけてくれた。
「光一のパッキング、巧いな。ここを発つ時は俺、真似してみようかな、」
「そ?」
笑って相槌打った隣、英二もトランクを広げ始めた。
見遣ると英二の方こそ綺麗に納められている、そこに救命救急ケースは入っていない。
あの救急用具を英二は、いつも携行するのと同様に今回も登山ザックに入れて機内に持ち込んでいた。
英二の持つセットは医師も使う仕様で金属製の器具も含まれる、だから手荷物検査でも携行する説明を英二は係員にしていた。
―アレ、吉村先生が英二に贈ったんだよね…だから雅樹さんのとお揃いなんだよね、
空港で説明する姿を見たとき、切なかった。
いつも雅樹が携行していた救命救急セット、それと同じケースを英二が持っている。
それだけでも本当は切ない時がある、けれど今、あの中に英二は分解した拳銃も納めている。
―仕方ないって解ってるね、でも雅樹さんと同じのに、雅樹さんと似ている英二がってトコが、ね
本来、人命を救う為に使われる医療器具。
そのケースに殺人道具の拳銃を入れ、救助隊員の英二が持っている。
その救急ケースも、持っている男も、雅樹の俤を映すことが本音は、やっぱり切ない。
いつも医療と山に真摯な想いで向きあう雅樹だった、そんな雅樹はどんな想いで見ているだろう?
そう廻ってしまう考えと手元を動かしていく隣、英二はもう片付け終わってトランクを閉じた。
「光一、片付け終わったら散歩する?それとも少し寝る?」
クロゼットにトランクを仕舞いながら、綺麗な低い声が笑いかけてくれる。
端正な笑顔は穏かで美しい、まさか拳銃を不法所持しているなど誰も想像できないだろう。
綺麗な穏やかな貌の英二、けれど反面するよう激しい熱情の貌がある、そんな陰翳が謎めいて惹かれる。
そして雅樹とは別人なのだと実感できる、そんな実感に安堵しながら光一は笑って応えた。
「まず俺は風呂、入りたいね。さっぱりしてから今日のコト考えたいよ、あ?」
答えた手許、紙袋が目に飛び込んで声が出た。
ごく普通の茶色い紙袋、けれど「中身」に鼓動ひとつ意識を小突かれた。
―ダメだね、今、これ考えちゃうのはまだ早いね、北壁に集中したいんだからね、
軽く頭を振り、紙袋の中身を意識から降り落とす。
こんなに動揺する初心が自分でも意外で、途惑い困りながらも可笑しい。
そんな傍らに深い森がふわり香って、切長い目が光一の瞳を覗きこんだ。
「どうした、光一?今、あ?って言ったけど、」
解ってないだろうけどオマエのせいだね?
つい心で毒づきながらも、ゆっくり首筋が熱くなりだしていく。
こういう無意識の転がしが一番性質が悪い、独り相撲のよう恥ずかしがらされる。
こんなふう困ることは英二に逢うまで知らなかった、そんな初めてが愉快で光一は笑った。
「ワイン買いに行きたいね、って思い出したんだよ?風呂の後、散歩つきあってね、」
【歌詞引用:savage garden「Truly, madly, deeply」】
(to be continued)
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第58話 双壁side K2 act.6
革の匂いに、ふっと森木立の香がふれる。
ゆるやかな震動が助手席に心地いい、その微睡に勤務後の疲れゆるまらす。
夜の高速道路を走るライトが瞑る瞼にゆれて、消えて、また閃いては明滅する。
なめらかなレザーシートに身を委ねる浅い眠り、ゆったり寛がす意識がほどけていく。
こんなふうに自分が助手席に微睡めることは珍しい、この16年ぶりの感覚に光一は微笑んだ。
―雅樹さんの運転だけだったのに、ね…安定した走りで落着けちゃうね、英二らしい…
いま運転席でハンドルを捌いていく雰囲気は、慣れたふう落着いている。
けれど新車の四駆は持主にとっても数日乗ったに過ぎない、それでも危なげがない。
やっぱり自分のアンザイレンパートナーは何をやらせても器用らしい?
そんな信頼に微笑んだ想いへと、カーステレオの旋律がやわらかい。
……
I'll be your dream I'll be your wish I'll be your fantasy I'll be your hope I'll be your love
Be everything that you need. I'll love you more with every breath Truly, madly, deeply, do
I will be strong I will be faithful
‘cause I am counting on A new beginning A reason for living A deeper meaning
I want to stand with you on a mountain…I want to lay like this forever
…
Then make you want to cry The tears of joy for all the pleasure and the certainty
That we're surrounded by the comfort and protection of The highest powers In lonely hours The tears devour you
I want to stand with you on a mountain…I want to lay like this forever
…
Oh, can you see it baby? You don't have to close your eyes
'Cause it's standing right before you All that you need will surely come
…
I love you more with every breath Truly, madly, deeply, do
I want to stand with you on a mountain
……
やさしいアルトヴォイスが歌う詞に、そっと心が掴まれる。
まるで自分の願いを謳われているようで、隠したはずの秘密がほころんでしまう。
そしてまた、大切なひとが歌うようにも聴こえて、深く優しい声の記憶が微睡に微笑んだ。
―…お願い、光一。英二との夜は、ずっと幸せでいて?大好きな人に抱きしめてもらう幸せを、一瞬でも無駄にしないで幸せでいて?
もう諦めていた、大好きな人に抱きしめられる幸せなんて。
もう16年前に諦めた、けれど諦めきれなくて「山桜」に夢を見て叶わぬ願いを抱いていた。
もう眠りについた雅樹の体温と一緒に途絶えた約束、その全てを生き返らせることは出来ない。
けれど、今、隣の運転席にいる男なら、その諦めた夢の全てを繋いで叶えることが出来るかしれない。
“I'll be your dream I'll be your wish I'll be your fantasy I'll be your hope I'll be your love
Be everything that you need. I'll love you more with every breath Truly, madly, deeply, do…
‘cause I am counting on A new beginning A reason for living A deeper meaning I want to stand with you on a mountain”
僕が君の見つめる夢になろう 君が抱く祈りになって 君が諦めた願いも叶える 君の希望になり 君の愛になろう
君が必要とするもの全てになるよ 息をするごと君への愛は深まっていく 本当に心から激しく深く愛している…
君への想いは新しい始まり、生きる理由と、より深い意味を充たす引き金になる 君と一緒に山の上に立ちたい
―この歌、俺が英二に言われたいことばっか言ってくるね?…あのころ言われたみたいに、ね…
眠りに微笑んで身じろぎ、顔を運転席へと向ける。
かかる前髪に視線を隠し、そっと睫を透かせた向う白皙の貌は優しい。
フロントガラス越しのライトに照らされる端正な横顔、その眼差しを見つめながら旋律の音を採っていく。
―…この曲をピアノで弾いてよ?光一のピアノも声も好きなんだ、
そんなふう前にリクエストしてIpodにもダビングしてくれた。
もう幾度か聴いて頭脳に譜面は描いてある、その確認を今もしている。
―ピアノで弾いたら綺麗だろうね、この曲…歌もそえて
微睡ながら聴いている、そして旋律は終わり、また始めに戻る。
青梅署を出てすぐに自分は目を瞑った、それから同じ旋律はリンクしていく。
ずっとリフレインするよう流していくアルトヴォイスの旋律に、英二は何を想うのだろう?
―この曲、周太との想い出があるみたいだった…だから英二も歌詞に、想い入れあるね
自分が英二に言ってほしいと想う言葉を、鏤められた優しい旋律。
この曲になぞらえて英二は、周太に想いを告げたのかもしれない?
そう気がついた心が、ふっと傷んで吐息こぼれて、思わず瞳が披かれた。
「おはよう、光一。あと1時間くらいで空港だよ、」
すぐ気がついて、綺麗な低い声が微笑んだ。
ほら、こんなふうに気付くから期待もしたくなるってもんだ?
そんな想いに笑って、街路灯きらめく闇の向うへと光一は応えた。
「運転中も別嬪だね、眼福だよ?」
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広げた山図に、光と影が明滅して筆跡を瞬かす。
明るんでは蒼い翳よぎらす紙面に描かれたメモと山、この全てをもうじき現実に見る。
あと72時間後に自分は図面が描く頂点に、生きた風と光のなかで佇むだろう。
―雅樹さん、もうじき着くよ?
そっと図面の俤に微笑んで、窓の木洩陽がトンネルの闇に変る。
昏い車窓に映る貌が視界の端に微笑む、その笑顔に俤がふっと重なって鼓動が跳ねた。
―似てる、ね…
途惑い、けれど手元は山図を畳んで専用ケースを開く。
そのケースにはもう1枚、同じ山図があわいセピア色の気配と収まっている。
この図面の持主と、今この向かいに座る男の俤が重なって、16年前の夏から深い綺麗な声が微笑んだ。
―…光一、これが僕のマッターホルン北壁だよ?こうやってデータを集めて、山をよく知ることが登山の始まりなんだ、
懐かしい声に穏かな笑顔がよみがえり、御岳の家で一緒に留守番した日へ心が戻る。
あの日、祖父母は町の懇親旅行に出掛け、両親は山岳会の講習に泊まりで長野へと行っていた。
それで大学の夏休みだった雅樹が一緒に留守番をしてくれて、3日間のふたり暮らしを家で楽しんだ。
その1日目、屋根裏部屋の床の上に広げた図面を長い指は追いながら、実際に登った時の話をしてくれた。
“Matterhorn North Face Route.Schmidt”
そう記された登山図には、端正な綴りでメモが書きこまれている。
丁寧な筆跡はルートの特徴を掴んでポイントごとに記し、時系列の日付も記載して地形変化や天候の推移も示す。
整備された詳細データと雅樹自身が現場で気付いた点、その両方が整然と記されルートファインディングの基盤を作ってある。
こんなふうにデータを集めて山に登る術を初めて目の当たりにして、賛嘆に憧れるままねだった。
「雅樹さん、この山図を俺に頂戴?これ見ながら俺も出来るように勉強したいね、一緒に登る時も俺がちゃんと持ってくから、ね、頂戴?」
大人になったら雅樹とアンザイレンザイルを繋ぎ、世界中の名峰を一緒に登りつくす。
その約束を実現するには雅樹のように、データを集計して「山を知る」ことが必要だと思った。
大人になったら必ず約束を叶えたい意志と、雅樹の夢と努力の痕跡を欲しくてねだった自分に、きちんと雅樹は言ってくれた。
「うん、光一にならあげる。でもね、これからも僕はマッターホルンと向きあいたいから、同じように写したのをあげるよ、」
「だったらコッチを俺に頂戴?これが欲しいんだ、」
すぐに提案して見あげた向こう、切長い目がひとつ瞬いた。
そしてすぐ優しく笑って、頷いて言ってくれた。
「うん、あげる。じゃあ写してくるから、来週まで待っていてくれる?真っ新のも一緒にあげるから、」
その約束通りに雅樹は翌週末、古い山図を同じ新品とセットにして光一に贈ってくれた。
あのときの2枚が今も、この手元のケースに納められている。
―雅樹さん、約束通りに持って来たよ、今回も…ね、今も一緒にいるよね?
静かに心で呼びかけ、ケースの蓋を閉じた。
登山ザックのポケットに納める向かい、窓越しに向かいの微笑から視線を感じる。
よく似ている、けれど全く違うアンザイレンパートナーへと光一は笑いかけた。
「このトンネルを抜けるとね、いきなり見上げる感じだよ?キッチリ見ようね、」
「うん、楽しみだな、」
笑ってふたり車窓に顔を向ける。
その昏い視界が薄明るくなり、明度が急激に増していく。
そして闇は払われ広やかな青が視界を満たし、その頂に黒と白の壁が現れた。
いま見つめていた登山図の現実、その姿へと光一は愉快に笑った。
「あの黒い壁が北壁だよ、」
蒼穹に聳える黒い壁、その峻厳の翳は高みを指して聳え立つ。
アルプスの女王と謳われる山は午後の雲をまとい、淑やかに姿を隠すよう佇みながら見下ろす。
標高4,478mマッターホルン、三大北壁の1点が示す蒼穹の高みに、自分はパートナーと立ちに行く。
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見覚えのある扉を開くとシックなインテリアの向こう、マッターホルンが窓から笑った。
懐かしい8年前と同じ光景に、機嫌よく光一はアンザイレンパートナーを振り向いた。
「見てよ、マッターホルン正面席だね?よかったな、」
「うん、きれいだ、」
綺麗な低い声が笑って、白皙の笑顔は山に見惚れる。
トランクと登山ザックを下し、ひろやかな背中を見せて長身は窓辺に佇んだ。
上品なチャコールグレーのジャケットと伸びやかな黒いスラックスの脚、その落着いた後姿に白昼夢を光一は見た。
―雅樹さんがマッターホルンを見てる
窓を見上げる白皙の横顔、山に魅入られる切長い目、穏やかな思慮の空気。
遠い日に見ていた人が今、懐かしい背中を見せて夢のひとつへと佇んでいる。
―…光一、僕を最高峰の夢に連れて行って?光一の夢を一緒に生きたいんだ、光一が大人になる時を僕は待っている、
きっと光一は最高のクライマーになれる。光一は最高峰に生まれた男だって、僕は誰より知っているから信じてる
きらめく夏の声が、白昼夢に優しく笑ってくれる。
その声に共鳴するようアルトヴォイスの旋律が、見つめる背中に響きだす。
“I'll be your dream I'll be your wish I'll be your fantasy I'll be your hope I'll be your love
Be everything that you need. I'll love you more with every breath Truly, madly, deeply, do…
‘cause I am counting on A new beginning A reason for living A deeper meaning I want to stand with you on a mountain”
光一が生まれた瞬間に立ち会って、僕の医者になりたい理由が解かったんだよ…山は人間に命を与える場所でもある…
山を愛してる、命を生かす力を手助け出来る医者になりたい…僕にとって山と医者の夢を明るく照らしてくれた光が、光一なんだ。
いちばん大切でいちばん信じている、待っているよ…最高峰の夢を一緒に叶えてくれることを信じている、光一は僕の希望と夢の光だから
懐かしい声が深く穏やか笑う、ずっと、ずっと聴きたかった言葉と想い。
あの言葉と想いたちを今、この約束の場所でも告げてくれる?
その背中に幼い頃のよう抱きつきたくて、一歩踏み出す。
―生き返ってくれた?
約束を叶えるために、山桜が願いを叶えてくれた?
いつも約束は必ず守ってくれた、だから今も約束を叶えに来た?
ずっと信じていたかった夢、それを諦め、終わらせてから自分はここに来た、けれど叶うの?
“I'll be your wish I'll be your fantasy” 僕は君の祈りになり、諦めた願いも叶えよう
やさしい旋律の言葉を、背中に見つめる。
もう諦めたはずの願いへと踏みだし、背中へと掌を伸ばす。
けれど、窓ふる夏の光は背中を見せて佇むその髪を、ダークブラウンに透かし艶めかせた。
―違う、
艶めいた髪の色が、雅樹じゃない。
雅樹はもっと黒い髪だった、こんなに明るいダークブラウンじゃない。
―雅樹さんじゃない、英二だね、ここに居るのは…でも、どうして?
どうして英二は、いつもこうなのだろう?
いつも山を前にした英二の貌は懐かしい俤そっくりに美しい、それが不思議でならない。
英二と雅樹に血縁関係は無い、それなのに生き写しに想える瞬間がある、それが時を経るごと増えてきた。
この春3月の槍ヶ岳北方稜線、北鎌尾根を登った雅樹の慰霊登山。あのときから尚更に英二と雅樹は重なっていく。
―どうして?雅樹さん…英二と雅樹さんになんの関係があるワケ?…ドリアードのことがあるから?
雅樹が愛した山桜の化身ドリアード「周太」は英二の血縁者だった。
お互いの祖母が従姉妹だった、この事実を周太はまだ知らない、英二も知って1ヶ月だろう。
周太と英二は性格も風貌も全く似ていない、けれど周太の父親は確かに英二と似た所があった。
まだ9歳だった周太との初対面、あのとき見た周太の父親の切長い目と笑顔は、英二と似ている。
―そういう英二と雅樹さんが似てるって、不思議だね?コレも山の不思議かね、
こんな不思議を愉快に笑って、光一はトランクを開き荷物整理を始めた。
このホテルをベースにブライトホルン、リッフェルホルンのテスト登山を経てマッターホルン北壁へ向かう。
北壁前夜にヘルンリヒュッテに入る以外、3泊5日をここに滞在する。だから窓の眺めには拘りたかった。
それで事前にホテルへ部屋の確認をしてある、お蔭で希望通りに上層フロアーを割り当ててもらえた。
―せっかく傍にいるんだ、マッターホルン見とかなきゃ損だね、
8年ぶりの山に笑って、機嫌よく着替えをクロゼットに吊るしチェストへ納める。
その隣へと長身の影さして、綺麗な低い声が笑いかけてくれた。
「光一のパッキング、巧いな。ここを発つ時は俺、真似してみようかな、」
「そ?」
笑って相槌打った隣、英二もトランクを広げ始めた。
見遣ると英二の方こそ綺麗に納められている、そこに救命救急ケースは入っていない。
あの救急用具を英二は、いつも携行するのと同様に今回も登山ザックに入れて機内に持ち込んでいた。
英二の持つセットは医師も使う仕様で金属製の器具も含まれる、だから手荷物検査でも携行する説明を英二は係員にしていた。
―アレ、吉村先生が英二に贈ったんだよね…だから雅樹さんのとお揃いなんだよね、
空港で説明する姿を見たとき、切なかった。
いつも雅樹が携行していた救命救急セット、それと同じケースを英二が持っている。
それだけでも本当は切ない時がある、けれど今、あの中に英二は分解した拳銃も納めている。
―仕方ないって解ってるね、でも雅樹さんと同じのに、雅樹さんと似ている英二がってトコが、ね
本来、人命を救う為に使われる医療器具。
そのケースに殺人道具の拳銃を入れ、救助隊員の英二が持っている。
その救急ケースも、持っている男も、雅樹の俤を映すことが本音は、やっぱり切ない。
いつも医療と山に真摯な想いで向きあう雅樹だった、そんな雅樹はどんな想いで見ているだろう?
そう廻ってしまう考えと手元を動かしていく隣、英二はもう片付け終わってトランクを閉じた。
「光一、片付け終わったら散歩する?それとも少し寝る?」
クロゼットにトランクを仕舞いながら、綺麗な低い声が笑いかけてくれる。
端正な笑顔は穏かで美しい、まさか拳銃を不法所持しているなど誰も想像できないだろう。
綺麗な穏やかな貌の英二、けれど反面するよう激しい熱情の貌がある、そんな陰翳が謎めいて惹かれる。
そして雅樹とは別人なのだと実感できる、そんな実感に安堵しながら光一は笑って応えた。
「まず俺は風呂、入りたいね。さっぱりしてから今日のコト考えたいよ、あ?」
答えた手許、紙袋が目に飛び込んで声が出た。
ごく普通の茶色い紙袋、けれど「中身」に鼓動ひとつ意識を小突かれた。
―ダメだね、今、これ考えちゃうのはまだ早いね、北壁に集中したいんだからね、
軽く頭を振り、紙袋の中身を意識から降り落とす。
こんなに動揺する初心が自分でも意外で、途惑い困りながらも可笑しい。
そんな傍らに深い森がふわり香って、切長い目が光一の瞳を覗きこんだ。
「どうした、光一?今、あ?って言ったけど、」
解ってないだろうけどオマエのせいだね?
つい心で毒づきながらも、ゆっくり首筋が熱くなりだしていく。
こういう無意識の転がしが一番性質が悪い、独り相撲のよう恥ずかしがらされる。
こんなふう困ることは英二に逢うまで知らなかった、そんな初めてが愉快で光一は笑った。
「ワイン買いに行きたいね、って思い出したんだよ?風呂の後、散歩つきあってね、」
【歌詞引用:savage garden「Truly, madly, deeply」】
(to be continued)
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