萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

深夜告知:冬の薔薇

2012-12-18 23:29:06 | 雑談
優美、凛々と



こんばんわ、すっかり冬の気候になりつつある神奈川です。
写真は津久井湖畔にて、雨のち曇り後、夕焼けの美しかった時に撮影しました。
まさに薔薇色といった色彩があざやかで、いま連載中の第58話に登場するアルペングリューエンとリンクするなと。

ちょっと遅くなりましたが、今から第58話「双壁K2」13と14の加筆校正をします。
13は日付変わる前に終了予定です、14は明日にまたぐかもしれません。

日付変更ごろに短編「soliloquy 建申月act.7 Rose hivernale」をUP予定です。
湯原サイド第58話「双璧9」その後シリーズ「建申月act.6」続編、湯原@手塚の部屋で飲み会シーンになります。

取り急ぎ、予定お知らせまで







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第58話 双壁side K2 act.14

2012-12-18 00:04:46 | side K2
「俤」 想い人ふたり、



第58話 双壁side K2 act.14

光一のファーストキスって、どんなだった?

そう問いかけた切長い目は真直ぐ自分を映し、穏やかな笑顔が見つめてくれる。
いま「約束」の場所を見上げている、この瞬間にあの日を話すことは相応しい?
そんな想いと雅樹の俤に、そっと笑って光一は口を開いた。

「モーニングキスだよ、寝てるトコを勝手に俺がしちゃったね、」

寝ている相手に勝手にキスをする。
そんなことを自分がする相手は限られている、そう英二なら解かるだろう。
この信頼と微笑んだ隣、すこし驚いたよう1つ瞬いて率直に尋ねてくれた。

「それって、相手は雅樹さん?」
「だよ、」

短く答えて、愛しい記憶に笑う。
どういう状況だったのかな?そう見てくれる切長い目へと光一は綺麗に微笑んだ。

「穂高と槍を雅樹さんと縦走したって話したよね、あのときだよ。昼寝のときだったから、正確にはミディキスってカンジ?」

雅樹とキスしたことは周太にだけ告白してある、けれど想い出話は今初めて話す。
あの時から自分は8歳が世間では子供なのだと解かっている、だから雅樹との真実は他人に話すつもりが無かった。
けれど「山桜」とアンザイレンパートナーには話したい、雅樹が愛した存在と雅樹を愛してくれる存在には知ってほしい。
全てが幸せだった夏の記憶、その断片を今、唯ひとり『血の契』に繋がれたアンザイレンパートナーへと語りだした。

「登ったトコ眺めようって、最終日は梓川のサイトでテン泊してね。予定よりハイペースで下りたから、昼にはテント張れたんだよ。
昼飯いっぱい食って、河原に寝転んで山を観ながら喋ってね。雅樹さんが登った色んな山の話をして、一緒に行く約束を沢山したよ。
きらきら碧い川でオレンジジュース冷やして飲んで、青空の木陰で風が気持ち良くってね、で、気付いたら雅樹さん寝ちゃっててさ、」

8歳だった自分と23歳だった雅樹の、幸福な夏。
年は離れていても自分たちは堅く繋がれている、そう今も信じている。
その繋がりを深く確かめあった初めてが梓川だった、あの日の槍ヶ岳を想わす鋭鋒に言葉を続けた。

「5日間、穂高と槍をガキ連れて歩いてたんだ。気疲れしない訳がない、しかも俺って自分のペースで登るだろ?でも合わせてくれた。
まだ8歳だったけどね、俺のペースはもう速かったんだ。それでも雅樹さん、いつも楽しそうに笑ってくれて、一緒に歩いてくれた。
約束してたポイント全部登らせてくれてね、ほんとに楽しかったよ。それで雅樹さんのコトもっと好きになってさ、帰るのヤダったね、」

本当に帰りたくなくて、雅樹と山から離れたくなくて、翌朝は雅樹を困らせた。
あのときの綺麗な困り顔と優しい提案が懐かしい、そんな記憶と笑ってワインを啜りこむ。
ひとくち飲みこんで、酒に香る甘さと微笑んだ記憶は想いごと声になった。

「河原で眠ってる雅樹さんを見ながら、ほんとに大好きだなって想ってさ。雅樹さんの寝顔は、ホント極上の別嬪だったね。
明るい青空のした長い睫が翳を作って、白い頬が少しだけ日焼けで赤くなっててね。さらさらの髪に木洩陽が光ってきれいだった、」

明るい夏の空、清流のほとりで眠る青年の寝顔。
いつもの週末にも見ていた美しい寝顔、けれどゆっくり見つめたのは初めてだった。
木洩陽の明滅ふる白皙の貌は無垢で、どこまでも透明な静穏が天使のよう優しく微笑んだ。
16年前の夏、そっと見つめた寝顔への想いに笑って、永遠の恋に墜ちた瞬間を言葉に変えた。

「きれいだ、大好きだ、そう想ったまんま俺、キスしちゃったんだ。やわらかくって、オレンジの香が甘かったよ、」

オレンジの香のキス、あれが幸福の瞬間だった。
あの瞬間への愛しさに、光一は幸せだけを見つめて綺麗に笑った。

「キスが離れた瞬間、雅樹さん目を覚ましてね。今、山の神さまにキスしてもらう夢を見てたよ、って俺を見あげて笑ったんだ。
だから俺、正直に告白したんだ。今、俺が雅樹さんにキスしたんだよってね。そしたら雅樹さん、真赤になって困り顔になってさ?
覗きこんでる俺の顔見て、綺麗な目が笑ってくれたよ。僕のファーストキスは光一になっちゃったね、って笑って抱きしめてくれた、」

8歳の自分が23歳の雅樹にキスをした。
あのとき初めて「山」以外にも繋がりあう方法を自分は知った、そしてあの夏は光に充たされた。
あの全ては雅樹の深い無垢が贈ってくれた、その全てが幸福だった。この愛しさに微笑んだ隣から、綺麗な笑顔が訊いてくれた。

「雅樹さんと光一、お互いにファーストキスだったんだ?」

訊いてくれる眼差しは、ただ優しくて真直ぐでいる。
この男になら話しても理解されると信じていた、この信頼への応えに光一は幸せに頷いた。

「だよ?お初同士だったね、」

お互いに初めてで、特別で、宝物になった。
そして宝物は心を時に泣かせながら、変ることなく温めてくれる。
この愛しい想いの全てが瞳を温めて、想いは涙の光になって頬を伝った。

「だから雅樹さん、俺としかキスしたこと無いんだ。俺が最初で最後…」

最後の言葉に涙、こぼれだす。
ゆっくり頬を伝わらす涙を、氷河の風が涼やかに撫でていく。
この氷河には20年前の雅樹の汗も融けている?そんな想いに光一は幸せに笑った。

「俺ね、あのころは恋愛とか、全然分かってなくってね。でも今にして想ったら、俺は雅樹さんに惚れてたんだよね。
あれは人間らしい初恋だったなって今なら分るんだ、周太への気持ちとは違うトコ多いんだけどね。でも、どっちも初恋だよ、」

普通なら初恋は1つだろう、けれど自分は2つだった。
この想いへの誇らしさに微笑んだ向こう、そっと白皙の貌が近寄せられる。
ふっと近づく深い香に瞳を閉じて優しい唇が涙を拭う、それが幸せで笑いかけると英二は訊いてくれた。

「2人とも初恋って、どういう意味?」
「山への恋と、人間への恋ってコト。周太は俺にとって、山と同じだよ、」

ふたつの恋を並べて言った隣、肩越しに切長い目は見つめてくれる。
穏やかな眼差しに微笑んだ視界の真中で、綺麗な笑顔が穏やかに尋ねた。

「雅樹さんは人間として恋したんだ?」
「だね。でも恋愛ってほどじゃまだ無かったけどね、俺も8歳のガキだったからさ。でも大好きだ、」

大好き、この真実の為に小さな嘘で「秘密」を隠す。
この秘密にこそ雅樹と自分の想いは護られる、その自由が誇らしい。
そんな想いに見つめる黄昏は山と中天を紫に耀かせ、アルペングリューエンの薔薇色に星は銀いろ纏いだす。
輝きだす夜へと宵の明星は瞬いて、その明るい星の下でアンザイレンパートナーは綺麗に笑った。

「吉村先生に聴いたけど、雅樹さんもマッターホルンに登ったんだよな、」
「うん、ガイド登山だとヘルンリ稜で3時間を切ってる。でね、大学の山岳会で北壁にもアタックしてさ、7時間って言ってた、」
「それ、シュミッドルートなんだろ?だから光一、あのルートは詳しいんだろ?」
「当たり。夕焼けの槍ヶ岳を見ながら雅樹さん、7時間の話をしてくれたんだ、」

素直に答えていく自分を英二が見つめ、楽しげに笑ってくれる。
その笑顔に信頼と恋が深くなる、この想い微笑んで光一は16年前の約束をパートナーに伝えた。

「その話を聴いてさ?俺がトップなら北壁も2時間で登れる、だから俺とアンザイレンして登りに行こう、そう約束したんだ。
それで穂高から帰った次の週、山図を持ってきて教えてくれたんだ。雅樹さんに教わってるから俺、今回の記録も出来たんだよ。
だから今日、本当に嬉しかったんだ。おまえが雅樹さんの約束に気付いてくれて、一緒に登ったって言ってくれたのが嬉しいんだ、」

16年前の夏に自分たちが選んだ「約束」と夢。
その夢を共に見てくれる英二には知ってほしい、そう願う想いに英二は綺麗に笑ってくれた。

「俺も嬉しいよ、ふたりの夢を一緒に登らせて貰えてさ、本当に嬉しいよ?」
「おまえだけだよ、一緒に登れるのはね、」

正直に答えて笑いかける、それが嬉しくて、けれど嬉しいと想う分だけ尚更に「現実」が傷む。
こうして「山」では自分が英二の一番だろう、けれど山を下りれば英二には周太がいて、それを自分は邪魔したくない。
たとえ周太の事が無くても「公認パートナー」の権利を得た代償に、責務のため秘密を言い訳にして独占めは赦されない。
だからこそ尚更に「雅樹」との永遠を見つめている、誰より愛して見つめて全てを与えてくれた人を、今も想う。

―雅樹さん、心と体の全てを俺にくれたのはね、独占めを赦し合えたのは雅樹さん唯ひとりだよ?ずっと、これからも、

雅樹のキスは自分だけ、あの瞬間を知るのは自分だけ。
山桜のような香に温かな懐で眠る、あの喜びは自分だけが知っている。
雅樹が「山」と、それ以外の全ても懸けて見つめる眼差しの、深い熱情は光一だけを見つめる。

『光一。大好きだよ、本気で…いちばん大切でいちばん信じている、だから待っているよ?光一は僕の希望と夢の光だから』

まばゆい8歳と23歳の夏、あの時が自分たちの永遠で、約束と夢と自分を造りあげた全て。
あの夏が自分にとって本当の人生の始まり、だから雅樹は自分の始まりを2つとも立会ってくれた。

―この体が生まれる始まりと、この心が始まったとき。体も心も雅樹さんから始まったね?夢を見て、恋して、願ってさ?

始まりを抱きとめてくれた、その人への想いに涯はない。



ぎしっ…

かすかな軋み音に、微睡が醒まされる。
ゆっくり披いた睫のむこう、窓の紺碧と銀のきらめきにシルエットが起きていく。
隣のベッドに鳴った衣擦れとマット軋む音に、そっと光一は笑いかけた。

「…起きてたんだ、」

声かけながら起きあがり、星明りに隣を見つめる。
窓の夜を背負う翳から切長い目が笑って、綺麗な低い声が微笑んだ。

「うん、なんか寝つけない。ちょっと神経が興奮してるのかもな?」
「ワインでもダメだったね?」

アルプスの女王が贈るキス、北壁の昂揚はアルコールでは流せない?
そんな感想に笑いかけて見つめた先、穏やかな眼差しが笑ってくれる。
その優しい気配に心が響いて、もう想いは唇から言葉になって問いかけた。

「あのさ、…そっちで一緒に寝てもイイ?」

北壁の登攀に集中したいから「恋人」の関係は中断、そう自分で言った癖に本音があふれだす。
ずっとツェルマットに入ってからは別のベッドで眠ってきた、けれどマッターホルンの夜は今夜が最後。
だから今夜だけは一緒に眠りたいと思っていた。それをようやく素直に声にした向う、綺麗な低い声が尋ねてくれた。

「いいけど、どうした?」
「ちょっとね、人恋しくなっちゃったってカンジ?」

答えながら気恥ずかしい、自分であれこれ規制を作った癖にと想ってしまう。
こんな自分の子供っぽい我儘が気恥ずかしくて、けれど体は素直にベッドを下りて英二の隣へ上がりこむ。
青梅署寮の狭いベッドみたいに触れるほど間近く並んで、笑いかけた光一に綺麗な笑顔は気づいてくれた。

「雅樹さんの話して、恋しくなった?」
「かな?」

半分図星、あと半分に気付いてほしいのに?
もどかしい想い笑って光一は温かいリネンに潜りこんだ。
その隣、並んで横になってくれる温もりから、深い森の香が包んで吐息こぼれた。

―英二の匂いと、体温だね

ほろ苦いような甘い、樹木とも似た英二の香。
この香に隣が誰なのか安堵して、けれど刹那の瞬間にも想えて切なさ募る。
もうマッターホルンは今夜が最後、明日はアイガー北壁の麓で夜を見るだろう。
そして明後日には頂上に立ち、次の次の日には帰国の飛行機に自分たちは乗っている。

―日本に帰ったらもう、異動して昇進して、1ヶ月は英二と離れるんだね

異動は、自ら英二と共に望んだこと。
それなのに離れる瞬間が怖くなる、けれど超えなくては本当の自由も掴めない。
そう解っている、それでも今こうして寄添い香と体温にくるまれる幸せが愛しい分だけ、切ない。
切なくて、それでも今の幸福を全て見つめて感じたい。そんな想い正直に光一は、大好きな名前を呼んだ。

「…英二、」
「ん?」

呼んだ名前に微笑んで、横顔がこちらを向いてくれる。
見つめた切長い目が優しい、至近距離に吐息ふれあい結ばれてしまう。
ほろ苦く甘い吐息ふれて唇を撫でる、いま見つめ合う眼差しに吐息に惹かれるまま、そっと唇を重ね合わせた。

―英二のキスだ、マッターホルンと同じ苦くて甘くて…

ふれるだけのキス、吐息の温もり微かに交わして静かに離れる。
ゆっくり瞳を披いて微笑んだ、その目の前から英二は問いかけてきた。

「集中力が必要だから雑念になるから、キスも山頂だけって言ってなかった?」
「言ったけど、ね、」

確かにそう言った、それなのに覆した自分に困ってしまう。
こんな我儘はさすがの自分も恥ずかしくて、けれど本音のままを言葉にした。

「でも今、キスしたかったんだ。マッターホルンが見えるとこで、英二にキスしたくって、ね、」

マッターホルンには約束と夢が輝いている。
それは懐かしいものと新しいもの、其々ふたつずつ。
ふたつ共にアンザイレンパートナーと結んだ想い、どちらも大切なひと。
この約束と夢を駈けた場所だからこそキスしたかった、そんな想いに英二は笑いかけてくれた。

「うれしいよ、光一、」

名前を呼んで、腕を伸ばして抱き寄せてくれる。
温かな懐にカットソーを透かす体温ふれあい、森の香は濃やかになる。
その長い指の掌に黒髪ごと頭を抱かれて、そっと撫でられる感触に幼い日の幸福が微笑んだ。

―雅樹さん?英二?

16年前の感覚と今の瞬間が重なり、時が交わされ心が惑う。
けれど抱きしめてくれる香は樹木の芳香で、山桜の香との違いに現実が解かる。
それでも二つの温もりも香も愛しくて、微笑んで見つめた貌の向こう、銀色ふる夜の紺碧は深い。
光あざやかな夜空にアルプスの女王は佇んで、その鋭鋒を背負った恋人は微笑んだ。

「キス、させて?光一、」

名前を呼んでくれた唇が、そのまま唇に重ねられる。
ほろ苦く甘く熱い唇ふれて、ついばむよう幾度も熱く甘く求めさす。
この熱も香も英二の気配、それでも16年前にふれあえた夢と感覚が息吹き返して、涙あふれた。

「…光一?」

名前を呼んでくれる声は、低く透る英二の声。
それでも記憶の聲が共に自分を呼んでいる、もう諦めたはずの夢が約束の場所で涙を流す。
伏せたままの睫から熱はこぼれ頬を伝い、そっと長い指が拭って問いかけた。

「ごめん、キス嫌だった?」
「嫌じゃないね、でも…なんか泣けるんだ、ごめんね?」

答えながら涙あふれる、この涙は16年の時を超えて2つの想いのため。
ずっと抱えてきた約束と想いを今、こうして体温で受け留められて融けて、涙に変る。

―雅樹さん、約束の2時間を出来たよ?ちゃんとアンザイレンして登ったんだ、俺だけのアンザイレンパートナーと一緒に、

もう叶わないと思っていた、自分がアンザイレンパートナーと登ることは。
もう単独行でしか登れない、雅樹との約束は半分しか叶わないと諦めかけて、けれど英二が共に登ってくれる。
誰でも昇れる訳ではない垂直の世界、その頂点に懸けた約束と夢が解かれていく涙ごと英二は抱きしめてくれた。

「泣けよ、光一。泣きたいだけ、」

森の香と温もりが、肩に胸にふれて想いが重ならす。
抱き寄せられる髪に吐息ふれて抱きこめられて、その温もりに嗚咽が生まれだす。
広やかなシャツの背中に腕を回し縋りついて、懐の温もりに涙と声がこぼれた。

「…っ、ぅ…え、いじ…ありがと、っ…」

嗚咽ごと抱きとめてくれる想いが、静謐の温もりにただ優しい。
体温と香にくるまれながら微睡んでいく、その穏やかな時間に幸せを眠って、また明日に生きる。
もう16年前の体温は蘇えらないと解かっている、それでも懐かしく愛しい記憶ごと抱きしめて大切な俤を見つめた。

―雅樹さん、ひとつ約束を叶えたよ?英二のお蔭で雅樹さんとの夢、ひとつ現実に出来たね…独りじゃないから出来たよ?

心で呼びかける俤の、温もり、香、鼓動。
その全ては今、抱きしめてくれる人と全く違う。けれど抱きしめてくれる安らぎは、同じに温かい。
英二の体温は独り占め出来ないと解かっている、それでも今の瞬間は自分だけを抱きしめてくれる。
今この独り占め出来る瞬間に16年前までの幸福な独占欲と笑いかけて、光一は素直な想いを言葉に変えた。

「あのさ…ずっと夢は、俺と生きてるよね?」

この問い、あなたなら解かってくれるよね?
そう願い見つめた切長い目は、うす青い闇のなか微笑んだ。

「うん、夢は光一と生きていくよ、ずっと一緒だ。俺も一緒だよ?光一は俺の夢の全てだから、」

光一は夢の全て、そんなフレーズに夏の瞬間が蘇える。
こんなふうに、あの幸せな時間は今も生きて、自分を抱きしめ温めてくれている?
この温もりに言葉に心が吐息と笑って、そっと頬よせた頬に涙と本音が微笑んだ。

―雅樹さんは生きてるね、約束と夢に生きている、俺と一緒に生きていける、明日も明後日も何十年先もずっと

唯ひとり、自分に名前を贈ってくれた人。この体の誕生を援けて、この心に夢を与えてくれた。

いつも笑って抱きとめて、どんな我儘も約束も真摯に向き合い叶えてくれた、夢に生きる幸せを教えてくれた。
この世界に生まれてすぐ抱いてくれた瞬間、あの時から変わらず真直ぐ見つめて、その心身も時間も全てを懸けて愛してくれる。
だから自分も生まれた瞬間から、この血の一滴から髪の一すじまでが「大好き」だと思慕し続けて、生と死に別れても変えられない。
何があっても自分は雅樹を忘れることなんか出来ない、もう雅樹は自分の体と心の全ての中で、生きている。

―だからね雅樹さん?誰に抱かれても、恋しても、俺は雅樹さんのものだね…明日も明後日も、最期の瞬間の後もずっとだ

そっと本音が幸せに微笑んで、深い森の温もり誘う微睡に大好きな俤が笑ってくれる。
約束の頂が見おろす窓の、穏やかな眠りの懐に護られて。



かすかな薔薇色が瞼を透かし、瞳が披かれる。
うす青い闇の部屋、白いベッドのシーツは温もりの残像に波打って、けれど隣はいない。
その視界をゆっくり上げていく先に蒼い翳は聳え、紺碧の空に銀いろ耀いて深く静謐が充たす。
それでも山頂かすかな光を見とめて光一は、温かに包むリネンから脱け出し窓辺へ立った。

「…お目覚めの時間だね、アルプスの女王さま?」

そっと恋人の山へ笑いかけ、デスクからカメラを携え窓の鍵を外す。
その背後ほのかな水音が聴こえてくる、自分のアンザイレンパートナーは今日も習慣通り冷水を被っているらしい。
きっと直ぐ、いつもどおり謹直な貌した別嬪の笑顔が現れる。そんな信頼と笑って光一は窓を開き、外へ出た。

「うん、冷たくってイイね、」

吹きぬける氷河の風に笑って、目覚めだす鋭鋒の光を見上げる。
遥かな東の涯に大きく星は輝いて朝を呼ぶ、その光に呼ばれて暁の空は今日になる。
ベランダの欄干に手をつくと木肌の冷気は皮膚を透かす、肌感覚から黎明の空気は意識を澄ませてくれる。
今日、自分は2つめの約束を叶えるために次の山へ向かう。その昂揚とカメラを構えて芯から愉快に笑った。

「マッターホルン、今日でしばらくお別れだよ?また逢いに来るまで憶えてるのに最高な別嬪顔、今から見せてよね?」

最高に別嬪顔した山の姿を撮りたい、そう言って父は笑っていた。
いつも「山」を撮るためだけに登る、ただ山を純粋に愛した父のレンズは今このカメラに填まっている。
そんな父の誇らかな山写真が好きで、そして父が山頂で撮った雅樹の笑顔が大好きで、この目で見たいと願った。
だから自分も雅樹とザイルを組んで、山頂の雅樹を自分で撮りたかった。

―オヤジ、雅樹さん。このレンズで俺は二人と一緒に登ってるね、だから今も一緒に見てるね?

見つめるファインダーの向こう側、女王の冠に光の薔薇が彩られていく。
明るむヴァリスアルプスの稜線、白金の耀きに明けていく今日、まばゆい光の冠に山が目を覚ます。
天の炎が象る薔薇の花冠、その光にシャッターボタンを押して瞬間を切り取ったとき、ふっと森の香が佇んだ。

―やっぱり来たね?

ちいさく心が笑って、ファインダーが静かに東へ動く。
その視界へと白皙の横顔は映りこんで、頭上に暁の明星が輝いた。

―綺麗だね、

芯から笑って光一は、そっとシャッターを押すとレンズ越し見つめた。
黒いカットソー姿で長身は佇んで、ダークブラウンの髪を氷河の風に靡かせる。
暁と耀く女王に微笑む眼差し、穏やかな静謐と熱情の黒い瞳は長い睫の陰翳に謎ふくます。
深い美貌の男、この自分と体温ごと見つめ合える唯一の存在は、至高の天使か悪魔のように今日も佇んでいる。

―雅樹さんのコト忘れなくってもね、おまえのこと大好きだよ?惚れてるから一緒に夢を叶えたいんだ、おまえと、

ただ素直な想いごと、アンザイレンパートナーの瞬間を写真に綴りこんだ。





(to be continued)

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