萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

深夜日記:黄金の秋刻

2012-12-08 22:53:42 | 雑談
秋、光刻む



あわい金も黄金も、一木に魅せる黒い幹。
御岳山の楓は紅もあり、黄の色相も見せて山に季節を齎します。

昨日は第58話「双壁K2」もUP予定でしたが出来ず、楽しみにして下さる方いたらすみません。
いま第58話「双璧9」加筆校正中です、今夜中には終わらせたい所ですね。
日付変わる頃or明朝に「双壁K2」続編をUPするつもりでいます。
予定通り進まず、まあコンナ事もあるんですかね?笑

取り急ぎ、





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第58話 双璧act.9―another,side story「陽はまた昇る」

2012-12-08 04:25:31 | 陽はまた昇るanother,side story
希望、自らで立つこと



第58話 双璧act.9―another,side story「陽はまた昇る」

20時30分、ことんとグラスを置いて隣が財布を開く。
その向かいで青木樹医は財布を開くと、伝票の金額を置いてくれた。

「今日はご馳走しますよ、4人だけですしね。手塚くん、ゼミ生には内緒ですよ?」
「良いんですか?ありがとうございます、」

遠慮なく手塚が笑い、美代と周太も素直に礼を述べた。
そんな教え子たちに照れくさそうに微笑んで、靴を履きながら青木は笑ってくれた。

「じゃあ、お先に失礼しますね?のんびりオールして、男同士とっくり語り合っちゃってください、」
「はい、語り合っちゃいますよ。先生、小嶌さん、おやすみなさい、」

愛嬌ある笑顔が笑って、二人を見送る。
けれど周太は席を立ちながら、手塚へと笑いかけた。

「俺、出口まで美代さん送りたいんだ。ちょっと行ってきて良い?」
「うん、いいよ、」

気楽に頷いて眼鏡の奥、生真面目でも温かい目が笑ってくれる。
その温もりになにか寛いで、微笑んで周太は靴を履き二人と廊下へ出た。
少し歩いて出口の近く、立ち止まると周太は青木准教授を真直ぐ見て微笑んだ。

「先生、僕、8月一日の異動が決ったんです。大学は続けられると言われました、でも講義中に職場へ急に戻る時もあるかもしれません、
そのときは大変失礼ですが、途中で退席して宜しいですか?こんな我儘をすみません、けれど万が一があり得るので今、先にお詫びします、」

告げて周太は端正に頭を下げた。
その隣から美代が、息を詰めるよう尋ねてくれた。

「湯原くん、その異動って難しい部署に行くのね?」

綺麗な明るい目が哀しそうなってくれる。
警察官ならどの部署でも難しい、そんな現実に周太は笑いかけた。

「どこの部署も同じだよ?でもね、今よりは緊急のことが多い部署なんだ、だからお伺いしているんだよ、」
「そう…じゃあ、光ちゃん達と同じ感じなのね、」

ほっと溜息ひとつで美代は微笑んでくれた。
奥多摩で生まれ育った美代は、そこに立つ警視庁山岳救助隊の現実を肌で知っている。
それと重ねた理解に覚悟をしてくれた、そんな聡明で頼もしい親友に周太は頷いた。

「ん、同じ感じだよ?だから心配しないで、美代さんとの約束は守るから」
「そうよ、約束よ?大学受験の面倒見てね、森林学もずっと一緒に勉強する約束よ?ちゃんと守ってね、」

応えて笑ってくれる、けれど綺麗な明るい目に涙ひとつ零してくれた。
ほら、こんなに自分を心配してくれる友達がいる。この幸せに微笑んで周太はハンカチを美代に手渡しながら、准教授に向きあった。

「先生とも約束させて下さい、いつか中座しても僕は必ず帰ってきます。きっと先生から教えて戴くことを活かす道を探します。
だから申し訳ありません、中座する可能性があっても講義を受けることを認めて頂けませんか?少しでも多く、講義を伺いたいんです、」

8月になれば第七機動隊銃器対策レンジャーとして務めれば、緊急出動が任務になる。
こうした緊急性は警察官ならどの部署も同じ、けれど自分が向かう先は「死線」だと覚悟があるからこそ学びたい。
本当は中座したら帰って来られるか解からない、だからこそ一瞬でも多く好きな学問に夢を見つめ、生きたい。
そんな覚悟と願いと、希望に微笑んだ向かい青木樹医は静かに微笑んだ。

「私からも約束します、たとえ1分でも出席したら良かったと想える、そういう講義を出来るように私も頑張ります。
湯原くんは本当に時間が厳しいなか学んでくれるんですから、そういう君に学問の力を少しでも多く受け取って貰えるように。
中座するときも無断で退出して下さって構いません、だから安心して講義に出席してくださいね?1分でも1秒でも多く学んでください」

そんなふうに自分に言ってくれる、この想いが真直ぐ心響いてしまう。
嬉しくて、嬉しくて幸せで、温かい涙ひとつ呼吸に隠して周太は微笑んだ。

「ありがとうございます、」
「こちらこそ、ありがとう。君の言葉は私にとって最高の賛辞です、」

心うれしくて笑いかけた先、篤実な樹医は若々しい笑顔ほころばせてくれる。
この笑顔を信じて学んでみたいと想い、自分は植物学に飛び込んだ。その夢がまだ続けられる。

…嬉しい、こんなにも…本当にありがとうござます

どこまでも温かい喜びに微笑んだ隣、美代がハンカチで涙拭きながら笑いかけてくれる。
こんなふうに美代が泣くことは少ない、そんな涙を贈ってくれる親友に笑いかけ周太は准教授に確認した。

「それで先生、フランス文学の先生のお手伝いですが、期間はどのくらいですか?」
「はい、9月末までに終わらせたいと言っていました、秋からの講義で遣うテキストらしいので。大丈夫ですか?」

9月末までなら次の異動前だろう、それなら「緊急」もまだ少ない時期になる。
ほっとして周太は微笑んで頷いた。

「はい、9月末までなら時間も自由になりやすいと思います。よろしくお願いします、」
「よかった、では話を進めさせて貰いますね、」

そんなふう近い未来の予定を約束して、二人を見送った。
すぐに戻って個室の扉を開くと、グラスと本を手にする愛嬌の笑顔がほころんだ。

「お帰り、湯原。ちゃんと恋人との別れ、惜しんできた?」

やっぱり美代との仲を誤解されているらしい。
こういうのは面映ゆくて困ってしまう、気恥ずかしさに首筋の熱が昇りだす。
もう真赤になっているだろう衿元を気にしながら、周太は席に座ると微笑んだ。

「そういうのとも、ちょっと違うんだ。でも別れは惜しんできたよ?」
「あ?恋人じゃないんだ、じゃあ小嶌さんの謎かけの答えも違うんだな、」

意外だな?そんなふう眼鏡の奥が笑ってくれる。
その篤実な笑顔は明るく温かで、素直に好きだなと思えて周太は正直に笑いかけた。

「うん、美代さんは恋人じゃないよ?でもね、いちばん大好きで大切な、特別な友達だよ、」

美代は特別、それは生涯きっと変らない。
同じ夢を追う約束を初めてして、同じ人に初めて恋愛している。
二つの大切な「同じ初めて」の相手同士、それが美代と自分の関係だろう。
そんな大切な繋がりに微笑んだ向かい、愉しそうに手塚は笑ってくれた。

「それって恋人未満友達以上、ってヤツだな?」

恋人未満、友達以上。
そんな言葉に懐かしくなって、胸が痛む。
ちょうど一年前、もう過ぎた夏に見つめていた笑顔への想いが懐かしい、そして今少し、辛い。

…英二、いま光一と笑ってくれている?

懐かしい笑顔への想いに泣けない涙が傷む、この同じ瞬間を8時間に隔てられる人を想う。
それでも「隔て」の覚悟はとっくにしている、そう呼吸ひとつで周太は微笑んだ。

「ん、そうかもしれないね?親友って俺たちは呼びあうけど、」
「いいな、男女の親友って言うのもさ、」

頷いてグラスに口付けながら、明朗な声が笑ってくれる。
その愛嬌ある笑顔へと、今度は周太が質問してみた。

「手塚は彼女とか、いるの?」
「ははっ、湯原でもそういう質問するんだな?今はフリーだよ、俺」

何げなく訊いた質問に、生真面目な顔が可笑しそうに笑ってくれる。
そんなに自分が訊くのは変かな?そう首傾げた向かいで手塚が提案してくれた。

「この皿のもん片づけたらさ、俺たちも場所移ろうよ、」
「ん、どこに行くの?」

いわゆる「ハシゴ」というやつをするのかな?
そんな理解と箸を取った向かい、眼鏡の奥で明るい目は愉快に笑った。

「俺んちだよ、オールするんなら家飲みの方が安いし、のんびり喋れるだろ?疲れてたら寝ちゃってもいいよ、」
「え、いいの?」

家に泊めてくれるの?まだ話すの2回目なのに。
疲れてたらって気遣ってくれるの?今日は当番勤務明けだなんて知らない筈なのに。
色々と聴いてみたい想いと訊き返した向う、手塚は気楽に笑ってくれた。

「ダメだったら俺から言わないよ?ま、雑魚寝で申し訳ないんだけどさ、独り暮らしだから遠慮は要らないよ、」

そう言って笑ってくれる貌は明るく気さくで、愉しげでいる。
こんなふう学生なら気軽に泊まり話しこむ事は珍しくない、けれど自分にはそういう友達はいなかった。
でも今、目の前で誘ってくれる友達が笑っている、この「普通」が嬉しくて周太は素直に笑った。

「じゃあ、おじゃまさせて?家ってどこなの?」
「新宿からすぐだよ、頑張ると歩きで帰れるんだ。まだ9時前だから近所のスーパー開いてるし、食うもんと飲むもん買ってこ?」

食卓の皿を空にして、けれどまだ腹は余裕と言ったふう笑ってくれる。
昼時も手塚はカレーとうどんの両方を食べていた、きっと健啖な性質なのだろう。
なんだか自分の周りは食欲旺盛に囲まれているな?そう楽しい気持ちに周太は席を立ち、提案した。

「よかったら俺、なんか作るよ?台所、貸してくれるんなら、」
「それ良いな、俺も何か作ろ、」

笑いながら一緒に廊下へ出て、会計を済ませて外に出る。
誇りっぽい匂いに街路樹の緑が香って、ふっと周太は微笑んだ。

「ん、街中でも木の匂いするね?」
「お、ほんとだ。湯原、よく気づいたな、」

他愛ない会話に歩いて行く道は、摩天楼の光とネオンに排気ガスの匂い。
見上げる夜空はビル風に狭められ、それでも遥か遠い蒼穹へと繋がっている。
夜と昼、8時間という流れに繋がり隔てられた都会の真中で今、自分は「山」を夢見て歩く。
ここで感じるのは塵埃ほろ苦いような匂い、それでも街路樹が呼吸する夜の吐息は深く香って慕わしい。

…夜の木の匂い、英二の香と似てるね

心こぼれた独り言に微笑んで、夜を見上げる。
この夜が8時間経てばアイガーの麓に降る、そして英二と光一の瞬間が訪うだろう。
この今ここで自分が呼吸する夏の夜、その吐息は夜と共に移ろい8時間を経て、ふたりの夜へ降るだろうか?



シンプルな扉を開くと、青いカーテンと白い壁が目に映る。
本棚と低いテーブル、クッションとベッドが並んだ部屋は簡素でも清々しい。
警察署の寮とは違うワンルームマンションの雰囲気に、なにか楽しい気持ちと周太は微笑んだ。

「おじゃまします、すっきりした良い部屋だね、」
「物が少ないだけだよ、本は多いけどさ。鞄とか適当に置いてよ、」

照れくさげに笑いながら手塚は小さなキッチンに買物袋を置いた。
言われたようクロゼットの脇へ鞄をおろす、そして上げた視線にイーゼルとスケッチブックが映りこんだ。
木製の樋に立てられたダークブラウンの布張り表紙は大切そうで、周太は尋ねてみた。

「このスケッチブック、手塚が描いたもの?」
「あ、そうだけど、」

答えてくれる声がどこか気恥ずかしげに笑う。
その笑顔の隣に立って、買ってきたトマトを手に周太は微笑んだ。

「学校で手塚、絵を褒められると嬉しいって言ってたね?あとでスケッチブック、見せてもらって良い?」
「あー、恥ずかしいな?でも湯原なら良っか、」

困ったようでも楽しげに答えながら、まな板や包丁を貸してくれる。
洗ったトマトを切りながら、照れ屋らしい友達に尋ねてみた。

「ありがとう、なんで俺なら良いの?」
「湯原の絵が巧いから、かな、」

さらっと褒めて笑ってくれる、その貌が愛嬌に温かい。
この笑顔が手塚は懐っこくて話しやすいな?そんな友達へ周太は微笑んだ。

「ありがとう、褒めてくれて…でも、巧いと見せてくれるの?」
「うん、絵を描くヤツには見てもらうのも良いかな、って想うんだよな、」

頷き笑いながらも手塚の手は動き、トースターの天板にホイルを敷いていく。
その上へと慣れたふうに茸を裂いて並べると、丸ごとのピーマンも一緒に納めた。
すぐ着火して、卵黄と味噌を手早く混ぜ合せていく手許あざやかで、感心してしまう。
いま手塚は学部3年生で21歳、この年頃の男子としては珍しいだろうな?そんな感想に周太は尋ねた。

「手塚、料理って好き?」
「うん、好きだよ。ガキの頃から俺、結構やってるんだ。ウチは家族総出の林業でさ、ガキの手も欲しいんだ、」

愉しげに答えてくれながら卵味噌をトレイに乗せ、焼いた茸とピーマンも皿に移してくれる。
手早く簡単に作っていく、そんな手並みに料理が日常的に好きだと解かって何か嬉しい。
周太もトマトにモッツァレラチーズを挟み、軽く塩を振りながら微笑んだ。

「俺も料理、小さい頃から好きだよ。楽しいよね、」

小さい頃、料理好きだと言って「男のくせに」とからかわれた事がある。
あのとき哀しくて他人には言い難くなった、けれど今は素直に言って微笑める。
こういうのは嬉しいな?微笑んでトマトたちに蜂蜜をかける隣、手塚が言ってくれた。

「へえ、同じだな。でも湯原の皿はお洒落だよな、俺のって田舎料理なんだよ、」

笑ってくれながらトレイに肴を載せ、座卓へと運んでくれる。
二つの皿と箸にビールと酎ハイの缶を並べ、向かい合わせに周太も座った。
そんな周太にクッションひとつ勧めると、手塚は缶ビールのプルリングを引いた。

「よし、じゃあ2次会スタートな?今夜はトコトン飲んで喋ろう、」
「ん、よろしくね、」

笑って周太もオレンジ酎ハイのプルリングを外し、こつんと軽く缶をぶつけ合う。
それぞれ口つけ啜りこんで、ほっと息つくと互いに料理の皿へ箸をつけた。

「あ、旨い。蜂蜜ってどうかと思ったけど、旨いな?」

愛嬌の笑顔ほころんで、周太の料理にまた箸をつけてくれる。
その笑顔が素直に嬉しくて、笑って周太は口を開いた。

「カプレーゼっていうイタリアの料理なんだ、本当はバジルってハーブも使うんだけどね。蜂蜜を使うのは俺のオリジナルだよ、」
「これ良いよ、こんど実家でも作って家族に食わせるよ。その焼野菜、卵味噌は大目に付けて食ってみて?」

言われた通り素直に卵味噌を付け、丸ごと焼いたピーマンを齧ってみる。
その口許に自然な甘さ瑞々しい、焼ピーマンの味に周太は驚いた。

「おいしい、これってスーパーで買ったピーマンだよね?」
「な、旨いだろ?ピーマンって丸ごと焼くと全然味が違うんだよ、家の畑のだともっと旨いんだ。あと隠し味のニンニクと黒胡椒な、」

缶ビール片手に愉快な笑顔は教えてくれる、その質朴な明るさにほっとする。
眼鏡を掛けた生真面目な風貌、けれど愛嬌ある笑顔と大らかな目は明朗で清々しく温かい。
まだ話す機会も2度めの相手、それでも寛いだ気分と微笑んだ周太に手塚はスケッチブックを渡してくれた。

「好きなように見て良いよ?で、率直な評価を聴かせてよ、」
「ん、ありがとう、」

素直に笑って表紙を開く、そこに雄渾な樹幹が現れた。
きらめく木洩陽ふらす葉は萌黄から翡翠へと緑輝かす、その光輝まばゆい。
空を抱く梢からふる輝かしい陽光、その全てを見事な筆致に描いた樹木へ周太は微笑んだ。

「きれい…すごいね手塚?これは木曽に生えている木なの?」
「うん、俺んちの山にいる木なんだ、なかなか美人だろ?」

照れくさげに笑い、懐かしそうに眼鏡の奥が微笑む。
そんな笑顔にスケッチブックの樹木は、描いた掌の望郷なのだと気付かされる。
きっと手塚は故郷を愛しているだろうな?そう感じたままに周太は綺麗に笑いかけた。

「手塚、木曽が大好きなんだね?…この絵、木への愛情が温かい。本当に素敵な木だね、」

樹木は、物言わない。
けれど描かれた梢の幹も葉も、その光と陰翳に笑っている。
木は何も言わない、けれど想い煌めくよう樹木の姿はスケッチブックに聳え立つ。
こんなふうに絵が描けたら愉しいだろな?楽しく微笑んだ隣へと手塚は席をずらし一緒に絵を眺めてくれた。

「ありがとな。俺さ、絵と森のことはガキの頃から小さいプライドがあるんだよ。だから木の絵を褒められるの嬉しいんだ、」

巧みな絵、森への想い。
この2つが活かせる仕事を想い、周太は訊いてみた。

「手塚って、もしかして植物図鑑の制作とか、仕事にしたい?」
「うん、いつかはって思ってる、」

問いかけに眼鏡の奥、明朗な微笑が見つめてくれる。
缶ビールに口付けながら、手塚は口を開いてくれた。

「俺んちって林業やってるだろ?だから俺、卒業したら木曽に戻って家の仕事をやるつもりだったんだ。でも、親たちに言われてさ、
せっかく東大に入って勉強しているんだから、もっと広く世の中を見て来い。その後に家へ戻っても構わない、何か好きな道を探してみろ。
そう言われてさ、それで俺、好きな絵で森林学を描いてみたいって想って、植物図鑑の仕事も考えたんだ。それで練習した最初がその木だよ、」

絵で森林学を描く、その言葉が想い響かす。
植物学の世界では絵や写真の技術を用い、植生の詳細を解かり易く示して残す。
こうしたアプローチも大切だと、考え廻らす隣から日焼けした指がページを繰った。

「でな、これが奥多摩の水源林。この春に先生の調査を手伝わせてもらってさ、その時に撮った写真から描いたんだ、」

スケッチブックの四角い世界、そこに奥多摩のブナ林は広がった。
あわい緑まとう梢の幹はモノトーン、春浅い森のまばゆい白銀に木洩陽は温かい。
やわらかな緑たちの優しい空間、その世界への記憶と想いがスケッチブックに呼び覚まされた。

―…周太、あの雪崩の姿を想い出すと不思議な気持ちになるんだ

雲取山麓に抱かれたブナの森、その深奥に佇むブナの巨樹。
美しい大樹の元で、綺麗な低い声が穏やかに微笑んだ。

―…たしかに、あの雪崩で俺も国村も危険に晒された。けれどそれ以上に俺は、山の神様に会えたんだって想えるんだ。
   あのとき本物の竜に会えた、そんなふうに想えてしかたない。だから俺は、やっぱり雪山に立ちたいって想ってしまうんだ

あのときの言葉どおり英二は雪山を登り続け、三大北壁の2つを完登した。
そして今夜、あと8時間後にアルプスへ夜が訪れたなら、美しい山っ子を英二は抱きしめる。
唯ひとりのアンザイレンパートナーとして敬愛し、唯ひとり夢を追える相手と素肌で抱きあい、「恋人」として見つめ合う。
その現実への覚悟と祈りと、そして、どうしようもない寂寥が一瞬で瞳の奥を灼熱に濡らした。

「…っ、」

そっと嗚咽を密やかに呑みこむ。
静かに息吐いて微笑んで、いつものよう笑おうとする。
けれど隣から手塚は、大らかに笑って言ってくれた。

「湯原、今夜は俺のこと、郵便ポストって思って良いよ?」
「え、」

郵便ポストだと思うなんて?
どういう意味か分からなくて見つめた、その先で明朗な声は微笑んだ。

「前に見たんだよ、酔っ払いのオッサンが郵便ポストに縋って泣いてるとこ。その人、何でも言いたいこと言って泣いてたよ。
ああいう何でも言えるのってさ、相手が詳しく知らないことが気楽で言えるんだと思うんだよ?だから俺のこと、ポストで良いよ?
ここなら俺しか見ていないし聴いていない、ここで胸に溜ってること吐き出して、泣きたかったら遠慮なく泣いていいよ、好きにしな?」

自分の今の気持ちを察してくれた?
そんなふう気遣わせ途惑う隣、笑って立ち上がってくれる。
本棚からパソコンを引っ張り出し、テーブルの端に開いて操作すると周太に示してくれた。

「湯原、この中に好きな曲ある?選んでいいよ、好きな曲でも聴きながらぼーっとしてさ、寛いでよ?俺も好きにするから、」

別に理由は言わなくても良いよ?
ただ寛いでいたら良い、泣きたかったら泣けば良いよ?
そんなふう自然体の提案が温かで、この優しい温もりへ周太は素直に微笑んだ。

「ん…ありがとう、手塚」

礼を言いながらパソコンを覗きこみ、音楽リストを眺めてみる。
どうせなら知らない曲が良いだろう、それでも題名に今の想い映して決める。
その曲に合わせ操作して、そして優しいピアノの旋律からギターが合さり歌いだす。

……

If you try to fly
I will catch you if you fall I wouldn't let you go
Could I hold your hand
So we could fly together somewhere just me and you
We'd Be floating by
The sea together way up high
What's it really like?
And our time will past
And we will be together
But our paths may change and we could be together…

……

切ないトーン、けれど底が明るい旋律と声。
どこか切ない声が詠う英語の詞たちに、泣けない涙が溜まっていく。
その言葉たちは心で母国語になって、今、この瞬間の想いを映しだす。

 もし君が飛ぼうとするなら
 君が落ちそうになれば僕が受け留めてあげる
 君を離したりしないよ
 君と手をつなげるなら
 僕たちは何処へも一緒に飛んでゆける
 君と僕だけで
 僕たちは浮かんでいるだろう
 海のすぐ側を空高く
 それが本当ならどんな感じがするかな?
 そして僕らの時間は過ぎて
 それでも僕らは一緒にいるだろう
 けれど、僕らの行先は変わって、もう一緒にはいられない

…本当にそうだ、もう行先は違う、ずっと一緒にはいられないね?でも、受け留めたい…待っていたい、

歌に心は廻らせ想いはマイナス8時間の真昼へ祈る。
心から願う、どうか幸あれと祈る、それでもこの涙はどうしたら止むの?
もう泣かないと決めているまま涙こぼれない、それでも心は泣いて我儘な自分が嗚咽を咳き上げた。

「…っ、」

密やかに嗚咽を飲んで、静かに微笑む。
もう泣かないと決めたから今も泣かない、この今こそ微笑みたい。
もう強い優しさを心に抱きしめている、英二が愛してくれた記憶が自分を支えてくれる。
必ず自分の隣に帰る、そう約束してくれた心を信じて泣かないで「今夜」の全てを見つめていたい。

…大丈夫、俺はもう充分愛してもらってる、英二にも光一にも…だから迷ったら、泣いたら駄目、英二が帰る場所でいるなら…笑って

ふたりは今夜「分岐点」を見つめるだろう、ならば自分も共に見ていたい。
そう望む想いは心に動かない、それでも弱虫で泣き虫な自分は寂しがり、独りでいたくないと泣く。
だから今夜は誘ってもらえて本当に良かった、この素直な感謝に周太は友人へ綺麗に笑いかけた。

「手塚、飲みに誘ってくれてありがとうね。ね、誘ってくれたのって、俺が郵便ポスト必要そうだったから?」
「それもあるかな?でも、それ以上に、湯原とちゃんと話してみたかったから誘ったんだ、」

眼鏡の奥に愛嬌ある眼差し笑って、温かい。
ベッドに背凭れながら床に胡坐をかく、その笑顔は率直に言ってくれた。

「社会人で忙しそうなのに湯原、先生の講義も受けてるだろ?そういうのカッコいいなって想ってさ、色々と話してみたかったんだ。
だけど高卒かと思って年下だと勘違いしてたよ?ごめんな、本当は湯原の方が俺より2つ3つ年上なんだよな、でもタメ口でいい?」

話してみたかった、タメ口で対等に話したい。
そんなふう言って貰えるのは嬉しい、嬉しくて周太は素直に頷いた。

「ん、もちろん良いよ。ありがとう、」
「そっか、良かった、」

気さくな笑顔ほころんで、明るんだ。
立って冷蔵庫から缶酎ハイ2つだすと、周太と向き合い手塚は座ってくれた。

「じゃ、まず聴きたいのはさ?湯原は植物学の勉強して、何をしたいって希望とかある?」

植物学の勉強をして、何をしたいか?
それは決まっている、この答えに周太は酒を受けとり微笑んだ。

「大切にしたいブナと山桜があるんだ、だから樹医になりたい、」

父と約束した「植物の魔法使い」それに自分が成りたいと願う。
遠い幼い日に笑顔と約束した自分の夢、その想い綺麗に周太は笑った。

「小さい頃から植物が好きって前に話したけど、俺ね、木とか花に触るとなんか元気が出るんだ。それで大きい木とか好きなんだ。
それで俺、小学生のとき父と母と約束したんだ…いつも自分は木に元気を貰っているから、いつか樹医になって木の命を手助けしたい。
そう約束したんだけどね、色んなことがあって今は他の仕事に就いているんだ…だけど、いつか必ず樹医になるよ、俺は諦めないから、」

もう自分は諦めない、この夢を抱いて生きて強くなる。
その強さを育むためにも今夜、英二と光一の現実を受留めようと覚悟した。

…決めたんだ、だからもう逃げないで見つめるだけ、この掌に与えられた全てを、ね

今この掌に与えられたなら、哀しみも喜びも受け留めたい。
それがどんなに辛く想えても、いつか「良かった」と心底から微笑む日が来ると信じている。
この「いつか」を信じ微笑んだ向かいから、明るく温かい笑顔は言ってくれた。

「諦めないって良い言葉だな。湯原、かっこいいよ?俺もね、諦めないって言いたい夢っていうか、進路希望があるよ、」
「ん、植物図鑑を作る他にも?」

どんな夢だろうな?
そう笑いかけた先、すこし悪戯っ子な顔で手塚は微笑んだ。

「うん、植物図鑑をきちんと作るために俺、考えている進路があるんだ、」

愛嬌の笑顔ほころばせ、東大理科で首席の男は夢の航路を話し始めた。






【歌詞引用:Monkey Majik 「I Miss You」】

(to be continued)

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