あた子の柿畑日記

田舎での日々の生活と趣味のレザークラフトについて

秋祭り

2007-10-17 21:21:37 | くらし

  ゴミを捨てに行ったら、あたりに馥郁たる甘い香りーキンモクセイの花でした。 「キンモクセイが咲くと祭りが近い。」と、このあたりでは言われています。



 ところがわたしは、「祭りが近いのに今年はキンモクセイが咲かないなあ。 気温が高いからなんだろうか。 彼岸花がまだ咲いているくらいだもの。」と思っていたのです。 理由は簡単、うちのキンモクセイが咲かないからです。 でもそれは気候のせいではなくて、どうも去年の剪定が悪かったようですね。 新しく剪定を頼んだおじさんが、どの木もばっさばっさと豪快に切ってしまい、剪定に強い梅でさえ梅雨になるまで葉が出ないという有様でしたから。


 よそのおうちのキンモクセイは、こんなにみごとな大木。きれいに刈り込んでいますね。



 というわけで、キンモクセイは祭りに間に合いました。


 十月中旬、 愛媛県の東予地方は、祭り一色です。 昨日はNHKのニュース7で西条祭りの映像が流れていました。 西条市旧市内の秋祭りは、豪華絢爛たるだんじりが練り歩くことで有名です。特に16日、伊祖乃神社祭礼の最終日には、「川入」といって、神様の乗ったみこしが加茂川を渡って神社に帰ります。 祭りの終わりを惜しむだんじりが、もう少し長く神様にとどまっていてもらおうと、川の中へ入ってみこしの行く手を阻みます。 土手には約80台のだんじりが並んでそれを見守ります。 次第に夕暮れていく中、だんじりにつけられた何十個という提灯に明かりがつけられ、それはそれはきれいです。 
 とはいうものの、交通規制があったり、駐車場が確保できにくかったりで、わたしも一回しか見たことがありません。 写真がないので、西条市の観光情報ページをごらんください。 動画も配信されていますよ。


 西条祭りが終わると次は新居浜太鼓祭りです。 こちらは太鼓台とよばれる巨大な山車を150人もの男たちが担ぐという勇壮華麗な祭り。 これも新居浜市に勤務していたとき1回見ただけですが、いろいろ教えてもらいました。 太鼓台の四隅に巨大な房飾りがついていますが、この房がぱっぱっと二つに割れるようにゆれるのが上手なかきかただとか。 かき手の気持ちがそろわなければできないんだそうです。 かき手は、自治会から配られるはっぴを着て腕章をつけます。 腕章には名前と年齢が書いてあるのですが、 高校生ぐらいの男の子が48歳なんて腕章をしていたりしてー きっとお父さんにせがんでかかせてもらったんでしょうね。
 祭りの様子は新居浜市のホームページをごらんください。


 わたしの住むところの祭りは至って地味で、数人のおとながみこしをかき(順番制です)、宮入の時に子どもの奉納相撲大会が行われるだけです。かつては獅子舞もあったのですが、どうもする人がいなくなったらしいです。 夫の話では、もともとここの神社に獅子舞はなく、戦後、隣の神社の獅子舞を教えてもらってするようになったんだとか。 ちょっとがっかりするような話ですが、西条祭りも、もとは新居浜市大島のだんじりを気に入った西条藩のお殿様が藩の者にまねさせたのだという記事を読んだことがあります。 伝統行事って、その地方独特のものと思っていますが、案外物まねが広がってこうなったのかもしれませんね。現に、周辺地域ではだんじりや太鼓台が増えているようですから。


 さて、西条祭りは終わりました。 聞くところによると、祭りの翌日には、町に「祭りまであと364日」というポスターが貼られるんだとか。 

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どろぼうの毛と大工の毛

2007-10-17 21:20:38 | レザークラフト

 夏に染めたろうけつ染めを、ようやく形にしました。

 作ったのは、ペントレイとティッシュカバーです。 どちらか好きな方を作ってもらいました。

 仕上げ材を塗って乾かしています。 革を張り合わすだけのペントレイですが、これが意外にむずかしく、みなさん苦心していました。何が難しいって? まずボンドを適度に塗ること、はみ出したボンドで革をよごさないこと、きっちりと隅々まで張り合わすこと・・・・ 工作で、ついついボンドをつけすぎてよごしてしまう子どもの気持ちがわかりますね。

 出来上がったトレイに仕上げ材を塗って乾かしています。

 それに比べると、ティッシュカバーのほうは簡単です。 形を切り、四隅に穴を開けてカシメで止めるだけ。 まっすぐにカシメを打つのが少々難しそうでしたが。 苦心惨憺しているトレイ作りの人たちを横目に見て 「よかった、作り方が簡単で~ ^^」   

   亀裂が入ってろうけつ染めらしい作品。

 

   作ったのは夏だったのでー  

  トンボの数が少なかったので、 シルエットのトンボを飛ばしました。 実物は、秋の夕焼けのような鮮やかな赤です。

 風に舞う落ち葉をイメージした作品。 金のアクリルカラーで縁取りをしました。

 ツツジの濃淡を強調したら、立体感がでてきました。 ロウを散らして華やかさをだしました。

 

 そのほかどれも作った人の個性が表れていました。

 昔、何かの話をしていたとき、父が
 「どろぼうの毛と大工の毛は、だれでも持っとるんじやけんの」。
と、言っていたことを思い出しました。 
 「人は、どんなに善良そうに見えても、一筋の毛ほどの悪意は心の奥底に秘めている。どんなに不器用でめんどうくさがりやでも一筋の毛ほどの物作りへの意志はある。」 わたしはそう解釈しました。そして、人間の本質を突いた名言だと思ったものです。
 ほとんど自給自足だった昔は、否が応でも物を作らなければ生活していけない時代でした。わたしの祖母は機を織り、織った布で布団を作っていました。 上手下手の差はあっても誰もが物を作ることができたのではないでしょうか。
 今は分業が進み、衣食住のほとんどすべて自分で作らなくともお金を出せば手に入る時代です。 しかし、自分は不器用だから、興味がないから、時間がないからと、物を作ることをしない人の中にも、眠っている物作りの心があると信じたいです。

 今日、「むずかしかったけど楽しかった。」 そんな感想を聞いて、ほっとすると同時にうれしくなりました。

 

 追記

 きょう、弟に指摘されたのですが、「毛」ではなく「気」であると。
 実は、書きながらどちらの「け」かなあと思っていました。 そして、十中八,九「気」ではないかと思ったのですが、「毛」も捨てがたい、というより「毛」のほうがおもしろい、というわたしの独断と偏見で「どろぼうの毛と大工の毛」としました。 意味としてはどちらも、目に見えないほどの潜在的な資質とでも言いましょうか、同じだと思うのですが、でも、やっぱり独断も偏見もよくないので「どろぼうのと大工の」にします。 タイトルの毛は、気と置き換えてくださいね。 みなさんごめんなさーい。

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