今まで草ぼうぼうだった我が家の畑を、少しずつ耕して、野菜の種をまいています。
お、これは! ツユクサらしいけど葉っぱが丸い。 葉っぱの間に点々と咲いている青い花がお星様のようでかわいかったけど、きっと外来種に違いないと思って抜いてしまいました。 今日、名前が判明。マルバツユクサだそうです。
何度も登場しているど根性大根。 もう草には負けていません。
夏も終わりかけて生えてきたゴーヤ。 おと年植えたものの子孫です。 知らない間に、まな板の長さほどの実をつけていました。 これも草に負けずぐんぐん伸びています。
草の陰にひっそりと生えていたのはー かぶです。 たった3本、細々と生きています。 これは、周りの背の高い草を抜いて、日当たり良くしてやりました。
そして、抜こうかどうしようかと迷っているのがこれ。 この草の実はハブ茶になるのです。 さわっただけでぷーんとハブ茶の匂いがしてきます。 義母がまだ元気なとき植えて、秋になるとハブ茶をとっていたのです。 生命力の強い植物で、辺り一面広がっています。
このままにしておけばハブの実がたくさんとれます。 欲しい人は店で買うぐらいですから、有用な植物にはちがいありません。でも、ハブ茶を飲まないわたしにとっては、じゃまになるだけの植物です。
植物が大切にされるか引き抜かれるか、その分かれ目は、人間にとって必要かどうか、見た目に美しいかどうかということではないでしょうか。
以前、ある学校で、運動会前に運動場の草を引かなければという話になったとき、校長先生が、「ぼくは雑草という言い方はきらいです。 同じように生きている植物を、役に立たないという理由で引き抜くのは・・・・」 と言われて、はっとしたことがあります。 さすが校長先生。 確かに、植物を人の子に置き換えて考えてみれば、教師にとって都合のよい子、親にとって都合のよい子ばかりを大切にし、大人の思い通りにならない子を粗末に扱うなどとしてはならないことです。 でも、大人は、いつも自戒してないとそんな過ちを犯しがちです。 園芸なんて、究極の差別と選別だと思いつつ、やっぱり草を引き抜いているわたしです。
先ほどの小学校はー? もちろん草をひきました。 そんなこと言ったって、草だらけの運動場なんて、地域の人から認知されませんもの。