京都&神楽坂 美味彩花
京都と神楽坂を行ったり来たり、風景などを綴っています。
 




京都の出町柳を出て八瀬を通り大原まで北上し花折、朽木村などを抜けて日本海、小浜までのルートは若狭街道と言われ
かつて鯖や物資が運ばれていたことから通称『鯖街道』とも呼ばれています。
カーブの多い山道ですが峠を越えて車で1時間半程で小浜まで行けます)
  
中世の頃には京に最も近い日本海の湊町として繁栄したそうです。

町人地として栄えた町は商家町と茶屋町で構成され、現在も茶屋町を中心として古い町並が残されています。
特に三丁町(さんちょうまち)と呼ばれる辺りは細い道を挟んだ両側に茶屋建築が続き風情があります。

古い町並みは重要伝統的建造物群保存地区にも指定
  
釘を1本も使わず建てられたという町屋、資料館で中を見ることができます。
家の玄関に貼られている井戸の井の文字、真ん中の数字は井戸の数を表す。

若狭塗でも有名な所
  
NHK連続ドラマ「ちりとてちん」の舞台にもなっています。

豪商と言われる商家も多く、かつての繁栄を思わせる昔のお宝が沢山残されいます。
  
与謝蕪村が描いたという見事な屏風

町屋ギャラリー「栖水舘」さんで拝見できます。
  
更に日本海の宮津まで続く丹後街道、道標は大正3年に建てられたもの。

丹後街道沿いには登録文化財に指定されている明治から昭和初期の西洋建築も残されています。

今も現役で使われている大正14年に建てられた歯科医院と
昭和元年に建てられた西洋風木造建築の洋菓子店

明治22年に建てられた元薬店蔵造



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永平寺の帰りに「あわら温泉」に寄りました福井県では有名な温泉地で湯量が豊富なことから
旅館は自家源泉を持つかけ流しの所が多く、それぞれ個性的な露天風呂や貸切風呂などを備えています。

芦原の街自体は特に観光施設などは何も無くひっそりとした所で
駅前に今春にできたばかりの足湯があるくらい

宿泊施設は27程あるそうですが明治時代から続く温泉宿八木さんへ・・・
  
温泉街屈指の湯量を誇る4本の自家源泉を持ち内風呂・露天風呂の他にモダンな貸切露天風呂があります。

食事は懐石風?で若狭牛が美味しい
  


夜はロビーで日本酒
  
各旅館は立派な日本庭園を持っているのが芦原温泉の特徴なのだとか
泉質も良く湯量が多いのが何よりでした水も美味しい!
  
温泉街から少し離れた所に大江戸温泉や湯快リゾートなど
最近流行のフランチャイズ温泉施設もありました。



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永平寺門前はお寺の規模からいくと参道は比較的こぢんまりとしています。
食事をとれる所は『越前そば』が中心で何件かお店がありお土産屋さんと併設
門前から一番近い「てらぐち」というお蕎麦屋さんに寄りました。
  
越前そばは硬い歯応えのあるのが特徴で汁は最初からかかっているタイプ
殆どのお店が食事をすると拝観をしている間は駐車場をそのまま利用できます。
少し歩いたところに市営駐車場もあります。

何となく欲しくなる”禅”のTシャツ・・・w
  
永平寺といえば『ごま豆腐』も有名で、お土産屋さんでは色々な商品が並んでいます。
一番有名なのが「団助」というお店、行く途中に本店があります。

永平寺御用達
  
本店だけで食べられる生ごま豆腐というのがありましたが
黒ゴマアイスを・・・これがめちゃくちゃ濃くて美味しい!
  
ごま豆腐は葛で練られてわらび餅のようにねっとりとした食感が美味!
『濃厚ごま豆腐』がおすすめです。



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永平寺は七堂伽藍と呼ばれる主たる7つの建物の他にも様々な伽藍を配しています。
その中の1つ「傘松閣」は昭和5年(平成7年改築)に造られた比較的新しいものですが
2階にある156畳敷き大広間の絵天井が見事です。
   
当時の著名な画家144名によって描かれた花鳥など230枚の彩色画が圧巻!
実際の室内は僅かな照明で暗くかなり落ち着いた雰囲気です。
   
絵の中でも鯉2枚、唐獅子2枚、リス1枚を見つけると願いが叶うとか・・・
見つけてみるととても探しにくく、探し当てた頃には願い事をするのを忘れてましたw

この5枚だけが花鳥ではなく他の絵に比べると
少し色調が違っているのが特徴。

山門は寛延2年(1749年)に再建された伽藍の中では最も古い建物で
京都などの三門とは趣が違い、両側には極彩色の四天王が安置されています。

一段高い位置にある中雀門から全体を見ることができますが
木々が前面を覆っているので正面から写すのは難しい配置になっています。

中は順路の1つで板の間になっています。大庫院にかけられている大きなすりこぎは
仏殿改築の際に地突きに使われた棒を丸めたもので、3回なでると料理が上達するとか
   


雨上がりの新緑



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永平寺の続き・・・広大な山の斜面に建てられた伽藍は全て屋根の付いた回廊で繋がれていて
外へ出ることなく拝観することができますが、普通に回ってもだいたい2時間位かかります
  
修行に欠かすことのできない特に重要な7つの伽藍を七堂伽藍と言い
法堂(頭)・仏殿(心臓)・山門(腰)・僧堂(右手)・庫院(左手)・東司(右足)・浴室(左足)
といった具合に人体になぞられて配置されています。

高低差の激しい上下に配置された伽藍を結ぶ階段はかなりの数ですが全てピカピカに磨き上げられています。
通常の階段よりも1段1段の高さが低く、左側を歩くのが習わしなのだとか・・・
  
人体の頭の部分に相当する境内の一番高い位置にある法堂、毎朝170人の僧が集まり読経が行われるそうです。

撮影は殆どの場所でOKで厳しく規制されていませんが室内はフラッシュ禁止、僧を写すのはNG
    
京都のお寺のように一般の人は山門をくぐることはできません(中を通路で通れるようにはなっています)
入山を志す僧だけが通れるそうですが、入山と下山の時のみなのだとか・・・

昨日アップした唐門は新たな住職や賓客を出迎える際だけ開門されます。
   
修行の合図は鐘や太鼓、雲版、木版など全て鳴らし物で知らせます。

山門にかけられた木版
  
樹齢を重ねた杉や境内全体に神聖なパワーを感じる場所です。



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曹洞宗の大本山「永平寺」に行って来ました。鎌倉時代(1244年)に開祖、道元によって開かれたお寺です。
山深い所にある広大な境内地には500年以上の樹齢の杉が生い茂り
70以上もの伽藍が立ち並んでいます。荘厳な雰囲気で神聖で凛とした空気が漂っています。



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敦賀は古くからの港町で昔はヨーロッパとの交通拠点だったらしいです。
現在は北海道へ向かうフェリーなども出ていて駅前のメインロードには開港100周年を記念して設置されたという
松本零士の作品「銀河鉄道999」と「宇宙戦艦ヤマト」のキャラクター像が並んでいます。
  
安倍清明がこの地で陰陽道の研究をしたそうで祈念石が残されているとかで清明神社がありました。

敦賀は屋台ラーメンの街でもあるらしい・・・豚骨と鶏ガラベースの醤油スープ
  
松尾芭蕉が訪れた地でここで詠まれた句も残されています。
  



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今日は夏越祓、1年のちょうど折り返しの日ということで穢れを払い残り半年の無病息災を願う日
京都の各神社ではもちろんのこと、神楽坂周辺の神社でも茅の輪くぐりがありますね。
こちらは北陸は敦賀の「気比神宮」(けひじんぐう)、何故か本日はこちらに参拝!

大宝2年(702年)創建の歴史を持つ古社で、北陸道総鎮守ということで越前国一宮とも言われています。
夏越大祓式は茅の輪をくぐると境内を大きく八の字にまわり最後に本殿へと帰り神事が行われました。

神社は回廊を配した荘厳な造りで、広い境内地と立派な本殿を配しています。
  
1300年にわたり湧き出てるという長命水があり最近ではパワースポットとしても注目されているそうです。

C社M2-22単



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京都の祇園祭は疫神退散などの祈願から始まったお祭りで御霊会(ごりょうえ)と呼ばれる
鎮魂のための儀礼が中心となっています。
そんな御霊会と同じお祭りが若狭高浜で6年ぶりに行われています。

若狭高浜は京都市内から大原を通り昔の鯖街道と呼ばれる道を北上します
かつて北前船から陸揚げされた海産物を京都まで運んだ道で
この辺りも栄えた地域であったようで祭の起源もその頃から始まったようです。
  
京都の様な豪華さはありませんが見事な前掛けなどに飾られた曳山は神社で奉納芸能をした後に町内を練り歩き
そこでも太刀振や神楽、舞などの芸能が行われます。

七年祭とは十二支の巳の年と亥の年に行われていることから名前が付いたようで
十二支の半分なので実際は6年おきになりますが、まつり年を含めて七年としています。
  
御旅所、祇園祭の神輿は鴨川で清められますが高浜の祭は海で神輿が清めれ
厄神に海にお帰り頂くという形式をとっています。

ブルーの海が続く海岸

地元の子供達によって色々な奉納芸能が行われます。
歌舞芸能を尽くして神様が楽しんでいる間に立ち去って頂くという意味があるようです。
  
高浜といえば原発が有名ですが現在は停止中で街はやや活気を無くしているようにも思えますが
地元の人達の熱い思いが伝わってくるお祭りでした。7月6日(土)の還幸祭まで開催されています。



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爆弾低気圧も何とか通り過ぎましたが凄い風でしたね北陸へ行って来たので載せてみます。
石川県南西部には加賀、白山、片山津、山代、山中といった具合に
各温泉地が集中し、それぞれ違った趣の温泉街になっています。
今回行って来たのは開湯1300年という歴史の「山代温泉」
街の真ん中には昔ながらの”総湯”(そうゆ)と呼ばれる共同浴場があり
地元の人から観光客まで利用できるようになっています。
  
総湯と古総湯があり、総湯は銭湯の様な形態で普通に入れる温泉ですが
古総湯(トップ写真)は明治時代に建てられた総湯をそのままに復元したもの
内装から入浴方法に至るまでが再現され
昔さながらのスタイルで温泉に入ることができます。

木の扉を開けると脱衣室は無く、いきなり湯殿でカランなども一切無く桶がいくつか置いてあり
かけ湯をしてお湯に浸かるだけという古風な入り方を忠実に再現しています。
壁の回りにはステンドグラスがはめ込まれ不思議な空間
2階部分は休憩室になっていて自由に休めるようになっています。
総湯の売店では温泉玉子がのった「温玉ソフトクリーム」が売られています。
上にかかっているのはアイス用の醤油とか・・・不思議に美味しい
  
山代温泉周辺は九谷焼でも有名な所で窯元が沢山あります。
明治時代に開窯された北大路魯山人も訪れて陶芸修行をしたこともあるという窯元

総湯の壁にも九谷焼がはめ込まれ、街に立つ灯籠にも九谷焼の柄を使用
  
九谷焼を販売したり絵付け体験できる店もあります。器を1つ買ってきました。
  
魯山人が大正時代に半年程住んでいたという寓居跡いろは草庵

刻字看板を彫った仕事部屋や書や絵を描いた書斎
山代の旦那衆達と語り合った囲炉裏の間などが残されています。
  



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