京都&神楽坂 美味彩花
京都と神楽坂を行ったり来たり、風景などを綴っています。
 




神楽坂から歩いて江戸川公園まで・・・桜も終盤(3月29日撮影)
散りが激しくなっていますが神田川の流れが早いので花筏はできず花びらは流れていきます。

古木が多い大滝橋辺りの桜

川面まで枝垂れる

大滝橋から江戸川公園を戻り凸版印刷方面へ・・・

小桜橋という粋な名前の橋、昔はもっと風情があったのだろうなぁ

川の北側には多くのお寺が点在し桜が見事な所も

日輪寺(上)と清光院(下)



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神楽坂のお隣駅早稲田にある「穴八幡宮」、毎年冬至に授与される『一陽来復』のお守りが有名で
その時期は大変な賑わいですが普段は静かな境内です。

桜の木は少なく本殿横に1本と枝垂れが少し。

お隣のお寺放生寺



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続けて神楽坂周辺、先月撮影の桜をアップしていきます。
飯田橋駅に隣接するオフィスビル、サクラテラス周辺は早咲きから遅咲きまでが
本数は少ないですが様々な桜の木が植えられています。

外濠公園側の早咲きの桜は少し濃いピンクの小ぶりな花で3月19日には満開
近くを通ると甘い香りがしていました。

ソメイヨシノは23日辺りから見頃く(現在は葉桜に・・・)



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外濠公園(旧江戸城外濠)の桜は老木も目立ち枝打ちされた木が多く点在しますが
綺麗に咲いていました(3月23日撮影)下は飯田橋駅から見た外濠風景。



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東京の染井吉野は既に葉桜になりつつありますが、先月撮ったものをアップしていきます。
コロナ禍であちこちは出歩けないので実家からほぼ徒歩圏内のみ散策。

まずは靖国神社、気象庁が指定した東京の標準木があることでも有名なこちらの桜。
境内には約500本が植えられています。

周りを柵で囲まれ幹は布で覆われ1本だけ特に丁寧に育てられている標準木。

標準木は能楽堂横にあり毎年この時期、奉納夜桜能が行われます。
(今年は3月31日~4月2日の3夜開催)

七分咲き程でほぼ見頃となった3月23日撮影。



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ブログがすっかりほったらかしになってしまいました。
東京での親の世話に加えて京都では家族が急病で救急に・・・
1月からこんな感じで非常事態宣言中にも関わらず致し方なく行ったり来たりの日々です。

なかなか写真を撮る時間も余裕もなく、アップしたのは先月の靖国神社。

神楽坂から徒歩で参拝、静かな境内でした。

1月31日まで開催されていた全国神社奉納絵馬展。

京都の絵馬も勢ぞろい!八坂神社から伏見稲荷、松尾大社、下鴨上賀茂神社等々・・・
一度に見られるのはあまりないですね。北野天満宮はジャンボ絵馬と同じ図柄。
縦形の貴船神社や丸形の白峯神社、八角形の城南宮など珍しい形が目を引きました。



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小石川後楽園の梅まつりは3月1日までですが今年は遅咲きの梅も早めで
2月も20日過ぎには既に全体が終盤を迎えていました。

今年はほんとに暖冬なんですね~何だかぱっとしないけど一応アップ!



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牛天神の梅も暖冬の影響で境内はほぼ終盤で
石段の紅梅だけがかろうじて少し残っていました。

本殿前に鎮座する江戸時代後期の狛犬さんは珍しい親子連れ
しかも子供が母親のお乳を吸っているとても珍しい形。

右側が母獅子で左側は父獅子のようで後ろに子獅子がのっている。

こちらは満開時の過去の撮影。



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神楽坂は1丁目から6丁目までを神楽坂通り、その先は早稲田通りと名称が変わります。
早稲田通りから江戸川橋方面に向かう大きな通りは江戸川橋通り
この通りを下るとやがて左側に緑の中央分離帯のある早大通りが見えてきます。
ケヤキ並木が続く清々しい通りです。ここを真っ直ぐ行った先には早稲田大学大熊講堂があります。



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凸版印刷ビルを裏側に抜けて小日向方面に歩きました。
キリスト教が禁止されていた江戸時代にキリシタンを収容し閉じ込める施設として作られた
切支丹屋敷跡が残されています。

国際仏教学大学院大学は徳川慶喜の屋敷跡で大銀杏や
敷地内を囲む当時の石垣などが残されています。

長い石垣が続く道を歩くと、丸ノ内線の下をくぐるトンネル

手前にはドラマのロケ地などにもよく使われる趣のある階段
庚申坂と呼ばれています(上って行くと春日通りに出られる)

トンネルをくぐると急な坂が続き上った所に切支丹屋敷跡の碑が建っています。
 

天保3年(1646年)に建てられたキリシタン屋敷は
享保9年に火事で焼失し、寛政4年(1792年)に廃止されたそうです。

2014年マンション建設に伴い、屋敷跡から3基の墓と人骨が出土しました。
1人は最後の宣教師シドッチ神父のものとされています。
シドッチ神父は1708年に屋久島で捕えられ切支丹屋敷に収容されます。
収容所では幕府の実力者だった新井白石が神父を尋問し助命にも力を尽くしましたが
シドッチ神父は牢の役人夫婦を入信させたために地下牢で獄死してしまいます。
残りの2人の遺骨はその役人夫婦ではないかとされています。

切支丹屋敷跡の向かい側には小日向から出土した縄文時代、弥生時代、古墳時代前期の遺跡の説明が書かれています。
縄文時代から現代に至るまで人々が連綿と居住してきた場所であることが伺えます。

小日向をぐるりと散策して神田川にかかる小桜橋まで戻って来ました
ここから神楽坂通りに戻るにはトーハン本社横の道を真っ直ぐ歩き相生坂(西)を上って行くと
六丁目の辺りに出てくることができます。距離はありますが神楽坂から行ける範囲の散策コースです。



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