凸版印刷ビルを裏側に抜けて小日向方面に歩きました。
キリスト教が禁止されていた江戸時代にキリシタンを収容し閉じ込める施設として作られた
切支丹屋敷跡が残されています。
国際仏教学大学院大学は徳川慶喜の屋敷跡で大銀杏や
敷地内を囲む当時の石垣などが残されています。
長い石垣が続く道を歩くと、丸ノ内線の下をくぐるトンネル
手前にはドラマのロケ地などにもよく使われる趣のある階段
庚申坂と呼ばれています(上って行くと春日通りに出られる)
トンネルをくぐると急な坂が続き上った所に切支丹屋敷跡の碑が建っています。
天保3年(1646年)に建てられたキリシタン屋敷は
享保9年に火事で焼失し、寛政4年(1792年)に廃止されたそうです。
2014年マンション建設に伴い、屋敷跡から3基の墓と人骨が出土しました。
1人は最後の宣教師シドッチ神父のものとされています。
シドッチ神父は1708年に屋久島で捕えられ切支丹屋敷に収容されます。
収容所では幕府の実力者だった新井白石が神父を尋問し助命にも力を尽くしましたが
シドッチ神父は牢の役人夫婦を入信させたために地下牢で獄死してしまいます。
残りの2人の遺骨はその役人夫婦ではないかとされています。
切支丹屋敷跡の向かい側には小日向から出土した縄文時代、弥生時代、古墳時代前期の遺跡の説明が書かれています。
縄文時代から現代に至るまで人々が連綿と居住してきた場所であることが伺えます。
小日向をぐるりと散策して神田川にかかる小桜橋まで戻って来ました
ここから神楽坂通りに戻るにはトーハン本社横の道を真っ直ぐ歩き相生坂(西)を上って行くと
六丁目の辺りに出てくることができます。距離はありますが神楽坂から行ける範囲の散策コースです。