姉小路通烏丸東入南側に駒札が建つ三条東殿遺址。
この辺りに藤原氏の邸宅や白河法皇の院御所があったとされる。
のちに後白河法皇が院所とし平治の乱が勃発した地ともなっています。
現在新風館が建っている所。
押小路通と釜座通の交差点に建つのは東三条院址の石標
この辺りに藤原兼家(東三条殿)の主邸があったとされる。
兼家の邸宅は娘の詮子に渡りやがて藤原道長に引き継がれました。
詮子は一条天皇をここで産み、皇太后となり東三条院と称した。
庭内池に竜頭船を浮かべての遊宴など道長の時代が一番華やかであったようです。
今はひっそりとした通りで西側奥に二条城の白壁が遠くに見える。