越中富山いろいろ紹介

高山植物の花から身近な野草の可憐な花を。また野山でであった野鳥を含め又北陸の祭りや観光スポットなど紹介。

2024 ヒガンバナ

2024-11-06 07:22:15 | 山野草(赤・ピンク花)

【2024 ヒガンバナ】

☆ヒガンバナ(彼岸花) ベース

◎2024年10月10日 石川県にて 写真4枚 追加しました

 

◎2024年10月1日 富山県にて 写真4枚 

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⑦源平ライン

2024-11-05 07:09:17 | 観光スポット紹介

【⑦源平ライン】

➀倶利伽羅への道(木曽義仲) ベース

  ②埴生護国八幡宮とその周辺  ③ふるさと歩道(義仲進軍の道)  ④いにしえの街道(歴史国道)①  ⑤いにしえの街道(歴史国道)②  ⑥いにしえの街道(歴史国道)③  ⑦源平ライン    

  ⑧倶利伽羅古道とその周辺  ⑨猿ヶ馬場とその周辺  ⑩倶利伽羅不動寺とその周辺  ⑪弓の清水・般若野古戦場  ⑫越後より砺波山へ  ⑬葵塚・巴塚古墳群  ⑭巴御前終焉の地

◎2024年10月15日編集  富山県にて 写真35枚

   砺波の関碑、葵塚・巴塚古墳群、砺波の関、万葉公園、源氏ヶ峰、砺波山の歌碑

小矢部市蓮沼から猿ケ馬場付近方面へ尾根伝いに、約4.5キロメートルのドライブコース「源平ライン」が延びている。

★砺波の関碑

少し離れた田んぼの脇にも。

★葵塚・巴塚(別途 掲載)・・・巴御前と葵御前は、義仲とともに戦った勇猛な女武将。葵は砺波山で討死、巴は色白・美麗、また騎馬乗り・弓矢の達人で一人当千の活躍をしたという。 詳しくは ⑬葵塚・巴塚古墳群 のページにて掲載しています。

関の清水

★砺波の関・・・「越の三関」の一つで、砺波山付近に関所が設けられていたと言われています。

砺波平野が一望できます。新幹線の線路も見えます。

★万葉公園・・・家持在任中の万葉びとの植物詠歌を石に刻し万葉公園としています。

源氏ヶ峰線・・・小耳入川に続く道(源平ラインの源氏ヶ峰登り口の近く)

源氏ヶ峰線・・・小耳入口から入った林道ですが、ここで引き返りました。

★源氏ヶ峰・・・倶利伽羅峠の戦いにおいて、平家軍陣地だったこの峰を義仲軍が占領したので、この名がつけられました。

標識の表側と裏側の表示

ここから蓮沼の日の宮林に義仲の本陣に見せかけた源氏の旗頭五十流れが見えたそうです。

向かい側の尾根に倶利伽羅峠 展望台が見えます。

源氏ヶ峰城跡(本丸跡)が見えてきました。

★源氏ヶ峰城跡・・・本丸跡標高 245ⅿ

★源平ライン完成記念碑・・・歴史国道につながっています。

★砺波山の歌碑・・・儒学者 木下順庵と加賀藩の学者 富田景周の火牛の戦法をたたえた詞の碑。

松尾芭蕉の歌碑・・・゛あかあかと 日は難面も あきの風〝

倶利伽羅不動寺まで続きます。⑨猿ヶ馬場とその周辺  ⑩倶利伽羅不動寺とその周辺 は別途掲載しています。

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シロオニタケ(白鬼茸)

2024-11-04 07:22:07 | 山野草(その他)

【シロオニタケ(白鬼茸)】

野草   : テングタケ科  テングタケ属
花期   : 夏~秋
名の由来 : 白色大型で、とげ状のイボが表面全体を被っている様子から付きました。

子実体は、全体が白色。

傘の下には、白色から淡いクリーム色をしたヒダが密に並んでいます。ヒダは初め白い膜でカバーされています。傘が開くと膜質のツバとなって茎に垂れ下がり、離れて落ちます。

茎は10~20センチメートルの高さで、根元は徳利のようにふくれています。

夏から秋、特に8~9月によく見ます。ほぼ日本全土に分布し、熊野町でもいろいろな山で見かけます。ブナ科のシイ、カシ、コナラなどの林やアカマツの混じった林の地面に生えます。

傘は直径9~20㎝の半球形~饅頭形~皿状、大きい錐状の疣を多数つけ、傘の縁に内披膜の残片が垂れ下がる。

疣は脱落しやすい

◎2023年10月1日 石川県にて 写真4枚 追加しました

 

◎2023年9月24日 富山県にて 写真2枚

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③義仲進軍の道(ふるさと歩道)

2024-11-03 10:04:52 | 観光スポット紹介

【③義仲進軍の道(ふるさと歩道)】

➀倶利伽羅への道(木曽義仲) ベース

  ②埴生護国八幡宮とその周辺  ③ふるさと歩道(義仲進軍の道)  ④いにしえの街道(歴史国道)①  ⑤いにしえの街道(歴史国道)②  ⑥いにしえの街道(歴史国道)③  ⑦源平ライン    

  ⑧倶利伽羅古道とその周辺  ⑨猿ヶ馬場とその周辺  ⑩倶利伽羅不動寺とその周辺  ⑪弓の清水・般若野古戦場  ⑫越後より砺波山へ  ⑬葵塚・巴塚古墳群  ⑭巴御前終焉の地

◎2024年10月15日編集   富山県にて 写真23枚

埴生口から猿ヶ馬場まで片道4.2㎞・倶利伽羅源平の郷埴生口、義仲進軍碑、埴生大池、お万伝説と地蔵堂跡、濁池跡、毘沙門天像、黒坂口、大平、猿ヶ馬場、参考・金峯坂、参考・北黒坂

★倶利伽羅源平の郷埴生口・・・観光案内所があり散策前に色々学べることが出来ます。

★義仲進軍碑・・・義仲はこの地より毘沙門川を上がり、進軍したと言われています。

★ふるさと歩道(案内板では焦げ茶色のルート)塔の橋までの歩道です・・・義仲進軍路は埴生大池を越えしばらく進み、ふるさと歩道の途中、塔の橋の手前から右側の急坂を経て猿ヶ馬場に向かいました(緑色の破線)。

倶利伽羅古戦場・埴生大池の方に進みます。

夫婦滝

★埴生大池・・・今は渇水期でしょうか?水量が少ないです。この池の歴史として8世紀にはすでに聖なる霊池として、通りがかる人の信仰を集めていたというから、実に古い池で、もとは天然湖沼でした。

★「雲従龍」の碑・・・平成に入ってからの大池大改修完工記念碑。

★お万伝説と地蔵堂跡・・・埴生大池の堤防工事に、お万という娘が人柱となり、堤防を守ったとか。峠にある不動寺のあたりは池の水源でもあり、現在は不動寺におまん地蔵が祀られています。

池の前のガラス張りの小さな廟が立っています。

参考・・・倶利伽羅不動寺の境内にある「お万地蔵」

★濁池跡・・・歩道は草木が茂りいけませんでした。龍伝説が言い伝えられており、この池の水が少なくなると池に棲む龍が埴生大池の方に一時避難したため、池の水が大きく濁ったことが名の由来だという。

★小矢部の七福神の一つの「毘沙門天像」があります。

★黒坂口・・・義仲軍はここに陣を構えたところです。

★大平・・・義仲軍はここより「大平」方向に進み猿ヶ馬場の手前の急坂に進んだと思われます。分岐点から猿ヶ馬場まで約0.8㎞(途中で車の通行止めでした)。

猿ヶ馬場からの大沼方面への降り口です

◎石動から安楽寺、金峯坂、北黒坂を通って進んだ余田次郎(宮崎・向田)軍 三千人のルートです。

★金峯坂(きんぷざか)・・・義仲軍の信濃住人余田次郎を大将に、信濃武士3千余騎、宮崎太郎、向田荒次郎を案内に、安楽寺、金峯坂を通り、北黒坂へ向かった場所。

★北黒坂・・・義仲軍の信濃住人余田次郎を大将に、信濃武士3千余騎、宮崎太郎、向田荒次郎を案内に、安楽寺、金峯坂を通り金峯坂陣を張ったところです。

★神様山・・・余田・宮崎・向田隊が平家軍を攻めた場所です。

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2024 ノビタキ②

2024-11-02 07:29:44 | 野鳥

【2024 ノビタキ②】

☆ノビタキ(野鶲) ベース

☆2024 ノビタキ 2024年4月18日 

◎2024年10月11日 富山県にて 写真7枚 追加しました

 

◎2024年9月25日 富山県にて 写真12枚

 

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⑩倶利伽羅不動寺とその周辺

2024-11-01 07:42:04 | 観光スポット紹介

【⑩倶利伽羅不動寺とその周辺】

➀倶利伽羅への道(木曽義仲) ベース

  ②埴生護国八幡宮とその周辺  ③ふるさと歩道(義仲進軍の道)  ④いにしえの街道(歴史国道)①  ⑤いにしえの街道(歴史国道)②  ⑥いにしえの街道(歴史国道)③  ⑦源平ライン    

  ⑧倶利伽羅古道とその周辺  ⑨猿ヶ馬場とその周辺  ⑩倶利伽羅不動寺とその周辺  ⑪弓の清水・般若野古戦場  ⑫越後より砺波山へ  ⑬葵塚・巴塚古墳群  ⑭巴御前終焉の地

◎2024年10月15日編集  富山県・石川県にて 写真37枚

  倶利迦羅不動寺 本堂、奥の院、県境、金山穆韶僧正像、白寿観音、五重塔、おまん地蔵、手向神社、手水舎、和光堂、五社権現、倶利迦羅不動寺 西之坊鳳凰殿

★「本山別格 倶利伽羅 不動寺」と刻まれた寺号石柱

山頂本堂境内図

⑯菩薩階段・・・1段ごとに諸仏諸菩薩の種子石が納められており、六根清浄と唱えながら登ると、心身ともに清浄になってくるといわれています。六根清浄とは、欲や迷いを断ち切って、心身が清らかになるという意味です。

⑰お滝不動

⑮水掛不動・・・参詣者が身を清めて参拝するために、「倶利迦羅不動寺」発祥の不動ヶ池から引いた浄水を、自分の身代わりになってくれる不動尊像にかけます。

⑩大香炉

➀山頂本堂・・・倶利迦羅山不動寺は、今から約1,300年前の養老二年(718)、中国から渡来したインドの高僧、善無畏三蔵法師が倶利迦羅不動明王の姿を彫刻された尊像を、元正天皇の勅願により奉安された事が始まりと伝えられています。

弘法大師奉安の倶利迦羅不動明王が祀られている

⑪三十三観音・・・倶利伽羅峠の沿道から移された三十三観音(4体)

③県境(石川県・富山県)・・・奥の院前・黒石が石川県、白(ピンク)石が富山県側です。境内を見渡すと光り輝いている左側にある「開運不動剣」が目につきます。

⑤奥之院・・・今から約1300年前に、善無畏三蔵法師が敬刻された倶利迦羅不動明王が奉安されております。「厄除け錫杖」が右側手前、灯篭横に小さな梵鐘が左脇にあります。

手前の敷石が県境(左側=黒石は石川県、右側=白石(薄ピンク)は富山県)奥の院は両県をまたいだその中央にあります。

開祖、善無畏三蔵が倶利伽羅山で自ら彫刻し、護摩法を修した倶利迦羅不動明王像が奥に安置されており、3年毎にご開扉され、大法要が行われます。

⑭金山穆韶僧正像・・・昭和24年(1949年)高野山真言宗管長・金山穆韶(かなやまぼくしょうの発願と倶利伽羅村・小矢部市住民によって再興されました。仮落成が昭和28年、正式な境内整備完了は昭和35年。

④白寿観音・・・九十九歳こと「白寿」の観音様で、長寿ならびにボケ封じを祈念して奉安された観音様です。

⑥⑦五重之塔と手前のおまん地蔵と白龍権現・・・五重之塔は全ての諸仏諸菩薩を来迎する塔で、中央に金剛界大日如来をお祀りし、塔の中には信徒各位のお写経が納められています。高さ約8メートルの朱塗りの塔です。

⑦おまん地蔵・・・「おまん伝説」のおまん地蔵も境内に安置されています。おまんは人柱となって村を救ったことで知られる少女で、彼女が持っていた小豆が自生し「おまん小豆」として現代に伝わっている。

★手向神社(たむけじんじゃ)の鳥居・・・倶利伽羅峠を越える旅人が道中の無事を祈るため、祠宇(しう=やしろ)を設けて神を祀ったのが手向神社の起こりとされています。 

手水舎・・・手向神社の鳥居をくぐり、階段を上りきったところにあります。その横に和光塔への昇り階段があります。

⑬手向神社・・・本殿は、1614(慶長19)年、加賀藩3代藩主・前田利常が、兄・利長の病気平癒を祈願して寄進した長楽寺不動堂で、のちに護摩堂になっていたものです。

長楽寺跡・・・明治維新の際、神仏分離により長楽寺を廃して手向神社になった。

★和光塔(四国八十八ヵ所)・・・明治元号100年を記念して建立された白亜の塔で、塔内には大日如来と修行大師が奉安され壁面に四国八十八ヶ所の御本尊が掲げられています。塔内には大日如来と修行大師が奉安されている。

五鈷杵(ごこしょ)・・・五鈷杵は金剛杵の1種類で、仏教に取り入れられ、密教の代表的な法具となり、いかなる煩悩や苦悩も破壊するとされています。

和光塔の中は弘法大師と壁には四国八十八ヶ所の御本尊塔内を1周するだけで四国霊場を巡拝したのと同様のご利益がいただけるそうです。

★五社権現・・・山頂の石殿に続く表参道「百八坂」は、約45度の傾斜に108段と8段の石段が組まれています。石段には金沢城の石垣として使われた青戸室石で造られ、江戸前期の数少い石造建築物として貴重なものです。

★百八坂・・・108段の急な石段は、人間には108の煩悩があり、この石段を踏むことによって凡夫(ぼんぷ)の煩悩が消滅し、清浄な身となって108段の先にある五社権現に礼拝することができるとされています。・・・階段の上より撮影

★五社権現・・・加賀藩5代藩主前田綱紀が寄進した4社の石殿が祀られています。手向(たむけ)神社の石堂神殿1社を加えて、五社権現(ごしゃごんげん)ともいわれています。

★倶利迦羅不動寺 西之坊 鳳凰殿・・・平成10年にその伽藍の復興事業のひとつとして、西之坊鳳凰殿が建立されました。

本堂周辺は枯山水の庭の様になっていて、とっても雅な感じになれました。

主殿・三仏堂

右翼殿

左翼殿

手前には池によって建物が反射して写ったりしています。

四季の花木を浮かべた花手水が印象的でした

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⑨猿ヶ馬場とその周辺

2024-10-30 07:57:49 | 観光スポット紹介

【⑨猿ヶ馬場とその周辺】

➀倶利伽羅への道(木曽義仲) ベース

  ②埴生護国八幡宮とその周辺  ③ふるさと歩道(義仲進軍の道)  ④いにしえの街道(歴史国道)①  ⑤いにしえの街道(歴史国道)②  ⑥いにしえの街道(歴史国道)③  ⑦源平ライン    

  ⑧倶利伽羅古道とその周辺  ⑨猿ヶ馬場とその周辺  ⑩倶利伽羅不動寺とその周辺  ⑪弓の清水・般若野古戦場  ⑫越後より砺波山へ  ⑬葵塚・巴塚古墳群  ⑭巴御前終焉の地

◎2024年10月15日編集  富山県にて 写真26枚

    猿ヶ馬場(平家本陣跡)、火牛の像、芭蕉塚、猿ヶ堂、日吉社跡、源平供養塔、平為盛塚、蟹谷次郎碑、飯尾宗祇の歌碑、倶利伽羅展望台

★猿ヶ馬場・・・伝説のサルを祀った「猿ヶ堂」の辺りには、峠を登ってきた馬がたくさんつながれていたところから「猿ヶ馬場」と呼ばれるようになりました。

        またここに平家軍の本陣があり軍議石なども残されています。

詳細が書かれた石碑

★平家本陣跡(猿ヶ馬場)・・・倶利伽羅の峠の戦いにおいて、平家の総大将 平維盛が本陣をおいた場所。ブナ林の中に軍議石と本陣跡標柱があります。

平家軍の本陣跡標柱

軍議石です。

★火牛の像・・・猿ヶ馬場のすぐ西に、角に松明をつけた2頭の火牛の像や 源氏の笹りんどう紋 と 平家の揚羽蝶紋 を描いた扇があります。

★芭蕉塚・・・"義仲の 寝覚の山か 月かなし゛松尾芭蕉が義仲に想いを馳せ、越前燧ヶ城で詠んだ句であるが、義仲の最も輝かしい勝利を収めた倶利伽羅古戦場のことを詠ったともいわれています。

道をはさんだ反対側にも歌碑がありました。

★猿ヶ堂・・・昔 原というところに、賢い猿がいて人間の真似をして、幼児を熱い湯に入れて死なせた猿は追われ、この地に住み旅人などに悪さを重ね殺されました。元の飼い主が弔いのお堂を建てたと云う。

猿ヶ堂の隣にあった日吉社跡碑

★源平供養塔・・・高さ6.8ⅿの五輪塔。合戦において犠牲となった源平両軍の兵士の霊を弔うため、昭和49年に建立された。毎年5月12日に追悼法要が営まれています。

裏側から見ると・・・五輪の塔は上から空風輪、火輪、水輪、地輪が一式として完存するとのことです。

★平為盛塚・・・平為盛は、総大将 平維盛の武将として戦ったが、義仲軍の夜襲により敗走。翌日夜が明けるとともに手兵50騎を率いて義仲軍に逆襲したが、義仲の武将 樋口兼光により首をはねられた。この勇猛な武将を弔って建てられました。

★蟹谷次郎碑・・・義仲軍の先導を承った郷土の蟹谷次郎を讃え、源氏太鼓保存会が建立。戦勝を祝って打ち鳴らした勝鬨(かちどき)太鼓が「源氏太鼓」として伝承されている。

下後亟の新明社・・・9月に越中源氏太鼓保存会(山室直廣会長)のメンバー12人が勇ましい演奏を見せます。神事に続き、「合戦」「矢立」「大神楽」など5曲を演奏。

★飯尾宗祇の歌碑・・・゛もる月に あくるや関の となみ山゛

★源平合戦場

★源平合戦慰霊の地の石碑

★倶利伽羅県定公園 展望台にて・・・源氏ヶ峰、地獄谷方面。

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②埴生護国八幡宮とその周辺

2024-10-28 07:52:32 | 観光スポット紹介

【②埴生護国八幡宮とその周辺】

➀倶利伽羅への道(木曽義仲) ベース

  ②埴生護国八幡宮とその周辺  ③ふるさと歩道(義仲進軍の道)  ④いにしえの街道(歴史国道)①  ⑤いにしえの街道(歴史国道)②  ⑥いにしえの街道(歴史国道)③  ⑦源平ライン    

  ⑧倶利伽羅古道とその周辺  ⑨猿ヶ馬場とその周辺  ⑩倶利伽羅不動寺とその周辺  ⑪弓の清水・般若野古戦場  ⑫越後より砺波山へ  ⑬葵塚・巴塚古墳群  ⑭巴御前終焉の地

◎2024年10月15日編集  富山県にて 写真31枚

   埴生護国八幡宮、鳩清水、源義仲騎馬像、各務支考の句碑、聲の口(こえのくち)、将軍塚、茶臼山木曽義仲本陣跡、医王院、若宮古墳、石動駅南口

★護国八幡宮(埴生八幡宮)・・・国指定 重要文化財社殿

木曾義仲が戦勝を祈願したことで知られる古社です。義仲が奉納した戦勝祈願文も残されている。本殿は素木造りで、安土桃山時代の特徴を現し、約1,300年の歴史があります。

護国八幡宮・鳥居

護国八幡宮・拝殿

左から 本殿・釣殿・幣殿・拝殿

2羽の白鳩が上空を舞っています。

護国八幡宮・二ノ鳥居

石段・・・百三段(もとは百八段あり、108の煩悩を踏み消して神様に近づくとか)の石段は蓮沼城主 游佐慶親の寄進にかかるもの。

「みだん(三段の石段)」跡地

石段と鳩清水の案内板

★鳩清水・・・義仲が八幡宮祈願の際、白鳩の飛来があり、その案内で義仲軍が清水を得たと伝わります。・・・「とやまの名水」に指定されています。

★各務支考の句碑・・・「白鳩の 木末に涼し 神の御意」 松尾芭蕉の弟子の十哲の一人と言われた各務支考が詠んだ句碑です。

★源義仲騎馬像・・・馬上の人物像として日本最大級の銅像です。昭和58年(1983)に「源平倶利伽羅合戦800年記念」として建立され、像の重量だけでも5トンほどあります。

埴生八幡宮の周辺の見所

★聲の口碑(こえのくち)・・・義仲軍が太鼓・法螺貝を用いて一斉に鬨の声(ときのこえ)をあげました。

★将軍塚・・・倶利伽羅峠の戦いの際、義仲が鎧兜を埋めて戦勝を祈願したと伝えられています。

★茶臼山木曽義仲本陣跡・・・寿永二年倶利伽羅源平合戦の前に三万余騎がこの茶臼山に宿営しました。

★若宮山医王院・・・本尊は薬師如来と阿弥陀如来。本尊の薬師如来に関しては行基の真作とみられ、病気の回復にご利益があるとされる。他、閻魔大王が、境内にある閻魔堂の本尊として祀られている。

六地蔵尊

倶利伽羅三十三観音の内11体がここに安置されています。

★若宮古墳・・・若宮古墳は6世紀初頭に築造された前方後円墳です。全長約50m、後円部直径28m、前方部19m、くぶれ部幅11m、全体は盛土で築造され周囲には円筒埴輪が並んでいたとされます。

石動駅南口にある火牛の像

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2024 オグロシギ

2024-10-27 06:51:18 | 野鳥

【2024 オグロシギ】

☆オグロシギ(尾黒鷸) ベース

◎2024年9月18日 石川県にて 写真15枚

2羽のオグロシギ

もう1羽は少し小柄で赤褐色が入っていました

 

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2024 タシギ

2024-10-25 07:46:35 | 野鳥

【2024 タシギ】

☆タシギ(田鷸) ベース

◎2024年9月18日 石川県にて 写真12枚

同じ場所に7羽のタシギがいました(3組のペアーと1羽)

単独でいたタシギ

チョット離れたところに2羽

その横の場所にも2羽

そしてもう2羽・・・左側のやや太り気味のタシギは嘴がやや短いように見えました

左側にヒバリシギが来ました

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