越中富山いろいろ紹介

高山植物の花から身近な野草の可憐な花を。また野山でであった野鳥を含め又北陸の祭りや観光スポットなど紹介。

⑧倶利伽羅古道とその周辺

2024-11-07 07:26:22 | 観光スポット紹介

【⑧倶利伽羅古道とその周辺】

➀倶利伽羅への道(木曽義仲) ベース

  ②埴生護国八幡宮とその周辺  ③ふるさと歩道(義仲進軍の道)  ④いにしえの街道(歴史国道)①  ⑤いにしえの街道(歴史国道)②  ⑥いにしえの街道(歴史国道)③  ⑦源平ライン    

  ⑧倶利伽羅古道とその周辺  ⑨猿ヶ馬場とその周辺  ⑩倶利伽羅不動寺とその周辺  ⑪弓の清水・般若野古戦場  ⑫越後より砺波山へ  ⑬葵塚・巴塚古墳群  ⑭巴御前終焉の地

◎2024年10月15日編集  富山県にて 写真38枚

   穴田道入口、道祖神、津幡側入口、地獄谷、松永碑、小耳入碑、膿川(うみがわ)、陣貝山、蓮沼城跡、日埜宮神社

★倶利伽羅古道・・・穴田道入口から津幡口まで4.2㎞。地図の下側の赤線のルートが倶利伽羅古道ルートです。右側が穴田道口、左側が津幡側登り口です。破線は車では通れません(馬道)。

★穴田道入口・・・駐車場と案内板があります。

駐車場横の地蔵尊

★倶利伽羅古道への道です。穴田道。

★道祖神・・・もう一つの道には道祖伸の表示もありました。

この道は車では行けません。歩いて行きました。

倶利伽羅古道の道祖神

★道祖神

歩道入口・・・車道を進むと行き止まりでした。ここが倶利伽羅古道の穴田道(馬道)の入口でした。ブッシュでここからは入れませんでした。

◎ここからは津幡側の 倶利伽羅古道入口からの写真です。

★県境道路側の倶利伽羅古道入口

★千歳ヶ滝・・・今回は行きませんでした。

左 穴田道入口(松尾町内):右 県境道路(津幡口)

簡易駐車場にて

倶利伽羅古道・・・上側のエンジ色の道です。実線部分は車で行けますが、破線部分は徒歩でしか行けません。現在地 は地獄谷のビューポイントの場所です。

★倶利伽羅古道 地獄谷ビューポイントです

★地獄谷眺望点

★地獄谷・・・俱利伽羅峠の戦いの際、平家軍の人馬がなだれ落ちた谷。

★古道(馬道)地獄谷展望台付近の簡易駐車場・・・ここから先は馬道、車では入れません。

小矢部市側の松永周辺の見所です。

★松永碑・・・根井小弥太が2千余騎を率いて進軍した場所。

★小耳入碑(こみみいり)・・・義仲の武将 根井小弥太が2千余騎を率い越中の住人 蟹谷次郎を案内者として日宮林から松永、そしてここを通って最前線の源氏ヶ峰へと向かった。その際、武将たちに小耳入れした(囁き伝達した)と伝えられており「源平盛衰記」にもその名が登場する。

★膿川(うみがわ)・・・平家軍の死骸から出た膿が川に流れ出たことから「膿川」と呼ばれる。

★陣貝山(じんがいやま)・・・

★蓮沼城跡・・・蓮沼城は、富山県小矢部市蓮沼にあった平城です。蓮沼の微高地にあり、当時は蓮沼三千軒と呼ばれるほど繁栄していたと伝えられています。

★日埜宮神社・・・倶利伽羅峠の戦い に先立ち木曽義仲が日宮林に先遣隊を派遣し源氏の白旗30旒を打ち立てます。 その結果、平家軍は峠に留まり、峠での合戦がが繰り広げられることになりました。

日宮林碑・・・今井兼平が陣取り、源氏の白旗を立て平家軍の進軍を止めた場所。

 

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