越中富山いろいろ紹介

高山植物の花から身近な野草の可憐な花を。また野山でであった野鳥を含め又北陸の祭りや観光スポットなど紹介。

ボタンクサギ(牡丹臭木)

2024-11-15 07:18:06 | 山野草(赤・ピンク花)

【ボタンクサギ(牡丹臭木)】

落葉低木 : シソ科  クサギ属
花期   : 7~9月
名の由来 : 牡丹のような美しい花が咲くことと葉や茎を傷つけると独特な香りがすることにちなみます。

日本でも暖地や平地で野生化したものがよく見られます。

花がきれいなので、庭木や鉢植えとして利用されます。

草丈は1m~大きくなると2mほどになります。

地下茎から芽を出して広い範囲に茂ります。

梅雨時から夏にかけて、ピンク色の小花がボール状にまとまって咲きます。

◎2024年10月10日 石川県にて 写真4枚

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2024 エゾビタキ

2024-11-14 06:29:24 | 野鳥

【2024 エゾビタキ】

☆エゾビタキ(蝦夷鶲) ベース

◎2024年10月11日 富山県にて 写真9枚

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⑥いにしえの街道(歴史国道)③

2024-11-13 07:23:21 | 観光スポット紹介

【⑥いにしえの街道(歴史国道)③】(馬洗い場~竹橋)

➀倶利伽羅への道(木曽義仲) ベース

  ②埴生護国八幡宮とその周辺  ③ふるさと歩道(義仲進軍の道)  ④いにしえの街道(歴史国道)①  ⑤いにしえの街道(歴史国道)②  ⑥いにしえの街道(歴史国道)③  ⑦源平ライン    

  ⑧倶利伽羅古道とその周辺  ⑨猿ヶ馬場とその周辺  ⑩倶利伽羅不動寺とその周辺  ⑪弓の清水・般若野古戦場  ⑫越後より砺波山へ  ⑬葵塚・巴塚古墳群  ⑭巴御前終焉の地

◎2024年10月15日編集  石川県にて 写真35枚

   馬洗い場跡、竜ヶ峰城址、道番人屋敷跡、一騎討跡、前坂、竹橋口、竹橋、参考・平知度首塚

いにしえの街道(歴史国道)・・・富山県小矢部市桜町~石川県津幡町竹橋までの約12.8kmが建設省(現・国土交通省)の「歴史国道」に選定されています。

★大きい道路(天田峠よりの)の分岐点・・・左に入れば歴史国道は龍ヶ峰城址公園の方に入っていきます。

★馬洗い場跡・・・歴史国道「北陸道」沿いにある山森集落には、藩政期に作られたと思われる「馬洗い場跡」が残っています。馬の水飲み場や馬を洗う場所として利用していました。

★竜ヶ峰城址・・・標高194メートルの龍ヶ峰(通称「城ヶ峰」)に築かれた龍ヶ峰城は、加越国境の倶利伽羅峠を通る歴史国道「北陸道」沿いにありました。

城跡はがけ崩れで行くことが出来ません。

倶利伽羅三十三観音(5体)

道番人屋敷跡・・・「道番人(みちばんにん)屋敷跡」が残っています。現在は屋敷跡は龍ヶ峰城址公園の駐車場となっています。

★一騎討跡・・・左手が急傾斜の深い谷であるこの場所は、敵の大軍が一気に攻め込めないように、騎馬1頭しか通れない加賀藩の戦略上の要所であったといわれています。

地名の由来になった一騎しか通れない道は、明治初期にその幅が広げられたそうです。

片側は山、反対側は深い谷

(地理院地図より)

ここも車では難しいかも?(ポイント②の出口)

舗装された道を少し昇り、左側の前坂(竹橋)の方の道に入ります。(ポイント②)

ポイント②の場所・・・舗装された道路から左側の前坂(竹橋)側に入ります。(車では行けません)

急勾配の「前坂(竹橋)」側に出ます。大勢の兵士が身を隠せる急勾配の地形は、戦略攻防の要所となりました。坂を上るのに時間がかかることから、別名「蝸牛(かたつむり)坂」と呼ばれていました。・・・ポイント①の場所

★前坂・・・くりから越えいにしえの街道の標識がありました。

標識の近くに石仏・・・御堂の中に釈迦如来立像など4体の仏像が安置されていました。

前坂(竹橋)の道から少し進むと下中から竹橋に向かう道との合流点に出会います。そこにある案内板。

★道標(倶利伽羅村・道路元標)・・・七野屋は近世後期より酒造、醤油業、金融業を営み、竹橋宿全体を統括する伝馬肝煎(でんまきもいり)と算用聞(さんようぎき)も兼ねていましたが、1883(明治16)年の大火で焼失し、屋敷跡には道標だけが建っています。 

★竹橋宿・・・ 歴史国道「北陸道」の出発点である竹橋村は、1615(慶長20)年に加賀藩から交通と物資運搬の拠点に指定された宿場として栄えました。倶利伽羅峠への中継宿として格付けされた竹橋宿には、本陣や旅籠を始め、物資を輸送する伝馬問屋などがありました。

★竹橋口・・・いにしえの街道(歴史国道)の津幡町側のスタート地点です。

津幡町の道の駅(倶利伽羅源平の郷)~県境の倶利伽羅峠までの歴史国道をたどってみました。

★樋口次郎兼光隊進軍の地・・・倶利伽羅の合戦の際、平家軍を後ろから攻めました。

★平知度の首塚・・・河北郡津幡町

 平知度(たいらのとものり)は平清盛の七男。俱利伽羅峠合戦にて甥の維盛やいとこの通盛、経正たちと出陣しましたが、最後は知度は逃れがたきを知り自害しました。

平家の蝶紋が彫られていました。

平知度は叔父の忠度たちと志保山で源行家(みなもとのゆきいえ)軍と戦っており、(志保山(志雄山)合戦とも呼ばれます)維盛軍に勝利した木曽義仲軍は苦戦していた源行家軍の加勢に行き、平家を打ち破りました。そのため下の絵ように知度と義仲が戦っている絵になっているかと思われます。

★平清盛松・・・首塚の側には源平800年を記念して平清盛が厳島神社参拝のおり、お手植えされた松の苗木を広島県音戸町教育委員会より寄贈されたので平知度の霊を慰めるべくここに植樹されました。

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2024 マミチャジナイ

2024-11-12 07:11:55 | 野鳥

【2024 マミチャジナイ】

☆マミチャジナイ(眉茶鶫) ベース

◎2024年10月11日 富山県にて 写真7枚

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⑤いにしえの街道(歴史国道)②

2024-11-11 07:22:28 | 観光スポット紹介

【⑤いにしえの街道(歴史国道)②】(矢立~分岐点・馬洗いの場)

➀倶利伽羅への道(木曽義仲) ベース

  ②埴生護国八幡宮とその周辺  ③ふるさと歩道(義仲進軍の道)  ④いにしえの街道(歴史国道)①  ⑤いにしえの街道(歴史国道)②  ⑥いにしえの街道(歴史国道)③  ⑦源平ライン    

  ⑧倶利伽羅古道とその周辺  ⑨猿ヶ馬場とその周辺  ⑩倶利伽羅不動寺とその周辺  ⑪弓の清水・般若野古戦場  ⑫越後より砺波山へ  ⑬葵塚・巴塚古墳群  ⑭巴御前終焉の地

◎2024年10月15日編集  富山県・石川県にて 写真30枚

  矢立、一里塚、塔の橋、砂坂、砺波山、倶利伽羅峠、不動の茶屋碑、俱利伽羅公園、不動の池、蜀山人歌碑、分岐点

いにしえの街道(歴史国道)・・・富山県小矢部市桜町~石川県津幡町竹橋までの約12.8kmが建設省(現・国土交通省)の「歴史国道」に選定されています。

倶利伽羅県定公園観光案内図

★一里塚

★一里塚標識の横に矢止め樹「矢立松」があります。そのほか源平梅も。

★塔の橋・・・平家軍の最前線だったところ。西の矢立山に陣取る義仲側の今井兼平(いまい・かねひら)軍に向かって矢を放ったところ。

★砂坂への登り口・・・塔の橋にある登り口でここからまた、砺波山に登りだす砂坂登り口と書いてある。

★砂坂・砺波山・・・「砂坂」の旧北国街道を登り始める。その先が「砺波山」である

★砂坂地蔵

★弘法の水・・・今は飲めません。

★旅人の荷物運搬の際亡くなった、人夫の頭の供養標識(字が読めない)。・・・上の高いところに「南無阿弥陀仏」の名号石があるらしいが見えない。

さらに登っていくと

坂が緩やかになり頂に近づいてきました。

★砺波山の標識・・・砺波山は、倶利伽羅山の古い呼び名です。現在の富山県と石川県の間に広がる、矢立山、源氏ケ峰、国見山などが含まれています。

源平ライン完成記念碑のあるところに出ました・・・出口側から砺波山方向です。

★猿ヶ馬場に着きました・・・倶利伽羅峠にある火牛の像

★猿ヶ馬場や源平供養塔、為盛塚などについては・・・⑨猿ヶ馬場とその周辺 をご覧ください。

倶利伽羅峠の案内板

★倶利伽羅小道・・・当時の面影を残す旧北陸道跡。江戸時代の俳聖 松尾芭蕉など、多くの文人墨客が往来した道です。

★不動の茶屋碑・・・不動の茶屋は倶利伽羅峠の峠の茶屋として繁昌したと言われ、江戸時代中期の文政11年(1828)に十返舎一九(江戸時代後期の戯作者、絵師)が慣行した「越中道中ひざくり毛」の中で ゛商いに利生ぞあらん 倶利伽羅の不動の前の茶屋の賑わひ゛の句を残しています。

★倶利伽羅公園

★蜀山人の歌碑・・・利伽羅峠の北国街道沿いには幾つかの茶屋や店舗が建っていたようです。手向神社参道の入り口に蜀山人(大田南畝(おおたなんぽ)、本名・大田直次郎)の狂歌碑が建てられています。

くりからの 餅の大小 不同あり 客がこむから 亭主せいたか〝 茶店で出される名物の餅の大きさが不揃いで、皮肉った歌のようですが。凝った歌で不同=不動、こむから=矜羯羅童子(こんからどうじ)、せいたか=制多迦童子(せいたかどうじ)、つまり、餅に倶利伽羅不動明王図を織り込んだ作品です。

★不動ヶ池・・・お堂があって拝むことができる。ここにも不動明王像があります。かつては地下水が湧き出ていたそうだが、現在はその様子はありません。

★秀雅上人堂・・・天文16年(1547)倶利伽羅に生まれた秀雅は前田利家の信任を得て、倶利伽羅町建ての中心的人物。(町指定文化財)

★大きい道路(天田峠よりの)に合流・・・左に入れば歴史国道は龍ヶ峰城址公園の方に入っていきます。

 

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2024 キビタキ②

2024-11-10 08:18:14 | 野鳥

【2024 キビタキ②】

☆キビタキ(黄鶲) ベース

☆2024 キビタキ 2024年7月5日

◎2024年10月11日 富山県にて 写真15枚

オス(♂)

メス(♀)

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④いにしえの街道(歴史国道)①

2024-11-09 07:20:16 | 観光スポット紹介

【④いにしえの街道(歴史国道)①】(桜町から矢立)

➀倶利伽羅への道(木曽義仲) ベース

  ②埴生護国八幡宮とその周辺  ③ふるさと歩道(義仲進軍の道)  ④いにしえの街道(歴史国道)①  ⑤いにしえの街道(歴史国道)②  ⑥いにしえの街道(歴史国道)③  ⑦源平ライン    

  ⑧倶利伽羅古道とその周辺  ⑨猿ヶ馬場とその周辺  ⑩倶利伽羅不動寺とその周辺  ⑪弓の清水・般若野古戦場  ⑫越後より砺波山へ  ⑬葵塚・巴塚古墳群  ⑭巴御前終焉の地

◎2024年10月15日編集  富山県にて 写真40枚

    道の駅メルヘンおやべ交差点、砂川橋一里塚、埴生口、長坂道登り口、中たるみの茶屋跡、峠(天池)茶屋跡、矢立

いにしえの街道(歴史国道)・・・富山県小矢部市桜町~石川県津幡町竹橋までの約12.8kmが建設省(現・国土交通省)の「歴史国道」に選定されました。

★道の駅メルヘンおやべ交差点(桜町(東)交差点)・・・小矢部市側の歴史国道のスタート地点です。

桜町から竹橋までの歴史国道(12.8km)を3つに分けて掲載しています。①(桜町~矢立)②(矢立~倶利伽羅峠)③(俱利伽羅峠~竹橋)

★砂川橋一里塚・・・「砂川橋」を渡ると、 すぐ右に「砂川橋一里塚跡」がある。12:14 公園になっていて、「砂川地蔵尊」が三体祀られている。

★埴生口・・・埴生八幡宮により戦勝を祈願しました。

詳しくは ②埴生護国八幡宮とその周辺 と ③ふるさと歩道(義仲進軍の道) をご覧ください

★埴生の古い町並み

★力石、盤持ち石・・・聖徳太子堂、谷嵐関の碑、石坂諏訪神社の石碑と谷嵐関の碑の後の2つの大きな石は谷嵐関が肩まで担いだ石と言われています。右端にくりから越えいにしえの道の碑

★いにしえの街道(歴史国道)長坂登口の登り口に着きました。駐車場の向かい小屋に木彫の牛の像、そして源平砺波山古戦場の絵図があります。

★歴史国道(倶利伽羅越えいにしえの街道)緑色のコース、破線は徒歩のコースです・・・隣に駐車場とトイレがあります。

★長坂登口・・・いにしえの街道(歴史国道)の徒歩での登り口です。

★東宮殿下行啓御野立所の石碑の前にある案内板。

★東宮殿下行啓御野立所の石標  と「青松亭々 櫻花爛漫」の石碑

★中たるみの茶屋跡・・・古来より北陸道を通る人が砺波平野を見渡し、中休みをしたところ。

★中たるみの茶屋の石標と尊如の歌碑

たるみの茶屋跡

★堀川院御時百首の歌碑・・・「いもがいへに くものふるまい しるからん 砺波の関をけふこえくれば」

★歴史国道(倶利伽羅越えいにしえの街道)・・・一番狭いところ

★宝治二年百首の歌碑・・・「あけわたるとなみの関のまさしくは かつわかれ行くせなをとどめよ」

★隣にあった塢粉砂採掘跡の碑

★六帖題(衣笠内大臣)の歌碑・・・「いづくにかわがやどりせん やきたちの砺波の関にこえぞくれぬる」

★峠(天池)茶屋跡・・・倶利伽羅の源平の郷埴生口と倶利伽羅古戦場のはぼ中間地点にあたり、明洽時代中頃まで茶屋が二軒(天池家と森井家)あった場所。

★十辺舎一九の歌碑

★峠(天池)茶屋跡にある小屋・・・北陸道・天池峠茶屋 の標識

小屋の中に展示されていた 「天池家」と「森井家」の峠の茶屋の写真(昭和12年(1937)撮影)

茶屋跡地は資料室のあずまやが立っていて今は木彫の牛が置いていました。そして林の中にももう1頭

火牛の牛はここに集められたそうです。

★天池(尼池)・・・池を管理していたのは天池家。江戸時代から天池の苗字が許されたのは、水源である池と峠道の管理を託されていたからだろう。

今はうっそうと茂った場所ににあります。峠の茶屋跡の向かい側です。右側は昔の写真(展示写真)です・・・手前にシシ威しがあります。

★殿様井戸・・・天池より高い位置の峠道沿いにある井戸。所有する天池氏によると「殿様井戸」と呼ばれていたという。

★左:チェンソーアートの「松尾芭蕉像」が置いてあります・・・句は「木曽の情、雪や生えぬく、春の草」 芭蕉 を添えてある。

★右:巴御前の像も置いてありました・・・「まぼろしよ 夢よと変る 世の中に など涙しも つきせざるらん」 巴御前辞世の句。

耳石・根台石?と茶屋跡の大黒柱の石台

芋穴・・・さつま芋や里芋などを貯蔵したところ。

★矢立堂の石碑・・・この辺りが木曽義仲率いる源氏軍の最前線があった所らしい。右側は 石碑の裏側です。

★倶利伽羅峠三十三観音の一つ「矢立観音」。

★矢立山・・・矢立山周辺は、義仲軍の最前線であった所。幅約200ⅿ程の谷を隔てた塔の橋より、平家が矢を放ち、ここに多くの矢が立ったことが「矢立山」の名の由来です。

歩道部分の終わり・・・長坂登口から1390ⅿの歩道部分です。

倶利伽羅県定公園観光案内図・・・長坂登口から矢立の碑まで(破線部分)の徒歩コースです。

 

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2024 オオルリ②

2024-11-08 07:14:46 | 野鳥

【2024 オオルリ②】

☆オオルリ(大瑠璃) ベース

☆2024 オオルリ 2024年4月25日

◎2024年10月11日 富山県にて 写真12枚

オス(♂)成鳥

オス(♂)若鳥

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⑧倶利伽羅古道とその周辺

2024-11-07 07:26:22 | 観光スポット紹介

【⑧倶利伽羅古道とその周辺】

➀倶利伽羅への道(木曽義仲) ベース

  ②埴生護国八幡宮とその周辺  ③ふるさと歩道(義仲進軍の道)  ④いにしえの街道(歴史国道)①  ⑤いにしえの街道(歴史国道)②  ⑥いにしえの街道(歴史国道)③  ⑦源平ライン    

  ⑧倶利伽羅古道とその周辺  ⑨猿ヶ馬場とその周辺  ⑩倶利伽羅不動寺とその周辺  ⑪弓の清水・般若野古戦場  ⑫越後より砺波山へ  ⑬葵塚・巴塚古墳群  ⑭巴御前終焉の地

◎2024年10月15日編集  富山県にて 写真38枚

   穴田道入口、道祖神、津幡側入口、地獄谷、松永碑、小耳入碑、膿川(うみがわ)、陣貝山、蓮沼城跡、日埜宮神社

★倶利伽羅古道・・・穴田道入口から津幡口まで4.2㎞。地図の下側の赤線のルートが倶利伽羅古道ルートです。右側が穴田道口、左側が津幡側登り口です。破線は車では通れません(馬道)。

★穴田道入口・・・駐車場と案内板があります。

駐車場横の地蔵尊

★倶利伽羅古道への道です。穴田道。

★道祖神・・・もう一つの道には道祖伸の表示もありました。

この道は車では行けません。歩いて行きました。

倶利伽羅古道の道祖神

★道祖神

歩道入口・・・車道を進むと行き止まりでした。ここが倶利伽羅古道の穴田道(馬道)の入口でした。ブッシュでここからは入れませんでした。

◎ここからは津幡側の 倶利伽羅古道入口からの写真です。

★県境道路側の倶利伽羅古道入口

★千歳ヶ滝・・・今回は行きませんでした。

左 穴田道入口(松尾町内):右 県境道路(津幡口)

簡易駐車場にて

倶利伽羅古道・・・上側のエンジ色の道です。実線部分は車で行けますが、破線部分は徒歩でしか行けません。現在地 は地獄谷のビューポイントの場所です。

★倶利伽羅古道 地獄谷ビューポイントです

★地獄谷眺望点

★地獄谷・・・俱利伽羅峠の戦いの際、平家軍の人馬がなだれ落ちた谷。

★古道(馬道)地獄谷展望台付近の簡易駐車場・・・ここから先は馬道、車では入れません。

小矢部市側の松永周辺の見所です。

★松永碑・・・根井小弥太が2千余騎を率いて進軍した場所。

★小耳入碑(こみみいり)・・・義仲の武将 根井小弥太が2千余騎を率い越中の住人 蟹谷次郎を案内者として日宮林から松永、そしてここを通って最前線の源氏ヶ峰へと向かった。その際、武将たちに小耳入れした(囁き伝達した)と伝えられており「源平盛衰記」にもその名が登場する。

★膿川(うみがわ)・・・平家軍の死骸から出た膿が川に流れ出たことから「膿川」と呼ばれる。

★陣貝山(じんがいやま)・・・

★蓮沼城跡・・・蓮沼城は、富山県小矢部市蓮沼にあった平城です。蓮沼の微高地にあり、当時は蓮沼三千軒と呼ばれるほど繁栄していたと伝えられています。

★日埜宮神社・・・倶利伽羅峠の戦い に先立ち木曽義仲が日宮林に先遣隊を派遣し源氏の白旗30旒を打ち立てます。 その結果、平家軍は峠に留まり、峠での合戦がが繰り広げられることになりました。

日宮林碑・・・今井兼平が陣取り、源氏の白旗を立て平家軍の進軍を止めた場所。

 

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2024 ヒガンバナ

2024-11-06 07:22:15 | 山野草(赤・ピンク花)

【2024 ヒガンバナ】

☆ヒガンバナ(彼岸花) ベース

◎2024年10月10日 石川県にて 写真4枚 追加しました

 

◎2024年10月1日 富山県にて 写真4枚 

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