愚生のちょっと知っている方で、現役時代は一流の建設会社で役員としてご活躍をされて、その後ビルメンテナンス会社で現場作業員としてしみじみと日々を静かに過ごしておられる方がある。
あるいは、遠く徳島の野球で有名な高校の校長先生が退職後に、タクシーの運転士をやっておられたことがあった。
愚生はお二人とも見事な老後をすごされたものだとただただ畏敬の念でいる。こだわりがない。前はこれこれであったとか、なんとかであったとか、馬鹿なことで暮らしておられない。
どっちにしても、なかなかできないことであると思う。
今朝、退職教員の互助会から冊子が送られてきて、退職後の人生あれこれという記事があった。なかなか面白くて、いろいろと眺めていた。
中にはご病気をされた方もおられる。マラソンをやっていたのに、糖尿になり、しかもそれが重症で、とうとう壊疽になり、足首切断という記事には、痛々しさを通りこしてしまった。かわいそうにと思った。それも愚生とそんなにトシが離れておられないかたである。
また、退職後に大学院に入られて、順調にライセンスをとられたものの、夢にまで見た大学教員の道は閉ざされていて、しかたがないから日本語教師のライセンスをとって、中国の大学で教えておられた方の記事もあった。
みなそれぞれである。
それぞれに頑張っておられる。
退路を断つという生き方がある。
これを老後にやったら、こりゃいのちを縮める。だから、日々平安に過ごしたいものである。退路は、現役時代に断つべきであろう。崖っぷちに立って、後ずさりもできないっていうのでは、こりゃいかがなものか。
今日は若い大学生さんと、90分もおしゃべりをさせていただいてきた。いのちの大切さを対話で、話し合いでどのように教えるかというようなことをやったのである。
いのちは時間であるという日野原重明先生を最後に出して、具体的な方法論を全員で検討した。あるいは、情報提示をさせていただいていた。
我ながら目の付け所がよかったなぁと思って帰ってきた。
これもまた愚生なりの生き方なんでしょうなぁ。
つまらん生き方でありますがね。
(^0^)