と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

老人になれば誰も単純で気短になる

2012年11月30日 05時38分55秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

「老人になれば誰も単純で気短になる。」

吉川英治の言葉である。

愚生は、これを戒めとしている。毎日毎日腹を立てないで、生きていこうと思っている。波穏やかに、日々平安に過ごしたいものである。健康を害するほど仕事をするという場面も全くなくなってしまった。命を賭けてやることがないからである。こんな日本という国で定年退職をさせていただいたことに感謝である。

第二の人生なんてやれる国は、世界にそんなにあるわけではない。日本は実に恵まれているというわけだ。確かにそうであろう。

だからといって、コンビニやマクドナルドあたりで、若い店員さんを怒鳴りつけているってぇのはいかがなもんかと思う。あるいは、会社や銀行の受付のじょせーに偉そうにまるで下僕にでも物を言っているようなクチのききかたをする御仁がいる。

若い人でも手のひら返したように、そういう言葉を使うのがいるが、自分の程度の低さを自分で言っているようなもので、いただけない。あっち向いて敬語を使い、こっち向いてタメ口をきくって器用なことは、オロカナル愚生にはできないねぇ。まったく。まるで百面相ではないか、あれじゃぁ。いくつ顔があるんだかねぇ。

アタシャ、自分より年が若いからと言ってタメ口をきいたりしない。いつも敬語だ。年齢は関係ナイ。愚生と話をして、常体でクチを聞いたら、それは愚生がよほどこころを許した人間であるということの証である。

(^▽^)

 

 

脇道にそれた。

つまり言いたいことは、「すぐにキレてはならん」ということである。

コンビニあたりで、キレて、しつこく文句を言っているようではこの先短いと自戒すべきである。てめぇのバカさかげんを自覚すべきである。言えばわかるではないかとのたもう御仁もいる。そんなんで世間のトラブルが解決できるんだったら、トラブルは存在しない。

言ってもわからんのがたくさんいるから、問題が起きるのである。そういう意味では、愚生は悲観論者である。期待しない方がよろしい。むしろ用意周到に、相手を観察していたほうが面白い。こうやったら、ああ言ったら相手はこんな反応をしたということの方が楽しい。ノートにでもつけておくと、「ブログのいいネタ帳」にもなる。(これ、ホントにやっていたんです)

だから、キレて周囲に文句を言ってみたって、あんたはただのじじぃではないか。以前どんな仕事をしていたかなんて、誰も興味も関心もないのである。

以前の仕事をまだ抱えているんだろうなぁ。そういうヒトって。偉そうに。

 

老人になったからと言って、あまり物事を単純化しないほうがよろしい。相手の言っていることを、論理的に分析なさった方がもっといい。ふむふむと聞いていて、実は相手のアタマの程度を考えていると楽しい、楽しい。いわゆるお里が知れるというやつである。世間的にどんなにエライポジュションにいても、チョロチョロとそういうのが現れる人が必ずいるからである。

へぇ~~~~~と感じる場面もたくさんあるからである。

こんな立派な人が、そうなのかってことも多いからである。

 

じゃ、おめぇはどうなんだい?ってことになると、オレなんかスタートラインが最低から出ているからナンモ気にしない、気にならないんである。

ある意味、気楽症候群とでも言うのかなぁと思うことにしている。そもそもそんなモンだし。

それにキレることも無いからである。

そんなヒマがあったら、図書館で雑書でも読んでいたほうがよろしい。

昨日も、県立図書館で5冊古典の研究書を借りてきたし。今日大学に持っていって、またカードとりである。

あ、午後から修士論文の発表会があったっけ。院生は全員参加のことって書いてあったなぁ。ワスレテいましたよん。師匠に叱られるな。

今日は師匠の講義の日。楽しみである。たった1人の同級生と一緒に受けているから、厳しいものがあるけど。

それでも楽しみである。

 

 

 

 

 

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再就職先つらつら・・

2012年11月30日 04時52分18秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

定年になると、再就職先がある。健康で、まだまだ働けるうちは働いた方がよろしい。

ところがである。時給1000円もらえるという話にいさんで再就職をしたヒトから聞いたことがある。最初の半年は見習いだから800円でという経営者の話に、腹を立てて退職しちゃったのだそうだ。かつてのオレの実力からして、不当であるというわけである。

退職したら、条件面では悪くなるのが当たり前だと思っていたほうがよろしい。リタイアしたら、退職以前の仕事と同じようなことをしたとしても、「予備役」のようなもので、平時にはお呼びじゃないのである。

そのかわり、自由に別の人生も歩くことができる。ま、ある程度の拘束はあるけれども。例えば守秘義務を守るとか。そんなことは、長年やって来た仕事なら体に染みついているから安心である。

予備役で、自由に別の人生を歩むことがOKなら、どんな仕事でもやらせてもらえればありがたいではないかと思うのである。ある意味、退職後のマナーであると思う。

再就職先に文句をつけるとは、何様のつもりでいるのかということである。

ダレも期待していないからである。それよりも、就職できないで苦しんでいる若者の邪魔になっていないかということの方が、より深刻な問題であると愚生は思うのだが。

以前の会社がどんなに有名で、そこの組織でどんなに偉かったのか・・なんて言ったってダレも関係ないのである。以前の会社に用も無いのに、馬鹿面下げて、のこのこと出かけていくのは絶対に止めた方がよろしいでっせ。呼び出されたなら話は別ですがね。

ましてや、今でも毎日働いている後輩諸君にとっては大変な迷惑なのである。迷惑ついでに、あちこちの課を回っては、後輩の課長あたりを呼び捨てにして、「元気でやっちょるかね?」とやったんでは、まるっきりバカである。

だから、注意しなくてはならないのである。前の職場には℡すらしないことである。よほど重要な書類提出ということなら別であるが。それも、後輩諸君が書類のことでちょっと伺いますからと言ったら、必ずそれをありがたく一度はお受けして、自分から出かけるべきである。後輩諸君の時間とガソリンを無駄にしているからねぇ。しかも、出張扱いになって旅費まで無駄になっちまう。ドライブがてら、以前いた職場の近くをうろうろすることもまた楽し。伺いますというのは、本当は、オメェのところなんか今更行きたくもねぇという意思表示であるからである。面倒だろうなぁという思いやりが大切なんだと思うのである。

本当は、再就職先は選り好みしてはならないと思っている。

以前の仕事感覚を引きずっていると、どうしても退職前の感覚でやってしまう。学校の場合でも、高校から高校へというのだとそうなる。

可能ならば、できるだけ新感覚でできる仕事の方がよろしい。新しい別の世界に入っていくことで喜びは倍増する。学校の場合でも、学校種別がまったく違う世界であれば、これは実に面白い。今の愚生がそうである。3つほど顔がある。「大学院生」「大学非常勤講師」「大手学習塾講師」である。こうやって書くと漢字だからちゃんとしているようだが、内実は「予備役」である。どれも今までやったことがない世界である。だから楽しいのである。それぞれの世界で新しい人間関係が構築できてきている。

以前の仕事にこだわっていないからである。こだわっているひとほど、うまくいかないようである。オレは偉かったんだという思い込みが一番イケナイんである。

 

もっとも、自他共にエラクナイという評価をされている愚生は、好きなように毎日を送っているがねぇ・・・あはははは。

(^_-)-☆

 

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11月29日(木)のつぶやき

2012年11月30日 04時18分45秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

オレには、まだまだすることがいっぺぇあるんだ! goo.gl/xQp27


今日は一日中、家事手伝いをさせていただきました。感謝、感謝。家のことをしないと、追い出されてしまいますからな。楽しく、ニコニコとやらせていただいて、なんだか七面倒くさいお寺の縁起を読むのは、夜になります。まだ、自信の無い部分もあるからで。あああ、秀才がうらやましいです。


それと拙宅のスキャナで、借りた本の部分PDF化をしておりました。明日、師匠の講義があるので、学校の図書館でも調べ物をしなくちゃならんですワイ。楽しいですなぁ。実に楽しい。


それと、さっきホームセンターで、明日師匠に提出する学会発表用資料をA3でコピー。二枚になったけど、こんなんでいいのかねぇとちょっと自信がないのです。pptの資料もこれまたたくさんあります。学会っていうのは、参加したことはあるけど、正真正銘発表は我が生涯で初めてなんどす。


pptの中で動画も紹介するんで、その挿入も成功したんだけど、これってメールで大会事務局に送れるのかねぇ。重いんじゃないの?むむ、、、、また自信の無い分野が増えてしまった。シマッタ、シマッタほいさっさ。


53歳で現役引退 キックボクサーの松葉 - MSN産経フォト photo.sankei.jp.msn.com/highlight/data…


日時計というのがあります。あれって、いつも太陽の方を向いているっていう方がいたけど、ま、それはそれとして、いいもんですねぇ。いつも太陽を見てくらしまひょと思います。いろいろと辛いことが多い世間ではありますが、そういうことであります。そういうこと。


53歳でキックボクサーを引退した方の記事をTwitterで拾っておきましたが、彼は彼なりに、いろいろなことがあっても太陽を見ておられたんだろうと推測しております。負けることの恐怖というのは、愚生もまた武道人の端くれにいますから、わかるような気がします。


負けたらどないしよう?と思ったら負けであります。負けて元々、それでいいんですわなぁ。勝つと思うな、思えば負けよというあの有名な美空ひばり様の歌は、こういうことを言われていたんでしょうなぁと。こだわりを捨てよということであったんでしょう。いい歌であります。若い人はダレも知らないケド


日時計主義で生きなさいということは、まさに現在の愚生のためにあるようなものであります。太陽に感謝、ワンコに感謝、ワンコと共に歩む道ばたの雑草に感謝であります。


そういうことです。そういうこと。塾から帰ってきて、しみじみと思いましたです。愚生のようなものでも。


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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/