「銀の匙」という国語の授業がある。灘高校という世にも有名な高等学校の国語教師であられた橋本 武先生の授業である。ちなみに橋本先生は、今年100歳である。
岩波ジュニア新書で先生の本を購入して読んだ。「『銀の匙』の国語授業」というのである。今年になってから出た新書で、偶然居住地の書店で見つけて買わせていただいた。
宝のような本である。ここには、発展学習の見本がある。ついでに言えば生涯学習の手本がある。ジュニア新書で出ているが、ビジネスマンや、愚生のような学問初歩志願者でも十分読みごたえのある書籍である。820円である。新本で。
「大事なのは答えではなく、過程である」と冒頭に書かれている。ここのところがミソである。まったくそのとおりで、だからこそあれだけの超一流高校になっていったのであろう。
先生は、知ってのとおり、中勘助の「銀の匙」を三年間かけて、じっくりと生徒と共に読まれた。岩波文庫で買ったが、実に薄い文庫である。その気になれば、あっという間に読むことができる。それだけなら。
何を血迷って三年かけて、国語授業をそれだけの時間をかけてやっていたのだろうと思うむきもあるかもしれない。そうではないのである。詳細は同書を読まれるとよいと思うが、これはまさに研究なのだ。研究を高校生と一緒にやっておられたのである。一つの作品を掘り下げていくということは、学問である。だから、昨日書いた記事のように作品論を駄文に書くことが愚生にはできないというのだが・・・。膨大な時間が無いとできっこ無いではないか。橋本先生に笑われる。ソンな程度でよく書けるなぁって。
生徒と一緒に学問をやっておられたのである。橋本先生は。どういうふうに勉強すればいいのかという回答が、自ずからそこにはあったのだろうと思う。凄いことである。
知的生活の送り方という課題への先生なりの見事な手本である。
こういう授業を受けた灘高校生は幸福であったろう。もっとも、私学だからできたというのも当たっているであろう。公立ではできないということも言うことはできる。
されど、どっかで若い方々たちに訴えていただきたいと思う。こういうスタイルもあるんだということを、である。なんだか受験テクニックだけを云々するむきもあるからである。もっとも、愚生はその当事者でもあるから余計なことは言えないが。アルバイトの塾の講師でもあるから。
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この新書を読んで(読んだのは7月ころであったが)、今日になって思い出して書いてみた。ま、こんなのもありということである。こんなのも。
さ、これから9時の電車でおもむろに登校である。ルンルンである。