犬吠の駅で考えたこと銚子電鉄犬吠駅これもまた犬吠駅にいます。犬吠駅に見に行くと会えますよ。これってわんこが吠えているんですかね?・・・・・・・・・・・土曜日に銚子電鉄犬吠駅から歩い...
やや懐かしい。
去年は、犬吠駅から歩いて宴会に行っていたのだった。
これはこれは・・・・・・
良い写真です。
さらにFacebookの知人まで出てきています。
ありがたきかな、ご縁です。
犬吠の駅で考えたこと銚子電鉄犬吠駅これもまた犬吠駅にいます。犬吠駅に見に行くと会えますよ。これってわんこが吠えているんですかね?・・・・・・・・・・・土曜日に銚子電鉄犬吠駅から歩い...
やや懐かしい。
去年は、犬吠駅から歩いて宴会に行っていたのだった。
これはこれは・・・・・・
良い写真です。
さらにFacebookの知人まで出てきています。
ありがたきかな、ご縁です。
14:10である。
朝から隠棲室で、お寺の縁起の漢文に訓読をつけて、ずっとやっていた。ふううううう。難儀なもんじゃ・・・・・。ちょっとケリがついたので、後は茅屋の書庫でこもってやる。
ちょっと文法的にいかがなものかという原文であるから、難読が多い。ま、この時代にワープしたつもりで、どんどん訓読を書いていった。むろんフォルダーを別にしてあるから、発表資料とは別物である。
なんと言っても来月の8日の相手は、博学の士である。とくに大学院枠では、筑波と阪大の博士である。キンチョウシマクラチヨコである。
というようなことを書いていたら、怒られるな。
なめとんのか?である。
そんなことはない。やればやるほど、どんなに愚生が馬鹿であるかがよくよくわかってきたのである。もっともそれはずっと以前からではあるが。
能楽の学会で、吉田東伍先生が明治の御代に登場なさった時に、並み居る大学者先生が沈黙してしまったことがあったんだそうな。今でこそ、吉田東伍先生と言ったら、能楽研究のトップであるし、学恩を受けた大学者先生は数知れないのである。
表 章先生が、DVDでそう言っておられたのであるから間違いない。
吉田東伍先生というと、明治維新のときに育ったために、全く学歴というものが無い学者であった。北海道で漁業もやっておられたことがあったのだそうである。それが、学問好きで、後に読売新聞の記者となって、それから頭角を現したのだそうである。早稲田の教授にまでなられたのだ。
こんな駄文で、研究発表と言えるのか?って笑われてしまいますなぁ。
人に教える資格があるのかって。。。。。
紀伊和歌山の生んだ大学者南方熊楠もそうであって、学歴が無い。それでも、あれだけの実績を残されたのだ。
才能がない。
資質もない。
しかし、試してみなくちゃわからんではないか。
いいんだ、いいんだ。誰かに認めてもらいたくてやっているんじゃないから。自己満足である。それでいいのだ。それで。
?
漫画の赤塚不二夫さんみたいな台詞だな、こりゃ。
それでは今日はこれで帰ります。
感謝です。本学に。今日もいろいろ施設を思い切り使わせていただきました。
(^_-)-☆
このブログはなんのために書いているだろうかと、ふと思うことがある。
生涯学習を志向している方々のお役に立てるようにというのもある。
ちょっとだけであるが。
そんなにお役に立っているという自覚もないけれども。
それはそれなりである。
どっかにも書いたが、駄文書きを大学でやっているから、そのための事前トレーニングという側面もある。ちょっと書いてから、いろいろと考えたり、カードをとったり、ワープロで書いたりするからである。ま、それはそれで自分のためにはなっている。
先日、修士の時に同級生であった方(関西在住)から激励が来た。来月の八日に発表をさせていただくので、頑張れ!というわけである。非常に嬉しかった。同年である。しかも、生涯学習を志すおたがい大学生である。可能ならば、京都の龍谷大学でお会いしたいが、ムリは禁物であろう。都合というものがある。
そういうささやかなふれあいが嬉しいのである。なかなか濃密な関係性というのは構築できない。もう、こういう年代にいたっては、である。それまでの人生経験が違っているのだから。だから愚生よりお若い方であっても、愚生はそういう方をまだまだ若いとか罵倒したりはしない。それなりに人生経験を踏んでおられるからである。
愚生くらい上下関係にうるさくない人間はいなかったであろうと思っている。そういう感覚で現役時代は過ごしていた。当然である。それそぞれの学問の経験とか、人生体験には、愚生如きかなわないからである。尊重させていただいていたからである。愚生如きが及びもつかない知性と経験があるからである。
だから、自分よりお若い方々を、まだガキじゃねぇかとか言っている輩を信用しない。愚生よりも年長であってもである。そういう方は、愚生をも罵倒される。まだガキじゃん?って。
これって実に笑いますなぁ。
論理的に破綻している。
あははははである。
さ、今日からはまた民俗学のカードとりに。
B6の京大情報カードでやるつもりである。本格的な読書は、こっちがいいのである。普段の雑書は、はがきサイズの読書カードであるが。専門書はこっちである。
それにしても、寒いなぁ。。。。。。。
アタマが。
(^_-)-☆
pptを再編集しています。難物ですねぇ。結論がなかなかです。いいんだろうか?こんなんでって思ってしまいます。学者のせんせがたって、研究手法も独特なんでいらしゃるんでしょうね。
今日も、修士の院生から「せんせ」と呼ばれてしまったです。困るなぁ。実に困る。そんなにセンセヅラしているのかねぇと、反省しています。アタシャただのじじぃです。学生とか院生にも値しませんです。能力ナイモン。それに、自分で勉強しているんですから、せんせと言われた時点で、破棄するしかない
警備の方も、いくら言っても愚生をせんせと思っているらしくて、敬礼まで今日はされてしまった。しまった、しまった。困るなぁ。実に困る。初々しいおちょぼ口の学生ではござんせんか・・・(^0^)
だから着るもんがどんどんフリーになってくる。入学当初は、スーツで通ったのです。これは学部で別の大学で42年前に勉強していたときに、院生はスーツで通っていたからです。次に、おいらはジャケットになった。最近はせんせと言われたくないから、ジャンバーにハンチングです。怪しいっすねぇ。
グラサンかけて通っていたら、完全に正門をくくらせていただけないですな。(^0^)・・・ま、どうでもいいような話ですが。ある意味、これが唯一のカルチャーショックでもありましたかな。
スキンヘッドなんですから、なにを今更格好を気にする必要があろうかと、思っています。まだまだ捨てきれないんですねぇ。頭髪は完全に捨てたのに。
無明を生きていますなぁ。いろけも、食い気も、名誉欲も、金持ちになりたいという欲も、温泉に入りたいという欲も、全部捨てられないんでありますよ。迷える衆生であります。(^_-)-☆