と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

日時計の持つもの

2012年11月29日 22時01分37秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

なんかねぇ、最近愚生は思い上がっていたんだと(_ _ )/ハンセイをしている。

今日のTwitterには書いたが、ど~も日時計主義で、人生の明るい方面ばかりを見て暮らしてきたはずなのに、退職してからだんだんひねくれじじいになっちまって、他人の好意を素直に受け入れられなくなったのである。

これは自己分析をすると、思い上がっているということである。

唯我独尊になっちまっている。

そりゃ、クチでは、謙譲の美徳を発揮している。文章でもそうである。しかし、どっかに潜在意識としてある。人生の暗い面からのみ現象を分析している自分がである。

人間観というものが、正直に表情に出るというのが愚生の信条である。これは間違いない。人間を汚いものだと見るか、生来善性に満ちているかと見るのでは、かなりの差があるのである。

なんでこんなことを思うかというと、選挙が近いからである。

まるっきり、この愚生の考えていることを具現化しておるのが、マスコミを通して見えるところの政治家せんせではないのかと思うのである。

つまりそこには、思い上がっている愚生がそのまま映像として現れるからである。

愚生の支持政党はここでは書かない。

そんなの書いてもなんにもならないからである。

しかしである。

日時計のように常時太陽をむいて、時間を知らせてくれるような、そういう明るい話題を提供してくださる情報ツールはないのだろうかと思うのである。

あっちをむいても、こっちをむいても、みんな悲観論ばかりである。

耐えがたい情報しかないではないか、これでは。

誹謗中傷ばかりが飛び交っているし。

 

 

ま、こんなことを書いて、悲嘆している愚生も愚生である。

明日からは、太陽の方ばかりを見て過ごすつもりである。

どんなにオメデタイと言われてもである。

 

また明日!

 

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昔は良かったと思うようでは

2012年11月29日 13時45分48秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

昔は良かったと言ったり、そういう感慨にひたるときは、要注意である。

現在が不幸だからそう感じるのである。

友人達と、「オレも昔は、こんな仕事をして、成果を上げて、おかげで出世して」とか「オレは優秀だったから、某一流大学を出て、おかげで順風なサラリーマン生活をして・・・・」とか、居酒屋で聞くこともあった。愚生は「」の中のような台詞を吐ける経験はまったくしていないので、一言も言ったことは無い。

今は、その居酒屋にも出没できない経済状況になったから、行かない。ついでに言えば、今の愚生は忘年会も全くない。アルコールと香水の匂いがするところに行くと、吐き気がするんである。(ホントか?)

忘年会をやらんから、新年会をやるつもりである。拙宅である。夫婦単位で、10人くらいでやる。それが唯一の楽しみである。未来のことを話するのである。忘れたいような哀しい話はお断りである。

つまり、人間、絶好調の時は、現在に生きているから、過去なんて思い出すヒマもないのである。どうせ死ぬまでは生きているのである。ぐちぐちと現在のことを、周囲に触れ回るというのは、もう止めた方がよろしい。現在の不満を、過去のことを愚痴ることによってバランスをとっているという可能性もあるから、これ以上は書かない。

映画の3丁目の夕日というのも、過去を懐かしむということでバランスをとっているのであろう。だから、愚生は見ない。昭和30年代のことは、覚えていない。第一、記憶力が甚だしく悪い。劣等生だったから(今でもそうだよん)、思い出したくもない。恩師の先生達にご迷惑をおかけしたし。暴れん坊だったし。

だから、愚生は「現在が絶好調」なんである。

これまでも、これからもである。

来年どうなっても、「現在が絶好調」なんである。こだわらないのである。本学を退学になっても、次の手を考えてある。あの手この手である。たびたび書いているが、ライセンスを取得できなくても、それはそれ。だって、それは他人が評価するものであって、自分で決めるものではないからである。

いろいろと外部にて、論文を書かせていただいたり、話をさせていただいたり、暴れていればそれで満足・マンゾクである。

「現在に生きることができる」からである。

 

公園のベンチに座って、亡くなった親を、あるいは過去を思い出して涙にくれる。・・・そんな生き方は愚生には似合わない。過去を思い出しそうになったら、危険ゾーンに入ったと思うことにしている。

だから、定年後に家に閉じこもっていてはいけないのである。体を鍛えるのもいい。スポーツジムで汗を流して、若い人たちのいききとした姿を見るだけでもいい。レオタード姿の若い女性なんぞは、実に目の保養になるから。

(^-^)/

 

働き場所が無かったら散歩してみてもいい。くたくたになるまで、動いてみることである。

あくびをして、オレにはもうすることがないんだと言っていてはならないのである。

「オレには、まだまだすることがいっぺぇあるんだ!」と、息巻いているほうがうんといいでっせ。

愚生のように。

 

(^_-)-☆

 

 

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第二の人生は延長戦か

2012年11月29日 13時19分41秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

第二の人生ではすべてを失ってしまう。

まず、名刺を失ってしまう。愚生も処分した。ついでに、本学の先生から名刺をいただくことがあったが、お返しに差し上げるべき名刺がない。処分したから、ない。ナイナイついでに、肩書きもない。あははははである。まさか、教えている方の大学の名刺を差し上げるわけにはいかないし。

困ったから、郷土史の会員になっているという名刺を最近作ったが、これもまた10枚作って全く使う機会が無い。作らない方が良かったのだと後悔している。

困るのは、いろいろな場所で、ご職業は?と聞かれることがある。温泉でもそうだ。そういうときは「無職」と書かせていただく。わははである。何を恥じらう必要があろうか。

Facebookでも、「無職(年金)」と書いている。そんなものである、そんなもの。

ところがだ。世の中には勘違いしているバカがいるらしい。あるレストランで、客が混んでいたのでつい腹が立って「オレをダレだと思っているんだ!・・この間まで某一流企業で役員をしておったんだぞ」と凄んだのがいたそうである。

笑ったなぁ。こういう程度が、某一流企業で役員なんかしているから、日本経済は発展しないのだと思うねぇ。

 

ロックフェラー1世が、同じ場面でなんと言ったか。

同じように、「オレをダレだと思って・・・」と思ったのかもしれない。ところが、世界の金持ちは違う。やることが。あっと言う間に、その店を買い取って悠々と一人で食事を楽しんだそうである。ある本に書いてあったから紹介しているが。

威張りたいなら、これくらいのことができるようでないといけませんなぁ。

 

第二の人生は、第一の人生とはまったく違う世界である。まったく新しい人生である。そうでないと、つまりいつまでもこだわりつづけていると、人格を疑われる。あるいはオオ恥をかかされて、バカかと言われてしまう。

第二の人生には、素のママの人間しかない。

失ったものは、

①社会的地位

②肩書き

③人間関係

の3つである。

あっさりと無くなってしまったのである。これを自覚していないと、生きていくのはますます厳しくなる。

 

愚生のモットーでもあるが。上記のことは。

ま、大したことではないのだけれども。

 

 

 

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11月28日(水)のつぶやき

2012年11月29日 04時26分23秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

いろいろとあります、世間には。選挙も近いし。どうなりますやら。それにつけても、今の政治状況をルース・ベネディクトの菊と刀にひっかけて論じられていた識者には脱帽した。視点が違います。さすがであります。


この菊と刀は子育て論もよくてですね、英和の対訳シリーズで読んでいるんですが、なかなかのものがあります。日本の母親は、我が子に比較をすることによって、つまり男の子でしょ、となりの**ちゃんはというノウハウを使いますってな指摘にえらく感心しました。


訳者が西海コエンさん。発行所はIBCパブリシッシングというところ。2011年の発行です。古本チェーンから八百円でした。電車の行き帰りに読んでいます。今は。


夕食をたべさせていただいて、感謝のうちに過ごしながら食後の一休みをしておりました。そして、孫と愚生、孫と女房殿とが映っている動画を鑑賞していました。Tabletをテレビにつないで。なかなかおもしろい。かわいいもんです。終わる命と、これからの命が、同じ画面で存在している。


明日は曾おばあちゃんのところに行って、さらに鑑賞会。3人で。周囲の人たちのこうしたささやかな期待が、やがて支えとなっていくのでありましょう。孫が高校に入学したら、愚生は76歳になっています。なんとか健康で、生涯学習三昧で生きていたいものであります。もともととぼけていますが、ね。


明日は、師匠に提出する資料をA3で用意してご許可をいただいてから、八日の提出資料の完成としたいと思っております。2枚ほどになります。それにpptです。あああ、京都まで持っていけるかしらん。前日は師匠の講義を拝聴してから、12:50ころの電車で東京に向かいます。夕方に京都着です。


さ、これからもうヒト踏ん張りでございますです。お茶でも飲むかな。リビングで。ダレもいないけど。あ、老犬が玄関で寝ているか・・・・・(^▽^)


平仮名:9世紀後半の土器から発見 最古のものか mainichi.jp/select/news/20…


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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/