これは二〇一〇年に行った時の写真。
作家の五木寛之さんも、この大学で親鸞の勉強をされているのだ。
ある意味憧れの大学である。
昨日も、竹村牧男著 「親鸞と一遍」 法蔵館なる書籍を読んでいたし・・・。
さらに言えば、西本願寺の中央仏教学院でも勉強させていただいたっけ。
通信教育だが。
楽しみ、楽しみ。
これは二〇一〇年に行った時の写真。
作家の五木寛之さんも、この大学で親鸞の勉強をされているのだ。
ある意味憧れの大学である。
昨日も、竹村牧男著 「親鸞と一遍」 法蔵館なる書籍を読んでいたし・・・。
さらに言えば、西本願寺の中央仏教学院でも勉強させていただいたっけ。
通信教育だが。
楽しみ、楽しみ。
一二月八日の龍谷大学大宮キャンパスで行われる仏教心理学会での発表要旨です。↓
ご笑納くださいませ。
宿神論の視点から見た農民仏教劇源流考私見
千葉県の横芝光町虫生(むしょう)の弘済寺で行われる「鬼来迎(きらいごう)」と呼ばれる農民芸能は、昭和五十一年五月四日に、国の重要無形民俗文化財指定を受けた。九十九里浜を目前とした、広範な平野部の西端に位置する戸数わずか二十四戸という集落の中で、継承されてきたと言われている。
形態は、宗教劇の一つであり、地獄芝居とも仏教の唱導芸能とも言われているが、ここでは民間に伝わってきたところの芸能神(仏)信仰の問題を考えるにあたって重要な手がかりを与えてくれるように思う。
鬼来迎は、毎年お盆の八月十六日に行われている。
登場人物は、閻魔大王、倶生神、奪衣婆、赤鬼、黒鬼、観世音菩薩、地蔵、亡者などである。亡者の他はすべて仮面をつけている。 伊藤正義氏の「円満座位伝承考」によると、禅竹の「明宿集」にあるように、六十六番の物まねを通じて外道を静かにさせたという伊東氏の指摘から得るものは多い。
つまり、釈迦が祇園精舎で説法をした時、外道が様々の妨害を企てたということが金井清光氏によって指摘されている。金井氏の指摘によって、鬼来迎に代表される農民芸能が猿楽者による伝承であったということをここで取り上げたい。 全国各地に残されている鬼来迎のような伝承は、誰が発想し、誰が伝搬したのであろうかということが課題として私にはある。本来、文化的スクリプトとしては、関西文化圏がこのような伝承の中心的存在であっただろうと思うからである。どうしても文化は、東進したと思うしかない。政治的な権力と文化的スクリプトの方向性は一致しているのではないかと考える。
私は、その伝承に関わった人々を隷属的な地位に置かれた、舞楽・猿楽などの芸能奉仕の呪術的職掌を受け持っていたある種の人々がいたのではないかと思うのである。奈良の興福寺における能楽源流をさぐっていくと、寺社勢力と土地の人々との関係が非常に密接である。
以上のような点を勘案し、ここでは「鬼来迎」に見られる宗教性と伝承の仕方は、文化的スクリプトの影響下にあるという私見を提示してみたい。
すばらしい娘ですなぁ@【NHK杯フィギュア】表情豊か、絶えぬ笑顔…浅田「最高の出来」 - MSN産経ニュース sankei.jp.msn.com/sports/news/12…
あまり見ないスケートだけど blog.goo.ne.jp/tym943/e/8154c…
NHKの団塊の世代でやっていた学び直しの番組だけど、「青春の忘れもの」という視点からリカレント教育を見直すというのは、実にいい。やり残したこと、いっぱいあるからなぁ、オレには。そして、独学よりは、大学で教えていただくというシステムが欲しいのである。プロがいるからである。感謝!
レポートや、論文を書くのも、アタマのいい刺激になる。ダメでもいいんである。こんなの最低!って言われてもいいんだ。ボツになってもいいのだ。今更地位だの名誉だのいらねぇ、いらねぇ。お、最初からなかったけど。(^▽^)
そうするとだ、本学の後に実はやってみたいことがあるんで、早速検討に入った。ライセンスを取ることが目的ではないから、好きなようにやっているんだが、まったくこのブログのようだねぇ。それに博士後期って、修了はあるけど、卒業は無いからねぇ。論文も書かせてもらえなかったら、そのまま中退。