郷土史の会に参加してきた。今年度最後である。本当に勉強になった。すべての方々に感謝である。今日は、法政大学名誉教授の先生に文化講座をやっていただいた。千葉の国造についてであった。資料が漢文オンリーである。なかなかハイレベルである。
昨日の上野学園大学でもそうだったが、原典実証主義というのは非常に大切である。さらに中国の大学の先生方で、しかも古典系の研究者にそれを大いに学んだから、不勉強だなぁと反省をしていたのである。
こういうきっかけがないと、なかなか勉強をしないのが人間の通常であろう。いや、それは言い過ぎだな。オレだけである。オレだけ。
だから生涯学習が大切なのだ。
もう一つの講座は、上総の国から、湯殿山参詣に行ったときに、連れのものが病死して、それを東北の役所に届け出て死体を仮埋めするかどうかというやりとりが書かれている古文書である。相当なものである。難解で。
千葉市にはこういう古文書について学んでいる方々が多いのである。古文書講座だけで、30名近くおられるだろうか。しかも、ほかの団体や講座でも自主的に勉強をされておられるのだ。
そういうのを趣味でやっているのだから気楽なものだと一笑にふすことはたやすい。しかし、「なぜ学びたいのか?」ということを抜きにしては、成り立たない趣味ではないか。
そこに不純な動機はまったくない。これで生活していこうとか、研究者になっていい生活を送りたいというもんがない。評価もからまない。第一、年金で暮らしているのだから世間のことは無関係なのだよん。これってすこぶるいいことだ。無為に過ごして病気になっていたら、国家に対して申し訳ないではないか。
オレなんか、遊んでいる暇もないのだ。
でも、昨日は、上野学園大学の帰り、上野のアメ横に行って、久しぶりにアメ横のにおいを嗅いできた。やっぱりいいなぁ。下町は。気取りがない。と思っていたら、上野が大きく変貌していたのにはたまげた。まるっきり都会ではないか、あれでは。
上野駅の中にショッピングセンターがあったからだ。本当にたまげた。オレが、東北の温泉町から進学のために上京して来たときは、モクモクと煙を吐いて乗った蒸気機関車だった。オレの心の中は、悲愁のまま上野駅に到着したもんだった。オレも不安だったなぁ。学生服を着て、坊主頭に、汚い風呂敷持って、上京してきたのである。情けなかった。都落ちならぬ、都上がりであったからである。大学は合格していたが、これから日本経済新聞で新聞配達をして学校に通学する予定だったからである。
そんなオレのつまらなく、実に悲愁極まる青春が、上野やアメ横にはあったからである。
上野駅の14番線ホームが、奥羽本線の番線であったと思う。違ったかな?井沢八郎の「ああ上野駅」ではないが、14番線ホームに行くとこれが山形までつながっているのだなぁと思ったものだった。
泣けてくるね。今は見る影もないオレの若々しい青春がそこにはあったのだから。まだオレも初々しい青年であったのだ。信じられないだろうけど・・・(^0^)
そんなことを思いながらアメ横を歩いていた。
そしてふと目が止まった。
汚い飲み屋がである。
なんと「上野で一番ホッピーが安い店(タブン)」と出ているではないか。
ホッピーなんて何十年も飲んだことがない。決めた。「飲もう!」と。
旨かったなぁ。しかもおかずはもつである。豆腐と。ホッピーはお代わりをした。旨い。安い。胃袋に染み渡る。これはたまらん。
ま、あまり飲み過ぎると健康に良くないから、いい加減にして外に出た。これから浜松町まで行って、高速バスに乗って帰ろうと思っていたからである。最初から。
代金を払ったら、1000円ちょっとであった。これなら貧乏なオレでも飲めるちゅうもんだ。
情けないじじいの世迷い言でござりまするよん。
浜松町で夕食もとったけどね。
上野の雰囲気に毒されたのだったなぁと思う。
ま、こんなことがあってもいいのだろう。