オレもまれびとだなぁ~
「自分は寒がりなんです。それも極端なんです。沖縄は一年中夏で、暑いからいいんです。」
「食べものも、自分に適っていますし」
この台詞は、「竹富島のT君」という司馬遼太郎の小品に出てくるものである。T君というのは、武蔵大学欧米学科を出て、東京から沖縄に住み着き、竹富島の高那旅館で働いている。沖縄県の教員採用試験を受験するのだそうだ。もう、帳簿もまかせられるようないわゆる番頭格に見えると司馬遼さんは書いている。
「私はひさしぶりでホンモノの人間を見ているのではないか」という気持ちがしたと、司馬遼さんは書いている。
「ホンモノの人間」とは、司馬遼さんらしい。
いわゆる沖縄問題の議論を青春のアクセサリーのよう議論したり、知的水準を示す輩がどれだけ多かったかということを司馬遼さんは言っているのだと思う。青春なんて、いかがわしいものの頂点である。恋愛ごっことか、イケメンに憧れるとか、惚れた、ふられたから始まって、革命ごっこや、反権力のポーズをとっているだけで格好がいいとか、そういうたぐいのいかがわしさである。
つまり、ナルシストのいかがわしさである。
鏡を見て、オノレはどっだけ優れた人間であり、頭がよくて、能力があって、それに反して世間の人間はバカばっかりで、オノレを高く評価してくれないという怨念が籠もっているのだ。青春なんて。
このT君というのは、「脱都会」とか「自然回帰」とかの気負いが無い。議論で生きているのではなくて、実際に沖縄に住んで、沖縄の教員になって骨を埋める気でいる。しかもごくごく自然に生きている。
司馬遼さんは、こういう青年が出てきていることを、今の若者の層が厚く、多様化していると高く評価している。
左だと誰かが言うと全員が左を向く。
あるいはその反対に右だというと、右ばかり向いている。
そういう全体性が我々日本人には潜在意識としてあるのではないのだろうか。縄文の時代から。これでは息がつまってしまう。
だから、時々は力を抜くのである。そういうきっかけがほしくなるのである。
人間関係もずっと固定されたままというのもあまりよろしくないとオレは思っている。去って行く人もあっていいのだし、向こうからちょっとしゃべりませんか、つきあってくれますかというのもいいものである。
なにも総てを否定して生きていかなくてもいいのではないのか。
来訪者を歓待するという「まれびと」の思想は、そういうところに案外根っこがあるのかもしれないと思ったからである。
そういえば、オレも房総の方々から見れば、「まれびと」だなぁ。
所詮よそ者だよん。
わはははっはっははっはっははっは。
ママゴンパワーにはかなわないですなぁ
毎日毎日あっというまに時間が過ぎ去っていく。孫がいるからである。じじいのオレでも、やることがいっぱいあって、なかなかのもんだ。風呂... goo.gl/XVsf6t
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78歳で博士になられた人生の大先輩
今日の読売新聞に出ていた感動的な記事である。
引用させていただく。
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老後のお金…「老前」から工夫コツコツ : 言わせて! : yomiDr./ヨミドクター(読売新聞) yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=94… @yomidrさんから
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ふと思い出す。友人のフィナンシャルプランナーの話。週40時間勤務の社保無し独身バイトが、ちゃんと税金払って、月1回位安い居酒屋で呑み、そこそこ趣味を楽しめ、病気の時も医者にかかれ、将来の為に貯金1~2万出来、月1万のローン返済する位の慎ましくも文化的な生活に必要な額は19万らしい
1070 よく気をつけて、無所有をめざしつつ「何も存在しない」と思うことによって、煩悩の激流を渡れ。諸々の欲望を捨てて、諸々の疑惑を離れ、妄執の消滅を昼夜に観ぜよ(スッタニパータ)