と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

郷土史研究会から毎年出ている研究誌(ちなみに42年間発行されている)に

2014年03月25日 23時13分13秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

論文として掲載されます

 

 

「農民芸能と五大院安然」という私の文章が、郷土史研究会から毎年出ている研究誌「房総の郷土史」(ちなみに42年間発行されている)に論文として掲載されることになった。今日、塾のアルバイトにいく直前に事務局長から電話があり、了解を求められた。ただただ感謝である。五月には、千葉県内にある県立図書館各館で読むことが可能であるから、これまた嬉しいことである。つまらない喜びかもしれないが。

難しい経典についてcomputerを駆使して分析できるようになったことが、大きな力となってくれている。ありがたい道具を発明してくださったものである。

教員の現役時代には、このような民俗芸能と経典研究はどこにも発表できなかった。当たり前である。公務員であるからである。特定宗教について触れることはできなかったからである。しかし、私は特定宗教の信仰者でもなんでもない。ナンデモ教である。全部の宗教を知りたいと思っているくらいで、なんともまぁ中途半端な人間である。それだから民俗学的な立場からいろいろと宗教について書いていられるんだろうと思っている。熱烈な信仰者からは、「許さない」と直接云われてしまったこともあったからである。それはそうだろう。ふざけている。なんの修行もしないで、文献だけであれこれ発言しているのだから。

それでも、やりたいのだから始末におえない。

こうやってトシをとってしまったのである。

許されよというしかないのである。

しかもそれは学部からの課題であったのだ。

そうなのだ。

印度哲学というものに憧憬をしていたのだった。高校から大学受験の時に。(^-^)/

ま、どうでもいいような話ではあるが。

 

ふうううう。

今日は疲れてしまった。

塾のアルバイトもあったし。

孫を世話していたので。

それでも、駄文は、209枚まできた。

きた~~~~~のだ。

わはははっははっはははは。

明日も頑張ろう!

 

(^_-)-☆

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横綱日馬富士が法政大学大学院に 桑田真澄氏は東京大学大学院へ

2014年03月25日 22時39分06秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

日本が再チャレンジ可能な社会へと変わる一助となることを期待したい。

 

 

インターネットのダイアモンドオンラインに以下のような記事があった。

相沢光一氏 [スポーツライター]の執筆になるものである。

 

>横綱日馬富士が法政大学大学院に
桑田真澄氏は東京大学大学院へ

 ところで今場所はもうひとつ大きな話題があった。鶴竜の1年先輩のモンゴル人横綱日馬富士が法政大学大学院政策創造研究科に合格。4月から大学院 生としてキャンパスに通うことになったのだ。日馬富士は地元の美術を学ぶ高校在学中に来日し角界入りしたが、相撲をとりながら勉強を続け、モンゴルの国立 法科大学通信課程を修了し弁護士資格を取得している。

> また、師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)が現役時代、中退した近畿大学に再入学して卒業した話を聞き、両立は可能と考えたという。法政大学大学 院では25歳以上で社会人経験が3年以上ある人を対象にした「社会人AO入試」を実施しており、日馬富士はそれに挑戦。合格して晴れて大学院生になったの である。

 同様に4月から大学院生になるプロアスリートOBがいる。野球評論家の桑田真澄氏で、こちらが通うのは東京大学大学院総合文化研究科だ。桑田氏は ご存じの通りPL学園高から巨人入りし活躍したが、現役引退後、1年制の早稲田大学スポーツ科学研究科の入試に挑戦した。同大学院の出願資格のひとつであ るスポーツ界での「トップレベルの実績3年以上」があったことに加え研究計画書や論文、面接などの課題をクリアし合格。修士号を取得した。つまり今回で2 度目の大学院生になることになる。

 東京大学とは桑田氏が昨年から同大野球部の特別コーチを務めていることで縁ができ、運動科学を研究する教授の面接を受けて大学院の入学許可を得た という。博士や修士を目指す一般の院生とは異なり単位とは関係なく研究だけをする研究生という立場だが、大学院で学ぶことには変わりはない。「箔づけ」と いう声もあるが、それだけで簡単に入学できるところではないようだし、やはり高い向学心があるのだろう。

> 日馬富士や桑田氏が大学院で学ぶのはセカンドキャリアというよりは「趣味」のようなものだろうが、この話題が出たことでアスリートにも学び直しの機会や 環境があることに注目が集まるだろう。これをきっかけに「いくつになっても学び直せる」、「そうすることによって新たな人生の展望が開ける」という希望が 生まれ、日本が再チャレンジ可能な社会へと変わる一助となることを期待したい。

 

ここからは私の考えである。

つまり、「>日馬富士や桑田氏が大学院で学ぶのはセカンドキャリアというよりは「趣味」のようなものだろう」

という指摘の部分である。正解であろうと思う。まさに「趣味」でいいのである。趣味でなければ、わざわざ苦労してまで大学院に入学して、七面倒くさい論文を書いているのはあふぉ~だということになる。そうでなければ変人である。

ま、それでもいいのだが。そういう人もいていいのだと思うからである。

なぜか。

私もやっているからである。ただし、私は「そうすることによって新たな人生の展望が開ける」とういうご指摘には反対である。希望を持つために生涯学習をやっているのではないからである。逆に絶望を味わうためにやっているのである。まったく、オノレの才能や意欲に自信が持てないからやっているのである。それでもいいのだと思っているからだ。所詮人間なんて神にはなれない。なろうとしてもなれないからだ。あらゆる分野にわたって、完全な知識を持っているやつなんていないでっしゃろ?それと同じですな、同じ。

引用が長いが、これは実に参考になるものだったので、自分のためにメモとしてブログに書いてみた。

味わいたいことである。

マジに。

 

 

 

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去年の記事 地方と中央ということ

2014年03月25日 22時17分35秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年
 
コンパスの針の置き方

 いつも勝手なことばかり書いていて、少しは申し訳ないとは思っているのだけれども書かないと忘れてしまうからブログに書かせていただいている。そういう側面を愚生はけっこう重視していて、こ...
 

 

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桜が咲いて、そして散って新年度を迎える

2014年03月25日 13時42分25秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

桜が待っている

 

 

いよいよ年度末である。これが9月始まりの年度であったら、風情がない。残暑が厳しくて、入学式や卒業式をTシャツでやるっていうような場合がもしかしたらあるのではないかと思うとゲンナリである。

桜が咲いて、そして散って新年度を迎えるというのは、日本人の美学にあっているのではないかとしみじみ思うからである。地域によって桜の時期は異なるのだけれども。関東は、三・四月をまたぐけどね・・。

花粉症が流行しているから、悲しくなくても涙が出る。おっと、これは言い過ぎですか。

去っていく人もいるし、来る人もいる。それぞれである。世の中は。

もうオレなんか誰も相手にしてくれないから、どうでもいいような話である。傍らにいて、そういう風景を見ているだけである。眺めているっていうだけである。

そもそも別れにも風情がある場合とそうでない場合とあって、どういうのがいいのかということになると中々これがいいというのはない。当たり前である。たいていは無明を生きているからで、さまよいつつ生きていくのが、オレのような凡夫である。しがらみから抜けられないとか、出世できなかったとか、挙げ句の果てに病気になっちまって余命いくばくもないのも、全部オノレのことを理解してくれなかった世間が悪いというようなもんである。そういうのだけは避けたいものであるが、しかし、人間は囚われているからなぁ。

囚われているというと、我々は全員が死刑執行を待っているようなもので、そのことがアタマに入っていないと怨み嫉みの人生を送ることになるから用心したほうがよろしいと思っているのだ。もっともいつも自分自身に言い聞かせていることであるが。

どうしても囚われることのない、いわば自由自在の境地を生きるってことは困難だからなぁと感じておるし。まったくまったく凡夫でござるよん。

だから日本人は桜に惹かれるのだろうなぁ。

潔いからだ。

いつまでも咲いていない。

あっという間に咲いて、散ってしまう。

だからいいのだ。

所詮一生なんて短いのだから。

そういう美学が、日本の古典にはたくさんあるから、オレは惹かれるのだろうなぁと思う。

 

ま、それでも明日とか今日あたりに死んじゃうのでは、こりゃたまらんのだけれども。

 

(^_-)-☆

 

 

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3月24日(月)のつぶやき

2014年03月25日 05時33分31秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

「街道をゆく」は、旅の友となってくれる

司馬遼太郎の「街道をゆく」は、かつて東北関係についてはいろいろ読んでいた。それと明治維新関係の資料として。さらに幕末の小説は司馬... goo.gl/md0w4r


心の風通しを良くしておきましょう。誰にも悩みを聞いてもらえずうつむいていると病気になります。信頼できる人に相談して、心をすっとさせましょう。

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賢者たちはこう言われた。「『まず、私の聖所から始めよ』と読んではならない。『まず、私を聖なるものとして崇める者たちから始めよ』と読まなければならない、タルムード『シャバト」(安息日)55aの言う通り(…)。」『エゼキエル書』9・6に関するラシの註解

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【歴史的和解】天台宗(総本山・比叡山延暦寺)の半田孝淳座主が2009年6月、高野山真言宗総本山金剛峯寺を訪れた。天台宗開祖の最澄は晩年、経典を借りようと高野山を訪問した所、空海(唐での留学仲間)が拒み、疎遠になったとされる。両宗派の開宗以来1200年間で初めての公式参拝となった。

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【再掲】4月15日(火)からくらしの植物苑特別企画「伝統の桜草」を開催します(~5/6)。近年作出の八重咲きの品種、野生系の品種、2014年に収集予定の新花のコーナーも設け展示します。詳細はこちら→rekihaku.ac.jp/exhibitions/pr…

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私の意図だなんて私に押し付けられてきたものは、どれも、私のではなくて、みんな、どこかの学者や批評家が解釈したものなんです。私は解釈には反対はしません。好きなように解釈してもらっています。ただ、そういう解釈によると、なんて私は賢いんだろうと、しばしば驚くだけです。

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■「"yes, today is a very good day to die."」(訳:今日は死ぬのにもってこいの日だ。)【タオス・プエブロの古老の言葉】

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東大卒独身男が20年続ける「豊かな無職生活」 president.jp/articles/-/9373


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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/