メニューの写真と違っていたラーメン
在籍大学のすぐ近くにある古本チェーンの店で、司馬遼太郎せんせの本と、郷土史の本を買った。郷土史の著者はオレの所属している郷土史の会での大先輩の本である。司馬遼太郎せんせのは、街道をゆくシリーズと朝日新聞から出た特集本である。
古本なんだけど2000円もつかっちまったのだ。4冊であった。年金暮らしにはきつい出費である。じゃぁなぜ買ったのか。
わははっははははっはは。
しみったれた話だなぁ。
それはね、原稿料をいただいたからである。貧しいオレにはありがたいもんである。研究費もなんもないから、なかなか本が買えないのだよん。
大学のオリエンテーションは、午後2時からだったから、昼食にラーメン屋に行ったのだ。普通のラーメンと餃子を喰った。こういうときでないと、ラーメンなんか喰えないのだ。カロリーが高いからだ。
お昼なのに、客が誰もいない。あれ?と思ったが、ハラが減っていたので店内に入った。注文して店内をしみじみ見ていたら、醤油の容器が汚い。あ、これだと思った。客が殆どいないのは。
やがて出てきたラーメンを見てまた驚いた。量が少ないのと、メニューの写真とまったく違っている。しまったと思ったが、もう遅い。
またまた写真と実際のものが違っていたのだ。
こういう体験はいくらでもしてきたのだが、相手に悪意はなかったとしても、それはそれであり得る話である。しょうが無いといえばしょうがないのである。世の中それの繰り返しである。人間だって、オモテ面はいい、美人だし、さも教養のありそうなインテリぶった人間とかいるが、たいていは裏切られる。中身が最低だというのがいるからである。肝心なのは、善性である。オノレと相手をどのように規定しているかということは、そもそもの潜在意識を規定しているのである。
たかが一杯のラーメンでつまらないことを考えてしまいますなぁ。
まったく。
じゃぁ!