今朝から復活
ここ10日間ばかり駄文書きを中断していたのだが、今朝から復活した。全体構成をいじっていたのだ。ノートもかなりの数をつけているから、それらを見ながら訂正、訂正、訂正である。追加の部分もある。先日、ある方にドクターは500枚くらい書かなくちゃねぇ~と云われてシビアになったから、なおさらである。
それに孫の子守でかなり多忙である。こちらはこちらで、もう生涯これほど長くオレの家で孫と過ごすことはないだろうから大切にしたいことである。貴重な時間を過ごさせていただいていると思っている。来月には母親と帰ってしまうからである。
まことにもって、人生は不条理である。共に過ごしたいと思っても、結婚してオレの家を出ていった娘が作ったのがオレの孫なのである。なんだか不思議な感覚になる。こんなかわゆいものが、世の中に存在するのである。参ったな、参った。(^0^)
もっとも、血のつながった孫であるから、それこそ本当に馬鹿みたいに孫がかわゆいのである。それはわかっている。しかし、このむちゃくちゃなかわいさはなんだろうかと思うこともある。
馬鹿だから?
ふむ、それもあるかもしれない。しかし、なんだかもっと根本的に人類共通の喜びっちゅうもんがあるのではないか。直接に血がつながっているというものもある。
考えてみるに、おそらくは「贈与のよろこび」なんではなかろうかと思うのである。
そうなのだ。「贈与」なのである。手数料なし、利子なし、ただただ贈与なのである。これこそ、孫を持ったよろこびなのである。
先日、懇意にシテいる眼鏡店で、孫談義になった。オレと同年の店主とその奥様と話しをしていたのだが、彼らの子どもがまだ結婚していないとおっしゃる。なんでそんな話になったかというと、このブログにも書いたが、オレのめがねを傷つけたのが孫だからである。
37歳になったのだそうだ。店主の子どもは。孫が欲しいと云われる。当然である。
だから、世の独身貴族の方々に申しあげたい。あなた方のご両親は、孫を待っているのである。マジである。
基本的に、健康で、バシバシ働いて、明るい家庭をつくることが最優先だとオレは思っているから、ノイローゼになるほど仕事中毒になったりすることはいかがなものかということである。成果とか、なんとかとか健康を害してまでやるほどのことがあろうかということが基層にある。
だからオレは焦らない。
焦ったって、どうにもならんことはどうにもならんのである。
基本的に、オレの人生は目に見えないのだから。
どうなるかは、オレ自身もわかっていないからである。明日この世の中にいるかどうかもわかっていないからである。
今朝は4時に起きて、駄文書きをしていた。
さ、これからまだやる。なにしろ、オレの机の上には、2台パソコンがあって左側のパソコンには駄文が表示されていてさっきから改訂作業を待っているからである。
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