何をいまさら無明の世界で
眼鏡の修理が終わった。新製品であるから、いろいろと改良がなされていた。視野も広まった。これはありがたい。強度の近視であるからである。なにしろこちらはアクティブじじいである。行動の中で生きて、行動のまま死んでいくじじいである(^0^)。
もしかしたら、坂本龍馬のように前のめりで死んでいくのかもしれないと思うと愉快である。そうなのだ。オレはまったく死ぬことから逃避しようとはしていないからだ。逃避しようっていったってムリである。あたりまえである。誰でも死ぬからである。マジに。
だから、くだらない恋愛なんていうことでうつつをぬかしていることはできない。あ、その前に相手がいねぇっていうもんだけど。
わははっはははっははははっはは
今日、ラジオを聞きながら、孫と遊んでいた。オレの部屋は、機械がたくさんあって、それこそナンデモ聞こえてくるから話にならんのだ。そしたら、人生相談をやっていた。ラジオはradikoで聞いていたのであるが、まぁ呆れた。
オレと同年の老婦人が不倫をしているっていうことだった。62にもなって、何をいまさら無明の世界でさまよっているんだろうと思った。孫には聞かせたくないような話である。情け無い。なんのために60過ぎまで生きてきたのだろうか。
孫は、オレから離れていった。そりゃそうだ。オレが書庫の床に座っているからである。つまんなくなってしまったのである。
オレは、その老婦人がまったくかわいそうになってしまったよん。
こういう方がおられるのである。
話にならんのだ。
むぎゅ~である。
意味の無い世界で生きているしかないということに気がついていないということである。これは知識人も当てはまることだ。
意味の無い世界で競争をしているってぇこと。
そのことに早く気がつかれるといいとオレは普段本当に思っているのである。
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