塾から帰宅。
孫の誕生でまるまる一週間休暇をとらせていただいたから、随分生徒たちがオレのことを心配してくれた。孫が生まれてねぇと云ったら、「おめでとうございます」と中学3年男子が云うではないか。こういうセンスが生きる力となるですなぁ。中途半端なクソインテリよりもっともっといい。他人を思いやることができねぇのは最低でありますよ。なんでもかんでもオノレ中心主義で、オノレのことしか関心がねぇっていうのは、反吐が出る。美人に多いからなぁ。そういうの。そりゃそうだ。美人というのは、自分にどれだけ関心が集まっているかということが最重要課題なんだろうからなぁ。
オレにはカンケイないことだ。美人とは縁もゆかりもねぇから。
(^0^)
22:35である。
日本盛のワンカップを飲みながら打鍵している。
帰ってきたら、孫の第一子の方がまだ起きていて、ぐずっていたのだ。オレは速攻で彼を抱っこして、二階の窓から夜景を見せた。そこからは、語りのある世界が見える。いいものである。物語を、つまらない物語を孫に静かに語りかけていた。もう、世間のしがらみなんぞどうでもよくなっちまったよん。こんなきれいな夜景を見ながら、彼に「じいじは仕合わせだよん、ありがとうね~」って抱っこされている孫に謡って聞かせるのである。
そしてぼそぼそと謡ったのだ。そう、謡ったのである。数分でオレのウデの中で、眠った。待っていたのだ。オレを。
わははっははははっははである。愛されているって、こんなにええもんですかなぁ~(^0^)
子守歌は、子守謡でなくてはならぬ。オレもそうやって奥羽山脈の麓で育ったのだ。鬼が謡ったのであろうかと今になっては思っている。奥羽山脈は不気味である。黒い姿が、月明かりの下に浮かぶのを見ていると恐ろしかったのである。怪獣映画のゴジラがあの山の向こうから出てきそうで、怖かったのだ。むろん、山の向こうは憧れの仙台である。そんなわけはないのだが、そういう説得力が山にはある。オレの生まれたところは、「謡い」の盛んなところで、オレのオヤジもできた。親戚中できた。オレの結婚式のときも、九十九里まで来てくれて、親戚一同全員で謡を披露してくれた。これは関東の人間にはできないだろう。伝承が違いすぎる。しかも、10曲やってくれた。江戸時代以前からオレの地方に代々伝わってきた伝承文化である。このことはオレ、誇りに思っている。
ま、子守謡の記憶は、実際はトシの離れた従兄弟たちがオレを抱っこしてくれていたのだったのだろうけれども。
そういうものは潜在意識として残る。
ありがたいもんである。
それだけである。
明日は、県教育委員会に行かなくちゃならん。
仕事がまたふえたので。
交通安全の講話をするのだそうな。
「武道論からみた交通安全」とか「構造主義から考える交通安全教育」とかやるつもりである。マジに。
お休みなさいませ。
(^_-)-☆