と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

去年の記事 党派性

2014年04月22日 22時01分29秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年
 
 なぜ我々は、自分の所属しているグループというものに拘り、自分と異質のグループを攻撃するのであろうか。

「党派性」というやつ   なぜ我々は、自分の所属しているグループというものに拘り、自分と異質のグループを攻撃するのであろうか...
 

 

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4月21日(月)のつぶやき

2014年04月22日 05時35分49秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

今朝から復活

ここ10日間ばかり駄文書きを中断していたのだが、今朝から復活した。全体構成をいじっていたのだ。ノートもかなりの数をつけているから、それらを見ながら訂正、訂... goo.gl/xv1xf6


「我々は消費者を顧客にする会社だったが企業を顧客にする会社にシフトする」。パナソニック・津賀一宏社長に密着取材しました。業態を変える。企業にとって最大の挑戦です。社長の強く硬い決意が伝わってくる記事です。 毎日ジャーナリズム: fw.to/cURxnkR

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QT @ishiiyukari 蠍座は強い影響力を及ぼすような日。鶴の一声、的な。

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師曰く「女役のシテは紅白など段の唐織を着るが、千手や熊野みたいに舞を舞う役に段は似合わない。
段唐織は位や市井の女のニュアンスが出るから、井筒や野宮にはいいが、舞を舞う遊女役には赤地などがいい。」
班女や船弁慶、道成寺も同じですね。 pic.twitter.com/ZkdFTEVZxD

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行動の安らかさ。――滝の水が落下する時一層ゆっくりと漂うようになるのと同様、偉大な行動人は、彼の猛烈な渇望が行動の前に予期させたよりも一層安らかに振る舞うのが常である。-人間的、あまりに人間的-

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“早稲田大学大学院・早瀬晋三の書評ブログ?:?『外交官の誕生-近代中国の対外態勢の変容と在外公館』箱田恵子(名古屋大学出版会)” htn.to/etmep2sRX

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04/27【B&B(下北沢)】《常見陽平『「できる人」という幻想』出版記念&生誕40周年記念 「若き老害」演説会》 _ 15:00~17:00 (14:30開場)... 詳細→ cheapculturetokyo.com/index.php?date…

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訪洛にあたって浄土真宗について見聞を深めようと思い、ここ数日ちょっと前に出た『芸術新潮』の親鸞特集ft.梅原猛をパラパラ捲ってたんだけど、面白かった。新約聖書外典みたいな感じで親鸞の伝記にも異端というか主流派から黙殺されてた『正明伝』というのがあんのね。

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学校の成績なんて気にすることはありません。何か好きなことが一つあって、それを一生懸命できるということが人生の一番の喜びなんです。

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京都・知恩院三門でのミッドナイト念仏。クラフトワークみたいで超クール。 asahi.com/articles/ASG4L… pic.twitter.com/Djk3ssMWLL

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宝珠山立石寺(山寺)【山形県】 GoogleMap:goo.gl/maps/OrQY

松尾芭蕉が『奥の細道』で「閑さや岩にしみ入る蝉の声」という俳句を詠んだ有名な名所。
平安時代前期、第56代清和天皇の命に pic.twitter.com/W9908FUVar

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興福寺八部衆・五部浄像:像の冠をかぶる頭部と上半身の一部が残る。正面を見つめる少年のような表情が印象深い。twitpic.com/8mu2px

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■「宇宙はわれわれひとりひとりのなかにある。」【オグララ・ラコタ族】

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国会図書館の蔵書データを製本 アマゾンが注文販売 - 朝日新聞デジタル t.asahi.com/ej7i


民主「福島のとき情報隠蔽された」 自民「民主党政権だった」 民主「ごめん」 blog.goo.ne.jp/tym943/e/359ff…


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知の胡散臭さということ

2014年04月22日 05時09分33秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

オレは愚者であるから・・

 

 

「知」の胡散臭さということを、いつもながら日本における知の巨人吉本隆明に学んでいる。吉本隆明は、それこそオレの10代のころからバリバリの思想家であったし、いまでもかなわないなぁと思う人である。もう亡くなったのだが、相当にオレは入れ込んでいると感じている。ま、要するに好きなんだなぁ。(^0^)

さらに、吉本隆明がだんだんと老人になって何を考えていたのであろうかという興味もオレにはあるのだ。今、まさに直近の関心である。

なんのために、あれだけの知的活動をやり終えたのかという問題である。

そもそも、吉本隆明は、知識にとっての最大の課題というのを、知識の頂を極めることというようには設定していなかったのではないのか。ふとそんなことを思うからである。知識の頂に人々を誘って、オレのような愚昧な庶民を教化することではなかったのではないのかとも思う。

高見から世間を眺め、見下ろすことでもなかったのではないか。むしろ、知の頂を極めて、そのまま「非知」に着陸して生きていたのではないのか。

知の頂を極めてしまった人だからこそ、そんなことが言えるのだろうけれども。

「知」よりも、「愚」の方がいいと願っていたのではないのか。知者にとって、愚は非常に遠い課題でもある。知者であるが故に、困難なのである。愚を徹底することは。

単なる知識を捨てよ、知者ぶるな、愚になれというような問題ではなかったはずである。本質的に困難な課題であったのだろうと思っている。知の頂を極めた吉本であるからこそ、限りなく非知に近づいていく「知」を求めていたのではないのか。

オレは宗教を研究しているが、信仰というものがない。なぜか。それは相対的な存在でしかないオレという人間にとって、それを無視して絶対の信仰という世界に飛び出していくことが、まさに「自己欺瞞」であると考えているからである。どっかで嘘をついているからである。愛を説く宗教が、戦争を行っているし、信仰があると自称している人ほど、かなりの自己欺瞞をやっているではないか。挨拶一つまともにできないというのもいる。

しかしながら、相対的な世界は居心地がいい。そのままそこに留まりたいという誘惑は限りない。自己欺瞞にさらされている方が居心地がいいのだろう。

老いて死んでいく、あるいは病で死んでいく、あるいは・・・と諸相が世の中にはある。それを見て、「諸行無常」や「虚しさ」と感じ、「諦め」を説くことは容易い。現実の世界を諦めることで、その苦の世界からの逃避を、あるいは飛び越しを説くだけでいいのだろうか。

オレは、そんなことを考えているからこそ、吉本隆明に関心を持ち、さらに生涯学習でこれから仏教研究を始めるつもりでいるのだ。

だから、今日の記事は、オレなりの決意表明でもある。そういうことである。そういうこと。

たいしたことじゃぁないのだが。

 

わははっははっははっははは。

 

愚者のオレは、今日も孫と遊んでいるだけである。いい一日でありたい。それだけだ。

 

(^_-)-☆

 

 

 

 

 

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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/