オレもいっぱしの親を気取っていた
まだ孫の顔を見ていない。理由は簡単である。上の孫の面倒をみているから、さらに、病院が小さい子どもの見舞いを禁じているからである。もっとある。それはじいじのオレが行っても、なんの役にも立たないからである。こんな山賊みたいな、比叡山の僧兵もどきが産婦人科の中をうろうろしていたら、逮捕されっちまうですぜ。
わははっはははである。
実は早く見たいのだ。これは「アイラブ じいじ」と書かれたTシャツを着た孫(第一子の方)への愛情と一緒である。つまり孫への愛情というのは、ある意味こだわりがあるからだ。
このことは、じいじになる前には、オレもいっぱしの親を気取っていたのだが、そのときには気がつかなかったことである。
親として子育てをしているときは、しみじみ「未熟」だったなぁと思う。まったく未熟だった。これでも教師をやっていたんだから、慚愧の思いである。まったく人格的にも未熟だったし、仕事優先で家庭を顧みることもなかったし、スポーツ系の部活動を一生懸命やっていたし、退職して思うことはそんなことに意味があったのであろうかということである。
あっと、こういうことは書かないほうがいいのですな。
こんなしょうもないじいじブログなんか、現役の教師様たちから読まれていることはないだろうけど。そもそも生涯学習日記とタイトルをやってあるわけで。
未熟といったらなんでもそうだ。
柔道もそう。柔道教室にかかわらさせていただいてきたが、強さの点ではまったく未熟である。47年もやってきて、まだ4段である。4段になって32年。これでは話にならない。
文学もそうだ。学部以来44年。なんの成果もない。論文一つまともに書いたこともない。今回、昨日の時点でA4の用紙で214枚、字数で196501となったが、これもまた誰からも評価されないだろうから、私家版で出す予定だ。
それでいいのだ。それで。一介の田舎教師で終わった男だ。ひっそりと生きてきたし、今もひっそりとじいじ生活を楽しんでいる。枯れ尾花のようなものである。そうなのだ。もう枯木なのである。枯木が何を云ってもしょうが無いのだ。諦めが肝心である。
せいぜい家庭生活を明るく過ごして、孫と遊び、柔道教室のようなボランティアをやって、世の隅っこでひっそりと生きていくしかない。
あ、そういえば比叡山に「一隅を照らす」という良い文章が看板であったなぁ。
せめて一隅のさらなるすみっこで、細々と灯りをともしてこれからも生きていきたいもんですよん。
合掌・・・・・♬
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