ノート
ノートの件で思うことがある。大論文を世に問うた例のナントカ細胞の報道をされた方のことである。Oさんのことである。このことについてはこれ以上書かない。賛成も反対もない。マスコミのように、詰問できるような能力もオレにはないからだ。
そこでだ。ノートのことである。研究者というのは一週間に1冊ノートをつぶすくらいでないといかんと思っていたが、ご本人は5冊程度とあった。アタマがいいから全部記憶に残るのだろうが、オレにはできない。当たり前だ。オレはただのじいじである。勉強したことはワスレテしまうからだ。
人のことをどうのこうの云うことはできない。
しかし、研究者というのは厳しい世界なんですなぁ。かわいそうになってしまったよん。マジに。成果を出さないと話にならないのだろうし。
来年は自由人になってしまう可能性が出てきたが、それでもオレは生涯学習を続けていくつもりである。何もしないで、家にじっとしているのはどうやら最大に苦手である。どうやらというのは、家にじっとしていたことがないからである。
現役時代は部活動で吹っ飛んであるいていたっけ。
バレーボール、野球、柔道の顧問をさせていただいたから、土曜日曜もなかった。練習、練習の日々であった。それはそれで記憶に残る。現役時代でないとできなかったからである。
そんなのをやらないで、ひたすら論文書きをしていれば、今頃は・・・というのが成果主義の顕著なものであろう。
オレは生徒とそうやってふれあっているのを楽しんでいたのだった。勝敗に拘っていたのではない。そういうふれあいが、教師としての重要な仕事でもあったからである。授業が一番大事だというのは、常識である。当然である。だから教育の技術と方法ということについては、研鑽をつんできたのだった。
唯一反省がある。それは専門的なチカラがあまりなかったということである。勉強不足であった。文学に関して、あらゆる分野にチャレンジしてみたかったのにできなかった。当たり前であろう。神ではないのだから。
しかし、そういう欲張りなところがオレにはある。
それが生涯学習をやる源泉である。誰になんと云われてもいい。知らないことを知るということが、オレの生きる力となっているのだ。
経典研究をしながら、民俗芸能学を細々とやっていくつもりである。
経典だって、なんにもならないのだけれども。僧侶になるわけでもないし。
ま、ノートだけはつけていくけれどもね。
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