これから古文書講座だ・・・楽しみ、楽しみ
養老院より大学院 (講談社文庫) [Kindle版] 内館牧子 (著)
・夏休みが終わったら
・学校でやったことより、学び直し
・通信制大学の活用
1 夏休みが終わったら、義務教育はそれこそ宿題提出で大変だったろう。保護者が手伝っているという側面もある。そしてそれがなんの意味があるのだろうかとも言われる。
そのことについて、曾野綾子大先生が、今朝の産経新聞におもしろいことを書いていた。この先生、最近ネット上で騒がれている。発言が過激であるからだ。ま、そのことには触れない。今朝の彼女のエッセーは、学校時代に教わったことよりも、大人になって自分で勉強したことが実にためになっているというようなことであった。学校、特に小学校時代に夏休みの宿題としてやったことが、どれだけの勉強になったであろうかということを、おもしろおかしく書いている。一番笑ったのが、夫・三浦朱門のエピソード。彼は、小学校の宿題である日記は、都合三日間の出来事を自作してしまって、それを全日程に引き延ばすという高等?テクニックの持ち主であったのだという。天気だって、真面目に全部書いている友人と特別契約をして、夏休みの最後に全部写してしまうのだそうだ。
なるほどこういうウソを思いつくということが、作家としての資質であるのだと思わず微笑んだ。もっとも、作家なんて真っ赤なウソを正々堂々と書いて、それでもって喰っているのだから、しょうがないと言えば言える。
ただし、これはユーモアとして理解すべきであって、真に受けてはならない。
やはり基礎は基礎。
基礎を大事にせにゃならん。そう思う。基礎は、教えてもらわなければマスターできない。それが前提にある。漢字や英単語、数学の九九などを教わっていなければ、なにもできない。手も足も出ないというわけである。
自動車の運転だって、そうではないか。自動車学校で基礎から徹底的に教えてもらったからできるのである。ある意味、基礎教育はそういう強制的な部分がないといけない。
2 基礎教育を終わって、現役の職業人として世の中にデビューする。そこから実は学び直しが始まっているのである。仕事から学ぶ、あるいは周囲の人間から学ぶというスタイルができてくる。それでもって、いろいろなスキルを身につけていく。
だから、学び直しというのは、退職してから始めるのではない。現役時代からやっているのである。無意識でもやっているのである。サラリーとしていただく、自営業なら自分の収入は自分で工夫して生み出していかなければならない。そこにスキルが出来てくる。
学校で教わったことだけで通用するとは思わない方がよろしい。
当然である。
だから生涯にわたって学ぶことが標榜されるのである。あくまでも学校で基礎を教えてもらったら、世の中でそういう知識を応用しながら、学んでいく。それが大人としての努めであるはずだ。
生涯学習が、時間をもてあました高齢者の暇つぶしだと断定しないほうがよろしい。時間をもてあました高齢者の問題だけではないのである。
忙しい現役時代から始まっているからだ。
ステップアップという意味で言っているのではない。カネをいただく以上、自分の能力を磨くというのはある意味当然であるからだ。
現状維持ほどつまらないものはないからだ。
現状維持でいいというのならば、退職して再雇用をするという手がある。これまで磨いてきた能力をそのまま温存して、さらに再雇用させてもらう。すると高収入があるらしい。ローンを抱えていたら、それもまた致し方なし。それはそれで理解できる。また、家族に問題を抱えていたら、再雇用を志願するというのは理解できる。
人それぞれだからだ。
さらに「養老院より大学院」というこの本のように、選択肢を広げてみることである。著者の内館牧子先生は、東北大学大学院修士課程に行って相撲の研究でもって修士をゲットした。この本は、大学院案内ではない。むしろ、学びの心構えを教えてくれる本である。Amazonで1円で売っている。だから買った。買ったが数年前に捨てた。もう必要なかったからである。
3 通信制大学というのがある。
働いている方には、実に便利である。放送大学が一番いい例である。この大学には大学院の科目だけ学ぶというスタイルで単位もいただいた。実はここから私の生涯学習を通信制大学で始めるというのが始まっている。
感謝している。仕事をしながら、やることができるからだ。いや、やることができたからであった。過去の話である。
内容も決してバカにはできない。
試験もある。単位習得も幕張まで行って、筆記試験を受けてきた。けっこうつらい体験もしている。特に、心理学では苦労した。暗記していないと解けない問題がたくさんあるからだ。
それから武蔵野大学でも学んだ。大学院である。人間学というのである。
仕事をしながらできるのである。
そういう意味では、ありがたいものである。
それよりなにより、自分からやってみたいというのがないと、話にならない。やってみたいと思う事から始まる。いろいろ支障があっても、まずは走りださないとものごとは始まらない。
通信制なら学費も安い。
もっとも、カネでもって選択する人はいないだろうが。
老人大学も学費が安い。それでも私は満足している。内容に。
でもあと一年で次の学びの場を探さないとアカン。
その時にまた通信制が浮上するだろう。大学院も含めて。
さ、これから古文書講座である。
雨が降っているけど、ルンルンと行ってくる。
これもまた生涯学習であるから。
(^_^)ノ”””