完全に人生遠回りだけど、欲望を肯定して生きてきたから・・・マジに
性と呪殺の密教 怪僧ドルジェタクの闇と光 (講談社選書メチエ) 単行本(ソフトカバー) – 2002/12/10 正木 晃 (著)
読んで深まる、書いて堪能する「般若理趣経」 単行本(ソフトカバー) – 2011/9/15 正木 晃 (著)
・正木晃の本
・理趣経のこと
・まともな宗教
1 書評に以下のようなことが書いてある。
「タブーを破り、宗教の奥底に蠢く闇に迫る。密教は性と呪術に満ちている。光と闇、二つの世界を併合することの豊穣と危険。チベット密教の神髄を体現するドルジェタクの生涯を通じ、宗教最大の難問に迫る」と。
まさにタブーを破り、宗教の闇を鋭くえぐる書籍であろう。危険性にも満ちている。内容は、ちょっとここには(拙ブログ)書けないようなことが書いてあるから、慎重に綴っているつもりだ。
しかし、私はこの本から、大いなる人生肯定を読み取った。無とか、欲望否定とか、巷間言われる宗教観というものをずいぶんと否定している。
もっとも理趣経という経典もそうだ。すべてを無に帰して、枯れ木のようになることを勧めているのではない。ここが、私には嬉しいことである。
当然である。私のような俗物は、枯れ木には絶体になれないからだ。欲望の否定?・・・今までさんざん悪い事ばかりやってきて、なにを今更である。聖人ぶって、説教たれるような偉い人間では無い。あたりまえである。さらに、姦淫を教えるエルサレム系の宗教のように(特にイエス教)、欲望を否定したところの境地なんて無理だ。生涯かかって追求しても無理である。ましてや、余生の時間だってあまり残されていないではないか。いつ死ぬかわからんし。
この本の著者である正木 晃という方には、興味がある。学歴もご立派である。しかし、ちょっと腑に落ちない部分もある。なぜこれだけご立派な学歴を持っておられて、非常勤講師なのかということである。ま、あまりここには書かないことにしよう。この方に興味があって、彼の書かれた本を主として図書館から借りてきたからである。ずいぶん読ませてもらった。
2 で、同じ著者が書いた理趣経の方もAmazonから、さっき買った。8:30である。プライム会員だから明日あたりくるかな?それが画像で紹介した「読んで深まる、書いて堪能する『般若理趣経」』単行本(ソフトカバー) – 2011/9/15 正木 晃 (著)」の方である。
これまたAmazonの書評から引用してみよう。こう書いてある。「性の快楽をも、仏菩薩の清らかな境地として認める真言宗の経典『理趣経』。それは人間にとってもっとも根源的な行為を全面的に肯定することで、人間存在そのものを、まるごと肯定しようとこころみた人間讃歌の聖典です。空海が秘匿し、最澄と仲違いした原因となった理趣経は、真言宗寺院で、毎日、朝に夕にかならず読誦される大切な大切な聖典でもあります。本書は、密教の奥義となる理趣経の神髄を、できるかぎりわかりやすく、しかも現代の学問研究の成果をふまえて、正確に、しかも大胆にわかりやすく訳した決定版です。巻末に功徳を約束する写経付き。」
以上である。かなり危険な経典であることがおわかりいただけだろう。そういうことである。だから欲望肯定、人生賛歌の思想があると言っているのである。
こういうのを邪教というのならそうなのかもしれない。程度問題としてである。しかし、邪教というからには基本があるはずである。つまり邪教でない方の宗教というのは、なんであるのかということである。
3 人間の闇を見ることなしに、宗教も文学も哲学も考えてはならないと思っているからである。世の中はきれい事だけで成り立っているのではないからだ。こんなことは大人になったら常識であろう。表面的なことだけで生きていられるニンゲンナンテいないだろうから。
むろん本当に世を捨てた聖人君子もいた。それはそれで認める。尊敬している良寛もそうだ。未だに、魅力がある。隠者となって幼子たちと生涯遊び暮らした聖人だ。もっといる。一休禅師である。彼もまた世の中の真実を追究していった。我々のようなくだらない庶民を、「生老病死」があるぞ!と常に教え諭してくださったのだ。ありがたいことではないか。
さらに、この二人は、完全に欲望を否定したわけではない。良寛だって70歳過ぎてから愛人を持ったと言われている。一休禅師は、盲目の尼僧との恋におちた。二人ともジイジになってからである。これをどう思うのかということである。(諸説あるけど)
どうだろうか。これを堕落と言って軽蔑できるだろうか。
私にはできない。私は完全無欠ではないからである。だから他人を否定できない。
ど~も、宗教というと無理があるような気がする。欲望を否定して、生きることができるのだろうか。私にはできそうもない。さんざん欲望肯定の人生を送ってきて、なにをいまさらである。酒だって、散々呑んできてその結果が病気になったんである。病気になって大学院を単位も取れずに追い出されたわけである。だから、そんなことを言っていたら、知人友人に呵々大笑されっちまうですな(^0^)。
とうとう基地外になったのか?って。前からおかしいとは思っていたけれど・・・ってねぇ。わはははっははははっはである。
人生ってこんなもんじゃ。こんなもん。
そういうバカバカしいことを性懲りもなくやっているのが、人生じゃよ。
遠回りも遠回り。完全に人生遠回りである。やっとこすっとこ、こんなくだらないことに気がついたってことである。なんという無駄ばかりの人生であったろうと思う。それが生涯学習でもって、ちょっとは癒やされているのかもしれないが。
ともかく、またまた遠回りをしながら、今日も一日生きていく。読書をしたり、窓を掃除したり、gymに行ったりである。こういう自由な境涯に生きられるというのも、現役時代に土・日もなく、モーレツに働いてきたからである。部活をやっていたから練習試合の連続であったからである。学校ばかりではない。社会体育もやっていたからだ。しかも、自ら望んで蟻になった。几帳面な蟻であったからである。好きな仕事をしながら、退職までやってこられたということに感謝しているけどね。
ありがたいもんである。
マジに。
じゃぁそろそろ。もう2400字になっているから。
(^_^)ノ””””