怒鳴っているから 私もついつい大声になる 馬鹿にしないでよ そっちのせいよ ちょっと待って Play Back Play Back
今日は、二人の孫が遊びにやってくる。楽しみである。ジイジのこっちが。理由はただ一つ。かわゆいからだ。それだけである。
いろいろと遊んで、ぺちゃくちゃとしゃべっているだけだ。それでも楽しい。当然、自分の用事はなんにもできない。読書もできない。読書なんかやっていたら、孫が私の書庫にやってきてすぐさま膝の上に乗っかり、本を奪い取っていく。できない。当然である。孫優先だからだ。これは、孫の親、つまり私の子ども(と、いっても30過ぎの子どもだが)の時とは違う。なんのことはない。子育ての責任はないからだ。どう育とうと、ジイジの私には責任がない。健康で、いきいきと生きていればいいと思うだけである。
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世の中には、アタマがいいか悪いかということだけを考えているジイジ・バアバもかなりいる。よそ様の幼児を見て、「あの子は優秀だ、将来楽しみだ」とか、のたもう方々である。
そういう方々の台詞を聞いていると、アキアキしてしまう。なにをもって優秀だとか、アタマがいいと言っているのだろうかと疑問に思うからである。
そりゃそうだ。アタマがいいにこしたことはない。悪いよりはいい。でも、その程度のことだ。アタマがいいというのは、誰と比較して言っているのだろうかといつも思うからである。いいとか悪いとか言う以上、比較する対象があるはずである。比較対象がなくて、いいとか悪いとか言っていたら、それこそ言っている方のアタマの程度が疑われてしまうぜよ。まったく。
そもそもアタマがいいということの裏側には、あるレトリックがある。それは、アタマがいいと経済生活が豊かになるという信仰である。つまり、アタマがいいと偏差値の高い優秀な大学に行ける。そういうブランド大学に行くと、一流会社に就職できる。一流会社に就職できれば、いい生活ができるという論理である。
それが正解であるかどうかということは、社会生活を送ってきた方ならば誰でもわかっておられるはずである。
つまり、そんな簡単な、それこそお馬鹿な論理でもって社会は動いていないということを多くの人々は知っているはずだからである。ただ毎日黙って黙々と働いているサイレントマジョリティーという方々(私もそうだ)を無視してはならないからだ。偏差値だけで生きることができるのならば、こんな簡単なことはない。そして、そんなことはあり得ない話である。
サイレントマジョリティーのことを軽蔑している輩も多い。特に若い方々に多い。
意識が低いとか、知識がないとかのたもうてくる。私もずいぶん言われてきた。そうなのである。私こそ、「アタマの悪い人間」「黙って働いているだけの人間」だ。庶民だし、それでもってナニが悪いんじゃ?と思って生きてきたからである。ある意味、これ以上強い種類の庶民はいない。
だから、今朝方成立した安保法案について、サイレントマジョリティーはどう思っているのかということに関心がある。結果的にどうなるのか。次回の選挙でもって、結果を出していくのだろうが、その存在そのものをムシしていてはいけないと思っているのだが。私もサイレントマジョリティーだからだ。
マスコミも、デモをやっている方々もサイレントマジョリティーのことを考えているのだろうかと思っているからである。これ以上は書かない。しかし、私のような一般大衆ですら今回のマスコミとかデモの方々の行動には呆れた。それだけである。それだけ。
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私の孫たちも、将来サイレントマジョリティーとしてしぶとく生きていくだろう。そう思っている。その頃には私の方は、生きていないだろうけれども。健康で、よそ様の役に立つ人間であって欲しいと思うだけである。少なくとも犯罪者だけはアカンとも思っている。善悪の判断がつくようでなくてはならない。やっちゃいけないことは、やっちゃイケナイからである。人殺しだの、ドロボーだの、不倫だのは特にそうだ。
倫理観というものを最も重視したいのだ。ま、アタシも人のことはアレコレとは言えないケドねぇ。なにしろ原罪を背負っているのだから。
しかしである。サイレントマジョリティーは、おそらく最強なのではないのか。生きる力があるからだ。ガキのころから、周囲から指導され、注意され、あれは問題があるとかナントカ言われて育ったからだ。私が良い例である。まさに私は、そうやって育ってきた。担任の先生に何度も何度も殴られた。干し柿やリンゴを盗んで喰ったり、入っちゃいけない山の中を数人でほっつき歩いたり等々の悪いことをしたからである。まったく申し訳ないと思っている。だから、突っ張りの青少年のすることなんか、全部お見通しである。手練手管もみんなわかっている。生徒指導をずっとやってきたのもそういう理由からである。つまり強面の体力派だったのだ。ま、今となってはどうでもいいような話であるが。もうそんな強面は、できないし。
だからというわけではないが、サイレントマジョリティーのことをバカにしない方がいい。
世の中の自称指導層という方々に申し上げたい。
サイレントマジョリティーをバカにしたら、今度はアンタの足下を掬われますぜと。
それくらいの智恵は私のようなアホでもあるからだ。山口百恵ではないが、「バカにしないでよ~」である。「プレイバックpart2」である。古いねぇ~(^0^)。
そういえば、あの歌「緑の中を走り抜けてく真紅なポルシェ 一人旅なの 私気ままにハンドル切るの 交差点では隣りの車が ミラーこすったと怒鳴っているから 私もついつい大声になる 馬鹿にしないでよ そっちのせいよ ちょっと待って Play Back Play Back」という歌詞で始まるのではなかったか。
今回の安保法案のことを皮肉っているようである。
わはははっはははっははっははははっははは。
じゃぁねぇ~
(^_^)ノ""""