出色の退職あいさつであるなぁと思う・・これくらいになると。超人廣松渉先生らしいからだ。でもどの程度ウラの意味があるかに気がつくかなぁ?
作家・評論家の佐藤優氏が激賞していたから知ったのだが、廣松渉先生という方がおられる。マルクス主義を勉強するには格好の学者である。だから、いろいろと読んでみたことがある。あまりにも難しくてよくわからなかったが。
あまりなじみのない学者かもしれない。しかし、高校中退で大検から最終的には東大大学院まで修了した方であって、なかなか刺激的な大学者である。ある意味(高校中退という点で)、最近流行の内田樹先生と同じである。こちらも哲学畑なのに書く本、書く本が売れている。
その廣松先生が、実におもしろい文章を書かれているのを、哲学者の中島義道先生から教えていただいた。「人生を半分降りる」(新潮OH文庫)からである。東京大学退官の時に書かれた駒場の「教養学部報」である。実にすばらしいと中島義道先生が激賞しているからだ。よって、以下に引用してみる。
「『教員と乞食は三日もするともうヤメられない』とか言いますけれど、私は以前、通算五年間名古屋の大学に勤めた時点で退職し、雑文を買(ヒサ)いで六年間口を糊した経験がありますから、五年くらいならまだヤメられると申せます。
実を申せば、八年間で切り上げようというつもりでお世話になったのでしたが、居心地のよい駒場の湯に一旦入ってしまうと、出るに出られなくなるようで、十八年間も長湯をしてしまいました・・・・・・・。
国際学会で披露するような研究成果などありませんし、海外に遊学するだけの意欲も趣味もないものですから、国外には唯の一歩も出ませんでした。学生時代にも留学経験がありませんので、いまどき珍しい夜郎自大の天然記念物ではないかと疑われたりもします。
国内での学会にもほとんど出席したことがありません。出席しようものなら意地悪な発言などひとくさりブチかねないからです。
泰西古代の哲人は『隠れて生きよ』と訓えました。東洋では隠者を位置づけて『小隠は山林に隠れ、中隠は市井に隠れ、大隠は朝廷に隠る』とか申します。講壇に隠れるのはどのランクの隠遁者という話になるのでしょうか。唯のインポテ?たぶんそんな相場でしょう。・・・・・・
先輩・同輩の中には『駒場幼稚園なんかとは違ってピチピチ・ギャルのいっぱい居る大学』に再就職して、老化を少しでも遅らせる賢明な方々もありますけれど、私としまして学校ゴッコはもう飽きました。生徒役で二十数年、先公役でも二十数年、いくらなんでも飽き飽きです。どうせならほかのゴッゴをやってみたいですね。とは言ってもカクレンボくらいしかできませんがね。・・・・・・・
駒場は本当によい隠れ家でした。もう暫く置いて頂きたい気がしてきました。『定年制なんて何故あるんでしょう』
『後が列をなしてつかえているからさ』
オ後がヨロシイようで!!!」
以上である。
実に愉快ではないか。愉快。
東大教授の退官について書かれているのに、一見卑下しているような感じがある。しかし、ウラで人をバカにしているのがミエミエでもある。なにを言いたいかというと、ゴマすり精神がないからだ。紋切り型ではないからである。普通、大学のセンセを退官されるときは、弟子たちが大勢押しかけてきて、「**先生のご功績ははかりしれないほど偉大で、世間を指導され、私ども弟子たちはとうてい足下にも及ばず、もうこの***を去られるのかと思うと実に寂しく。。。。」とやるらしい。
やるらしいというのは、私も退職の儀式というのはやっていないからである。拒否したからだ。もっともやってくださいなと、手を擦り、足を擦ってお願いしても誰も見向きもしてくれなかっただろうがね。なんの功績もなかったからで。恥ずべきことは多かったけど。さらに嵐のような現職時代でもあったからである。ま、守秘義務があるからこれくらいにするが。
そんなことよりも、虚飾やおためごかしを言って、退職していく人間を送るというのは、なんの意味があるんだろうとしみじみ思う。
廣松先生も書いているように、「後が列をなしてつかえているからさ」なんである。早くいなくなって欲しいだけであるのに、無理してつまらないことをくっちゃべっているだけである。誰も本当のことは言っていないのがよくわかるからだ。なぜか。ここにも利益優先主義がはびこっているからだ。メリットとかデメリットとかの横文字を使って、オノレのみっともない潜在意識をごまかそうとしているだけである。つまらないことである。
退職した人間に痛烈な本当のことを言って、ムチ打つのもいかがなものかとは思うが、それでもウソはいけない。
だからその手の祝賀会とかには一切参加しない。そうなのだ。もう関係の無い世界でゆっくり生きているだけだからだ。それに、痛烈な嫌味を言って袋だたきになる可能性もあるからだ。クワバラ、クワバラである。
危険なことからは遠ざかることである。
酒場とミニスカおバカキャラオネーチャンのところにも行かないことである。カラオケなんかやってなんになるのだろうねぇ~。時間つぶしである。暇つぶし。もっともあれか。元気な現役時代はそれも仕事だな。仕事。ご苦労様なことである。
ただし、健康だけは留意なされよ。
仕事のためだと言っても、やり過ぎはよくない。健康を損なう。つまり私のようになったら、おしめぇである。
健康第一。
今日は塾がある。これから教材研究をやろうっと。楽しみでやらせていただいているバイトである。こっちからカネを払わなくちゃならんくらいである。マジに。
それではまた明日。
(^_^)ノ””””