退学した某大学大学院で、法華経を中国語で読んでくださったかつてのクラスメイトには非常に感謝しているのだ。クラスメイトと言っても、中国の大学で副教授をされていた先生であったけど。
「日本人の知らない日本語」という半分マンガになっている本を、古本チェーン店から買った。
これがなかなか面白い。わかりやすいし、今まで国語で喰ってきたから、目が覚める思いであった。むろん、日本語と国語というのは、すくなくとも教え方において大いに違っている。日本人だから、誰でも教えることができるだろうと思っていると天地がひっくり返ってしまう。それくらい、外国語としての日本語は難しい。特に、音声学的に難しい。
気に入ったので残り全巻4冊買ってきた。古本チェーンだから安い。さすがに1巻108円というわけにはいかなかったが。
この本は、外国人留学生相手の日本語学校の先生が主人公になっている。
外国人の日本語教師への質問は、ふるっている。考えてもみなかったことを聞いてくるからだ。それをいちいち根拠を明らかにしながら、説明していく内容になっている。これがおもしろいのである。
ボキは、ボランティアで外国人相手に日本語を教えたりする国際交流の会に入っている。否、入れていただいたという方が正解である。非常に興味があるからだ。
そういう方々と積極的に交流も行ってきた。
なにしろ、外国人から見た日本人、あるいは日本文化という視点でもって考えることが楽しいのである。思えば、一番最初の大学で、学部レベルではあったがドチリナキリシタンとかゼミで読んだ。あの時の思い出が忘れられない。もう半世紀前のことである。しかも、日葡辞書(大型版)までボキの書庫にはある。
楽しいのである。
日本語がどのように理解されてきたのかということを知ることがである。
さらにある。
3年前に退学した某大学大学院に、留学生がたくさんいたのである。中国から来られた院生は、中国の大学の先生が多く、日本語学科の卒業生が多かった。それで指導もなされていたのである。だからである。いろんな議論をさせてもらいながら、ボキもジジイ院生生活を楽しませていただいたのである。
もう復学はできないのだけれども。
一番驚いたのが、法華経を中国語読みで教えてくれた中国の大学の副教授であった。これは非常に驚いた。ボキのゴミ論文の中に、法華経を引用した部分があってそれを中国語読みしてくださったのである。院生室で。
こういう体験があるから、逆に日本語に興味関心が芽生えてきたのである。
楽しいことが多い。
けっこうなことである。
惚け防止になると思うと、これもまた良し。
さ、歩いてきましょう!
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