「なお、励め」ということは、ある意味生涯学習にも通じる。ボキの場合は、生涯学習ごっこである。いつまで続くかわからないからである。死ぬまでやっているんだろうから。だから「なお、励め」なのである。
「なお、励め」ということを格言としている。十代の少年時代に思ったことである。それこそ論語を読んでいたから。小学校の高学年から読み始めたのであったが。むろん訓読付、訳がついた本である。中央公論の世界の名著であった。
楽しかった。なぜなら、周囲にそんな本を読んでいる悪ガキどもが一人もいなかったからだ。
もっともそんな本を読んでいるなんてぇことは、誰にも言わなかったけど。
相変わらず、放課後は小学校の広いグランドで草野球ばかりやっていた。なにしろ、ジャイアンツの王貞治選手が大好きで、マネをしていた。一本足打法をやっていたのである。
けっこう打てた。飛距離が出た。嬉しかった。素振りもした。自宅が小学校から近かったから、かなり努力した。
とうとう、我が小学校草野球チームで4番を任されるようになった。
ホームランを打つとチームのメンバーに激しく褒められた。先輩たちも喜んでくれた。
中学校に行ったら野球部に入れとも言われた。
入らなかったけど。
なぜか。
それは、仲が良かったA君、K君が一緒でなかったからである。二人とも学習塾に通っていた。この二人は、中学から国立山形大学附属中学進学を目指していたからである。彼らは、ボキのように放課後草野球にムチュウになってお勉強をしないというスタイルではなかった。さすがである。二人とも、中学は下宿して通った。そして、A君は慶應、K君は早稲田に進学して行った。言わばエリートである。今、なにをしているのかは知らないけど。
ボキは、中学校の野球部は諦めた。当然である。才能がないということはよく分かっていた。それよりも英語や数学の方が大事だった。ついて行けないかも知れないという恐怖が勝ったからである。
さらにある。勉強しないと喰っていけないのではないかと、ガキのくせして思っていたのである。
怠慢が怖かった。「励む」ことで人生が開けると思っていた。そうなのである。誰からもそう言われたのではない。自分でそう考えていたのである。そういう意味では変わったガキだったのかも知れない。
だから苦学ができたのである。励むことが趣味だったのだ。新聞配達してでも、大学というところに行ってみたかった。大学というところに夢があるような気がした。事実、夢はあった。あったが、実現しなかった。夢は夢のままであった。それならそれでいい。
今、ジジイになった。孫3人いるジジイである。夢は実現しなかったけど、「励む」ことだけはやっている。しかも、「なお、励め」である。
以来、ずっとその精神でやってきた。今もである。完成はないからである。
だから上から目線でモノを言うことがないのであろう。むしろ、完成がないという点では下から目線である。まだまだ未熟であるから。
「なお、励め」ということは、ある意味生涯学習にも通じる。ボキの場合は、生涯学習ごっこである。
いつまで続くかわからないからである。死ぬまでやっているんだろうから。だから「なお、励め」なのである。
昨日、隣の市にある古本店に行った。聖書の古本を500円で買ってきた。買いたかったからである。聖書は実は7回通読している。旧約新約含めてである。ボロボロになったので、捨ててしまった。それ以来読んでいなかった。
最近、LINEで中国語を指導してもらっている。居住地の中国語講座は隔週であるから、絶対量が足りない。中国人で無料指導してくださる方を捜していた。そしたらおられた。ただし、その先生クリスチャンであった。それで買ったのである。古本だけど。話題に困ると思ったからである。
もう一つある。箴言の音声をyoutubeで聞いていたからである。
それからGymに行ったのである。
「なお、励め」である。まさにまさに。
ヾ(*´∀`*)ノ