年末だけどなんにもない。借金もない。ローンもない。貯金もない。悩みもない。まるでアホである。孫の世話をしていてそれが楽しいだけである。時間を見つけては、数学の問題を情報カードに解いているけど(^_^)。
年末である。
しかし、なんの多忙感もない。高揚感もない。子供のころは、忙しがっている大人を見ているとこっちも楽しくなったものであるが。
故郷の山形にいる頃は、年末になると死んだオヤジが餅つきを家の玄関ポーチで始めたものであった。たいていはボキが杵をつく。オヤジが、臼の係。つきあがったら、すぐさま食べる。きなことか、ダイコンとか、なっとうとか、ゴマとかがあった。一番好きだったのが、じんたん餅というやつ。これ関東のニンゲンは知らないだろうけど。
そんなものも楽しい行事であった。
ところが、今はない。なにもない。
だいいち、仕事がない。ここんところ孫の世話をやっているだけである。昨日は動物園に行ったし。モノレールにも乗ったし。呆れたジジイである。
一昨日、退学した某大学大学院でクラスメイトだった中国人留学生からLINEで連絡が来た。博士論文を提出したとのことであった。凄いことである。素直におめでとうと申し上げた。ボキにはできなかったことである。だからである。
せめて健康だったら、ボキもそうなった可能性はある。一種の賭けであったけど。
エコノミークラス症候群が断念させた。仕方なし。あのままじっとして動かないでいたら、ボキは今頃死んでいただろう。
こういう生き方もあるのだ。
断念したことは、まことに残念であったが。
モノレールに興じている孫を見ながら、しみじみ思った。生きていればこそであった。孫との遊びに興じていればシアワセであった。こういうのをジジイのシアワセというのである。
ありがたいではないか。
明日からは二日間の人間ドックに行ってくる。居住地の巨大病院にである。居住地から助成金も出る。50%である。これまた実にありがたいではないか。そもそもがこの巨大病院は、一部事務組合立であった。だから居住地との関係が深いのである。これもまた縁である。
身寄りのないボキであるが、この巨大病院でクタバルのであろう。それがいつになるかはわからない。今日かもしれないし、明日かもしれない。
それを考えないのが、動物園の動物たちである。彼らには生きがいもなにもないだろう。タブン。
あと何日で死ぬのかなんてぇことも考えないだろう。そんなことを考えていたら、動物たちといえどもノイローゼになってしまうだろう。
あまり考えないことである。
動物もボキも。
生きていられればそれでよしである。
ボキだって、オリの中にいる動物と一緒である。
それがライオンになるのか、ゴリラになるのかそれはわからない。
もしかして、ナマケモノだったりして。
わはっははははっははっはははっはははっははは。
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