年賀状を作成しているのだが、面白くもなんともない。世間の習慣なのだ。オサラバするわけにはいかないのだろう。だからかなり個性を出している。
年賀状を作成中である。毎年のことで、面白くもなんともない。この記事を打鍵しながら、宛名を印字させている。プリンターに。ありきたりの行事で、退屈している。
だから、かなり工夫する。文章だけだと貰った方も読まないで捨てるだろうから、ボキの場合裏に写真をチマチマと入れる。海外旅行で撮影した写真である。
去年は喪中であったから、そんな年賀状を出すわけにはいかなかった。
今年は二年分の写真を印刷した。場所も書いてある。親しい人ばかりだから、許してくださるだろう。
あ、このバカジジイこんなところに行っていたのかというわけである。
とりわけ、ボキのいとこ達がタノシミにしてくれている。いとこ達が連れ合いも含めて40名近くいるからである。いとこ会をやったらそう言ってくれたから、必然的にこっちは張り切る。そうなのだ。九十九里浜には親戚がいないからである。ボキには。
故郷でしか会えないのじゃ。いとこ会で会うのを実にタノシミにしているのである。
仕事人から引きはがされてしまったから、現役時代の年賀状のやりとりはセレクトしている。数を減らさないと、たまったもんではない。年賀状だけで一万円以上吹っ飛んでいたからである。
こんな風習が続くことがよくわからない。短文で決まり切ったパターンの年賀状も多い。しかも印刷されているだけである。どうせ、印刷するのならそこに特徴が欲しいではないか。
あああああ、とーま君らしいなぁという特徴である。それでないと、SNSにとってかわられる。FacebookもTwitterも楽しさという点ではかなりのモノであるからだ。もっとも、ボキはそういうの詳しくないけど。
LINEだって最近始めたばかりだし。もっとも、LINEで中国語の先生を見つけたから、こっちは活用している。教科書も中国人の先生に教えてもらったし。昨日、その教科書が来て家で読んでいた。今までにない、良質の教科書である。昨日の晩に、その先生からLINEで連絡があった。Amazonで購入する旨、お伝えしていたからである。それを報告していた。
そんなわけで年賀状というシステムに疑念を持っているのである。
印刷だったら必要ないではないかと思うからである。しかも決まり切ったワンパターンの例文集から集めてきたような文章である。
もしかしたら、郵便局にはめられているのではないかと思ってしまう。
ま、これもまた習慣だというのなら、ボキは個性を出そうとしているだけである。
ほら、ボキは個性がないから(^_^)。
謹厳実直を絵に描いたような、面白くもなんともないジジイだからである。無芸大食、無為徒食である。なんの意味も価値もないのじゃよん。
ああああああああああ、年賀状をやっているだけバカバカしいですな。
わははっははははははっはははっは。
トホホ。