見て・聞いて・歩いて・・・旅の体験は言葉につながっていく。それが最も大事である。
「見ることが大事」だ。
今年も旅に出た。6月に行った。バルト三国と露西亜であった。サンクトペテルブルグが実に良かった。(9月の西安の旅はまた別の機会に打鍵する)
憧れのドストエフスキーであった。実際に住んで、執筆していた場所であった。
ドストエフスキーとの接点は、ある大学に偶然合格して東京に出てきてからである。高校を卒業してから苦学をするために上京した。新聞販売店のたこ部屋のような二段ベッドでむさぼるように読んだ。文庫本全巻購入した。まさに「虐げられた人々」のように自分のことを感じていたからだ。葛飾区の金町であった。新聞販売店は。今は、店も個室になっているらしい。でないと苦学生も集まってこないのだろう。
たまらない思い出である。
定年間際に家人と一緒に葛飾金町に行ったこともあった。思わず落涙してしまった。正直辛かった。なんでこんなことをしてまで大学にこだわっているのだろうと思った。
亡父・亡母が大学のカネを出してくれなかったからだ。そんなくだらない大学に行ってなんになるとまで亡父に言われた。亡父自身は大学に行っていないから、知らなかった。大学のシステム自体を。亡母は師範学校出身(国立山形大学教育学部)であったから、ある程度は知っていた。しかし、結局理解してくれなかった。
最後は面倒くさくなって、自分で家を飛び出た。新聞配達すれば、奨学金をくれたからである。
そんなわけでドストエフスキーには、思い出があった。ゆかりの地であるサンクトペテルブルグに行って、実際にドストエフスキーが生きた土地を見て回った。
見る事は、言葉につながる。
これがいいのである。
風景を見て、そのままカメラにおさめてハイサヨウナラでは、富岳百景である。太宰治もやったではないか。さ、記念写真を撮りましょうとやって、人物は外して背景になっている富士山を大きく写した。そして、お世話になった富士山に挨拶して終わりの、あの小説である。好きな作家である。
つまり富士山との対話をしている。
旅に出ることは、そういう体験につながる。
これまで生きてきた経験、過去、考えてきたことが言葉になってくるからである。
ボキは旅に出て食事が美味しかったという思い出はあまりない。なにを喰ったかも思い出せない。家人は別である。料理の専門家だから、旅に出たらかなり参考になるらしい。サンクトペテルブルグでも、露西亜の家庭料理を食べたいとなった。そこで夜にサンクトペテルブルグ駅に近い庶民的なレストランに出かけた。ロシア語なんかできないから、添乗員付きである。ツアーなので他のメンバーも誘った。まさかサンクトペテルブルグまで来て、日本料理や中華料理を食っていても仕方ない。
美味しかった。しかし、何を食べたかが記憶にない。ワインを呑んでテーブルの向こうにいた同じグループの素敵な老夫婦と話をしたことだけ覚えている。商社マンだったそうな。英語もかなり出来る。ボキもいろいろ英語のフレーズを教えていただいた。
レストランのウエイトレスが、これまた素敵な露西亜衣装でサービスをしてくれた。見応えがある。英語で話しかけてみた。反応がない。ホテルのフロントもそうだったが、露西亜人は英語があまりお好きではないようだった。
旅はそういうことをいろいろ考えさせてくれるのである。
サンクトペテルブルグと言えば美術館である。エルミタージュとかいろいろある。家人がそういうものを見るのが好きでこれまで旅に出た時は、一緒に行った。
でも正直よくわからない。美術館で絵画や彫刻に接したときにである。
つまり、絵画や彫刻を見てボキ自身の中に言葉がわき出てこない。
これからの旅では、そうした面でも言葉につながるように勉強していこうと思っている。
それが生涯学習ごっこにつながるからである。
なにしろ時間だけはある。
今日一日の時間である。
使わなくちゃもったいないではないか。
ヾ(@⌒―⌒@)ノ